歴史人物語り#43 羽柴秀吉の名参謀として有名な竹中半兵衛重治のお父さんも名将だった!?西美濃最大の山城、菩提山城の築城主・竹中重元

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今回は羽柴秀吉の右腕として活躍した竹中半兵衛
ではなくてそのお父さん竹中重元(たけなかしげもと)です。
麒麟がくる」ではさすがに出てこないかなぁ。

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では今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.竹中重元とは

1499年生まれ。父は竹中重氏
竹中氏は美濃国の名門である桓武平氏の長江氏から興った
岩手氏の分流ともいわれていて、
父の竹中重氏から竹中姓を名乗ったそうです。
重元も1558年頃までは岩手姓を名乗っていたようです。

重元は最初土岐氏に仕えていましたが斎藤道三の台頭によって道三に属します。
道三からは大野郡公卿を与えられ、大御堂城を居城としました。
この大御堂城で竹中半兵衛が誕生した伝わっており、
今でも跡地には竹中半兵衛誕生の地を示す石碑が建っています。

斎藤道三が息子の義龍と争った長良川の戦いでは、
多くの元土岐家家臣が義龍方についていた中、重元は道三の味方をします
そのため戦後、竹中氏は龍勢力に大御堂城を襲われてしまいます
そういえば明智家も道三方だったため(明智光安の妹・小見の方が道三の正室
義龍方の長井道利らに攻撃されて一族離散、
明智光秀は一時浪人生活を余儀なくされました。

tsukumogatari.hatenablog.com

 

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 では竹中氏も同様の末路を辿ったのかというと、違いました。

龍勢に攻め込まれた際、重元は留守で不在だったようなんですが
重元の奥さん、息子の半兵衛、半兵衛の弟・久作(重矩)が奮戦
龍勢を退けたそうです。
半兵衛のお母さんも勇ましい人だったんでしょうか、
どんな人だったか気になるけど如何せん資料がなく。。
ていうか、重元はこんな大事な時になんでいなかったの!?
とか安直に思ったりしますが(笑)、
重元不在時には奥さんが城代として立派に家内を纏め上げたいたから
安心だったのかもしれません。
もしかしたら義龍勢も重元不在の隙を狙ったつもりが
思っていた以上に抵抗が激しく
無理に力技で城を落とすのをやめたのかもしれませんね。

そして1558年、重元は半兵衛と共に不破郡の漆原城を攻め
岩手弾正忠信冬を追放して菩提山に新たな居城として菩提山城を築城します。
このお城は標高401メートルの頂上に立ち、
東西150メートル、南北300メートルの大きさは
西美濃では最大級の山城と言われています。
孫で半兵衛の息子である竹中重門(たけなかしげかど)
麓に陣屋を構えてから廃城になってしまったのが残念ですが、
今でもハイキングコースがあるのでその遺構を確認できます
ちなみに山城のハイキングコースなので結構キツイです(笑)

重元は岩手氏を滅ぼすと岩手氏の旧領を支配下に治めて遠江を名乗ります。
また1559年には近隣の不破氏と仲が悪くなって
不破光治(ふわみつはる)の襲撃を受けますが
家臣の竹中善左衛門( たけなかぜんざえもん )の活躍によって退けます。
※竹中善左衛門は半兵衛が稲葉山城を乗っ取った時に一緒に従った竹中十六騎の一人
1560年、1561年には南近江の六角義治の求めに応じて近江坂田郡へ出陣
浅井氏と戦って戦功をあげ、六角義治から感状を受けたといわれています。
重元の没年は1560年または1562年に病で亡くなったと伝わっています。
※1561年には既に亡くなっていて息子の半兵衛が家督を継いでいた説もあるので
宛名は遠江守宛になっているが、感状を受けたのは半兵衛の方の可能性が高い?

2.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの竹中重元

麒麟がくる」では半兵衛は出てきても、
お父さんの重元は出てこないでしょうね。
斎藤家の重臣が集まる評定とかのシーンで
数秒名前がテロップで紹介される程度のワンチャンはあるかどうか。
1560年ぐらいで亡くなってしまうことも考えると
やっぱり登場機会はないと考えるのが無難でしょう。
明智家と絡みがあった逸話とかあれば違うんでしょうけどね。

信長の野望シリーズでも竹中半兵衛は常連でも父の重元は登場しません。
最近のシリーズだと少し古い年代からスタートするシナリオもあるので
いつか登場してくれないかなぁと思いつつ、
自分で武将登録して使ったりしています(笑)

3.完全に余談:自分の祖先について調べたことってある?

今回に限った話じゃないんですが、
いろんな武将の系譜を眺めてたりすると
自分の先祖についても気になったりするもの。
戦国武将に興味を持っていろいろ調べるようになってから
私も自分の家系ってそういえばどうなんだろうと思って
父に尋ねて家系図を見せてもらったことがあります。
家系図があったこと自体も知らなかったのでびっくりはしたんですが(笑)
それによると、どうやら古くは新羅三郎源義光を祖とした甲斐源氏
小笠原氏の支流らしいです、と言っても身分が高いわけではない(笑)
そして戦国時代が終わる頃に武士をやめて地主になったらしいです。
どこまでが本当かどうかよくわかりませんが(笑)、
意外と代が長く続いている家系図を眺めていると、
自分の存在感みたいなものを改めて強く感じたりして
感慨深いものがありますし、ここまで絶えることなく続いてくれた
先祖の皆様に感謝の気持ちが初めて(笑)沸いてきたりします。
もしも自分のルーツをご存知ない方は、
これを機会に調べてみるのもいいかもしれません。
実は超有名な戦国武将の家筋だったり、
実は実家の蔵には名品や貴重な資料が埋もれている可能性も!

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4.まとめ

今回は羽柴秀吉の名参謀、今孔明とも呼ばれる竹中半兵衛の父・竹中重元でした。
重元の奥さんのことも気になるんですけど、
長男の重行について何の情報も持ってないので、
どういう人物でいつ亡くなってしまったのか気になります。
家督を継いだのが弟の半兵衛なので、
重行が家督を継げなくなる何らかの理由があったのでしょうけどね。
やっぱり病で亡くなっちゃったのかなぁ。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!