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歴史人物語り#24 明智光秀に負けないどころか丹波から追い返した赤鬼・赤井直正

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今回は丹波の赤鬼として名高い
赤井直正(あかいなおまさ)です。
丹波攻めでは明智光秀が最も苦しめられた武将でしょう。
麒麟がくる」ではどんな俳優さんが演じることになるのか?

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.赤井直正(あかいなおまさ)とは

通称悪右衛門
1529年赤井時家(あかいときいえ)次男として生まれました。
直正は、赤井氏の同族で黒井城を拠点としていた荻野氏の養子になります。
しかし、1554年母方の叔父である荻野秋清を殺害して
黒井城を奪ってしまいます。
これがもとで通称悪右衛門と言われるようになったという説もあります。
そしその勇猛な戦いぶりから丹波の赤鬼」と呼ばれるようになるのです。
15歳の時にこんな悪行をおこなった武将も
なかなか聞いたことがありませんね。
そんな直正の信長の野望・創造 戦国立志伝での能力値はこちら!

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政治力以外は流石と赤鬼といった評価です。
しかし荒木氏綱同様に、戦法もうちょっと強くてもいい気が・・・。

tsukumogatari.hatenablog.com

ともあれゲームでも敵にはしたくない武将の一人なわけです。

ちなみに奥さんは丹波で赤井氏と共に勢力を張っていた波多野一族の
波多野元秀(はたのもとひで)の娘でしたが死別してしまいます。
その後に継室として奥さんになったのは、
なんと関白を務めたこともある近衛前久(このえさきひさ)の妹でした。
丹波が京に近いということもあるでしょうが、
赤井氏の勢力・影響力の強さをこの婚姻関係は物語っていますよね。

ちなみに当時の赤井氏は兄の家清家督を継いでおり、
丹波氷上郡全域を支配するほどに力をつけていましたが、
1557年に家清が松永久秀の弟松永長頼との戦いの傷がもとで
亡くなってしまいます。
家清の嫡男・忠家はまだ9歳と幼少だったため、
直正は忠家の後見役を務めながら赤井一族を率いました。
1558年には天田郡荒木尚雅を滅ぼすなど勢力の拡大に務めました。
また1565年には横山城塩見頼勝を攻めた際に、
援軍にきた兄の仇・松永長頼(この時の名乗りは内藤宗勝)を
和久郷の決戦で討ち取っています。
丹波ではこのように負け知らずの戦いぶりを見せてきましたが
1570年織田信長丹波方面に足を延ばしてきた際には
織田信長に降り、3郡の所領を安堵されます。
しかし、この臣従関係も思わぬことから崩れてしまいます。

1571年但馬国守護山名祐豊(やまなすけとよ)
赤井領の氷上郡に攻め込んできます。
直正は見事山名軍を撃退すると、
その足で山名氏の此隅山城(このすみやまじょう)
竹田城(たけだじょう・天空の城!)を占拠します。
城を占拠された祐豊は織田信長に援軍を頼みます
信長はこれを丹波制圧のチャンスと見たのかもしれません、
きっと援軍を送るのはおそらく口実w、
信長は丹波侵攻を決めて明智光秀をその大将として丹波に送り込むのです。
直正は積極的に反信長勢力になったわけではないんですよね。
足利義昭方について出陣するという噂もながれたり、
その後義昭からも助力を求められたりもして
結果的に反信長勢力に取り込まれていくんですが
もしかしたら直正自身は不本意であったのかもしれません。

1.1.丹波で仁王立ちの赤鬼、織田軍を撃退し続ける

信長の命を受けて丹波に攻め込んできた明智光秀
これが1575年の10月ごろのこと。

ちょうどこの頃、赤井直正山名氏から吉川元春に鞍替えしていた
太田垣輝延(おおたがきてるのぶ)の守る竹田城を攻めていました。
しかし明智光秀の侵攻を知ると、
竹田城攻めをとりやめ黒井城に立て籠もります
光秀は竹田城を制圧した上で、
黒井城の周囲に砦を築き、黒井城を包囲戦します。(第一次黒井城の戦い
光秀は楽観視していたようで、このまま包囲を続けていれば
数か月後には兵糧が切れて城は落ちると考えていたようです。
しかし、包囲してから2か月以上たった1576年1月15日
信長に降ったはずの波多野秀治赤井直正の調略によって
信長を裏切り、明智光秀軍を3方向から攻撃してきたのです。
これによって形勢は逆転し、明智軍は退却せざるをえなくなります。
この時の赤井直正の戦術を
「赤井の呼び込み軍法」というそうです。
そしてこの戦いで織田軍に大敗をもたらした直正は
丹波の赤鬼」の名を広く知らしめることになるのです。

その後も明智軍から攻撃を何度も撃退し退けるのですが、
1578年3月9日に赤井直正が病気で亡くなってしまいます。
※戦による怪我が元で病気になって亡くなったともいわれています。
勇猛な武将ほど、こういった刀傷などが原因で亡くなってしまうことが多い時代です。
現在のような医療技術も発達していませんでしたから
赤井直正のように若くして亡くなった方が多くいるのも戦国時代。

これは丹波勢にとって大きな影響を与えることになり、
一時は光秀を裏切っていた国人衆がまた再び光秀傘下となり、
以後の丹波平定への道が開けていくことになります。
そして直正死後、弟の赤井幸家(あかいよしいえ)
当主・赤井忠家の後見役を引き継ぎます。
しかし第二次黒井城の戦いでは、
直正という求心力を失った赤井氏を守る兵はそれほど集まらず、
明智光秀に敗れてしまうのです。

1.2.直正の子孫たち

直正が亡くなったとき、嫡男直義(なおよし)はまだ9歳でした。
黒井城が落城するとなんとか逃げ延びて京都でしばらく隠棲していました。
この時、荻野金左衛門と改名しているそうです。
その後1610年に親戚の山口直友(赤井直正の弟・直之の嫡男)を介して
藤堂高虎に仕え1000石賜ると同時に赤井姓に復姓したということです。
大坂の陣でも藤堂軍の足軽大将として活躍したそうですから、
父の名に恥じぬ武者ぶりを見せたのかもしれません。
それから、タレントで元プロボクサーの赤井英和さんは
赤井直正の弟・幸家の子孫
らしいですよ。

2.「麒麟がくる」での赤井直正はラスボスみたいなものかも!?

光秀にとって丹波攻めで最も厄介な相手となる赤井直正
ラスボス並みに強い存在として登場してくるでしょう!
演じるのは誰なのかが非常に気になります。
光秀に立ちふさがる大きな壁として
演技力の優れた俳優さんが演じてくれるといいんですけどね。
ちょっと武骨者な武将とか猛々しいイメージのある武将って
わりと格闘家とかプロレスラーとか演じたりすることありますけど
赤井直正に関しては、あんまりそっち系の人には演じてほしくないです(笑)
光秀の丹波攻め最大の好敵手として誰が相応しいかなぁと考えた結果、
渡辺謙さんとか松平健さんあたり?ちょっと強すぎかな(笑)
語り役の市川海老蔵さんがこっそり演じるとかあっても面白いかな
とかも思ったり、
登場回数自体は少ないと思うので、
ちょっと高額なギャラの俳優さん使っても大丈夫なんじゃ
とか勝手なことも言ってみたり(笑)

3.まとめ

今回は明智光秀を散々に苦しめた丹波の赤鬼・赤井直正でした。
光秀に敗れることなくても、病には勝てなかった直正。
直正の病気は戦で受けた傷が元と言われていますから、
勝てずとも何度も直正に挑んだ光秀の執念がもたらしたものなのかも!?

よくよく考えてみると
明智光秀丹波の鬼で退治できたのは青鬼の籾井教業だけです。
前回紹介した荒木氏綱にも今回の赤井直正にも結局勝てていません。
丹波の3人の鬼は、戦国時代に鬼と呼ばれた武将の中でも
トップクラスの強さを誇っていたといっても過言ではないのでは?
次回の信長の野望最新作では3人の丹波の鬼の武力を90以上にしてもらいたい!
もしくは3人同じ戦場にいるとスキル発動みたいな(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!