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竹中半兵衛の父、竹中重元の生涯と魅力 - 大河ドラマや信長の野望で知る戦国武将

竹中半兵衛の父、竹中重元の生涯と魅力 - 大河ドラマや信長の野望で知る戦国武将

美濃の戦国武将として知られる竹中重元は、羽柴(豊臣)秀吉の名参謀、竹中半兵衛重治の父親

戦国時代の激動の中で、美濃の情勢に影響を与えた人物といえるでしょう。

しかし、息子の半兵衛に比べるとマイナーな武将。

一般的には知られていません。

本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、竹中重元の生涯や最新情報を解説します。

竹中重元の出自・功績・逸話

竹中重元は、美濃国の有力な土豪として知られ、激動の戦国時代を生き抜いた武将です。

名前(読み方)

竹中 重元(たけなか しげもと / しげちか)
※重基とも

別名/渾名/二つ名 遠江守、道祐、常善
生年 明応7年(1498年)
または
明応8年(1499年)
没年

永禄3年(1560年)
または
永禄4年(1561年)
または
永禄5年(1562年)

竹中重氏
不詳
兄弟姉妹 彦七郎、重光、新八郎ほか

妙海大姉(父:杉山久左衛門)

重行、重治(半兵衛)、重矩、重広(与右衛門)、彦八郎ほか

以降では、竹中重元の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。

出自

竹中重元は、1499年(明応8年)に竹中重氏の子として生まれました(諸説あり)。

竹中氏は、美濃国の有力な土豪で、平良文を祖とする鎌倉氏の一族とされています。

一説には、清和源氏為義流および土岐氏の流れをくむとも言われています。

家族や親類

重元の妻は妙海大姉で、杉山久左衛門の娘でした。

子には、後に羽柴(豊臣)秀吉の参謀として名を馳せる竹中重治(半兵衛)をはじめ、重行、重矩、重広(与右衛門)、彦八郎などがいました。

また、娘たちは性顕寺の浄了や、豊後府内藩の初代藩主となる竹中重利、不破河内守に嫁いでおり、婚姻を通じて周辺の有力者たちとの関係を築いていたことがわかります。

補足
性顕寺の浄了は、石山合戦では織田方と敵対したため諸国を放浪して織田信長の追求を逃れていたようです。また、寺の本尊・寺宝などは縁戚の竹中丹後守に預けていたという話が、性顕寺のサイトに書かれています。

内政や合戦での功績

竹中重元は、土岐氏、斎藤氏の家臣として仕え、美濃国の政治に深く関わりました。

特に注目すべきは、1556年(弘治2年)4月に起こった長良川の戦いです。

長良川の戦いでは多くの国人衆が義龍に味方していたにもかかわらず、重元は斎藤道三側についたのです

さらに戦後、義龍勢が重元が留守中の大御堂の屋敷に来襲した際には、妻の妙海大姉や子の重治と重矩が奮戦して退けたという逸話が残っています。

竹中家の結束力と戦闘能力の高さを示すエピソードですよね!

1558年(永禄元年)には、子の重治と共に菩提山の岩手弾正忠誠を攻めて破り、新たに菩提山城を築いて居城とています。

知行は6千貫だったと伝わります。

晩年と最期

晩年の重元は、近江の六角義治の要請に応じて出陣して浅井氏と戦うなど、活躍を続けました。

1560年(永禄3年)12月と1561年(永禄4年)2月の近江出陣では戦功を挙げ、六角義治より感状を受けています。

重元の没年については諸説あり、永禄3年(1560年)、永禄4年(1561年)、永禄5年(1562年)などの説があります。

月真寺(大野町公郷)にある墓石には永禄4年と刻まれていますが、この墓石は江戸時代前期の建立と考えられており、没年を特定する決定的な証拠とは言えないようです。

押さえておきたいエピソード

竹中重元にまつわる逸話は少ないですが、以下3点を押えておくといいでしょう。

  • 長良川の戦いでは斎藤道三の味方になった
  • 重元不在中に斎藤義龍率いる軍勢に居館を襲われるも、妻と子どもだちで見事撃退
  • 南近江の六角氏とつながりがあり、戦功により感状を受けている

ほかにもエピソードをご存じの人がいたら、ぜひ教えてください!

信長の野望シリーズでの竹中重元

戦国時代を舞台にしたシミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズで、竹中重元は一度も登場したことがありません

そこで、現在の最新作「信長の野望・新生」で新規武将として登録する場合のステータスを、勝手に設定してみました!

登録する際の参考にどうぞ!

能力値

信長の野望 新生 竹中重元(新規武将)

「信長の野望・新生」での能力値は、以下のように設定してみました。

タイトル 政治 知略 武勇 統率
信長の野望・新生 66 88 62 79

 

また、所持戦法や特性は以下のとおりです。

タイトル 戦法 特性・個性 奉行特性
信長の野望・新生 激励
  • 自衛
  • 鉄壁
  • 差配
-

守城奉行
(城郭普請)

 

政治(政務)などのステータス値は、息子の半兵衛と孫の重門のデータの平均値をとってみました。

武将名 タイトル 政治 知略 武勇 統率
竹中 半兵衛 信長の野望・新生 59 99 70 85
竹中 重門 信長の野望・新生 72 77 54 73

 

所持戦法は、血族の結束の強さは重元の檄あってこそ、というこじつけにより「激励」を設定しています。

個性や特性は、長良川の戦い以降での状況を考慮してみました。

敗北側にもかかわらず、斎藤義龍の襲撃を防ぎ、その後も領地を没収されることはなかったので、防御寄りの設定にしています。

みなさんなら、竹中重元のステータスはどのように設定しますか?

コメントなどで教えていただけるとうれしいです!

 

ゲーム内で向いている役割

紹介したステータスの場合、城主・部隊長に向いてそうです。

もちろん大名でもいいのですが、竹中家固有の奉行特性がないのが少し残念。

信長の野望・大志」であれば、竹中半兵衛が固有の志「天賦王佐」を持っているので、同じものを設定するのもありでしょう。

竹中重元プレイにおすすめのタイトル

今回ステータスを設定したのは「信長の野望・新生」でしたが、ほかのタイトルでも新規武将として登録すれば、竹中重元プレイが可能です!

なかでもおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。

それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!

タイトル おすすめポイント
信長の野望・創造PK
  • 内政と軍事、どちらもほどよく楽しめる
  • 複雑すぎないゲームシステムで遊びやすい
  • 築城で支城を作れば戦略の幅が広がり、より楽しくなる
信長の野望・創造 戦国立志伝
  • 大名プレイのみならず家臣プレイも堪能できる!
  • ゲームシステムは創造PKを踏襲しているので遊びやすい
  • 異次元世界にある領地を発展させるのが楽しい!
    (個人的には、領地の兵力はあまり増やさないほうが楽しめる)
信長の野望・大志
  • 戦国時代のリアルな戦闘の雰囲気を味わえる野戦が楽しい!
  • 「志」システムが大名の個性を引き出している
  • 他国との外交が天下統一への肝になっているところに現実味がある
  • 正室以外に側室も設定できるのがうれしいw
信長の野望・新生
  • 籠城戦はシリーズNo.1の作りこみ!籠城戦楽しい!
  • 大志同様、外交戦略も必要な点にリアルさを感じる
  • コツさえわかれば小国でも乗り切れる(序盤はかなりきつい)
  • 武将ごとに設定された「奉行特性」は、効果の説明を読むだけでワクワクするw

 

竹中重元プレイでの注意点

竹中重元の生年と没年を伝わっている年で設定すると、ゲームのシナリオ内ではわりと序盤に亡くなってしまいます(1499~1562)。

つまり、1562年以降のシナリオでは遊べないので、寿命を史実設定で遊ぶ場合は注意しましょう。

また、「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。

  • 大名プレイをするには、元々仕えている大名の娘婿になり、大名を隠居して家督を継がせる必要がある
  • 信長の野望・大志」(PK版のみ)や「信長の野望・新生」の場合、ゲーム開始前に大名を変更する。

大名プレイの場合、初期の基盤を重元がつくり、その地盤を息子の竹中半兵衛に引き継ぐ形で2世代による天下統一を目指すのが、個人的にはおすすめです!

 

小説・映画・書籍に見る竹中重元

竹中重元を主人公とした小説や映画は確認できませんでした

息子の竹中半兵衛や孫の竹中重門が脇役として登場することはあっても、竹中重元自身が登場するケースは、今後もなさそうです。

竹中半兵衛が主人公の小説だと登場するのですが、すでに重元が亡くなってからスタートするケースもあり、重元の存在感を示すような作品は見つかりませんでした。

以下は半兵衛が主役の小説ですが、重元も紹介程度にほんのちらっと出てきます。

興味のある人は手に取ってみてください。

 

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大河ドラマでの竹中重元

NHK大河ドラマで竹中重元が登場した作品も、現時点ではありません

NHK大河ドラマでは、織田信長を中心とした時代が採用されることが多く、年代が少し前の竹中重元の場合、なかなか登場機会がありません。

桶狭間の戦い(1560年)の数年後に亡くなっていることも影響しているでしょう。

大河ドラマの主人公として取り上げられることもなさそうですが、息子の竹中半兵衛が主人公になれば登場するでしょう。

それもまた難しい話な気がしますが!

ゆかりの地:竹中重元と歴史を感じる場所

竹中重元のゆかりの地を3つ紹介します。

大御堂城跡(岐阜県大野町)

大御堂城跡は、岐阜県大野町にある戦国時代の平城跡で、竹中半兵衛重治の生誕地として知られています。

竹中重元が居城としていましたが、1558年に岩手城(菩提山城)へ移ったため廃城となりました。

城跡には八幡神社が建ち、近くには竹中家の菩提寺である月真寺(後述)があります。

かつての城の構造はほとんど残っていませんが、西の丸跡の土塁(牧村家土塁)が当時の面影を伝えています。

車でのアクセスが便利で、近くにある八幡神社のそばに無料駐車場があります。

遺構は少ないものの、竹中重元や竹中半兵衛に思いを馳せられる土地。

機会があったら立ち寄ってみてください!

月真寺(岐阜県大野町)

月真寺は、岐阜県大野町公郷にある寺院。

かつては海禅寺(改禅寺)と呼ばれ、竹中氏の菩提寺として知られています。

寺域は大御堂城内の一画であったとも伝えられており、戦国時代から江戸時代にかけての歴史を今に伝える貴重な場所です。

境内には、竹中重元の墓がありますが、江戸時代前期の建立と考えられています。

また、江戸時代に公郷を治めた旗本加藤氏の墓所も存在し、平成17年に町史跡に指定されています。

最近では、大御堂城跡を示す碑も八幡神社から月真寺に移されたようです。

菩提山城跡(岐阜県不破郡垂井町)

菩提山城跡は、岐阜県不破郡垂井町の標高402mの菩提山頂に位置する戦国時代の山城跡です。

1559年に竹中重元が築城し、その後、名軍師として知られる竹中半兵衛重治も城主を務めました。

城跡は南北260m、東西最大幅60mの広大な規模を誇り、本曲輪・二の曲輪・三の曲輪などの遺構が残っています。

特徴的な防御施設として、堅堀(たてぼり)切岸(きりぎし)があります。

現在は人気のハイキングコースになっていて、山頂からは垂井町の街並みや、晴れた日には南宮山、養老山などの大パノラマを楽しめます。

麓には竹中氏陣屋跡や禅憧寺など、竹中氏ゆかりの史跡も点在。

竹中氏の生きた戦国時代の歴史を体感できる貴重なスポットです。

機会があればぜひ!

竹中重元に関する最新の注目ニュース

現時点では、竹中重元に関する最新の史料発見などの大きなニュースは見あたりませんでした。

今後ニュースを発見次第、更新していく予定です!

竹中重元の生涯と功績まとめ

竹中重元は、戦国時代の美濃国で活躍した武将です。

土岐氏や斎藤氏に仕え、重要な局面でも関わっているはずですが、情報が少なく、超マイナー武将の域を出ません。

ただし、天才軍師とも揶揄される竹中半兵衛重治の父であることは、忘れてはいけません!

父の英才教育があった…かどうかはわかりませんが、その背中を見ながら半兵衛は育ったはずです。

息子に負けず劣らず、いや、もしかしたら記録が残っていないだけで、半兵衛以上に優秀な武将だったのかもしれませんね。

残念ながら「信長の野望」シリーズには登場していないので、新規武将として登録し、息子の半兵衛と共に天下統一を目指しましょう!

本記事を機会に、竹中重元に興味を持ってもらえたらうれしいです!

 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!

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