歴史人物語り#32 中濃三城盟約を破って娘を犠牲にしてでも織田信長に与した加治田城主・佐藤忠能

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今回は今までの記事でも何度か名前が出てきている
佐藤忠能(さとうただよし)です。
中濃における有力な国人衆の一人ではありますが
麒麟がくる」では登場する?

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では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

 

1.佐藤忠能(さとうただよし)とは

通称紀伊
父は佐藤清房
美濃国の国人で加治田城の城主斎藤道三に仕えて
道三の土岐頼芸(ときよりあき)追放にも加担しました。
しかし、道三とその子・義龍との争いでは
義龍方について戦功を挙げています

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義龍亡き後は、その子・龍興に仕えました。
龍興の代になって美濃攻略を本格的に進めようとしている織田信長に備えるため、
関城主・長井道利の考案で、堂洞城主・岸信周、と共に中濃三城盟約を結びます。

tsukumogatari.hatenablog.com

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この時盟約の結束を固めるために、
娘の八重緑(やえりょく)岸信周の養女として差し出しています。
これは長井道利が西美濃三人衆の織田方への寝返りの噂と共に
佐藤忠能の不穏な動きを察知して提案したことのようです。

長井道利の案じていた通り、
佐藤忠能、実は家臣の梅村良沢(うめむらりょうたく)
織田信長の家臣丹羽長秀の元に遣わし
既に内通の約束をしてました。
尾張領内をまとめあげ力をつけてきた織田信長の勢力に加担しようとしたのは
佐藤忠能の慧眼さといっても過言ではないかも。
また、娘を人質に差し出した時点で
もはや二度と会えないだろうことは覚悟していたことでしょう。
全ては一族郎党を守るために最善の選択を決断した結果なのだと思います。

そして1565年8月織田信長が美濃に侵攻してくると
佐藤忠能約束通り織田方に寝返ります。
佐藤忠能が織田方についたことを知ると
岸信周はその報復として人質であった八重緑を刺し殺し磔にして、
佐藤忠能の居城である加治田城に面した長尾丸山に晒しました
遺骸は夜になって佐藤忠能の家臣西村治郎兵衛(にしむらじろうべえ)
奪取して龍福寺に埋葬したそうですが、むごい話ですよね。
※ちなみに八重緑が磔にされて晒された場所は現在もそのままの状態で
保存されているそうなので一度見にいってみたいです。
織田軍は岸信周の堂洞城を攻め立て、
佐藤忠能も子の忠康と共に堂洞城を攻撃
岸一族の激しい抵抗も虚しく堂洞城は陥落。
ちなみに翌日の首実検を控え、
信長は佐藤忠能の屋敷に一泊するのですが
忠能・忠康の父子共々そのことに感涙を流したとか。

堂洞城の攻略後、裏切った佐藤忠能を討伐するために
長井道利と肥田忠政が加治田城へ攻め寄せてきます
関・加治田合戦ともいわれる激しい攻防戦となりますが、
織田方の斎藤利治の援軍を得たことにもよって
長井道利軍を追い払います。

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さらに佐藤忠能自らで肥田忠政と5度に渡る戦いを挑み、
最終的にで肥田忠政軍も追い払いました。
ただしこの戦いで息子の忠康は討死したとされています。

そして1567年信長の命によって斎藤利治を養子として加治田城を任せ
忠能自身は隣村の伊深村に隠居したそうです。
山科言継(やましなときつぐ)と交遊を持つなど
京都の公卿とも付き合いがあり、
単なる一介の武人というわけでもなかったようです。
没年は1578年5月5日、病で亡くなったそうです。
※龍福寺の過去帳によると1577年4月17日が命日

1.1.佐藤忠能の家臣は有能揃い?

佐藤忠能が率いる家臣団は『堂洞軍記』信長公記によると
結構名前が挙がっています。
以下Wikipediaからの引用です。

佐藤忠康(忠能の子)、八重緑(忠能の娘)、正室院(忠能の娘)、佐藤能信(忠康の弟)、佐藤昌信(忠康の弟)
佐藤信則佐藤堅忠(信則の子)
長沼三徳(家老)、長沼藤治兵衛(三徳の子)
西村治郎兵衛(古参・城代)、湯浅新六(槍術家)、白江権左衛門(加治田勇士)、梅村良澤(隠士)、梅村左平治、小森半平、清水九郎兵衛(歴代旗本)、吉田弥三(三徳友軍)、田中七郎右衛門(一軍大将)等。

引用元:Wikipedia

一族衆を除くと11名ほどの家臣の名前が挙がっていて
最初見たときは
あれ、これは真田十勇士みたいな感じで
物語作れたりしないかなとか思っちゃいました(笑)
どういう人物だったかよくわからない人たちもいますが、
家老の長沼三徳、や三徳同様に古参の家臣・西村治郎兵衛、
槍の名人湯浅新六辺りは
描写しやすそうな気がしています

ちなみに加治田城主を引き継いだ斎藤利治旗下だと
こんな感じです。

斎藤利堯、蓮与斎藤義興斎藤市郎左衛門
佐藤信則佐藤堅忠(信則の子)、佐藤昌信
長沼三徳、長沼藤治兵衛(三徳の子)。
西村治郎兵衛、湯浅新六、白江権左衛門、梅村良澤、梅村左平治、小森半平、清水九郎兵衛、吉田弥三、田中七郎右衛門。
大島光義、大島光成光義の嫡子、大島光政光成の弟、大島光俊光成の弟、大島光朝光成の弟
井戸宇右衛門
平井信正(賓客)、平井綱正

引用元:Wikipedia

後に森家に仕えて名古屋山三郎(なごやさんさぶろう)
一刀両断したほどの豪傑・井戸宇右衛門(いどうえもん)
93歳で関ヶ原の戦いに参加したという
大島光義(おおしまみつよし)とその一族の名前も見えます。

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佐藤忠能の家臣がというよりも
加治田衆自体が有能な人物が多いのかもしれません。
その地の風土や文化が人を成長させやすい環境なのかなとか
ちょっと気になるところです。

2.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの佐藤忠能

麒麟がくる」では岸信周同様に出てこないでしょうね。
ワンチャンもなさそうな気がします(笑)
養子になった斎藤利治の登場の仕方では
名前だけ出てくるとかはあったりなかったり!?

そして信長の野望シリーズでは一度も出てきておりません。
佐藤忠能は出てこないんですが、
家臣の佐藤堅忠(さとうかたただ)は登場します。
立場的には上の忠能が出てこないのはなんで?、
と思わなくもないですが
佐藤堅忠豊臣秀吉徳川家康にも仕えていて
伏見城駿府城の普請奉行を任されたりなど
その辺の実績から登場してるのかもしれません。
佐藤堅忠は内政の人なんですが(信長の野望的には)、
佐藤忠能は軍師とか謀略家的なイメージがあるので
知略と統率高めな感じで今後登場すると喜びます、私が(笑)
信長の野望の領地がもうちょっと細かい単位になると
いろんな地域の武将を登場させられて面白いんだけどなぁ。

3.まとめ

今回は前回紹介し斎藤利治の養父であり
信長の美濃攻略戦では
織田方に与して功績を挙げた佐藤忠能でした。
一族郎党が生き残るためとはいえ、
娘の八重緑の犠牲は胸が痛みますよね。
ただ八重緑の死は加治田衆にとっては逆に
戦のモチベーションとなったんじゃないかと思います。
約束破られた岸信周も怒り心頭だったんでしょうけど
逆に攻め手に勢いをつけてしまった感もあります。
とかよりも、やっぱり戦争はダメ、絶対に。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!