歴史人物語り#35 西美濃三人衆の中でも最大勢力を誇りながら地味な扱いを受けがちな氏家卜全

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今回は西美濃三人衆の一人、
氏家卜全(うじいえぼくぜん)です。
麒麟がくる」では稲葉一鉄の陰に隠れて
登場機会が少ないかもしれません(笑)

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では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.氏家卜全(うじいえぼくぜん)とは

卜全は出家してからの号で諱は直元(なおもと)です。
ここでは有名な卜全の名で統一させて頂きます。

生年は1512年と言われています。
父は氏家行隆、母は長井利隆の娘と言われています。
長井利隆といえば、歴史人物語りで紹介済みの
長井道利のお爺ちゃんとも言われている人です。

tsukumogatari.hatenablog.com

 氏家卜全は始め美濃守護の土岐頼芸に仕えていました
斎藤道三土岐頼芸を美濃から追放し、
大名として成り上がってからは、斎藤家に仕えます。
そして美濃における有力武将であった西美濃三人衆の一人でした。

西美濃三人衆といえば、今回の氏家卜全
安藤守就(あんどうもりなり)
稲葉一鉄(いなばいってつ)
の3人。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com安藤守就竹中半兵衛の奥さんのお父さん
半兵衛が稲葉山城を謀略によって主君・斎藤龍興から奪った際に
一緒に協力したことで知られていますね。
また、稲葉一鉄はその性格と名前から
頑固一徹の語源にもなったというのでも有名ですし、
明智光秀の宿老・斎藤利三の元上司であり
斎藤利三の記事の中でも書きましたが、光秀との間で斎藤利三の取り合いで
信長も巻き込むひと悶着をおこしたりもしています。

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そして今回の氏家卜全
西美濃三人の中で最も勢力があり、
最盛期には美濃の1/3を治めるほどだったといわれています。
斎藤道三の嫡男・義龍にも覚えが良く重用されていました。
にもかかわらず、西美濃三人衆の中では
一番パッとしないというか影が薄い気がするのは
きのせいでしょうか。。。(笑)

義龍が亡くなって龍興の代になってからは
遠ざけられるようになって、結果織田家へ裏切るのですが
卜全は織田信長からの信頼も厚かったといわれています。
信長の美濃統一は1560年の桶狭間の戦いに勝利を治めてから数えても
7年ほどかかっています。
特に足利義昭上洛の手伝いよりも優先させた斎藤家に戦いを挑んだ
河野島の戦い(こうのしまのたたかい)では
斎藤家の武将たちに「天下の笑いもの」
と、バカにされるぐらいの大敗を喫します。
それだけに信長のも氏家卜全の持っている力量を
肌身に感じて理解していたんでしょうね。
ちなみに卜全の号は信長に仕えた頃ぐらいから名乗っていたそうです。

信長の家臣となってからは
信長の上洛戦に従い、
1569年の伊勢大河内城攻め(北畠具教との戦い)
1570年の姉川の戦い(浅井・朝倉連合軍との戦い)
参戦して活躍しました。

1.1.運命の長島一向一揆との戦い

1571年織田信長は近江佐和山城磯野員昌の寝返りを契機に
近江における戦局が優位になります。

tsukumogatari.hatenablog.comそこで信長は伊勢一帯で悩まされていた一向一揆鎮圧のために
およそ5万の兵を動員します
氏家卜全も、柴田勝家の軍に組み込まれて出陣します。
長島一向一揆といえば、
卜全の元主君である斎藤龍興や同僚の長井道利も参戦していました。
織田軍は織田信長本隊佐久間信盛柴田勝家
3手に分かれて攻め込み周辺の村々に火をかけるなどした後、
一旦軍を退却する動きを見せます。
しかしこの退却がまずかった。
退却の最中を逆に一向一揆勢に狙われてしまうのです。
織田軍撤退中に通ると思われる道の狭い箇所に
一向一揆勢は弓兵や鉄砲兵を伏兵させ、
織田軍を待ち構えていたのです。
信長本隊と佐久間信盛の軍は難を逃れることができたのですが、
殿軍となっていた柴田勝家の軍団は
一向一揆勢の伏兵に捕まってしまいます。

戦いの最中、大将の柴田勝家が負傷。
勝家に代わって殿軍をつとめることになったのが氏家卜全でしたが
美濃石津佐々木祐成(ささきすけなり)に討ち取られてしまうのです。
※佐々木祐成は六角氏の一族で、所領の近江愛知郡が占領されて以来、
反信長勢力として一向一揆に加わっていました。
享年59歳
一説には享年38歳説がありますが、
そうすると1533年生まれということになります。
しかし、後に家督を継ぐことになる次男の行広が
1546年生まれであることを考慮すると59歳説の方が妥当ですね。

2.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの氏家卜全

麒麟がくる」では西美濃三人衆の一人、
稲葉一鉄村田雄浩さんが演じることになっています。
軍師官兵衛では官兵衛に謀殺される宇都宮鎮房を演じられていました。
一鉄は後に明智光秀の家臣となる斎藤利三とも関係が深い人物なので
配役が早くに発表されるのは当然でしょうが、
西美濃三人衆一の勢力を誇っていた氏家卜全は何故発表されていないのか(笑)
安藤守就も含めて西美濃三人衆として1セットで
登場する可能性は高いかもしれませんが、
そうはいっても登場機会は多くないでしょう。
明智家と婚姻関係とか結んでいれば違ったんでしょうけどね!
亡くなってしまう長島一向一揆との戦いでは
ナレ死してしまう可能性が否めません。。。

たぶん信長の天下統一事業序盤における
長島一向一揆討伐で亡くなったしまったことが
後の世で戦国シミュレーションゲームの代表各・信長の野望シリーズで
評価が中途半端な感じになっていると推察しています(笑)
信長の野望・創造 戦国立志伝での評価値はこちらです。

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武勇・統率がちょっと高いぐらいとはいえ、
これぐらいの能力値の方が個人的には育て甲斐はあります。
でも西美濃三人衆の中で最も勢力を誇った武将なら
もうちょっと高くてもいいんじゃと思うのと、
ゲーム中では大垣城城主に設定されている
稲葉一鉄の家臣に成り下がっています!
子孫の方に怒られないか心配です(笑)
ちなみに1559年ぐらいに卜全は大垣城城主となっていますから
一鉄と逆の立場にしてあげた方がいいんじゃないかと思うんですが。
一鉄は元々曽根城の城主ですしね。
大垣城の城主にはなったことないんじゃないかな、おそらく。
大垣城も曽根城も今の大垣市にあったお城なんですけどね。

3.まとめ

今回は西美濃三人衆の一人で、
3人の中でも最も勢力を誇っていた氏家卜全でした。
美濃の1/3ほどの勢力を持っていて、
その子・行広が関ケ原の合戦で西軍につくまでは
卜全が当主だった頃の勢力を保っていたといわれています。
なんですが、インパクトのある逸話がないせいか(知らないだけ?)
西美濃三人衆の中でもちょっと影が薄い印象で可哀そう。
討死だって柴田勝家の身代わりになったようなものですしね。

あ、ちなみに氏家ト全氏家卜全の違いわかりますか?(笑)
前者の氏家ト全」は「うじいえとぜん」
生徒会役員共などで有名な漫画家さんです!

生徒会役員共(18) (講談社コミックス)

生徒会役員共(18) (講談社コミックス)

 

氏家卜全(うじいえぼくぜん)にちなんでつけた名前らしいです。
見た目一緒だから見分けがつきません(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!