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歴史人物語り#14 浅井家滅亡に追いやり織田家臣となったものの秀吉への恨みで光秀に加担?阿閉貞征

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今回は本能寺の変の後、明智光秀に加勢をした
阿閉貞征(あつじさだゆき)です。
それよりも浅井家滅亡に追い込んだことの方が有名な気がします(笑)
麒麟がくる」ではどうかなぁ、出てくるのかなぁ。

www6.nhk.or.jp


では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

 

 

1.阿閉貞征(あつじさだゆき)とは

通称万五郎または淡路守
元々は浅井長政の家臣でした。
浅井長政といえば、織田信長の妹・お市の方が奥さ
織田家とは縁戚関係にありましたが
古くからの同盟相手・朝倉家との縁を断ち切れず織田家を裏切り、
その結果浅井家は滅亡してしまいます。
その浅井家滅亡の遠からぬ原因となったのが、この阿閉貞征なのです。
最終的には織田家が浅井家を滅亡させることは変わらなかったかもしれませんが、
阿閉貞征の寝返りがなければ、浅井家との戦はもっと長期化していた可能性があります。
阿閉貞征が任されていた城は、北国街道や琵琶湖を見渡せる位置にある山本山でした。
この城があるおかげで、浅井長政の守る小谷城を包囲することができない上に、
同盟国である越前国の朝倉家の軍勢が織田の軍勢に邪魔されることなく
小谷城に入ることもでき
のです。
しかし、阿閉貞征羽柴秀吉の調略によって織田方に寝返ってしまいます。
織田信長、この時を待っていたとばかりにすぐさま岐阜城を出発し、
越前から小谷城へ入る北国街道を封鎖してしまいます。
このために、援軍に向かっていた朝倉義景の軍勢およそ2万は足止めをくらい、
小谷城に入ることができなくなり、小谷城が孤立してしまったのです。
かくして織田の軍勢は小谷城を包囲できるようになり、
以後は織田家のペースとなって朝倉家・浅井家を滅亡に追いやることになるのです。
阿閉貞征自身も恐らく山本山一帯に織田家を引き入れてしまうことが
どういう結果を導くことになるかは流石に気づいていたと思います。
阿閉貞征が寝返る前にも浅井四翼の一人と謳われる勇将・磯野員昌
宮部継潤が寝返っていたので、
もはやこれまでと思ってのことだったのかもしれませんね。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

主君のために身を投じることの方が聞こえはいいけど、
阿閉貞征にも家族がいて親族がいて家臣たちがいるわけで、
彼らを守るためには有利な方に付き従うのも仕方のない話です。
そこまで考えてなくて自分の保身のためだけだった
とかいう場合もあるかもしれませんが(笑)
でも、そこそこの領地を治めていた領主たちって
それなりに人望もあったりすると思うんですよね、
悪名名高い松永久秀だって地元の民にはとても慕われていたそうですし。
ま、あくまでも個人的見解であってなんの根拠もありません(笑)

2.織田家に仕えて以後の阿閉貞征は?

浅井家滅亡後は、織田家の家臣に加わって羽柴秀吉の与力となります。
元々の本領も安堵されるのですが近江は羽柴秀吉が一職支配権を持っていました
要するに秀吉が全権力を握って取り立てなんかを仕切っていたようで
阿閉貞征はかなり不満を持っていたようです。
扶持の横領で訴えられた時など(そもそも横領したらだめじゃんw)、
息子の貞大(さだひろ)
『秀吉に半分以上とられたからやったんだ』
弁明していたぐらいですから、
秀吉から今でいうパワハラあったのかもしれないし、
元々相性も良くなかったのかもしれません。
そういう仲を信長が知ってなのかどうかよくわかりませんが、
1577年からの秀吉の中国攻めに阿閉貞征は参加させられることなく、
信長の旗本に組み入れられたようです。
1578年11月から始まる有岡城攻めには信長に従って参戦していますし、
1581年の伊賀攻め、1582年の甲州征伐にも信長に随従しています。
信長は気に入ってたんですかね(笑)
しかし、本能寺の変が起きると阿閉貞征明智光秀に加担することを決めます
もちろん狙うは秀吉の居城である長浜城(笑)
首尾よく長浜城を占拠し、その勢いで山崎の戦いにも先方として参戦しますが
結果は皆さんご存知の通り秀吉軍の完全勝利。
阿閉貞征秀吉方に捕縛され、なんと一族全員磔刑で処刑されてしまうのです。
元々浅井家から織田家に寝返らせたのは秀吉なんですが、
その秀吉が処刑をするっていうのも数奇な運命です。
秀吉としては、裏切る人物をそもそもあまり信用していなかったのかもしれません。
だって次は自分が裏切られるかもしれませんしね。
まぁそれはそれとして、阿閉貞征が秀吉のことを本当に嫌っていたとしたら、
悔しくて仕方なかっただろうなぁと思ったりなんかも・・・。

3.「麒麟がくる」で阿閉貞征は出てくるんでしょうか

明智光秀に加担した武将なので、少なくとも本能寺の変以後は登場するのかなと。
ちょっと名前が出るぐらいで登場機会は少ない気がします。
山崎の戦いでの戦闘シーンも明智光秀筆頭に、
明智五宿老(明智光忠は負傷してて不参加です)や
明智三羽烏の戦ってるところなんかがメインになりそうですもんね。

tsukumogatari.hatenablog.com

あ、三羽烏も全員でてくるかはわかりませんが(笑)
なので、浅井家滅亡が近くなった頃や本能寺の変が始まった頃に、
『そういえば阿閉貞征ってやつ出てくるのかな』って思い出してくれるだけで
今回記事にした甲斐があったなと思えます(笑)

4.まとめ

今回は浅井家を滅亡に追いやった男として有名な(笑)、
阿閉貞征を紹介させていただきました。
そういえば、いつもの信長の野望・創造 戦国立志伝での評価値を
見せてなかったのでここで。

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どうですか?
めちゃめちゃ評価が低いです!(笑)
具体的に何か実績を残しているかどうか不明だったりもするので
仕方ないのかなと思いますが、
それにしてもこれどういう基準で評価してるのかは気になります(笑)
そもそも、歴史上、名前が残っている人たちって記録がないにしても
それなりのことをしてきているんじゃないかって勝手に思っています。
例えばの話、学校のクラス一つを纏めるのだって大変でしょう?
それよりも大きな単位での領主なんてそれ相応の力が無いとできませんよね。
そりゃ領民からすると領主として善い悪いはあるにしても、
お金をふんだくる領主だろうが民に優しい領主だろうが、
権力を持てていたことは確かでそこに人が集まっていたわけで、
領民に慕われていなくても家臣たちには慕われていたかもしれないですし。
もちろん記録的に悪行しかしていないような人は評価低くてもいいんですが(笑)
そういう場合は家臣が有能だったり、何かしら記録は口伝が残っていたりしますから
なーんにも記録が残っていないからって勝手に悪い評価するのはよくない!
あ、裏切ったのと最終的に負け組についたので評価されちゃってるのかな、
阿閉さんの場合(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!