豊臣秀吉の同級生集めていろいろランキング ー1537年世代ー

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豊臣秀吉の同級生集めていろいろランキング ー1537年世代ー

戦国時代の人物で同級生ランキング3回目。
今回は豊臣秀吉の同級生を集めて
勝手にランキングしちゃいました。
過去のを見てると気づくかもしれませんが
なるべく全員をランクインさせてあげたいので
数値根拠の薄いランキングは
かなりの偏見の塊だと思ってください(笑)

というわけで今回のお品書きはこちらです。

ちなみに使用してる武将の画像は全て
信長の野望・創造 戦国立志伝」*1のSSです。
時間があれば自分で描きたいんですがw

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1.豊臣秀吉の同級生は何人?

豊臣秀吉の天文6年2月6日生まれ*2
西暦だと1537年生まれになります。
たまに間違えてるWikipedia大先生によると
1537年生まれの日本人は39人でした。

ja.wikipedia.org

ちなみに前回の前田利家の同級生も39人
初回の伊達政宗の同級生が46人
このシリーズで紹介する人物が
毎回40人前後ということになりそうです(笑)

というわけでこの39人で
数値根拠がありそうな部門から
まったく根拠なしの部門まで
幅広い分野で勝手に競わせます。

一応の注意事項

過去の記事を読んだ方はおわかりだと思いますが
個々の情報が全て正確に網羅されてないので
とても不公平極まりないランキングです(笑)
ベースとしているWikipediaの情報も
必ずしも正しいわけではありません。
なので、異論は大いに認めます(笑)

この記事をきっかけに
当時の歴史や
その時代に生きた人に興味を持って
より深掘りする人たちが
増えるような記事になればいいなと
思いながら書いています。

2.豊臣秀吉の同級生たちで勝手にランキング

2.1.石高ランキング

1位 豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)222万石
2位 加藤光泰(かとう みつやす)24万石
3位 大久保忠佐(おおくぼ ただすけ)2万石

石高の1位は当然です。
今回の主役であり天下人の豊臣秀吉
ちなみにこの石高は豊臣家の蔵入地の石高で
実際の秀吉の領土からしたら全然少ないです。

信長の野望・創造 戦国立志伝における羽柴秀吉

 

2位の加藤光泰は元は美濃斎藤家の家臣。
斎藤家が織田氏に滅亡後は秀吉の家臣に。
数々の戦働きで功をあげて24万石の大名に出生。
信長の野望の能力値は低すぎる感(笑)

信長の野望・創造 戦国立志伝における加藤光泰

 

大久保忠佐徳川家康家臣。駿河国沼津藩主。
蟹江七本槍の一人であり徳川十六神将の一人にも
数えらえるほど武勇に優れた武将。
でも関ケ原の戦いでは真田昌幸・信繁父子に
第二次上田合戦で足止めくらってます。

信長の野望・創造 戦国立志伝における大久保忠佐

2.2.長寿ランキング

1位 木幡高清(こわた たかきよ)享年106歳
2位 下間頼廉(しもつま らいれん)享年90歳
3位 一之臺 (種子島氏)(いちのだい)享年83歳

今回の長寿ランキング、
1位は100歳超えです!
医療技術も発達していないし
戦で早く亡くなる人も多かった時代に
100歳超えは凄いですよね。

その100歳超えが木幡高清。
相馬氏5代に仕えた重臣
故事に詳しかったそうです。
この息子の清吉も相馬氏5代に仕えて
96歳生きてます。
長寿家系なのかな?

信長の野望・創造 戦国立志伝における木幡高清

2位の下間頼廉本願寺のお坊さんですね。
本願寺軍の軍事指揮官として織田信長
散々に苦しめました。
でも本能寺の変後は戦には手を貸さず
秀吉や家康の援軍依頼を断ったそうですよ。

信長の野望・創造 戦国立志伝における下間頼廉

3位の一之臺は薩摩の大名・島津義久の継室、
妙連婦人に仕えた女房だそうです。
女房とは奥向きの女官や女性使用人のことです。
妙連婦人亡き後は大奥の一切を任された程なので
一角の人物として認められていたのでしょう。

2.3.短命ランキング

1位 珠光 (じゅこう)享年15歳
2位 北条新九郎 (氏親)(ほうじょう しんくろう)享年16歳
3位 福間堯明(ふくま たかあき)享年18歳

豊臣秀吉の同級生で最も短命だったのは
15歳で亡くなってしまった珠光。
周防の戦国大名大内義隆の娘。
家臣の陶隆房(後の晴賢)の謀叛によって
大寧寺で下女の小倉と共に自害したそうです。*3

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2位が16歳で亡くなった北条新九郎。
相模の戦国大名北条氏康の嫡男です。
近年の研究によって諱が氏親と判明しています。
元服後には買いの武田晴信の娘(後の黄梅院)を
妻として迎える予定でした。*4
また、弟の氏政と共に飛鳥井政綱から
蹴鞠伝授書を与えられたそうです。

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3位の福間尭明は安芸の戦国大名毛利元就
家臣でしたが、天文23年(1554年)の
安芸黒瀬衆討伐時に戦死してしまったそうです。
弟の元明が後に家督を継いでいますが
前田利家の同級生ランキングのうち
猛者ランキングで見事1位を獲得しています!*5

tsukumogatari.hatenablog.com

2.4.子沢山ランキング

1位 松平伊忠(まつだいら これただ)9人
2位 松下之綱(まつした ゆきつな)7人
2位 下間頼廉(しもつま らいれん)7人

豊臣秀吉さんが羨みそうな子沢山ランキング、
1位の松平伊忠徳川家康の臣。
深溝松平家の3代目で、家康の主要な合戦では
数々の武功を挙げる活躍を見せています。
天正3年(1575年)長篠の戦いでも
武田信玄の弟・武田信実を討ち取るんですが
前線に出過ぎた結果、討死しちゃってます。

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2位の松下之綱は秀吉が織田信長に仕える前に
松下家に仕えていた、と言われています。
同級生なので仕えていたとしたら
之綱の父・長則に仕えていたんでしょうね。
それが後に立場が逆転してるのが面白い。
ちなみに之綱の娘・おりん
柳生一族や柳生新陰流で有名な
柳生宗矩の奥さんだったりします。

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そして子沢山ランキング同数2位が
長寿ランキングでも2位だった下間頼廉でした。
煩悩とは一体・・・・(笑)

2.5.兄弟沢山ランキング

1位 水野忠分(みずの ただわけ)14人
2位 北条新九郎 (氏親)(ほうじょう しんくろう)11人
3位 神代長良(くましろ ながよし)9人

今回兄弟が一番多かったのは水野忠分でした。
水野忠分は刈谷・緒川城主の水野忠政8男。
NHK大河ドラマ麒麟がくる」の水野信元や
於大の方(家康の実母)の弟にあたります。
織田信長の配下として今川氏との戦で活躍。
しかし天正6年(1579年)に荒木村重
立て籠もった摂津国有岡城を攻めた際に討死。

2位の北条新九郎は前述の短命ランキングでも
2位でしたね。

3位は神代長良で父の神代勝利
何度も龍造寺氏と渡り合った武将です。
父同様に龍造寺氏と対立しましたが
最終的には和睦を結んでます。
子孫は佐賀藩の藩主一門格である
川久保鍋島家となっています。

信長の野望・創造 戦国立志伝における神代長良

2.6.猛者ランキング

1位 岡本頼氏(おかもと よりうじ)槍の名手
2位 真田信綱(さなだ のぶつな)武田氏先鋒
3位 大久保忠佐(おおくぼ ただすけ)生涯無傷

ここからは例によって数字的根拠なしの
私の独断と偏見によるランキングです(笑)

今回の猛者ランキングで1位は岡本頼氏。
槍の名手で武勇に長けていましたが
歌道にも通じていたそうです。
弘治元年(1555年)の初陣から
大小19の戦いに出陣し傷を被る事31ヶ所。
相良氏の主要な合戦の大半に出陣して
多くの武名を挙げました。

信長の野望・創造 戦国立志伝における岡本頼氏

2位は六文銭真田丸で有名な
真田氏の嫡流であった真田信綱です。
真田幸隆の嫡男であり真田昌幸の兄
甲斐武田氏信濃先方衆として弟の昌輝と共に
数々の戦で先陣を切って活躍したそうです。
武田信玄が将来を嘱望するほどの
豪勇の持ち主だったそうですが
長篠の戦で弟の昌輝と共に討死。

信長の野望・創造 戦国立志伝における真田信綱


3位の大久保忠佐は石高でも3位でした。
徳川四天王の一人、本多忠勝と同様に
戦に出ても生涯無傷だったそうです。
本当か?(笑)

2.7.若くして散った名将候補ランキング

1位 川上久朗(かわかみ ひさあき)知勇兼備の若き老中
2位 富永忠元(とみなが ただもと)東条吉良氏の譜代家臣
3位 樺山忠副(かばやま ただそえ)主君・義久の哀悼の歌

若くしてってなかなか曖昧な基準ですけど(笑)、
要するに、この辺が私がなるべくみんなを
ランクインさせたい気持ちが出てるところ(笑)

そんな名将候補ランキング1位を飾ったのは
薩摩の戦国大名・島津氏の家臣、川上久朗。
知勇兼備の将でなんと17歳で家老職に抜擢。
ところが永禄11年(1568年)1月20日
相良・菱刈連合との戦いで
島津義弘を守るために孤軍奮闘した結果
13か所の深手を負い
鹿児島に帰還後亡くなってしまったそうです。
享年32歳でした。

信長の野望・創造 戦国立志伝における川上久朗

2位の富永忠元は三河の東条吉良氏の譜代家臣。
設楽郡室城主で、桶狭間の戦い後の
松平家康との争いで多くの功を挙げたそうです。
しかし永禄4年(1561年)9月13日の
藤波畷の戦いで討死してしまいます。享年25歳
忠元の戦死は戦況に大きく影響したようで
「伴五郎(忠元の通称)が死んだら
落城(吉良氏居城の東条城)は近い)
と敵味方共に言い合ったそうです。

3位の樺山忠副は1位の川上久朗同様に
島津氏の家臣です。
将来を嘱望されていましたが
弘治3年(1557年)蒲生氏・菱刈氏との
戦傷が元で亡くなってしまいます。
享年21歳
主君の島津義久はその悲しさのあまりに
哀悼の和歌を詠んでいます。

2.8.家臣団名数ランキング

1位 真田信綱(さなだ のぶつな)武田二十四将
1位 三枝昌貞(さいぐさ まささだ)武田二十四将
3位 大久保忠佐(おおくぼ ただすけ)徳川十六神将
4位 西園寺公広(さいおんじ きんひろ)西園寺十五将

名数ランキングってなに?って感じですよね。
しかも名数が大きい順っていうだけ(笑)
今回は渾名持ちとかがほとんどいなかったので
こういう意味不明なランキングにしました。
4人挙げてるのは4位の人を入れるためです(笑)

1位の真田信綱、3位の大久保忠佐
既に登場済みなので割愛します。

同数1位の三枝昌貞は見ればわかる通り
甲斐武田氏の家臣で足軽大将でした。
武田の赤備えで有名な山県昌景の娘が奥さん
昌景の娘婿とも言われています。*6
一時は武田信玄の勘気を受けて
蟄居していたこともあったそうですが
近習の真田昌幸や曽根昌世同様に
重用されていたようです。
しかし長篠の戦いの際に
守備していた砦を奇襲され
兄弟と共に戦死してしまいます。

信長の野望・創造 戦国立志伝における三枝昌貞


4位の西園寺公広は伊予の戦国大名で黒瀬城主。
伊予西園寺氏最後の当主です。
四国平定をもくろむ豊臣秀吉に降りますが
後に秀吉の九州平定後、
新たに伊予の新領主となった戸田勝隆に
謀殺されてしまいました。

信長の野望・創造 戦国立志伝における西園寺公広

ちなみに戸田勝隆はマイナーで有名な
羽柴四天王*7の一人です。

2.9.切腹ランキング

1位 島津歳久(しまづ としひさ)刀握れず石を懐刀に
2位 清水宗治(しみず むねはる)命引き換えに城兵の助命を
3位 吉江資堅(よしえ すけかた)魚津在城十三将

切腹ランキングとは?
なんて疑問は盛ってはいけません(笑)
島津歳久以外は、大河ドラマとかで
登場したことはありそうですね。

1位の島津歳久は薩摩の大名・島津義久の弟。
兄・義久、義弘をよく支えた器量人であり
豊臣秀吉のことも兄弟の中で唯一認めてました。
でも最終的には反秀吉派に転じたことが災いして
自害に追い込まれるんです。
その自害する際には病で刀を握れなかったので
近くにあった石を懐刀に見立てて
家臣の原田基次に首を斬らせたそうです。
治めていた地の住民*8からは今でも慕われていて
「島津金吾左衛門督歳久(金吾様*9)」を祀る
神社が町内の各地にあるそうです。
また毎年9月18日前後の秋季例大祭では
「金吾様踊り」が奉納されているのだとか。

信長の野望・創造 戦国立志伝における島津歳久


2位の清水宗治といえば備中高松城主。
備中三村氏の重臣・石川久武の娘婿なんですが
毛利氏に降って、それ以降は小早川隆景
配下として忠臣を尽くしたことで
信頼を得たようです。
しかし織田信長の家臣・羽柴秀吉の中国攻めでは
軍師・黒田官兵衛の献策した水攻めによって
孤立無援状態になってしまいます。
しかし当時の毛利氏当主・毛利輝元
援軍に駆け付けたことで戦況は膠着状態に。

この時、秀吉は本能寺の変の報せを受けます。
一刻も早くこの場から離れて
京へ戻りたい秀吉は
清水宗治らの命と引き換えに城兵は助ける
という条件を出して和睦交渉をおこないます。
この条件を呑んだ清水宗治
兄・清水宗知、弟・難波宗忠
そして援軍の将・末近信賢らと共に
水上の船の上で切腹しました。
秀吉は信長の死は伏せていたので
宗治はあの世でびっくりしたに違いない(笑)

信長の野望・創造 戦国立志伝における清水宗治


3位の吉江資賢は越後上杉氏の家臣。
上杉謙信の晩年に側近となります。

天正6年(1578年)の御館の乱では
上杉景勝側について功を挙げて以降、
景勝の信頼は厚かったようです。
後に河田長親が城主を務める
越中国魚津城の守備につきますが
天正10年(1582年)の魚津城の戦いで
織田軍・柴田勝家に攻め落とされ
他の12人の守将と共に自害しています。
ちょうど本能寺の変の翌日のことでした。

2.10.権力者の怒りを買ったランキング

1位 足利義昭(あしかが よしあき)織田信長
2位 加藤光泰(かとう みつやす)豊臣秀吉
3位 天野 康景(あまの やすかげ)徳川家康

意外とこの世代、怒りを買ってる人多い気が(笑)
1位の足利義昭は信長との対立いよって
最終的に京都を追い出されてしまったことは
わりとみんな知ってる話ですよね。
麒麟がくる」でも足利義昭
物語上のキーマンになることでしょう。
そして足利義昭といえば室町幕府最後の将軍
信長が本能寺の変によって横死した後も
将軍職についてたんですが
豊臣政権確立後はこれを辞して
山城国槇島1万石の大名となったそうです。

信長の野望・創造 戦国立志伝における足利義昭


2位の加藤光泰は石高ランキングで登場済み。
秀吉の蔵入地2万石の管理を任されていたのに
自分の領地扱いにしたことで秀吉の勘気を被り
領地を召上げられて一時期蟄居に。
そりゃ怒られる・・・。

3位の天野康景は徳川家康の小姓として
家康の傍近くで仕えていた人で
後に駿河国興国寺藩主となります。

そして天野康景はなんで怒られたかというと
康景が蓄えていた竹木が
ある時何者かに盗まれて
その犯人と目星を付けたのが
江戸幕府直轄地の領民でした。

その領民たちを天野康景の家臣たちが
殺傷する事件が起きてしまいます。

この事件の裁定のため本多正純
康景の下を訪ねて領民たちを殺傷した
家臣を引き渡す交渉をするんですが
康景はその交渉時の言葉に激怒して
引き渡しを拒否します。
その上、息子の康宗ら一族と共に
出奔してしまったんです。
そのため興国寺藩は改易処分に。
これは権力者を怒らせたんじゃなくて
天野康景の方が怒り狂ったパターンかな(笑)

2.11.お坊さんランキング

1位 下間頼廉(しもつま らいれん)本願寺顕如に匹敵する司令官
2位 板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)北条氏外交僧
3位 景轍玄蘇(けいてつげんそ)対馬宗氏外交僧
4位 証意(しょうい)願正寺の軍神

豊臣秀吉世代にもお坊さんは何人かいます。
1位の下間頼廉は既に何度か登場済みですね。

2位の板部岡江雪斎後北条氏の外交僧
元は田中融成という名でしたが
北条氏政の命により板部岡家の名跡を継ぎ
右筆・評定衆として活躍しました。
ちなみに武田信玄が亡くなった後に
氏政の命で病気見舞いに伺っていますが
信玄の弟・信廉が影武者になっていたのを
見抜けなかったそうです。*10
北条氏没落後は秀吉の御伽衆となって
岡野姓に改めています。
子孫は江戸幕府の旗本・岡野氏として
存続したそうです。

信長の野望・創造 戦国立志伝における板部岡江雪斎


3位の景轍玄蘇は対馬宗氏の外交僧
朝鮮外交での活躍が目立つ人です。
豊臣秀吉徳川家康の時代にも
柳川調信と共に朝鮮との交渉を
一任されていたそうです。
ちなみに柳川調信は前田利家の同級生。

tsukumogatari.hatenablog.com

対馬宗氏は関ヶ原の戦いでは
西軍に与したんですよね。
それでも改易されなかったのは
関係が悪化していた朝鮮外交改善のため
と言われているので、景轍玄蘇の役目は
かなり重要だったんだろうと思われます。

対馬宗氏の中世史

対馬宗氏の中世史

 

 
4位の証意は伊勢・願正寺の僧侶。
軍神っていうのは私が勝手につけました(笑)
織田信長の弟・信興を自害に追い込んで
伊勢長島一向一揆の先端を開いた人です。
信長の第一次長島侵攻時には
西美濃三人衆の一人、氏家卜全を討ち取り
さらには柴田勝家を負傷させるなどして
信長の手を焼かせた人なんです。
しかしその4か月後に急逝しています。
享年39歳なのでまだ若いけど
何かあったのかなと勘繰ってしまう(笑)

信長の野望・創造 戦国立志伝における願証寺証意

2.12.文化嗜みランキング

1位 徳大寺公維(とくだいじ きんふさ)和歌と書を嗜む公卿
2位 豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)黄金の茶室
3位 板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)詩歌・歌道に造詣深し

豊臣秀吉世代で文化嗜み度No.1は
公卿の徳大寺公維を選びました。
この世代、文化に特化したような人が
いない感じだったのでこういう結果に(笑)

徳大寺公維は大寺家の当主実通が
下向先の越中国長尾為景に殺害されたので
かわって徳大寺家に入って跡を継ぎました。
和歌と尊鎭流の書を嗜んだそうです。
あ、長尾為景って上杉謙信の父親です。

2位の豊臣秀吉は天下人ですし
黄金の茶室作ったりとかで
文化を派手に嗜んだろうということで
2位に選びました。

3位の板部岡江雪斎詩歌や歌道に
造詣が深かったそうです。
ちなみに愛刀の江雪左文字は国宝です。

2.13.名奉行ランキング

1位 建部 寿徳(たけべ じゅとく)兵站管理のプロ
2位 天野 康景(あまの やすかげ)三河三奉行
3位 板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)北条家臣時代に寺社奉行

内政的なランキングもあった方がいいと思って
今回はこの名奉行ランキングを入れました。

1位の建部寿徳は元は六角氏家臣。
父は織田信長との戦で討死しています。
兄は駒井何某に殺害されるんですが
この仇討ちを見事果たしたことで
信長が気に入って召し抱えた
という話があります。

その後は吏僚として活躍
秀吉にもその才は認められます。
特に物資の荷扱いや兵糧・弾薬の管理といった
兵站管理に長けていたため重用されたそうです。

2位の天野康景は既に怒られたランキングで
登場済みなわけですが本多重次、高力清長と共に
「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」*11
と評された三河三奉行の一人でもあるんです。

3位の板部岡江雪斎は外交僧ですが
寺社奉行としても力を発揮していました。
北条五代記』に
「宏才弁舌人に優れ、
その上仁義の道ありて、
文武に達せし人」
と記されているように
幅広い分野で有能な人材だったのでしょう。

2.14.名前読めないランキング

1位 一之臺 (種子島氏)(いちのだい)
1位 神代長良(くましろ ながよし)
1位 佐々長穐(さっさ ながあき)
1位 徳大寺公維(とくだいじ きんふさ)
1位 松平伊忠(まつだいら これただ)

豊臣秀吉世代の名前読めないランニングは
難しかったです(笑)
どれも微妙に難しいけど
ちょっと一位は選びきれないと思って
初めて目にした時に
読み間違えたり全く読めなかった人たちを
全員一位としました。

この中で今回初出なのは佐々長穐です。
佐々長穐は織田信長の元で
越後上杉氏との外交交渉を担当
越前一向一揆討伐や越中在番など
北陸方面での活躍が目立ちます。
本能寺の変後は織田信雄に仕えて
尾張青山郷で350貫文を領しました。
その後は秀吉の馬廻となっています。
伝わる系図では府中三人衆の佐々成政の弟
ってことになってるらしいです。

3.ランキング漏れちゃった同級生たち

今回惜しくもランクインできなかった
同級生たちも、ここで一挙に紹介します。

  • 赤松義祐(あかまつ よしすけ)
    かつての四職家で播磨の守護大名だったこともある赤松氏12代目当主。同族の赤松政秀との対立や織田氏の播磨進出によって徐々に衰退していく。
  • 市岡忠吉(いちおか ただよし)
    はじめは武田信玄に仕え武田氏没落後は徳川氏の臣に。武蔵国府中にて300石を賜い天守を勤めた。
  • 奥平定能(おくだいら さだよし)
    山家三方衆奥平氏一族。後の秀吉の相伴衆。息子の奥平信昌が信長と家康にその才を見込まれて以降は表舞台から退いた。
  • 小倉元廉おぐら もとかど)
    毛利元就の側近であった小倉元悦が亡くなり、元悦に子がなかったことから婿養子として家督を相続した。小倉元悦は蒲生氏郷の叔父にあたる。
  • 国重就正(くにしげ なりまさ)
    毛利元就から数えて毛利氏四代に仕え、各地を転戦し度々感状を与えられるなど戦働きで活躍をした。
  • 高城胤辰(たかぎ たねとき)
    千葉氏家臣。下総国小金城主。古川公方の足利義氏に対して太刀と白鳥の献上を認められた有力領主であった。*12
  • 西山昌次(にしやま まさつぐ)
    武田信玄の嫡男・義信付き。第4次川中島の戦い鉄砲隊を率いて武功があり*13。武田氏滅亡後は徳川家康に仕えて鉄砲隊を預かる。

4.まとめ

今回は豊臣秀吉の同級生たちで
勝手にいろいろランキングしてみました。
いかがでしたか?
この世代は豊臣秀吉がダントツで出世頭。
全て秀吉に吸い取られてしまったのか
他の同級生たちはあまり出世してない?
たまたま大名クラスの人が少ないのかな。

ちなみに次回は織田信長もしくは明智光秀
同級生でランキングを予定しています。
光秀は生年はいろいろ説があるけど
麒麟がくる」の設定でいこうかなと。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


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アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:2016年にコーエーテクモゲームスより発売された役しシミュレーションゲーム

*2:ユリウス暦だと1537年3月17日、グレゴリオ暦だと1537年3月27日。

*3:天文20年8月28日から 9月1日(1551年9月28日から9月30日)にかけて起こった政変で、大寧寺の変と呼ばれる。

*4:新九郎が亡くなったため、弟の氏政が黄梅院を正室として迎えています。

*5:独断と偏見によるランキングであることは言うまでもないw

*6:寛永伝』では山県善右衛門尉を名乗ったとしている。文書上では永禄11年(1568年)頃から山県勘解由左衛門尉を称していることが確認されています。

*7:戸田勝隆の他が、宮田光次、神子田正治、尾藤知宣の3人。

*8:鹿児島県さつま町。

*9:金吾は島津歳久の別名。

*10:今と違って写真とかないしちょっと雰囲気似てたら見抜けなくても仕方ない気もw

*11:清長は寛大、重次は剛毅、康景は慎重でそつが無い、の意味。

*12:この2つの献上が認められたのは関東八屋形の諸家など一部のみ

*13:ただしこの時重傷を負って以降は歩行に難があった。