歴史人物語り#70 近江浅井氏の重要拠点・横山城で奮戦した3人の守将のその後の運命は?野村直隆、大野木秀俊、三田村国定

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今回は浅井氏にとっては要の城、横山城を守った3人の武将
野村直隆(のむらなおたか)
大野木秀俊(おおのぎひでとし)、
三田村国定(みたむらくにさだ)です。
麒麟がくる」では一瞬ぐらいは登場するかも?

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.野村直隆(のむらなおたか)

通称藤左衛門
生年、父ともに不明。
近江の国友村の土豪です。
国友村といえば戦国時代においては鉄砲の生産地として有名
ということもあってか、野村直隆は鉄砲衆の頭として活躍しています。

1570年には浅井氏の居城・小谷城からほど近く、
対六角氏用の防衛拠点として築かれた横山城織田信長に攻撃されますが
この時に守将を務めた一人が、この野村直隆でした。
同じく守将を務めた大野木秀俊三田村国定らと共によく守り、
織田軍の攻撃を凌ぎます。
その凌いでいる間に横山城の救援に向かった浅井軍は
姉川において織田軍と激突することになります。(姉川の戦い
ただし、姉川の戦いにおいて浅井軍は朝倉軍と共に奮戦するも敗れてしまい、
姉川の戦いで勝った勢いをそのまま横山城に向けて織田軍は
再度横山城攻略をしかけてきます。
織田軍の攻勢に成す術なく、横山城は開城。
野村直隆らは小谷へと敗走します。

姉川の戦いの翌年1571年には野村直隆は国友城に入り、
織田信長方に寝返った宮部継順(みやべけいじゅん)の攻撃を撃退する功を挙げています。
しかし小谷城の戦いにおいて浅井氏は滅亡。
滅亡後は、織田信長に降伏して織田家に仕えます。
野村直隆は国友の出身なので、鉄砲生産や補給の役割を担ったそうです。
本能寺の変によって信長が斃れた後は
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の配下となって旗本の鉄砲頭に。
加えて近江国友2万石を与えられたそうです。
1590年の小田原征伐においても鉄砲隊を率いて参陣しており、
1592年から始まる文禄の役では250人を率いて肥前名護屋城に駐屯しています。
1600年の関ヶ原の戦いにおいては秀吉から厚遇を受けたこともあってか
西軍に与して軍艦として伏見城の戦いにも加わっています。
ただしその後の消息はよくわかっていません。
西軍に与したのでおそらく戦後、改易となったのではと言われています。

2.大野木秀俊(おおのぎひでとし)

通称兵内
生年不明。父は大野木秀資または大野木国茂と言われています。
大野木氏は平安末期から鎌倉時代初期に活躍した
佐々木高綱(ささき たかつな)の子孫と言われています。
佐々木高綱宇治川の戦いで梶原 景季(かじわらかげすえ)と
先陣争いをしたことでも知られる源頼朝の側近です。
佐々木高綱の子孫が近江の坂田郡大野木城に移住して
大野木氏を称したと言われています。

大野木秀俊は1570年に織田軍が攻略をしようと攻め立てた
横山城の守将の一人です。
野村直隆や三田村国定と共に奮戦し一時は凌ぎますが、
姉川の戦いにおいて浅井・朝倉連合軍が敗れると
形勢が不利となり、横山城を放棄して小谷城へ逃げます。
その後の小谷城の戦いにおいては中の丸を守っていましたが
木下秀吉の調略に応じて寝返り、これが小谷城落城の要因となります。
織田信長は、この落城寸前での寝返りを嫌って許さず
裏切者として中村一氏(なかむらかずうじ)に殺されたと言われています。

3.三田村国定(みたむらくにさだ)

通称左衛門尉
一説には大野木秀俊の息子で、三田村氏に養子として入って
跡を継いだとも言われています。
兵学馬術に優れる武将として名が知られた武将だったようです。
1570年の姉川の戦い直前には
野村直隆、大野木秀俊らと共に横山城の守将として
織田軍の攻勢を食い止めていましたが
姉川の戦いにおいて浅井・朝倉連合軍が敗れた結果、
織田軍の勢いを止めることができずに、止む無く横山城を開城。
三田村国定は大野木秀俊らと共に小谷城へと敗走します。
1573年の小谷城の戦いにおいては、
大野木秀俊と共に中の丸で守りについていましたが、
木下秀吉の調略によって落城寸前に織田家へ寝返ります。
ただし、この落城寸前の寝返りが織田信長には許されず
大野木秀俊と共に殺されてしまったと言われています。

一説では、小谷城の戦いではなく姉川の戦いで既に討ち取られており
遠藤直経(えんどうなおつね)がその首をもって織田軍兵士に扮して
織田軍本陣へと近づき、織田信長の首を狙おうとするものの、
途中で顔見知りの竹中久作(重矩)に見つかって捕縛されてしまう
という逸話もあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

三田村国定が武勇に優れた人物として名が知られていたからこそ、
遠藤直経がその首を選んだということでしょうか。

4.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの3人は?

麒麟がくる」で3人が出てくるのはなかなか厳しそうですね。
それでも横山城の戦いがそれなりにピックアップされると
3人揃ってか、もしくはいずれかが登場するかもしれません。
横山城を攻め立てていたのは木下秀吉なので
秀吉主人公のドラマの方が登場チャンスはありそうなんですが。
野村直隆はその後、秀吉に仕えて近江で2万石の知行を得ていますしね。

信長の野望シリーズにおいては3人のうち野村直隆のみ登場しています。
野村直隆の登場は創造のパワーアップキットからですが
それからは連続して登場しています。
信長の野望・創造 戦国立志伝での評価値はこちら。

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横山城死守したり国友砦を死守したわりには
ちょっと軍事系低すぎでは?と思わなくもありません。
統率60ぐらいでもいいんじゃないですかね、
と個人的には思います。直観的な評価値ですけどね(笑)

5.まとめ

今回は浅井氏にとっては要の城の一つ、横山城を守った
野村直隆大野木秀俊三田村国定でした。
同じ城を守った3人ですが、浅井氏滅亡後も生き残れたのは
野村直隆ただ一人でした。
三田村国定に関しては、姉川の戦いで既に戦死してた説もありますが
大野木秀俊は裏切るタイミングを間違えたってことになるんでしょうか。
結果論でしかないですけどね。
確かにもうすぐ滅亡ぐらいの時に寝返るような人間を
信頼できるかって言われたら出来ないかもしれませんが。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!