麒麟で学ぶ#1 「麒麟がくる」第1話のMVPは松永久秀!でも明智光秀も斎藤利政(道三)もいい味だしてて捨てがたい

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今回は麒麟で学ぶ」シリーズの第1回目です。
学ぶといってもそんな大層な内容でもないんですが
麒麟がくる」を通じて歴史に興味を持ったり好きになる人が
増えてくれると楽しいなぁと思って始めてみました。

とはいえ知識の至らない部分だったり、
間違っている部分もあったりするかもなので
その際は優しく教えてくれると助かりますw

本シリーズについての前提事項のようなものは
毎回第0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると助かります。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは麒麟がくる」のネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃してしまって、まだ視聴されていない方は
U-NEXTであれば放送から2週間以内ぐらいは220円で視聴可能ですので
こちらで視聴した上で本記事を読まれるといいかもしれません。

ネタバレを気にしない方は
このまま読み進めていってもかまいません。
では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる」公式サイト

www.nhk.or.jp

公式Twitter

twitter.com

ブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめると思いますので
まだの方は是非とも。

0.本記事を読むにあたっての前提など

ネタバレ含みます

本シリーズはNHK大河ドラマ麒麟がくる」の各話を元ネタとしているため
ネタバレ情報を存分に含んでいますので、その辺は考慮の上お読みください。

記事と「麒麟がくる」の各話の関係

基本的に「麒麟がくる」の1話に対応して1記事書く予定です。
複数話をまとめた内容の記事を書く予定はありません。
つまり「麒麟がくる」第1話に対応するのは「麒麟で学ぶ#1」ですし
第10話であれば「麒麟で学ぶ#10」が対応した記事になります。
もしも何らかの事情で対応した記事を書けない場合は
その話数と同一の記事ナンバーは廃番扱いにします。

名前の表記について

例えば斎藤道三斎藤義龍については伝わりやすさを重視して
本記事内では「麒麟がくる」での名前に合わせることにします。

斎藤道三 → 斎藤利政
斎藤義龍 → 斎藤高政

ドラマの中で呼び名が変われば
それに合わせて変更しますが
あくまでも第1話と対になる記事であれば
第1話の中での呼び名で統一します。

このルールについては第2話以降についても同様であり
斎藤道三親子以外のその他の人物についても適用します。

1.「麒麟がくる」第1話からの学び

麒麟がくる」第1話の学びに入る前にちょっと感想を。
まず、菊丸役の岡本さんはニコニコしすぎじゃないのか
見てたらこっちまで笑ってしまう(笑)
ただこのニコニコ笑顔の裏側には何かあるのではとか勘繰っているため
麒麟がくる」の中で現状最も注視すべき人物として監視中です(笑)

それはさておき、とにかく画面が鮮やか!
ていうのが第1話の印象です。

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当時は原色カラーが流行っていたそうで
劇中でも着る物も原色のものを着ている人たちが多く
今までの時代劇の雰囲気とは
ちょっと違う印象を受けた人も多いのでは。

目がチカチカするとかツイートしてた人もいた気がします(笑)

そして前評判いろいろあったけど、
1話通して面白可笑しく楽しめたし
川口春奈さん演じる帰蝶も様になってたんじゃないでしょうか。
蝮の娘らしい気の強い女性をうまく演じてくれそうです。
ん?誰かの代役?そんなことは知りません(笑)

まぁでも第1話のMVPは松永久秀でしょうね。
衣装からしインパクトありすぎな上、
豊かに変化する表情が見ていて心地好かったです。

松永久秀も悪者のイメージが強そうだけど
麒麟がくる」でそのイメージも変わりそうな雰囲気です。
※「信長協奏曲」もちょっと面白キャラでしたけどねw
それと京辺りでは至る所で三好軍の兵士と出くわすのも
三好長慶畿内における勢力を暗に示しているようで印象的でした。

ちなみに初回視聴率は19.1%
真田丸」の初回並みの数字らしいです。*1
でも正直今の時代に視聴率なんてものが
どれぐらい意味があるの?って感じですけどね。
種々の理由で後追いで見る人だっているでしょうし、
人気の度合いをこれが示すとは思えません。
「いだてん」だっていろいろ言われてた割には
SNS上では盛り上がってましたしね。

ただ私事ですが、実は大河ドラマってだいたい後半に
見ていて息切れを起こすことも多いです(笑)
1年通じてのドラマなので
中だるみになることもあったりするし
なかなか最後まで面白い!楽しい!って持続できない場合
ありますよね?ね?(笑)

麒麟がくる」は果たして最後までしっかり見続けられるのか
実はそこ、一番個人的には肝なのかもしれません(笑)

では感想のようなものはこれぐらにしておいて
本題の学びに入っていこうと思います。

ちなみに「麒麟がくる」公式Twitterでは
毎回放送前にトリセツが公開されるようで、第1話のトリセツはこちら。

 このトリセツで書かれるているような補足以外のことを
本記事では書いています。

1.1.サンゴの玉の数を数える話からの学び

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斎藤利政がしれっと口にした常在寺

『常在寺の和尚が家中の女たちのために
数珠を作ってやってくれとサンゴの球をよこした』
という斎藤利政(道三)のくだりがありますが、
このしれっと名前が出てきた常在寺
実は斎藤利政、その子・斎藤高政、孫の斎藤龍興斎藤氏3代の菩提寺であり、
斎藤氏とは縁のあるお寺。
斎藤利政とその父が美濃の国盗りをおこなう拠点としたお寺が
この常在寺と言われているんです。

ja.wikipedia.org

常在寺には重要文化財に指定されている
斎藤利政と斎藤高政の肖像画も所蔵されています。
信長の野望シリーズの顔グラはこの肖像画を参考にしてそうです。

斎藤利政・高政親子のやり取り

サンゴの玉の数当てシーンでは
斎藤利政と息子の斎藤高政が
なんかちょっとここ空気悪くね?
みたいな雰囲気になりましたw

戦国時代好きの方はご存知の通り、
この親子はとても仲が悪く
二人の軋轢は徐々に広がっていって
後々争うことになります。

その争いが原因で明智家にも不幸が訪れることになるのですが
物語的にはもう少し後の話です。

ちょっとその空気の悪くなったシーンを振り返ってみます。

サンゴの玉の数を当ててみよ
といった利政に対して
なんとなく見た感じで千五、六百ぐらいと答えてしまう高政。

それに対して父の利政は
『遠くの敵兵はこのように見える。
お前は必ず敵の数を見誤り戦は苦戦する。
困った若殿じゃのう』
と苦言を呈します。

このシーンって、この親子の関係の悪さを伝えることが
目的の一つだと思うんですが
ちょっとそれは横に置いておいて
私的にこの親子のやり取りのダメ出しをしてみます(笑)

まず高政の回答。
これはよろしくないです。
何がかっていうと、
回答に理屈が無いように感じられるからです。
当てずっぽうでそれっぽい数字を
答えたような印象がありますからね。

私が父・利政の立場であれば
サンゴの数を正確に当てるかどうかよりも
どうやってその回答を導き出すかに焦点を当てたいところです。
そういう意味では利政が叱るのも納得できます。

でも利政の叱り方もよろしくないです。
『お前は必ず敵の数を見誤り戦は苦戦する。』
『困った若殿じゃのう』
頭ごなしに叱りつけてフォローを全くしてないし
最後は厭みっぽいし(笑)
これじゃ相手が不満を募らせるだけで終わりかねない。
実際、利政は不服そうだし光秀の前で怒られてばつが悪そう(笑)

せめて「なぜ」その回答に至ったのかを聞いてあげてほしいです。
個人的には当て推量であっても、回答を導くに至った理由って
必ずあるはずだと思っているので、そこは聞き出したいところです。
高政も、聞かれれば何故千五、六百になったのか答えたかもしれません。

それと問いを出した側としては、
やはりその問いにどんな意味が込められていたのか
きちんと伝えるべきだと思います。
そうでないとダメだしされた理由に納得ができず
ただ叱られたというマイナスイメージしか残りません。

更に利政にはよろしくない点があります。
それは高政を叱責した後で光秀に対して回答を求めたところです。

聞くなら高政に対する叱責の前に聞かないと
光秀が良い回答をした場合に、余計に高政が気まずくなります。
こういうのが原因で仲の良かった高政と光秀の間にも
亀裂が入ってしまうかもしれません。

本来正しい対応は、
二人の答えを聞いてからこの問いに込めた意味を説きつつ
二人の回答に対する見解を述べるのが
正解なんじゃないかなと思います。

特に高政は将来、利政の跡を継ぐ立場の人間であり
光秀にとっては上司となる存在。
生まれながらにしてその立場にいる高政には
上に立つものとしてのプライドが自然と備わって育っていると思います。
高政の尊厳を傷つけない程度に叱るか
叱るにしてもうまくフォローは入れてあげないと
二人の親子関係は悪化する一方でしょう。

まぁどっちにしても仲違いの未来が待っている親子なのですけど(笑)

そして最後にもう一つ利政のよろしくない点。
それは、光秀のことを思い出した利政が
光秀は四書五経をわずか二年で読み上げたのに対して
高政は7年もかかったと蔑むところです。
実際には7年じゃなくて
『6年です!』と高政は思わず立ち上がって言い返していました。
もうこの辺からこの親子は
普段からして全然関係がよろしくないんだろうなぁ
ていうのがよく伝わってきますよね。

利政の方は高政が訂正した際、ちょっと笑っていたので
もしかしたら6年とわかっていてワザと7年って言ったのかも。
そうすると利政の悪ふざけなのかもしれないけど、
だとしても高政には
父は自分のことを蔑んでいるという印象しかなさそう。
光秀がきた理由を述べてそそくさと去る高政を
ちょっと心配そうな様子を浮かべる光秀も印象に残りました(笑)

というわけで基本的にこの親子の会話は
父の斎藤利政が全面的に悪いでしょう。
曰くつきの親子だから仕方ないんですが、
だとしてもこんな父親は私も嫌いになると思います(笑)

利政と高政の元々の関係性は別として
自分の家族との対話や
会社での上司と部下の立場での対話なんかに当てはめてみると
いろいろ考えさせられるシーンでもあるのではと思いました。

明智光秀フェルミ推定をマスターしている?

高政が適当にサンゴの数を答えたのに対して
光秀は回答を述べた後、その回答に至った理論も説明しています。
非の打ちどころのない回答とはまさにこれのこと。
推測でしかありませんけど
光秀が回答の後に理由を述べ始めたのは
高政が叱責されたのを見て
そうした方がいいと思ったのかもしれません。
だとしても、そうじゃないにしても
光秀の頭の切れの良さが十分伝わるシーンだったでしょう。

では光秀はどのように回答したのかというと、
まず、サンゴの数の回答は
『二千を少々超える程度』
そしてその導き方を続けざまに答えます。

数珠は一連で玉が108個必要
家中の女たちを20名とすると
108個×20名=2160個
人数分の数珠に必要な玉の数。

だから『二千を少々超える程度』と答えたわけです。

これを聞いていたら
それフェルミ推定じゃん
と思わずツッコミました(笑)

フェルミ推定っていうと、
いつだったかGoogleMicrosoftかどこかの試験で出たことで
ちょっと話題になった気がします。

フェルミ推定とは、
実際に調べても回答が出せないような量を求める問題に対して
推論を重ねることのみで論理的に答えを導きだすことですね。

ja.wikipedia.org

そしてフェルミ推定を説明しているサイトなんかでよく見かける問題がこれ。

アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」

これはフェルミ推定を得意としていた物理学者のフェルミ自身が
シカゴ大学の学生に出題したと言われているものです。
あとは「日本にマンホールの数がいくつあるか?」とか
「日本に電柱の数は何本あるか?」
みたいなのもよく見かけますね。

ロジカルな思考を養うのに最適とも言われるフェルミ推定ですが
フェルミ推定の過程はざっくりというとこんな感じです。

  1. 推定する上で必要な条件を全て洗い出す
  2. 洗い出した条件に対して、だいたい適してそうな数値を当てはめる
  3. 条件と当てはめた数値をもとに推定ロジックを考えて答えを導き出す

では光秀の玉の数を導いた理論をフェルミ推定で考えてみましょう。

まず、光秀は利政が最初に言っていた数珠の話を
きちんと頭に入れていました。

利政は
『常在寺の和尚が
家中の女たちのために
数珠を作ってやってくれ
とサンゴの球をよこした』
と言っています。

ここから光秀はサンゴの玉の数を導き出すための条件を
洗い出しています。
その条件が

  1. サンゴの玉から作られる数珠
  2. 数珠を与えられる人、つまり家中の女たち

そしてこの条件に対してそれっぽい数値を設定しています。

  1. 数珠は基本的に一連で108個の玉がいるだろう
  2. 家中の女たちはざっくりだけど20人ぐらいかな

となれば
数珠一つに必要な玉の数数珠の必要数を掛ければ
必要なサンゴの玉の数を算出できる
少なくともこの必要なサンゴの玉の数分は用意されているのだろう

というのが光秀のフェルミ推定なんだと思います。

利政が
『数を当てた褒美じゃ』
といってサンゴを与えたので
光秀の答えは正解だったようです。

数珠の数を求めるぐらいなら
フェルミ推定の中でも全然楽な方ではありますけど
斎藤利政の話したサンゴの玉をもらった経緯を元に
ここまで推論して回答を導き出した点が
利政をも驚かせたんじゃないかと思います。

ちなみにフェルミ推定については本もたくさん出ていますし
いろんなサイトで説明されていると思うので
興味持たれた方は書籍の購入などしてみてください。

 それにしても光秀、掛け算の暗算早すぎじゃないですかね?
インド式の九九でも習ってたのかな?(笑)
当時の数学ってどんな感じだったのかよく知りませんが
少なくとも城を建築したりする上で数学は必要だったと思うので
城造りに長けた人は数学も長けていたんだろうと思います。
そして明智光秀は築城名人として有名でしたからね。
というわけでこの頃の数学がどんなものだったのかも
気になるシーンでした。

1.2.光秀と母・お牧の食事中の会話からの学び

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戦国時代の旅行について

美濃があるべき姿を見定めるためにも美濃の外へ出てみたい
と主君・斎藤利政にお願いをして許しをもらった光秀。
そのことについて母・お牧に相談もせず決めてしまった光秀は
小さい頃母に言われたようにお尻から家に入ってくる。
母曰く『悪いことをして帰ってきた時にお尻をたたくため』なんですが
背を向ける前にちょっと悪戯っ子のような顔を浮かべる光秀が印象的でした。

一両日中には京・堺へ向かうということで
女中たちが慌ただしく準備を始めていそうな雰囲気。
今の時代よりは身軽な身支度で旅に出られそうではありますが
現代のように交通機関が発達していないから移動は大変だし
そもそも戦乱の時代で自国を出たらまわりは敵だらけのようなもの。
野盗なんかも時には出てくるだろうし、
ちょっと気軽に旅に出るなんてことは難しそうな気がしちゃいますよね。

ところがその戦国時代に京都から北陸を抜けて新潟や福島の方まで
1年ぐらいの長旅をしたお坊さんがいたそうです。
そのお坊さんは京都醍醐寺のお坊さん
名前はわからないようなんですが、
その旅行の記録を記載した『永禄六年北国下り遣足帳』という資料が
千葉県の国立歴史民俗博物館にあるそうです。
その『永禄六年北国下り遣足帳』について
一般向けの解説用にまとめられたものがこちら。

www.rekihaku.ac.jp※以降は基本的にこの解説の内容を参考にしています。
『永禄六年北国下り遣足帳』には何が記録されているかというと
簡単に言うと旅行中にお金を何に使ったかを記した台帳

時期は資料名にある通り永禄六年、西暦でいうと1563年です。
麒麟がくる」は1547年から始まる物語なので16年先の話ですね。

この台帳には今でいう宿泊所の旅籠代や道中での食事代に酒代、
川を渡る際の渡し賃、それから途中馬を借りた場合はその代金など
細かに記されているそうです。

この記録を見るとどうやら当時の宿泊代はどこも一緒みたいで
京都から北陸までの宿泊代は一泊24文だったようです。
1文は現在の150円ぐらいということなので換算すると3,600円
3,600円で泊まれるなら全然安いですよね。

ただし当時の宿泊代って基本的に食事代だったようで
この代金は朝食12文、夕食12文で合計24文ということらしいです。
宿泊する部屋は大部屋だし夜具や風呂も提供されませんから
そう考えるとまぁ妥当といえば妥当なのかも?

あと、下呂温泉だと1泊80文とだいぶ高くなるようです。
お風呂入れるっていうのが大きいんですかね。

道中の食事代はまちまちらしいですが10~20文ぐらい
そういえば劇中で比叡山の僧兵が通行料として払え
といっていたのは15文でしたから
この通行料も1食分ぐらい取られてるってことか(笑)

ちなみにこのお坊さんはお酒もよく飲んでいたようです(笑)
お坊さんは一体何のための旅に出たんだろうかというのも
ちょっと気になるところですが、この台帳が残っていたおかげで
当時の旅行の様子がわかるわけで
お酒の飲み歩き旅であったとしても貴重な資料なわけですね(笑)

https://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/kensokuchou.jpg


この地図は前述の解説にもある、お坊さんの旅の経路を示しているんですが
結構な距離移動しているのがわかります。
そして帰路は美濃を経由して琵琶湖を渡って京へ戻っているので
これって多分光秀が劇中で通ったルートと一緒な気がします。
光秀が堺の情報を聞き出していた垂井宿には宿泊していないようですけどね。

というわけで光秀が旅に出る話から戦国時代の旅行について調べてみたら
当時の旅行雑学をちょっと知ることができました。
こういう雑学的な話も面白いですね。

光秀はあぐらをかいて食事をし、母・お牧は片膝立てて座ってる

光秀が家で食事をとっているシーンに
違和感を感じた人いるんじゃないでしょうか。
光秀の前に座っていた母・お牧が片膝を立てて座っていましたね。
よく時代劇なんかだと正座をしてることが多い印象ありませんか?

実は正座ってわりと近年、
明治時代以降から正しい座り方として推奨されるよになったんですよね。

それまでって男女問わず様々な座り方をしていて
胡坐はもちろん、片膝を立てる座り方や横座りなどなど
その場に応じて楽な座り方をしていたそうです。
この辺の座り方の変遷は着るものの影響もあるようで
女性の場合だと江戸時代後期ぐらいから
着物の身幅が狭くなったために正座で座るようになったんだとか。
袴をはいてた時代は女性でも胡坐だったらしいですしね。
こういった日本人の様々な座り方や
その変遷について一般向けに詳しく解説しているのが
こちらの書籍「日本人の坐り方」です。

日本人の坐り方 (集英社新書)

日本人の坐り方 (集英社新書)

 

私が読んだのは数年前ですけど、
読んだきっかけは自分の座ったときの姿勢の悪さ(笑)
癖でふんぞり返ったような姿勢になっちゃうのが嫌で
姿勢や座ることに興味を持っていた時期に
この本が目についたので読みました。

正座自体が正しい座り方になったのが
わりと最近だった事実もびっくりはしたんですが、
座るっていう当たり前で気にもしない動作を
身体的文化としてとらえるっていう発想自体が目から鱗でした。
基本的に目から鱗な情報ばかりの面白い本ですし、
座ることに対する考え方がかわる本でもあるので
読んだことのない方は是非読んでみてください。

1.3.光秀の旅先である堺と京での出来事からの学び

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鉄砲に対する当時の認識

鉄砲が日本に伝わったと言われているのは1543年
ポルトガルの史料だと1542年の記述が多かったりはしますが
まぁだいたいその年の近辺ぐらいなのでしょう。

麒麟がくる」第1話の舞台は1547年ですから
鉄砲伝来から数えれば4年目ですね。

鉄砲はポルトガルから伝わったって言われたりしますけど
実際には大隅国、今の鹿児島県の種子島に漂着した中国の船に
たまたま乗船していたポルトガル人の商人が鉄砲を持っていたんですよね。
そしてこの鉄砲に目をつけて最初に購入したのが種子島時堯(たねがしまときたか)
種子島時堯は明智光秀同様に1528年生まれ*2
鉄砲伝来当時はまだ16歳なんですが、
おそらくこの頃には父の種子島恵時(たねがしましげとき)から
家督を譲られて種子島を治めていたのだろうと言われています。

種子島時堯はこの時2挺の鉄砲を購入したそうですが
その実演を見て大変気に入り、領内でも作れるように
刀鍛冶の八板金兵衛(やいたきんべえ)に研究させます。

八板金兵衛は研究してもどうしても作れない部品があったそうですが
それもたまたま翌1544年に漂着した外国船に乗っていた人の中に
問題の部品の製造技術を知っている人がいたために、
教えてもらってその部品の製造技術を会得します。
その結果、翌1545年に国産初の火縄銃の製造に成功するんです。

また、畿内に鉄砲を最初に持ち込んだのは
根来衆津田算長(つだかずなが、さんちょう、通称監物)と言われています。
根来衆紀伊国、今の和歌山県根来寺を拠点とした僧兵集団
当時は70万石を超える寺領を持つ一大軍事勢力でもありました。
津田算長はその根来衆の長です。
日本の鉄砲術の礎となった人とも言われていて
津田流砲術」を創始しています。

鉄砲の噂を聞きつけた津田算長種子島へ渡って
種子島時堯から1挺の火縄銃を買い取り、
その使用方法と製造方法を学びます。
そして紀伊に戻ると刀鍛冶の芝辻清右衛門(しばつじせいえもん)に鉄砲の複製を依頼。
依頼された芝辻清右衛門1545年に紀州一号と呼ばれる火縄銃を完成させます。

商人の町、堺からも貿易商人の橘屋又三郎(たちばなやまたさぶろう)
鉄砲の噂を聞きつけて種子島に渡り、1~2年で製造方法を習熟して
堺へ戻ったと言われています。

芝辻清右衛門もその後、堺に居を移したと言いますから
堺ではその後、鉄砲生産が盛んになり堺の商人を通じて
鉄砲を手に入れやすくなっていくんでしょうね。

劇中で登場した大塚明夫さん演じる辻屋の宗次郎も堺の武器商人の一人なのでしょう。

ところで全然話は違うけど、声優さんって声の出し方が違うのか
演じる姿よりも声の演技の存在感が圧倒的だった印象があります。
でも松永久秀とのやり取りの最後に『お許しを』と言いながら
目をそらさず下がっていく姿は堺商人の気質の強さを感じさせる
いい演技だなぁと感じました。

さて話は鉄砲に戻して、鉄砲の話と言えば近江国、今の滋賀県国友村も有名です。
1544年に当時の室町幕府将軍・足利義晴*3
鍛冶職人の多い国友村に管領細川晴元を通じて鉄砲製造を命じたと言われています。
その時命じられたのが国友村の善兵衛
善兵衛はその後鉄砲製造に成功して2挺の鉄砲を幕府に献上。
その後国友村は鉄砲製造の名産地として栄えます。

ちなみに最初に鉄砲が実戦で使用されたと言われているのは
1549年に薩摩の島津氏の家臣・伊集院忠朗(いじゅういんただあき)
おこなった大隅国加治木城攻め。(諸説あります)
1550年細川晴元三好長慶が争った中尾城の戦いでは
鉄砲の銃弾によって戦死者が出たという記録が『言継卿記』に残されていて、
日記に初めて鉄砲が記録されたのはこれが初めてと言われています。

鉄砲伝来から後に鉄砲の名産地となる堺、根来、国友へ伝わるまでの
正確な年は諸説あるみたいですが、
いずれにしても「麒麟がくる」第1話はまだ1547年。
実戦でもおそらくまだ使用されていないかもしれない、
鉄砲についての周知はまだまだこれからといった時代です。

そのために谷原章介さん演じる三淵藤英が辻屋の宗次郎に
鉄砲なんか実戦じゃとても使えないよ~みたいなことを言うのも当然です。
まだ鉄砲は伝わったばかりだし、1回撃つまでにも時間を要してましたよね。

使い方に工夫をするか、鉄砲を改良していかないと使えないと思うのは
至極当たり前の考え方だろうと思います。
籠城戦などの防衛戦には向いているんでしょうけどね。

若き光秀もまだこの時は鉄砲を実戦でうまく使う方法を思いついてなさそう。
一方で第2話以降で登場しそうな織田信長はどうなんでしょうか。

ところでまだ若き光秀、
酔いつぶれて目が覚めたら鉄砲が置いてあって
松永久秀に感謝感激の状態でしたけど
代金ぼったくられていないか心配です(笑)

松永久秀と三淵藤英の険悪な関係と松永久秀と斎藤利政の関係

松永久秀、辻屋の宗次郎の店に現れるや否や
先にきて鉄砲の試し撃ちをしていた三淵藤英に対して
一触即発しそうなぐらいの嫌悪感を見せていました。

まぁ松永久秀が嫌悪感を示していたのは
その後の光秀の会話でもわかるように
長い間権力にすがって生きてきた権力者たちに対してであって
そこに仕える幕臣であり奉公衆の三淵藤英たちも
同類とみなしていたんでしょう。

まだちょっと先にはなると思うんですが
そもそも松永久秀の上司である三好長慶
当時の管領細川晴元の家臣でありながら反旗を翻して
畿内ナンバーワンの実力者へとのし上がります。
いわゆる「日本の副王」となるわけです。
当然当時将軍となったばかりの足利義輝とも争うことになるので
その辺のことも示唆したシーンだったのかなと思います。

一方で明智光秀に対しては非常に好意的な様相を見せました。
表情も口調も明らかに変わりましたよね(笑)
その理由は、松永久秀がどうやら斎藤山城守推しだからのようです。
※史実上どうだったかは知りませんw

その斎藤山城守推しの松永久秀が美濃について語り始めるこのセリフ、

『儂は美濃の国が好きだ
美濃の物も好きだ
何故かわかるか?
斎藤山城守さまの国だからだ!!』

このセリフがすごい好きです(笑)
ただのファンかよw
てツッコミたくなります(笑)

松永久秀がしきりに『斎藤山城守さま』と言っていましたが
基本的には斎藤利政の父のことを指してリスペクトしていたようです。
当時は親子が代々同じ通称を名乗るのは普通のことでした。
そして「麒麟がくる」では斎藤氏による美濃の国盗りは
近年言われている親子二代で成し遂げた説を元にしています。
しれっとその辺の背景も松永久秀がオタク口調、
はちょっと言い過ぎかもしれないけど(笑)、
まくし立てるように説明してくれていました、
ありがとう久秀(笑)

その中で『京の西岡(きょうのにしのおか)』という地名が出てきました。
京の西岡は斎藤利政の父の出身地と言われているんですが
松永久秀の出身地とも言われてたりするんです。
ただし松永久秀の出身地も阿波、山城の西岡、摂津など諸説あってか
劇中では西岡が自分の出身地とは名言していませんでしたが
ちょっと出身が近そうなことを匂わせる口ぶりでした。

いずれにしても美濃好き、斎藤山城守好きの松永久秀という設定なので
今後も明智光秀とはどうやら深い関わり合いを持ちそうです。

松永久秀を演じる吉田鋼太郎さんの演技が良すぎて
現状「麒麟がくる」の人気キャラ暫定1位な気もします(笑)
相対するキャラによって様々な態度を見せる表情豊かな松永久秀
織田信長と対峙する時にはどんな顔を見せてくれるのか
ていうのも今後楽しみなところですね。

京の名医・望月東庵

望月東庵は「麒麟がくる」のオリジナルキャラクターであり
史実上こういう人がいたということはありません。
今後光秀が岐路に立った際に様々な助言をする重要な人物なのか
はたまたただの双六、博打好きなちょっと腕の立つお医者さんなのか
その辺は見守っていくとして
光秀が小見の方を診てもらうために京で名医を探すくだりで
将軍様も近江へ逃げているし
偉い先生方も京に留まっておられまい
なんてことを京のお坊さんが光秀に教えてくれていました。

望月東庵も
名医は将軍さまのまわりにたくさんいる
なんてことを言ってましたよね。

私も武将のことは知っていてもお医者さんについてはよく知りません。
でも当時の有名な医師の曲直瀬道三(まなせどうさん)
永田徳本(ながたとくほん)ぐらいは聞いたことがあります。
二人とも『医聖』と称される名医ですが、
二人の師でもある田代三喜(たしろさんき)も『医聖』と称される一人。
ただし1543年に亡くなってしまっているため、
麒麟がくる」の世界では過去の人になってしまっています。

永田徳本1513年~1630年に生きたと言われていますから
1547年だと34歳
その前にとんでもなく長生きなところをツッコミたくなりますが(笑)
永田徳本は甲斐の武田信玄に仕えた医師としても有名です。
武田信玄が1541年に父の信虎を追放した後、
永田徳本は信濃の諏訪に住んでいたということなので
麒麟がくる」第1話の頃には信濃で医師を営んでいたのでしょう。
武田家が滅亡した後は、
全国を放浪して貧しい人々に安い賃金で診察をおこなったり
無料で薬を与えていたそうです。
またどんな治療をおこなっても16文以上は受け取らなかったそうで
「十六文先生」とも呼ばれたそうです。
※金額は18文とも。
前述しましたが16文は当時外食した場合の1食分ぐらい、
現代のお金に換算すると2,400円ですが、高くてこの金額ですからね。
お金よりも病に苦しんでる人を治してあげたい一心だったのでしょう。

曲直瀬道三1507年~1594年に生きた人なので
1547年だと40歳ぐらい。そういえば号が斎藤利政と同じく「道三」ですね。
曲直瀬道三は近江出身のようで父は宇田源治佐々木氏庶流と言いますから
近江守護の六角氏とも縁があるのやもしれません。

1547年に曲直瀬道三がどこら辺にいたのかというと
1546年に京へ上って医業に専念したそうですから光秀が京にいった頃には
どこかにいたのかも?(笑)

ただ曲直瀬道三は足利義輝細川晴元三好長慶らの診察をおこなっていたそうなので
前述したお坊さんや望月東庵が言っていたように
将軍さまを囲む名医の一人だったのかもしれませんね。
ちなみに松永久秀には『黄素妙論(こうそみょうろん)』という
性技指南書を伝授したそうなんですけど
これは要するにセックス指南書らしいです(笑)
そういうものがこの時代にあったことがというのに驚きなんですが
健康面も考慮に入れた内容っぽいです。
年齢に応じた適した回数が書いてあったり、
交わってはいけない日も書いてあるようで
「雷鳴がとどろき、稲妻の光るとき」とか
天候が悪い日はダメらしいです(笑)
こちらのライブドアニュースの記事に少し詳しく書いてありますよ。

news.livedoor.com

ちょっとこれで終わると曲直瀬道三が
ただのエロ医師みたいになっちゃいそうですけど(笑)、
皇室にも出入りするほどの立派なお医者さんですし
織田信長の診察もおこなっていて褒美に蘭奢待を下賜されていますから
麒麟がくる」でも登場機会はあるかもしれませんね。

参考資料:

永田徳本 - Wikipedia
曲直瀬道三 - Wikipedia
田代三喜 - Wikipedia
戦国武将たちの“性の指南書”『黄素妙論』とは? - ライブドアニュース

2.まとめ

今回は「麒麟がくる」第1話からの学びを
いくつかのシーンをピックアップしながらまとめてみました。
歴史好きの方はもちろん、
今まで歴史に興味のなかった人たちにも
麒麟がくる」を通じて歴史から学ぶことの面白さ
見出せるものになっていたらいいなぁと思いつつ
そこまでの内容に出来るほどのいろんな意味でのスキルが
私に備わっているのかどうかっていう葛藤もありつつ(笑)

そういう固いお話は抜きにしても
より「麒麟がくる」の物語を楽しめる一助になっていたら嬉しいです。
息が続けば最終回まで続けたいんですが、いけるかな?(笑)

さて冒頭でも述べましたがU-NEXTであれば
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、
放送から2週間以内ぐらいは220円で視聴可能ですよ。

なんかNHKの番組に関しては配信期間とか配信サイトとかいろいろ制約があるイメージですw

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
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では最後に宣伝をして〆ます。

普段は歴史人物の記事を主戦場としながら
以下のようなカテゴリの記事も書いているので
こちらも併せてご覧頂けますと幸いです。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

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では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!

*1:真田丸」は19.9%でそれ以降は初回15%台。

*2:光秀の生年については諸説ありますが、「麒麟がくる」では1528年生年説をとっている。

*3:向井理さん演じる足利義輝の父