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歴史人物語り#33出自不明な明智光秀の祖父と父と云われている明智光継と明智光綱

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今回は明智光秀祖父・明智光継(あけちみつつぐ)
父・明智光綱(あけちみつつな)です。
明智光秀以上にその生涯が謎に包まれています。
麒麟がくる」では登場するのかどうか

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.明智光継(あけちみつつぐ)とは

1468年6月19日生まれ、明智頼尚の子。
子に明智光秀の父・光綱明智秀満の父・光安明智光忠の父・光久など。
つまり、明智光秀にとっては祖父にあたります。
光継は代々明智氏によって受け継がれてきた
明智城明智長山城または長山城)の城主として東美濃周辺を治めていました。

1508年には従五位下駿河となり、
1525年には入道して一関斎宗善と号します。

明智氏土岐氏の支流といわれており、
室町幕府に直接仕える奉行衆を務めていたそうですが、
斎藤道三土岐氏に代わって美濃国を掌握し始めると
斎藤道三に与するようになり、娘を人質に差し出しています。
この娘が、後に道三の正室となる小見の方であり、
小見の方の生んだ娘が信長の正室となる帰蝶濃姫と言われています。
そして明智光継亡くなったのは1538年4月14日享年70歳といわれています。

2.明智光綱(あけちみつつな)とは

1497年9月13日生まれ、明智光継の嫡男
は若狭の守護である武田信豊(たけだのぶとよ)の娘と言われています。
斎藤道三明智城を攻められて討死したと言われています。
亡くなったのが1535年9月12日と言われているので
享年38歳です。父・光継より先に亡くなっています。
まだ光秀が幼い時期に光綱が亡くなってしまったので、
光綱の弟・光安が光秀の後見役となり、
以後、明智家を取り仕切ることになります。
明智光安については以前こちらで記事にしています。 

tsukumogatari.hatenablog.com

 光綱については、名前が系図によって光国だったり光隆だったり
名前が一致していません。
※この頃の人たちはよく名前を変えているので普通のことなのかもしれませんが。

子ども、つまり光秀の兄弟にも信教、康秀がいるという説もありますが
これも確証となるような資料は存在しません。

3.明智光秀の出自が謎すぎて父や祖父が誰なのかよくわかってない

今回記事にした祖父・明智光継、父・明智光綱説というのは
史実として確定している情報ではありません。
光秀の出自は以下に示すように他にも諸説あるのです。

光秀は美濃の明智氏の出身とされるが、前半生が不透明なこともあって以下の出自説が存在する。

進士信周の次男(『明智一族宮城家相系図書』)[14]
美濃の明智から信長への使者御門重兵衛を気に入り、明智を名乗らせ仕えさせた(『塩尻』[注釈 31])[14]
若狭国小浜の刀鍛冶・藤原冬広の次男(『若州観跡録』)[14]
土岐元頼の息子(『稿本美濃誌』[注釈 32])
進士晴舎の息子[108]

引用:Wikipedia

 いくつかある明智家の系図でも一致しなかったりしますし、
土岐支流ではあっても、
父の名前が伝わらないような低い身分だったのでは
という話もあるぐらいです。
おそらく「麒麟がくる」では明智軍紀これもあまり信憑性がないとは言われている)や
明智系図を元にした系譜がベースになるのではと思っていますが、
系図が一致していないっていうと、
やっぱりちょっと疑ってしまいます。
実際のところどうなのかは研究されている方たちに
頑張ってもらって解明に近づいてもらうしかないんですが、
素人考えでは、いろんな理由で系図でっちあげちゃったんじゃ?
って思っちゃいます。
そもそも戦国時代だと家系をちょっと偽るのは
わりと普通に行われていたことのようですしね。
こういうのをじっくり研究するだけの日々を送りたいものです!

4.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズの光継・光綱父子

大河ドラマだと生まれた頃とか幼少期の頃なんかの話をやるのも定番なので
(「真田丸」は三谷幸喜脚本だったから違ったけど)
序盤に出てくるんじゃないでしょうか。
ただあまり多くのシーンは撮られずサラッと流して
明智光安の代に移ってしまう可能性もあるかなと思っています。
エピソードとか全然よくわからない父子なので
脚本家的には好きに書けていいんじゃないかなとか思ったり(笑)

そして信長の野望シリーズでは一応両者とも登場実績があります。
ありますが、光綱の方は、昔の蒼天録で出たぐらい
他はたぶん登場したことがありません。
お爺ちゃんの方の光継は最新版の大志でも出ていますし
安田作兵衛プレイでお馴染みの戦国立志伝でも出てきます。
お爺ちゃんの戦国立志伝での評価値はこんな感じです。

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最初からすでに城主の身分なんですが
政治以外は60超えで有能な城主の部類に入るでしょう。
何したのかよくわからない人だけど
どうしてこういう評価値になったのか、
明智光秀のお陰かな(笑)

5.まとめ

今回は明智光秀祖父・明智光継父・明智光綱でした。
出自不明な人の祖父と父と言われているので
さらに出自がよくわからないという事態に陥っています(笑)
家系図はちゃんと正しいの書いて残してほしかったなー
歴史の真実を知りたい人からしたらですけどね。
早く過去を旅できる何かが発明されてほしいです(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!