歴史人物語り#39 父も弟も殺した後、美濃の混乱を収め大名としての地位を盤石にしたその才覚は道三の想像を超えていた!?斎藤義龍

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今回は斎藤道三の嫡男・斎藤義龍(さいとうよしたつ)
歴史人物語りでも何度も名前が出てきていますね。
麒麟がくる」では伊藤英明さんが演じますね。

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では今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com


その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.斎藤義龍(さいとうよしたつ)とは

通称新九郎。初名は利尚、後に高政と名乗っていましたが
ここでは義龍で統一します。
1527年7月8日斎藤道三の嫡男として誕生します。
義龍はちなみに身長が197cmもある大男だったと伝わっています。
そして母は深芳野(みよしの)
このお母さんは稲葉一鉄のお姉さんとも、
丹後の守護大名一色義清(いっしきよしきよ)の娘とも言われていますが
元々が美濃守護の土岐頼芸(ときよりのり)の愛妾であったことが
後々の斎藤道三との軋轢の原因の一つではという見方もありますね。
※義龍は道三と一緒になるまえに深芳野が身ごもっていた
土岐頼芸の子ではないかという説。
これは信憑性は乏しいようなんですが
噂はあったようなので、その噂を義龍が利用した可能性はあります。

義龍は1554年、22歳で道三から家督を継いで稲葉山城となります。
しかしこの頃既に道三との仲は最悪でした。
道三は義龍のことを「耄者(おいぼれ)」
要は愚者であるとけなし、
腹違いの弟の孫四郎や喜平次を寵愛するようになります。
孫四郎と喜平次は、小見の方の息子といわれていて、
小見の方といえば、明智光秀の叔母にあたるとも言われている人ですね。
一方の義龍も、父・道三のやり方には元々不満を持っていたそうで
その上自身と弟たちとの扱いの違いに憤りも感じていたことでしょう。

1.1 義龍、父・道三を討つ

道三・義龍父子の関係が最も悪化することになったのは、
義龍の異母弟の孫四郎を嫡子にしようとする動きを見せ、
喜平次には、「一色右兵衛大輔」と名乗らせて
名門一色氏を継がせたことだと言われています。

義龍は自分の廃嫡がなされる前に先手をうちたかったでしょうね。
長井道利の提言により異母弟の孫四郎と喜平次の暗殺を計画します。
そして1555年11月12日、自身が病であると偽って
孫四郎と喜平次を稲葉山城の奥の間に呼び出します。
そこで酒に酔った孫四郎と喜平次を、
義龍の寵臣である日根野弘就が斬り殺しました。
ちなみに、長井道利と日根野弘就については以前こちらの記事で書いているので
まだ読んだことが無い方は是非とも!

tsukumogatari.hatenablog.com

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この事件にびっくりしたのは他でもない父の斎藤道三です。
まさか愚者と侮っていた義龍がここまでの行動をおこすとは
考えもしなかったのでしょう。
数々の謀略を重ねて大名にまでのし上がった自分の息子だったら
これぐらい考えそうとは思わなかったのかはちょっと不思議なところ。
それだけ義龍との関係性が悪く、
正常な目で義龍の裁量を測れていなかったのかもしれません。

そして1556年4月、父子は長良川で雌雄を決することになります。
しかしこの頃の道三は既に勢力をなくしており、
特に道三が美濃から追い出した土岐家の家臣であった武将の多くが
斎藤義龍方についてしまいました。
斎藤道三の軍勢2700程に対して、
斎藤義龍方は1万7500程だったといわれていますから
戦う前から既に結果は見えていたのでしょう。
緒戦は道三に優勢をとられてしまったようですが、
さすがにこの兵力差に道三側も対抗する術がなく、
小牧源太によって道三は討ち取られてしまいます。
ちなみに、この道三の危機を知って織田信長が援軍を派遣しましたが
合戦には間に合わなかったそうです。
また、この時道三の末子で義龍の弟でもある斎藤利治
織田家に亡命して、信長に保護されています。

tsukumogatari.hatenablog.com

 

ちなみに義龍は、道三討伐の前ぐらいから
「范可(はんか)」と名乗っていたそうです。
范可とは、中国・唐の時代にやむをえない事情によって
父を殺してしまった人の名前で、義龍は自分と范可の境遇を重ね合わせて
名乗るようになったとも言われています。
でも父を殺す前からこの名前を使っていたのは
見え見えの伏線すぎやしない??(笑)

1.2 父殺しの義龍、その後は儚く短い人生だった

道三を討ち果たした義龍は、
内乱で混乱していた所領問題を処理したり、
宿老による合議制を導入するなどして、
戦国大名としての礎を築いています。
また、当時の室町幕府第13代将軍・足利義輝から
一色氏を称すること許されて一色義龍と名乗り
1558年には治部大輔に任官、
そして1559年には足利幕府の相伴衆(しょうばんしゅう)に列せられます。
ちなみに相伴衆とはこんな感じの役職です。

相伴衆(しょうばんしゅう、御相伴衆とも)は、室町幕府における役職的な身分の一つ。将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従・相伴する人々の事管領家の一族や有力守護大名に限定されていたため、一種の社会的身分としての価値が生じて幕府内の職制にも反映されて管領に次ぐ席次を与えられるようになった(ただし、三管領家も社会的身分としては相伴衆中の上位に位置づけられていたとする見方もある[1])。
引用元:Wikipedia

簡単に言うと、相伴衆に任じられると
幕府からの御墨付がついた戦国大名として振舞える(自慢できる)
といった感じでしょうか。

また、南近江の守護大名六角義賢(ろっかくよしかた)とは同盟を結んで
北近江の浅井久政浅井長政の父)と争い
北近江への勢力拡大にも意欲を見せたりしています。
実際は、織田信長の美濃への侵攻が激しさが
邪魔される形となって北近江進出の願いは叶っていませんけどね。

1561年には左京大夫に任じられるなど、
着々と戦国大名としての権威を固めてはいくものの
1561年の5月11日に亡くなってしまいます。
元々持病を患っていてそれが原因とも。
享年35歳、社会人でいったらまだまだこれからの現役世代ですね。
ちょっと早すぎる死です。
義龍が存命であったら、
もしかすると織田信長の美濃攻略は
なかなか果たせなかったかもしれません。
西美濃三人衆の寝返りは、
義龍の後を継いだ龍興に諦めてのことですし
稲葉山城を乗っ取った竹中半兵衛の事件も起きなかったかもしれませんからね。
たらればは言っても仕方がないんですが考えちゃいます(笑)

2.「麒麟がくる」での斎藤義龍

麒麟がくる」では俳優の伊藤英明さんが斎藤義龍を演じます。
伊藤英明さんといえば海猿」シリーズが代表作でしょうが
「悪の経典」でのサイコパスの役も強烈なインパクトを与えてくれました。
大河ドラマだと利家とまつでは
前田利家の嫡男で加賀120万石の藩主・前田利長を演じました。
そして来年公開の映画燃えよ剣では芹沢鴨を演じますね!
ちょっと話それちゃいますけど、
燃えよ剣」は原作小説も過去に読んだことがあって
好きな作品の一つなんですけど、
今回の映画で土方歳三黒田官兵衛を演じた岡田准一さん、
近藤勇西郷隆盛を演じた鈴木亮平さんが演じるっていうこともあって
来年の公開を楽しみにしています。

moeyoken-movie.com

燃えよ剣(上) (新潮文庫)

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燃えよ剣(下) (新潮文庫)

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では話を元にもどして、
麒麟がくる」では斎藤義龍明智家からすると仇みたいな存在でしょう。
斎藤道三方についた明智家は道三が長良川で敗れた後、
長井道利勢に城を落とされ一族離散となってしまいますからね。
明智光秀が信長の家臣になる頃には既に義龍が亡くなってしまうため、
光秀との絡み自体は少ないかもしれませんが、
道三と義龍の争いまでの過程では、
何かしら二人の交流が描かれることもあるかもです。
小見の方の甥の光秀をあまり良くは思っていないような雰囲気で
描かれるかもしれませんね。
いずれにしても義龍が道三を倒すことになるまでの経緯や苦悩が
どのように描かれて、どのように伊藤英明さんが演じるのか楽しみです。

3.信長の野望シリーズでの斎藤義龍

斎藤義龍信長の野望シリーズでは欠かさず出てくる武将の一人です。
しかも政治力はさほど高くない評価値であっても
戦闘系が高く、義龍の代の斎藤家はなかなかの強敵なのです。
ちなみに信長の野望・創造 戦国立志伝での評価値はこちらです。

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大名としてはこれぐらいの能力値であれば申し分ありません。
ただ問題なのは、寿命によって早く死んでしまうことです。。。
跡継ぎの龍興の評価値がこれと反対にあまり芳しくないので
義龍の代で国力も人材も豊かにしておきたいところです。

4.まとめ

今回は父・斎藤道三を死地に追いやった斎藤義龍
父の道三は、義龍を小馬鹿にしていましたけど、
弟を暗殺する行動力や、長良川の戦いで戦いぶりを見て
美濃もしばらく安泰だと、考えを改めたそうです。
結局、この親子はとっても似ている気がします。
父同様に謀にも長けていたんじゃないでしょうか。
伝わっていること以上に狡猾な人だったのではないかと勘繰っています。
そして道三の目を曇らせたのは、信長の放つ光が眩しすぎたせいなのかも!?

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!