歴史人物語り#36 竹中半兵衛が主役のドラマだったらメインキャストだった!?西美濃三人衆の一人、安藤守就

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今回は前回に引き続いて西美濃三人衆の一人。
竹中半兵衛の妻の父でもある
安藤守就(あんどうもりなり)です。
麒麟がくる」では氏家卜全同様に
稲葉一鉄の陰に隠れてしまいそう!?

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.安藤守就(あんどうもりなり)とは

通称伊賀守。父は美濃北方城主伊賀定重(守利)
1503年もしくは1508年生まれと言われています。
生の安藤は「安東」とも表記されたりしています。
また、美濃安藤氏は元々藤原英聡(ふじわらのひでさと)を遠祖としていて
その9代末の子孫・伊賀朝光以降は伊賀氏を称していたようですが、
守就の代から安藤に改めたそうです。
つまり、伊賀姓の場合は「伊賀伊賀守」
伊賀の主張が激しい名前に(笑)
ちなみに西美濃三人衆の稲葉一鉄も同族で伊賀氏の末裔と言われています。

1.1 斎藤家の重臣として

安藤守就北方城主として
美濃の守護大名土岐頼芸(ときよりのり)に仕えていました。

tsukumogatari.hatenablog.com

しかし斎藤道三が美濃を乗っ取ると、
齋藤家に仕えて、稲葉一鉄氏家卜全らと共に
西美濃三人衆と称されるほど重きをなしていました。 

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com1556年の道三と子・斎藤義龍の争い、
長良川の戦いでは義龍側について、
以後は義龍にも重用されます。

tsukumogatari.hatenablog.comしかし、早くに亡くなってしまった義龍のあとを継いだ斎藤龍興
安藤守就や西美濃三人衆を遠ざけて
自分のお気に入りの家臣ばかり重用するようになり、
政務もほったらかして酒色に溺れる始末。
諫言も聞き入れてもらえず、龍興との信頼関係は悪化する一方です。
そんな最中、
1564年2月6日竹中半兵衛による稲葉山城乗っ取り事件が起きます。
半兵衛は龍興を諫めるために調略によって
たった6名で稲葉山城を制圧し、龍興は逃亡してしまいます。
竹中半兵衛は、安藤守就の娘を妻としている所謂義理の息子です。
元々この計画を知っていたのでしょう、
守就は半兵衛に加担して2000の兵を動員し、稲葉山城を制圧します。
最終的には龍興に城を返すんですが、
占拠は7月29日あたりまで続いていたといいますから
その期間はおよそ半年ほど。
半兵衛が龍興に自ら城を返還したとも、龍興に味方する勢力からの
攻撃に耐えきれず明け渡すしかなかったとも言われていますが、
この内紛は美濃を狙う織田信長にとっては好機だったでしょう。
そして1567年安藤守就を始めとした西美濃三人衆はそろって織田方に寝返ります
結果、稲葉山城は織田方の手に落ちて斎藤家は滅亡するのです。

1.2 織田信長直属部隊として西へ東へ

以後、守就は織田信長直属の家臣として以下のような戦線に参戦しています。

1575年に信長が嫡男・信忠へ家督へ譲った後も信長直属だったようで、
信長には重用されているようにみえるんですが・・・。
1580年8月、信長から野心ありの嫌疑をかけられて追放処分となります。
同じ理由で林秀貞(通勝)丹羽氏勝が追放されているんですが、
この二人は確かに、以前信長に対して反旗を翻していた時期があります。
信長がまだ尾張を統一する前の話ですね。
しかし守就が信長に仕えてから実際に裏切ったという
話を聞いたことがありません。
※確かに信長の野望では野心が高かったり裏切りやすい設定になってはいますが(笑)
一説には1570年頃に武田勝頼と通じていたためとも言われています。
例えば美濃でも西美濃三人衆として勢力を張っていた
守就が邪魔だったというのであれば、
氏家・稲葉両家も何かしらお咎めがあってもいい気もするんですが。
現存する資料からでは見えない事情が何かあったんでしょうね。

1.3 織田家追放後に再起をかけた戦い

信長に追放された安藤守就はしばらく潜伏して鳴りを潜めていましたが
1582年6月2日本能寺の変が起きて、
明智光秀によって織田信長が倒されると
子・定治と共に兵をあげて居城であった北方城を奪取します。
しかし、当時北方城の領主となっていた稲葉一鉄に攻められて敗れてしまい
6月8日に一族共に自害したそうです。
享年80歳と言われています。

ちなみに守就の弟の安東郷氏(あんどうさとうじ)も同じ運命をたどるのですが、
その子の可氏(よしうじ)は母と共に母の弟である山内一豊を頼ります。
山内一豊が近江長浜城主となると長浜で扶持を受けその際に山内姓を拝します。
そして後には山内家の家老となり、その子々孫々は明治まで続いたそうです。

2.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの安藤守就

西美濃三人衆という、斎藤家の中でも勢力のある重臣ですから
麒麟がくる」でも登場はするんでしょうが
明智光秀との関係が薄いだけに、
氏家卜全同様、登場機会には恵まれないかもしれません。
竹中半兵衛が主人公のドラマなら
間違いなく主要キャストとして出てくるんでしょうけどね!

それから信長の野望シリーズでは
家臣が登場するシリーズとして一番古い戦国群雄伝から
欠かさず登場しているようです。
最近のだと知略系が高いイメージなんですけど
昔は政治系も高めで評価されていたみたいです。
そして戦国立志伝での評価値はこちら。

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知略以外平凡です、所謂知略特化型。
戦法の離間は使えるので副将として有能です。
でも一生懸命信長直属部隊として戦場駆け回ってたんだから
武力と統率ももうちょっとあげてあげないと可哀そう(笑)
西美濃三人衆の中で評価値が一番高いのは稲葉一鉄なんですけど
天寿真っ当したことと、安藤守就に引導を渡したのも
関係しているかもですね。
一鉄にやられてなかったら、逆に安藤守就の方が
評価値高い設定になっていたかも(笑)

3.まとめ

今回は西美濃三人衆として名を馳せていた安藤守就
竹中半兵衛の義理の父親でもあり、
織田家のために各地の戦場で働きを見せていたと思うのですが、
ウソか真かよくわからない理由で信長に追放されてしまう。
普段からそのような嫌疑をかけられかねない
言動があったのかどうかわかりませんが、
信長死後に蜂起して北方城を奪ったことを考えると
やっぱりそれなりに野心は持っていた人物なのかなと思います。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!