麒麟で学ぶ#17 「麒麟がくる」第17話は斎藤道三ロスのみならず明智光安ロスにもなった回

スポンサーリンク

麒麟で学ぶ#17 「麒麟がくる」第17話は斎藤道三ロスのみならず明智光安ロスにもなった回

NHK大河ドラマ麒麟がくる」で
学ぶシリーズの
麒麟で学ぶ」第17回目です。

今回は長良川の戦いの話がメインですが
個人的に一番気になっているというか
明らかにしたいと思っているのは
竹腰道鎮を演じている人は誰かです(笑)

さて本シリーズの前提事項的なものを
毎回0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると
助かります。
既に読んだことのある方は
読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは「麒麟がくる」の
ネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃して
まだ視聴されていない方は
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオ
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれると
いいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

しかしネタバレ含んでいるけど、
本記事を読んでから視聴すると
少し前提知識が入った上での視聴になるので
それはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分については
こちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる公式サイト

www.nhk.or.jp

公式Twitter

twitter.com

ブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめるので
まだの方は是非とも。
Instagramもあります。

0.本記事を読むにあたっての前提など

ネタバレ含みます

本シリーズはNHK大河ドラマ麒麟がくる」の
各話を元ネタ
としているため
ネタバレ情報を存分に含んでいますので
その辺は考慮の上お読みください。

記事と「麒麟がくる」の各話の関係

基本的に「麒麟がくる」の
1話に対応して1記事書く予定です。
複数話をまとめた内容の記事を
書く予定はありません。
つまり「麒麟がくる」第1話に対応するのは
麒麟で学ぶ#1」ですし
第10話であれば「麒麟で学ぶ#10」が
対応した記事になります。
もし何らかの事情で対応記事を書けない場合は
その話数と同一の記事ナンバーは
廃番扱いにします。

名前の表記について

例えば斎藤道三斎藤義龍については
伝わりやすさを重視して
本記事内では「麒麟がくる」での名前に
合わせることにします。

斎藤道三 → 斎藤利政
斎藤義龍 → 斎藤高政

ドラマの中で呼び名が変われば
それに合わせて変更しますが
あくまでも第1話と対になる記事であれば
第1話の中での呼び名で統一します。

この呼び名のルールについては
全話通して同様であり
斎藤道三親子以外の
その他の人物についても適用します。

1.「麒麟がくる」第17話「長良川の対決」からの学び

斎藤道三の変わり果てた姿を目の当たりにして声も出ない明智十兵衛光秀

まずは全体の感想的なものから。
今回はいろんな人に泣かされる回でした。

道三さまにはもちろん、
十兵衛にも、
叔父の光安にも
母のお牧さんにも、
そして伝吾にも。
みんなの想いがひしひしと
胸に突き刺さってくるようなセリフばかり。
この第17話は全セリフを
書き起こすことにしています。

ただ、やっぱりいろいろ思い出すと辛くて
いつもは気軽に何度も同じ回を見てるんですが
第17話に関しては
なかなか見ることができず・・・。

まぁ「麒麟がくる」の放送一時休止が
正式に発表されましたし
ちょっと時間もできたので
その間に前述のセリフ起こし含めて
いろいろやっておこうと思います。

ところで、十兵衛の甲冑がカッコいいです。
青ベースで赤いのは籠手なのかな?
この色合いがすごく好みなんですよね。
伝吾がちゃっかり十兵衛と同じく
青ベースで合わせてるのがまたいい(笑)

といったところで感想はこれぐらいにして本題へ。
ちなみに第17話の公式サイトのトリセツ
こちらです。

www.nhk.or.jp

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は1556年(弘治二年)春スタートのため
全員年齢繰り上げ。
追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなった
と判明した人物に関しては
こちらの一覧からは削除して
後述の亡くなった人を弔う章に
引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人とか
年齢設定不明な人以外の生年については
Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

■1556年でのみんなの年齢

  • 明智十兵衛光秀 29歳(1528年生)
  • 妻木煕子  不明だけど1530年生まれの説なら27歳。
  • 足利義輝  21歳(1536年生)
  • 三淵藤英  不明。弟・藤孝よりは多分年上
  • 細川藤孝  23歳(1534年生)
  • 貞永久四郎 三淵藤英の家臣。さっぱりわかりませんw
  • 細川晴元  43歳(1514年生)
  • 三好長慶  34歳(1523年生)
  • 松永久秀  49歳(1508年生)
  • 土岐頼芸  55歳(1502年生)
  • 斎藤道三  63歳(1494年生)
  • 斎藤高政  30歳(1527年生)
  • 帰蝶    22歳(1535年生)
  • 稲葉良通  42歳(1515年生)
  • 長井秀元  不明。稲葉良通ぐらい?
  • 日根野備中守 39歳(1518年生)
  • 明智光安  57歳(1500年生)
  • 明智左馬助 21歳(1536年生)
  • 藤田伝吾  不明。光秀と年齢近そう
  •      不明。明智光安より下か同じぐらいか?
  • 与八    不明。光秀より下?
  • 佐助    不明。光秀より下?
  • 斯波義銀  17歳(1540年生)
  • 織田信広  不明。信長の野望だと1527年生まれの設定なので30歳
  • 織田信長  23歳(1534年生)
  • 佐久間盛重 不明。信長の野望だと1519年生まれの設定なので38歳
  • 柴田勝家  35歳(1522年生)
  • 織田信勝  不明。兄・信長よりは下。信長の野望だと1536年生まれの設定なので21歳
  • 土田御前  不明。信長の野望だと寿命設定の無い特典武将だったりするのでこちらも不明
  • 佐々成政  21歳(1536年生)
  • 前田利家  18歳(1539年生)
  • 藤吉郎   20歳(1537年生)
  • 今川義元  38歳(1519年生)
  • 松平竹千代 14歳(1543年生)
  • 水野信元  不明。於大の方よりは上。信長の野望だと1508年生まれの設定なので49歳
  • 於大の方  29歳(1528年生)
  • 望月東庵  不明。斎藤利政や平手政秀ぐらい?
  •      24歳(確か初登場時で15歳の設定)
  • 菊丸    不明。光秀と同じぐらい?
  • 伊平次   不明。光秀よりは年下か?
  • 伊呂波大夫 不明。光秀と年齢は近いか?

1.1.長良川の戦いからの学び

道三さま挙兵の理由

長良川を挟んで北と南に退治する斎藤道三と斎藤高政

弘治2年4月(1556年4月)
長良川を挟んで睨み合う
斎藤道三とその息子・斎藤高政。
一説では
道三軍は3千にも満たない兵力に対して
多くの国衆を従えた高政軍は
1万7千を超えた言われています。

麒麟がくる」の中では帰蝶さまが
道三軍2千余、高政軍1万2千を超える
と言ってましたね。

これは明らかに誰が見ても負け戦。
信長さまが『戦はやりよう』と仰ってましたが
桶狭間の戦いで信長さまが見せることになる
奇を衒った作戦でも仕掛けない限りは
野戦でこの戦力差は覆しようがないでしょう。

城に籠って籠城すれば
耐えることは出来るかもしれませんが
鶴山から長良川の川端まで
下りちゃいましたし・・・。

以前、稲葉山城下へ織田信秀の大軍が
攻め寄せた際には
『戦は数ではない。
そのことを思い知らせてやる。』
と言って籠城と見せかけ一転
奇襲に転じて見事撃退しましたしが
今回はそのような策も思いつかず?

しかし今回の道三さまは
恐らく戦で勝つことの定義が
通常のそれとは異なるものを
定義していたのだと思います。
自分に味方がそれほど集まらないことは
多分承知していたでしょうでしょうし。

では今回の道三さまの戦の目的は何だったのか。

それはやはり
『正直者ではない』息子を正すため。

挙兵を留まるよう説得に来た十兵衛に対して
言ってましたよね。
『間違いは正さなくてはならぬ。』と。

おそらくはこれが一番の目的なんです。
しかし息子・高政の考えを簡単に覆せるとも
思っていなかったでしょう。
それでも正したいと考えたのは
父親としての情なのではないか
と、私は考えました。

つまり、考えを変えさせるのは
あくまでも「あわよくば」であり
道三さまが考えていた現実的な真の目的は
愚かな息子への罰を与えること。
そしてその罰が『父殺し』の汚名
親を殺した息子となれば
世間の悪評が立つことは間違いありません。
道三さまといえば、
美濃守護・土岐頼純を
毒入りのお茶で殺害しましたけど
高政に対しては『親殺し』という毒
息子を戒めようとしたのでしょう。

すなわち、自らが討ち取られることが
今回の戦の勝利と定義していたのでしょうね。

斎藤高政勢が掲げていた軍旗の紋

斎藤高政軍の軍旗には撫子の紋が

斎藤高政軍の掲げていた軍旗の紋が
道三さまが使用していた
「二頭波頭立波」ではなく
「撫子」の紋を用いていました。

これの意味するところは、
息子・高政の父・道三との決別を
意味しているのだろうと思いますが
「撫子」の家紋は、
道三が継ぐ前の美濃斎藤氏が
使用していたものなのです。

ちなみに美濃斎藤氏の祖は斎藤宗円という
室町時代に生きた武将です。
康応元年(1389年)から
宝徳2年(1450年)までに
生きた人なんですが
当時、土岐氏守護代だった富島氏を
殺害して守護代になってます。
つまり下剋上によって守護代の座を
手に入れてるんですよね。
最期は、富島氏の手の者によって
暗殺されてしまうんですが。

血は繋がってはいないけど
斎藤氏が代々血生臭い感じになっているのは
偶然なんでしょうか。

先陣を切った竹腰道鎮

長良川の戦いで高政軍の先陣を名乗り出たのが
竹腰道鎮でしたね。
この方、「信長公記」では
竹腰重直と記されていますが
同一人物のようです。

叔父が大柿城*1を築城したと伝わる竹腰尚綱
その叔父に養子として入り、
大柿城の城主を務めていたそうです。

この重直の孫なのかひ孫なのか
徳川家康に仕えた
竹腰正信という人物がいます。
どっちなのかは、
にわかの私にはよくわからないです(笑)

信長の野望・創造 戦国立志伝における竹腰正信

武腰正信は信長の野望シリーズにも
登場するようになったので

信長の野望・創造 戦国立志伝における徳川義直

ちょこっとだけ知ってる程度なんですが
竹腰正信の母が徳川家康の側室になって
後に初代・尾張藩主となる
徳川義直を生んでいます。

 

つまり、竹腰正信は徳川義直とは
父違いの兄弟であり
そういう事情もあってか
義直の側近、後には義直の後見として
抜擢されています。
その結果、竹腰家は幕末まで
尾張藩の附家老を務める家柄に。

ということは、長良川の戦いで先陣を申し出て
勇みよく戦場へ駆け出していた
ご先祖の竹腰道鎮も
さぞや大活躍を見せたに違いない
そう思う方もいるかもしれませんが・・・
残念ながら、
この長良川の戦いで討死しています。

麒麟がくる」では特に描かれてもいないので
麒麟がくる」の世界線でどうなったかは
よくわからないのですが
信長公記」だと、斎藤道三に討ち取られた
ということになっています。

道三さまは竹腰道鎮を討ち取って大変ご満悦。
床几に腰かけて母衣を揺するぐらい
得意げになっていたところへ
二番槍で息子の高政が大軍率いてやってきた
みたいなことが書かれています。

そういうわけで残念ながら竹腰道鎮は
おそらく今回限りの出演です。

先陣を願い出る竹腰道鎮
しかし・・・
私はこの人を見た瞬間
思い出した人がいます。
もちろん「麒麟がくる」に
今まで登場した人たちの中からなんですが
この人にすごく似てる気がしたんですよね。

織田信長と船を漕ぐ安倍晋三総理?
竹腰道鎮とこの信長さまが乗ってる船の船頭さんに
似てませんか??
過去に私がこちらの記事で安倍総理に似てる
と主張していた船頭さんです(笑)

tsukumogatari.hatenablog.com

残念ながら、いずれも演じている俳優さんが
わからないので真相は闇の中なのです(笑)

斎藤道三に与したの国人衆は?

斎藤道三に味方をした国人衆は明智光安以外にいたのか?

道三さまに与した主だった国衆は
結局のところ明智光安ぐらいしか
麒麟がくる」ではいない感じでしたよね。
稲葉良通以外の西美濃三人衆は
結局出てきてませんが
おそくら安藤守就氏家卜全
それと不破光治あたりも
全て敵に回っているでしょう。

しかし、明智家以外にもう一つの一族が
道三さまの味方になっているはずなんです。

それが竹中家であり
当時の当主は竹中重元です。

tsukumogatari.hatenablog.com

竹中重元は、羽柴秀吉の軍師と名高い
竹中半兵衛の父です。
長良川の戦いで具体的にどう戦ったか等は
わかりませんが
道三方についたがために
後に居城を高政方の軍勢に攻め込まれます。

同じ境遇の明智光安も斎藤高政軍に
明智城を攻め落とされて明智一族は
美濃から追われることになりました。

しかし、竹中家はなんと守り切って
その後は所領を増やす動きも見せています。
ちなみに高政軍に攻め込まれた時
当主の竹中重元は不在だったんですが
その妻・妙海大姉
息子の半兵衛(重治)
久作(重矩)らが奮戦して
守り切ったと言われています。

同じように高政に与しなかった立場ながらも
滅ぼされることなく存続できたってことは
高政が潰しきれないぐらいの勢力を持っていた
といことなんでしょうか
ちょっと不思議ではあります。

麒麟がくる」では竹中重元は
今後も登場しないと思いますが
息子の半兵衛は秀吉の軍師なので
登場機会があるかもしれませんよね。

十兵衛が織田家の家臣となった後
同郷の十兵衛と当時のことを語り合う
みたいなシーンがあったりすると
面白いんだけどなぁ。

警戒に陣太鼓を打ち鳴らす武将に違和感?(笑)

陣太鼓をノリノリで叩く太鼓担当の武将

高政進軍と共に軽快かつノリノリな感じで
太鼓を叩く武将がいましたよね。
陣太鼓が戦場で重きをなすことを知ってたら
あんまり疑問には思わないかもしれないけど
戦場でノリノリに太鼓を叩いてる人を見て
違和感を感じた人もいる気がします。

以前、第2話の学びでも書いたんですが

tsukumogatari.hatenablog.com

太鼓や法螺貝は音による伝達手段として
非常に重要なものでした。

ただ気持ちよく太鼓を叩いていた
というわけではないのです。
たぶん(笑)

音の長短や調子、回数など
叩き方を変えることによって
進退の指示を与えたり食事時を伝えたり
さらには行軍の士気を高めるために
使われたりしたのです。

確かにあのノリノリで叩かれた太鼓の音は
自分たちがちょっと強くなった気にもなれるし
勇気もなんとなく与えられる気がします。
兵士たちは一歩間違えば死んでしまう
戦場に身を置いていますから
戦意が落ちないよう制御するツールとして
陣太鼓は重要だったのでしょうね。

1.2.親子一騎打ちからの学び

道三と高政、親子の一騎打ちは本当にあった?

斎藤道三と斎藤高政、親子による一騎討ち

斎藤道三と斎藤高政、親子による一騎打ち
麒麟がくる」では斎藤道三と斎藤高政の
親子による一騎討ちが展開されて
これはこれで胸熱でしたよね。
もちろん私は道三さまを応援していましたので
高政に一太刀でも浴びせてくれ!
と思いながら見てました(笑)

さて、言わずともわかる気もしますが
実際にこの二人の親子が一騎討ちをした
という話はありません。
親子二人の一騎討ちはありませんでしたが
信長公記」によると
別の武将同士の一騎討ち
あったことを記しています。

一騎討ちおこなったのは
高政軍の長屋甚右衛門
道三軍の柴田角内です。

前述の通り、
高政軍の先陣を切った竹腰道鎮は
道三さまが討ち取り
意気揚々としていたところへ
大軍を率いた高政が
第2陣としてやってきます。

道三軍、高政軍互いに陣を整え対峙すると
先ほどの二人が両軍から歩み出て
一騎討ちが始まります。

両軍のちょうど真ん中あたりで
二人の一騎討ちは繰り広げられましたが
道三軍の柴田角内が勝利を収めたそうです。

この辺までは寡兵の道三軍が
有利な展開ではありますよね。
といっても、大軍の高政軍とは
まだまともにぶつかってなかっただけで
次第に道三軍は不利に陥ったのでしょう。
※この辺「信長公記」ではあまり詳しい記述はありません。

斎藤道三を討ち取ったのは誰か?

斎藤道三に槍を突き刺した二人の武将を許さない

高政は一騎討ちを受け入れながらも
止めは家臣にやらせるっていう
ちょっとカッコ悪い手段をとってました。
あれは結局
道三さまの扇動に惑わされての決断なのか
もしくは実の父を流石に自らの手で
仕留めることは躊躇いがあったのか。

ところで道三さまを討ち取りやがったのは
誰なんですかね、
あの名もなき感じの兵士は(笑)
道三さまに槍を突き刺していた二人の兵士
私は絶対許さないので
覚悟しておいてほしいです(笑)

という与太話は置いておいて
信長公記」では道三さまを打ち負かしたのは
長井忠左衛門と記されています。
長井忠左衛門は道三さまとの渡り合いで勝って
生け捕りにしようとしたようです。
なので長井忠左衛門がそのまま道三さまの首を
取ったのかと思いきや、そうではなく。
長井忠左衛門が生け捕りにしようとしていたところへ
小牧源太*2が走り寄ってきて
道三さまの脛を薙ぎ払って推し伏せると
そのまま首を取ってしまったそうです。
長井忠左衛門は手柄を横取りされたわけですが
自分が先に道三さまを生け捕りにした証拠に
道三さまの鼻を削いだそうです。

この長井忠左衛門はそもそも誰?
って感じですが
この学ぶシリーズで度々名前を挙げている
長井道利の嫡男と言われています。

tsukumogatari.hatenablog.com

長井忠左衛門は、その後も高政や
高政の子・龍興に仕えますが斎藤氏が滅ぶと
姓を井上に改めて織田信長に仕えています。

その後は羽柴秀吉池田輝政に仕えて
98歳で病死したと伝わっています。

父の長井道利自体が
麒麟がくる」では登場せずなので
長井忠左衛門も今後登場することは無さそう。
光秀の仇役的存在で長井道利や忠左衛門が
登場することを期待したいので
ちょっと残念です。

親殺しの高政

父・斎藤道三の亡骸を見る斎藤高政の目には涙が

道三さまの思惑通り
高政は”父殺し”の汚名を着ることに。
『勝ったのは道三じゃ』
という父の最期の言葉を
高政はどう受け止めたんでしょうか。

例によって「信長公記」を引き合いに出すと
高政は親殺しの罪を反省して出家します。
そして新九郎范可(しんくろうはんか)
と名乗ったと書かれています。

この”范可”というのは中国の故事にある
親の首を切った者の名前で
当時は父の首を切ることが孝行となる
事情があった
らしい。

つまり親不孝は普通なら重罪であるけど
その罪を逃れるための言い訳として
故事に基づく”范可”に名を改めたと言いたい?

でもこの故事の実在は認められていないし
実は高政が”范可”を名乗ったのは
父・道三と戦う以前からだそうです。

著者の太田牛一もすべての情報を
正確に把握してたわけではないだろうし
又聞きからの推測もあったでしょうね。

麒麟がくる」では高政が”范可”を
名乗ることはなさそうだけど
別の姓へ代えることにはなるのかも。

1.3.窮地に立たされた明智家からの学び

明智軍紀」による明智光安

明智十兵衛光秀に家督を譲り後事を託す叔父・明智光安

十兵衛に家督を譲って
明智家の後事を託した明智光安
第16話辺りから光安は覚醒しました。
RからSSRぐらいに覚醒、
は言い過ぎなのかどうか(笑)

それはともかく明智家当主として立派な
最期を遂げられたことと思います。
いや、しかし本当に亡くなったかどうかは
まだわからないですけどね、
討死の場面ありませんし!
うまく脱出できたかもしれません!

この頃の明智家に関しては「信長公記」では
一切登場してきません。
元々織田信長が中心なので
当たり前かもしれませんが
十兵衛が織田家臣になってからは
頻繁に”明智光秀”の名が出てくるので
元美濃の国人で帰蝶さまと縁戚なら
その辺ちょっとは触れても・・・
とか思ったりはします。
触れない所に何か闇があるような・・・(笑)

一方、史料としては価値の低さに定評のある
明智軍紀」には光安が明智家の行く末を
光秀に託して自らは明智城で籠城し
奮戦空しく敗れてしまった
ということが書かれています。

明智城の守備兵3百余り(800説もあり)に対し
斎藤高政軍3千余と言われています。

攻撃三倍の法則を優に超える高政軍。
有名な孫子の兵法」だと10倍の兵がいれば
包囲すれば寡兵の軍は退却する、
寡兵で大軍に挑むのはただ敵の餌食になるだけ
みたいなことが書かれていたと思います。

孫子 (講談社学術文庫)

孫子 (講談社学術文庫)

 

高政が絶対に明智家を許さないことは
光安も重々承知していたでしょう。
だからこそ、
藤田伝吾たちは帰農させて
逃げられる者は逃がすことで
なるべく多くの者たちが
生き残れるようにする
これが明智光安
最後の大仕事だったのですね。

最後の最後で
カッコイイ当主ぶりを見せてくれた
十兵衛の叔父・明智光安
できれば亡くなったかどうかは
語らずにおいてほしい
と思うのですが・・・。

十兵衛を脱出させたもう一人の明智氏

明智十兵衛光秀と共に美濃を脱出した一族は明智左馬助(秀満)の他に、明智五宿老となる明智光忠もいたが・・・

麒麟がくる」で登場するのか未だ不明なのが
十兵衛の叔父弟にあたると言われている
明智光忠です。

tsukumogatari.hatenablog.com

明智光忠は、明智光久の子であり
明智光久は十兵衛の父・光綱と
叔父・光安の弟。
明智光久は、明智光安と共に
明智城で籠城して亡くなったと言われていて
その子・光久は、
光安の子・左馬助(秀満)と共に
十兵衛の美濃脱出を助けて
共に美濃から逃れています。
以後、十兵衛を支える大事な家臣であり
本能寺の変を事前に知らされた
明智五宿老の一人でもあるのです。

でも今の「麒麟がくる」の展開だと
明智五宿老は5人揃わない気配が・・・(笑)
次回辺り急にポッと出てきたりするのかな。

帰農した藤田伝吾

明智十兵衛光秀の母・牧を説得する藤田伝吾

藤田伝吾がまさか十兵衛と共に
美濃を脱出しないとは思ってなかったので
ちょっとビックリはしました。
麒麟がくる」では元々田畑持ちの足軽
という設定なので美濃を離れられない理由は
納得のいくものでした。
元々伝吾の素性も謎ですから
こういう設定なら仕方ないといった感じ(笑)

ずっと十兵衛と共に行動すると思っていたから
今後二人のやり取りが途絶えちゃうのは
ちょっと寂しいです。
伝吾の空気読めないところが好きだし(笑)

しかし、藤田伝吾も明智五宿老の一人

tsukumogatari.hatenablog.com

明智重臣として
十兵衛を支える人物の一人であることは
間違いないので
十兵衛が織田信長の家臣になる頃に
また再び相見えることでしょう。
その頃には伝吾の子たちも大きくなって
共に十兵衛に仕えるんじゃないでしょうか。

十兵衛が逃げる先

越前へ向かう明智十兵衛光秀たち

美濃編の次はもう越前編ってわかってるから
歴史あまり知らなくてもわかると思います(笑)
そうですね、逃亡先は越前です。
麒麟がくる」ではその手引きをするのが
伊呂波大夫。

その辺は16話で多くの人が気づいたでしょう。
そして、伊呂波大夫を十兵衛の下に遣わすのが
帰蝶さま。

越前への逃亡ルートは
元は父・道三さまのためでしたが
道三さまは逃げる事など考えてなかったので
帰蝶さまの骨折りも無駄に終わるかと思いきや
十兵衛含めて明智家が道三方に味方したことを
何かしらで聞き知ったのでしょう。
ならば十兵衛たちは何としてでも助けよう
ということなのか
もしくは道三方についた者たちを
少しでも多く逃がしたい
という思いからだったのか。
まぁ物語的には前者でしょうけれども。

ちなみに、
十兵衛御一行がが逃げる先は
越前以外にも考えられます。

一番に思いつくのは、帰蝶さまのいる尾張
次に思いつくのは妻木郷を治める妻木氏の下。

妻木氏は十兵衛の奥さん・煕子の実家ですね。
この妻木氏の動向がいまちよくわかりません。
後々織田家臣になっているので
それまでは斎藤氏に従っていたのかな
と考えると・・・
この長良川の戦いでは
高政側についていたのかも?

でなければ明智家同様に
高政に滅ぼされちゃうと思うんですよね・・・。

どちらについていたとしても
十兵衛の嫁の実家をそのままにしておくか
という疑問もあるんですが。

ただこの辺の血縁関係のルートは
高政がとりわけ厳しく警戒してそうです。
あとは西を抜けて近江や
十兵衛の親友(予定w)の細川藤孝らのいる
京へ向かうことも考えられなくはありません。

けど流石に西美濃は
稲葉良通が通してくれないでしょうね。

そうなると、
もう北の越前に逃げるしかないのかな。

越前の朝倉氏というと、
前の守護・土岐頼武
弟の頼芸との家督争いで美濃を追われた際に
ご厄介になってたことがあります。

その時の縁で朝倉氏9代当主の朝倉貞景の娘
土岐頼武は妻として迎えていたそうで
何気に美濃と朝倉氏の縁は深かったりします。
十兵衛とは直接関係はないのだけど
十兵衛が土岐源氏であることを知れば
現当主の朝倉義景もちょっと親近感が
沸いてきて助けてやろうみたいになるのかも。

しかし、朝倉義景がバカ殿っぽい感じで
描かれそうなのがちょっと気掛かりだ・・・(笑)

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものです。
亡くなった日については
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

  • 天文16年(1547年)織田信康(演:清家利一)享年不明
  • 天文16年11月17日(1547年12月28日)土岐頼純(演:矢野聖人)享年24歳
  • 天文18年3月6日(1549年4月3日)松平広忠(演:浅利陽介)享年24歳
  • 天文20年3月11日(1551年4月16日)小見の方(演:片岡京子)享年39歳
  • 天文21年3月3日(1552年4月8日)織田信秀(演:高橋克典)享年42歳
  • 天文22年閏1月13日(1553年2月25日)平手政秀(演:上杉祥三)享年62歳
  • 天文23(1554年)深芳野(演:南果歩)享年不明
  • 天文23年7月12日(1554年8月10日)斯波義統(演:有馬自由)享年42歳
  • 弘治元年閏10月10日(1555年11月23日)太原雪斎(演:伊吹吾郎)享年60歳
  • 弘治元年11月12日(1555年12月24日)斎藤孫四郎(演:長谷川純)享年不明
  • 弘治元年11月12日(1555年12月24日)斎藤喜平次(演:犬飼直紀)享年不明
  • 弘治元年11月26日(1556年1月7日)織田信光(演:木下ほうか)享年41歳*3
  • 弘治2年4月20日(1556年5月28日)斎藤道三(演:本木雅弘)享年63歳

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)
 
戦国 戦の作法

戦国 戦の作法

 
ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

  • 発売日: 2014/09/08
  • メディア: 文庫
 
孫子 (講談社学術文庫)

孫子 (講談社学術文庫)

  • 作者:浅野 裕一
  • 発売日: 1997/06/10
  • メディア: 文庫
 

長良川の戦い - Wikipedia

斎藤氏 - Wikipedia

斎藤宗円 - Wikipedia

戦国武将録: 戦国美濃国人名辞典

竹腰道鎮・尚光父子と正信|城田涼子|note

竹腰正信 - Wikipedia

斎藤義龍 - Wikipedia

2.まとめ

明智荘の領民たちに一時の別れの言葉、そしてまた会おうと誓う明智十兵衛光秀

今回は長良川の戦いが中心の話題でしたが
いかがでしたか?
竹腰道鎮を演じていた俳優さん、
どなたかご存知の方がいましたら
是非教えてください
すごく気になってます(笑)


それにしても
十兵衛は本当に正直者ですよね。
土岐様のことは一度たりとも立派な人だと思ったことが無い
なんて高政に言っちゃうあたりとか。
ちょっと吹いちゃったけど(笑)、
その後に続く道三さまに対する想いの丈が
すごく良かった・・・。

十兵衛は道三さまの最期の言葉を
しかと胸に刻んでいることと思います。
道三さまに託された夢の実現までには
少し遠回りをしないといけないけど
諦めず生き延びてさえいれば
必ずチャンスはあるぞ、十兵衛。

麒麟がくる」はコロナ禍の影響であと4回で
一端放送休止になってしまうけど
放送再開という望みがある限り
残り4回を今まで通り楽しもうと思うのでした。

そういえば斎藤道三さまを
セリフで偲ぶ記事を最近まとめたので
そちらもご覧いただけると嬉しいです。

tsukumogatari.hatenablog.com

道三ロスを埋める穴の一つとして
ご活用ください(笑)

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日
by ヨメレバ
麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 
麒麟がくる 後編 (2)

麒麟がくる 後編 (2)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: 単行本
 
2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


ここからは当サイトの宣伝です。

ツクモガタリ
以下のランキングサイトに参加しています。
バナーをポチって頂けると
今後の励みになります!
にほんブログ村
にほんブログ村 にほんブログ村へ
人気ブログランキング

また、ツクモガタリ
歴史人物の記事を主戦場としつつ
ブログ運営関連の記事なども投稿している
雑記ブログです。
こちらのINDEXページ
各記事のカテゴリの説明と共に
ピックアップ記事や
カテゴリの記事一覧へのリンクも
掲載しています。

tsukumogatari.hatenablog.com

このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:麒麟がくる」だと”大垣”ではなく”大柿”表記。

*2:信長公記」だと表記は”小真木”。

*3:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。