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「麒麟がくる」第27話は超高速上洛戦、そして十兵衛が信長さまを傷つける回

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「麒麟がくる」第27話は超高速上洛戦、そして十兵衛が信長さまを傷つける回

NHK大河ドラマ麒麟がくる」で
学ぶシリーズの
麒麟で学ぶ」第27回目です。
今回の記事を読むと以下の事がわかります。

  1. 誰が村井貞勝なのか
  2. 今井宗久を裏切るのは誰か?(笑)
  3. あっさり敗北した六角氏の思いw
  4. 信長さまと足利義昭公の上洛の過程
あまり役に立ちそうな情報がないかどうかは
読んでみてからのお楽しみということで。。。w

さて本シリーズの前提事項的なものを
毎回0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると
助かります。
既に読んだことのある方は
読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは「麒麟がくる」の
ネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃して
まだ視聴されていない方は
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオ
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれると
いいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

※本記事掲載のAmazonプライムビデオおよびU-NEXT配信情報は、2021年3月31日時点のものです。
最新情報については各サイトにてご確認ください。

しかしネタバレ含んでいるけど、
本記事を読んでから視聴すると
少し前提知識が入った上での視聴になるので
それはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分については
こちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる」公式サイト公式Twitterもブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめると思いますので
まだの方は是非とも。
→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

0.本記事を読むにあたっての前提など

1.「麒麟がくる」第27話「宗久の約束」からの学び

大事なことは上洛した後の事だと話す織田信長
まずは全体の感想から。

まだ足利義昭が将軍になるまで
もう一息という段階なんですが
どうも信長さまと十兵衛の関係に
少しずつ
ひびが入って言ってるような気が。。。

現状は信長さまが将軍を冠とした上での
大きな国造りを目指しているところなので
未来の公方さまに不満はあれど
十兵衛の意見に耳を傾けてくれています。

ただこれが、
自らが国のトップに立つことを
意識し始めたりすると
十兵衛の意見にはあまり耳を傾けなさそうな。

今の所十兵衛は
室町幕府の将軍家の存在大前提
だと思うので
その辺を考えると
信長さまと十兵衛の対立は
避けられないような気がします。
もちろん十兵衛が室町幕府よりも
新しい政府に目を向ける可能性も
あるんだろうけど・・・
果たして今後どうなっていくのか。

それにしても信長さまに
足利義昭と自分とどっちにつくのか
今すぐ答えよって言われて
『心は既に決まっています!
義昭様の傍にいます!』

とキッパリ信長さまを断ったのには
とても驚きました(笑)
私の心は決まっておりまする
信長さまはおそらく自分の家臣になる
という自信があったと思うので
ちょっと面食らった表情をしていたし
内心は相当傷ついたのではないかと・・・。
そういうところだぞ、十兵衛(笑)

それと今回の話とは全く関係ないんですが
朝倉義景の側室で阿君丸の母、
小宰相はいつ亡くなるんだろう・・
本当なら阿君丸よりも前に亡くなってるので
前回出てきてびっくりだったんですが
登場人物一覧から没した人たち一覧へ
いつ移したらいいのか悩みます(笑)

まぁそういう人は他にもいるので
生死不明で残しておいてもいいのかなw

といった辺りでそろそろ本題へ。

ちなみに第27話の公式サイトのトリセツ
こちらです。
今回のトリセツは足利義昭上洛の道
今井宗久会合衆
そして岐阜城について
説明が書いてあるんですが
何気に足利義秋から義昭への改名についても
触れられてました。
でも若狭の武田氏についてはノータッチw

→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は永禄11年(1568年)7月スタート
ということで全員の年齢を加算。
追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなった
と判明した人物に関しては
こちらの一覧からは削除して
後述の亡くなった人を弔う章に
引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人とか
年齢設定不明な人以外の生年については
Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

1.1.足利義昭の美濃入りからの学び

美濃の立政寺
足利義昭一行が美濃の立政寺に到着
美濃に到着した足利義昭さまご一行は立政寺へ。
足利義昭ご一行を迎えるために信長さまは
和田惟政、不破光治、村井貞勝、島田秀満
の4名を越前に遣わしたと「信長公記」には
書かれています。
麒麟がくる」には後述する村井貞勝のみの
登場というのがちょっと寂しいです。

さてこの立政寺は
関ケ原の戦いでも徳川家康
休憩で寄ったお寺でもあるんですよね。
織田信長徳川家康いずれにとっても
その後の大きな分岐点の前に
このお寺と関わっていることは
ちょっとロマンを感じちゃいます。
www.gifucvb.or.jp


今週の〇〇を探せは村井貞勝
今週もクレジットに名前載ってるけど
どこにいるか探さないといけない人がいました。
それが村井貞勝
信長の野望・創造 戦国立志伝の村井貞勝
前述のとおり足利義昭公を美濃へ向かえるため
不破光治らと共に越前に出向いたうちの一人。

京での政務に活躍した人で十兵衛とも
何かと絡みは多いだろうし
そもそも本能寺の変の時も
二条城で十兵衛と相対することになります。
村井貞勝の詳細については
こちらの記事も読んで頂けると嬉しいです。
tsukumogatari.hatenablog.com

そんなわけでその村井貞勝を探したんですが
今回はそれほど難解でもなかったかもw
そしておそらく村井貞勝はこちら。
村井貞勝を探せ
多分あってると思うんですがw
演じているのは廣田高志さん。
舞台メインで活躍してる方なんですかね。
でも大河ドラマは今回で3作品目。
劇場版アニメの「ゲド戦記」にも
出演していたようですよ。

信長公記」にも記されている足利義昭への献上品
一千貫のお金を民草のためと考える足利義昭だが・・・
信長さまから献上されたお金を見て
真っ先に思い浮かんだのが民のこと。
この辺は「麒麟がくる」の足利義昭らしい。

信長公記」でもこのシーンのことが
もちろん書かれていて
宿所の一部屋に銅銭千貫文を積み上げて
太刀、鎧、武具、馬などの品々を
足利義昭に献上したとあります
千貫文っていうと以前こちらの記事で
書いた換算額で現代のお金に換算すると
tsukumogatari.hatenablog.com
1文=150円、1貫=千文なので
150×1000×1000=150,000,000円
一億五千万円ぐらい!
義昭公、宝くじに当たったようなもんですね(笑)

ちなみにこれを機に信長さまは
一刻も早く入京しようと決心したそうです。

また「信長公記」にはこれら所運上をを見た
足利義昭公の反応は書かれていませんが
信長さまのことを心強く思ったことは
間違いないでしょう。

前回ツッコミ忘れていた岐阜城
稲葉山城から岐阜城へ
前回書こうと思ってて忘れていました。
稲葉山城からしれっと
岐阜城に改名してたんですよね。
今回のトリセツに改名にまつわる話とかは
書かれているので、そちらに任せすることに。
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/27.htmlwww.nhk.or.jp

主人公が信長さまだったら
改名の話も盛り込んだりしたんでしょうけど
麒麟がくる」は十兵衛が主人公だし
そもそも「麒麟がくる」はいつもより話数が
少ないっていうのも影響しているんでしょうね。

足利義昭上洛に反抗する勢力六角氏
足利義昭上洛に抗するものは三好と六角のみ
信長さまが十兵衛に、今や我らを邪魔するのは
近江の六角と三好ぐらいだと言ってました。

ですが信長さまは最初から六角氏と争うことを
想定していたわけでもなかったようです。

信長公記」では足利義昭一行を出迎えてから
2週間後ぐらいに六角義賢(承禎)の下に
交渉のための使者を派遣しています。
その内容は以下のとおり。

  1. 足利義昭公ご上洛の保証のため人質を差し出し、相応の奉仕をすること
  2. 足利義昭公が晴れて将軍職に就いた際には六角氏を幕府の所司代に任命すること
ただしこれを六角氏が受け入れなかったために
信長さまは近江で六角氏と一戦交えることを
決意したのです。

ちなみに所司代
将軍の警護や京における治安維持を
担当する代官で
三好政権下では
松永久秀がその任を担い
信長さまの政権下では
前述の村井貞勝
その役目を果たしています。

信長さまの妹お市が嫁いだ浅井長政
お市の方が嫁いだ浅井氏は上洛に助力したいという
会話の中でしれっとお市さまが登場。
北近江の浅井長政の下へ嫁いでいました。
いつの間に?(笑)
そして浅井氏が足利義昭公の上洛に
助力を申し出てきた
と信長さまが言ってましたね。

確かに浅井氏は信長さまたちと共に
上洛部隊に加わっていて
六角氏との戦いでも活躍しています。

箕作山城に攻め入る話が出てきましたが
この箕作山城へ信長さまの命で攻撃したのが
佐久間信盛木下藤吉郎丹羽長秀
そして浅井氏一門の浅井政澄です。
浅井政澄については
こちらの記事にも書いていますが
tsukumogatari.hatenablog.com

浅井氏の宿老であり
浅井長政が六角氏からの独立を画策した際に
その後押しをしたのが遠藤直経
この浅井政澄と言われています。

ちなみに信長さまは上洛にあたって
兵を尾張、美濃、伊勢、三河の4か国から
かき集めたと言います。
三河からの兵の中には徳川家康の部隊も。
徳川家康自身は参陣していませんが
援軍として平信一の部隊を送っています。
この松平信一は戦働きに長けた武将で
この箕作山城の戦いにおいても
本丸一番乗りを果たして
信長さまから絶賛されています。

平信一については
前田利家の同級生の記事でも紹介しているので
よかったらこちらの同級生ランキング記事も
覗いてみてください。
tsukumogatari.hatenablog.com

1.2.十兵衛の京潜入からの学び

若狭の鯖は伏線?
見知らぬ山伏に声を掛けられて訝しむ木下藤吉郎
十兵衛より先に京へ潜入していた藤吉郎は
市で若狭の鯖を売ってました。
若狭っていうと今の敦賀市辺りなんですが
信長さま、いや十兵衛にも藤吉郎にとっても
因縁の地ですね。

信長さまは朝倉氏討伐のために
金ヶ崎城を攻めるわけですが
この金ヶ崎城
敦賀湾に突き出した海抜86mの小高い丘、
金ヶ崎山に築かれた山城で
別名、敦賀とも言われます。
南北朝時代には北陸落ちをした新田義貞
入場したお城です。

その金ヶ崎城から一望できる
若狭湾から捕れた鯖を
金ヶ崎の戦いで殿を務めた藤吉郎が
売りさばいているっていうのが
ちょっと何か意味ありげだな~
と考えるのは考えすぎ?
次回から朝倉攻めに入るっぽいしw

京で諜報戦を繰り広げる藤吉郎
織田の兵が10万もの兵で京へ押し寄せてくるという噂を流した張本人の木下藤吉郎
十兵衛より先に入京していた藤吉郎は
織田軍が京へ大軍で押し寄せくる
と触れ回っている様子。
要は扇動して敵を混乱させよう
という意図があるんでしょうね。
ちょうど平山優先生の「戦国の忍び」
読んでる際中なので
藤吉郎の扇動活動もそうだし
十兵衛の潜入活動も
忍びの任務とダブってみちゃいます。
『織田の兵は10万』
と言っていた商人ぽい人も
実は藤吉郎の手の者で忍びなのかも
とか思いながら見ていました。
戦国の忍び (角川新書)

戦国の忍び (角川新書)

平山優先生の「戦国の忍び」によると
例えば甲斐武田氏の忍び・透破(すっぱ)の任務は
敵地への潜入と諜報活動に加えて
武田軍の前後の索敵と安全確保、
野営の警固、敵軍の情報収集、伏兵、
敵の城塞への放火、城塞への籠城、
要人の暗殺といったものが
甲陽軍鑑に見られるそうです。

なんかこれ全部本当にやってるとしたら
忍び無しでは戦ってできないんじゃ?
と思うぐらい、任務が多彩ですよね。
きっと忍びによって得手不得手があるだろうし
役割分担もあったのでしょうね。

麒麟がくる」だと最近出ていないけど
菊丸が忍びっぽい行動をしていますよね。
でも「戦国の忍び」を読んでいると
実際は数多の忍びたちが人知れず
裏で活躍をしていたのかもしれないなぁ
てなことを思ったりします。
実在性がよくわからない存在なだけに
信憑性が増してくると
ちょっとわくわくしてきちゃいます。

流気丸と黄連丸ってなに?
何年ぶりかに会った十兵衛を見てびっくりする駒
昔の丸薬に詳しい人を求めますw

望月東庵先生が言っていた
流気丸黄連丸
どんな効能のある薬なんでしょう?
流気丸についてはググっても
よくわかりませんでした。
名前の通りだとすると気の流れをよくする薬?w

同じく黄連丸もよくわからないんですけど
黄連解毒丸っていうのが
現在でも売られていて
これと同じなんですかね?

【第2類医薬品】ウチダの黄連解毒丸 30丸×12包

【第2類医薬品】ウチダの黄連解毒丸 30丸×12包

  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
以下はウチダ和漢薬さんのサイトにある
ウチダの黄連解毒丸の効能・効果の引用です。

体力中等度以上で、のぼせぎみで顔色赤く、いらいらして落ち着かない傾向のあるものの次の諸症:
鼻出血、不眠症神経症、胃炎、二日酔、血の道症注)、めまい、動悸、更年期障害、湿疹・皮膚炎、皮膚のかゆみ、口内炎

<効能・効果に関連する注意>
注)「血の道症(ちのみちしょう)」とは、月経、妊娠、出産、産後、更年期など女性のホルモンの変動に伴って現れる精神不安やいらだちなどの精神神経症状および身体症状のことである。

引用元:ウチダの黄連解毒丸(オウレンゲドクガン) - ウチダ和漢薬(旧サイト)

効能はいろいろあるみたいだけど
もしかして女性だとお世話になる機会が
多かったりするお薬でしょうか。

トリセツでこういうのも説明してくれないかなw

三好長逸の身内、三好長虎とは
三好長虎の家臣と名乗る者たちが藤吉郎を取り囲む
望月東庵先生のところに療治に来ていたのが
なんと三好三人衆の一人
三好長逸のお身内だそうで。

それ誰なんだろうと思ったら
藤吉郎を問い詰めていたそのお身内の家臣から
誰だか判明しました。

三好長逸のお身内は三好長虎

三好長虎は三好長逸のことを書いた
こちらの記事でも少し出てきますが
tsukumogatari.hatenablog.com
三好長逸の嫡男です。
三好長虎といえば
山科言継が残した日記『言継卿記』に登場します。
そこには天文19年(1550年)に起きた東山の戦い
三好長虎の与力の一人が幕府軍の鉄砲に当たって
戦死したことが書かれています。
これは日本で初めて
戦で鉄砲が使用された例と
されているのだとか。

三好長虎が永禄の変に加わっていたのかは
不明なんですが、三好三人衆と行動を共にして
三好三人衆勢力との戦いで活躍したようです。
いつ頃亡くなったのかはわかっていませんが
残っている書状からすると
少なくとも元亀元年(1570年)頃までは
生存していたようです。

おそらく「麒麟がくる」では
今回の名前のみの登場で終わるのかな?

足利義栄の死
旗印を失った三好勢はまとまりに欠けるという今井宗久
足利義栄公が亡くなりました。
今井宗久のセリフによって(笑)

『三好さまが担がれた旗印は
摂津で倒れてしまわれた』

この一言で既に足利義栄が亡くなったことは
伝わりましたが
やっぱり足利義栄は予想通り
一度も言葉を発することなく
麒麟がくる」から退場に。
もしかしたら三好三人衆
全員セリフは無いのかもしれないですね。

足利義栄公が亡くなられた日については
諸説あるんですけれども
麒麟がくる」だといつなんでしょう。

諸説ある中で一番早いのは
9月13日なんですが
9月13日頃って「信長公記」だと
信長さまが上洛途上真っただ中で
六角氏の箕作山城を攻め始めたのが
9月12日、
六角義賢・義治親子が立て籠もる
観音寺城攻めを開始したのが
9月13日。
麒麟がくる」ではそれより前に
十兵衛が今井宗久と対面してるので
ちょっと時期が合わないんですよね。

ということは足利義栄
9月入る前には
もう亡くなってる世界線なのかなぁ。

いずれにしても足利義栄公は
一度も入京することがなかったばかりか
一度も声を発することなく
永眠されてしまいました。
合掌。

今井宗久との約束
帰蝶さま繋がりで十兵衛のことを既に聞き及んでいた今井宗久
今井宗久が信長さま上洛にあたって
いろいろ条件をつけてきましたね。
武装せずに入京しろとか
反抗勢力存在する中でそれって
無理難題では?
と思いながら見てました(笑)

その辺のことは「信長公記」に
一切記述がありませんけれども
信長さまの入京にあたって有名なのは
厳重な警備と治安秩序の徹底です。
京に入っても下々の兵たちが
いらぬ騒ぎをおこさぬように
無法な行いをしたものに対しては
厳罰を処すという御触れを出したことで
織田家の軍勢で荒事を起こす者もなく
治安が乱れることはなかったそうです。

そもそも今井宗久の出した条件って
京を荒らされたくない
という一心からのものなわけですが
この約束を破る人いますよね、後々。
明智十兵衛光秀というお方が(笑)

十兵衛が謀叛を起こすことで
平穏が訪れかけていた京に
また争いごとが舞い込んできますしね。

今井宗久はこう言ってました。
『私が好きなこの京の町には火はかけぬと。』
後々本能寺を大炎上させる十兵衛に対して
言ってるのがちょっとシュールでした(笑)

十兵衛と茶の湯
明智十兵衛光秀は茶の作法をどこで学んだのか
今井宗久の点てたお茶を
作法に従って飲む十兵衛。
十兵衛は茶の湯にもよく通じた文化人
と言われています。
そして信長さまから
最初に「ゆるし茶湯」を認められた
12名の中の一人にも選ばれています。
「ゆるし茶湯」とは
信長さまが所持する茶器を家臣に与えて
それ使って茶会開いてもいいよ
というもので
この許しを与えられることも
一つのステータスだったわけです。
そして以下がその時の12名。
  1. 織田信忠
  2. 武井夕庵
  3. 林秀貞
  4. 滝川一益
  5. 細川藤孝
  6. 明智光秀
  7. 荒木村重
  8. 長谷川与次
  9. 羽柴秀吉
  10. 丹羽長秀
  11. 市橋長利
  12. 長谷川宗仁
当然超一流文化人の細川藤孝もいますね。

まだ先の話ではあるんですけど
上洛した薩摩の島津家久
明智光秀に接待されるんですが
茶会にも招かれているんですよね。
麒麟がくる」だとそんな細かいことを
描く余裕はないかもしれないけど
ちょっと期待してしまいます。

1.3.超高速上洛戦からの学び

稲葉一鉄既に重臣扱い?
入京する際には武装を解くことを織田信長に進言する明智十兵衛光秀
入京する際の武装解除
十兵衛が提案したことで
織田家重臣たちが大騒ぎしてましたが
その中に稲葉良通もいました。

ちょっと前まで斎藤家の重臣だったのに
織田家でも、もう重臣扱い?(笑)

まぁでも特に「麒麟がくる」の稲葉良通
ズルくうまく生きていくタイプっぽいから
上手いこと信長さまに取り入ってそう。

ただ箕作山城攻めの際には
信長さまは稲葉良通どころか
西美濃三人衆の氏家卜全安藤守就職も
戦に出さなかったっぽいことが
信長公記」には書かれています。

三人とも美濃の兵を先鋒で使うだろうと
覚悟していたのに
信長さまの馬廻り衆だけで終わらせたために
「意外ななされようだ」
と不思議に思ったそうです。
信長さまとしては最も信頼のある部下たちに
任せる方が安心だったっていうのはあるのかも?

3秒からかず戦に敗れた六角氏(笑)
織田信長の上洛戦、六角承禎との戦い
観音寺城の「か」の字も出てきたかどうか
覚えてないぐらい
あっさり六角氏は敗退したことに。
といっても、箕作山城を落とした時点で
六角親子は観音寺城から逃亡していたし
観音寺城を制圧する際にも
残党勢力もあっさり降参したようなので
あながち間違いでもないのかも?

ただ六角氏としては
一度体制を整えるべく
甲賀へ向かったのであって
逃げたつもりでもないし
負けたとも
まだ思っていないかも?(笑)

先々代の六角高頼の代に
室町幕府から六角討伐令が出された際にも
甲賀に潜んでゲリラ戦を展開し
見事幕府軍を打ち破ったという歴史もあるので
六角氏としてはそういう戦い方が基本だし
これ以降も、織田家に対して
何度も抵抗し続けます。
信長さまが鉄砲で暗殺されかけたりとかも。
といってもこの辺あんまり細かく描く余裕は
ない気がするので
六角氏はもう露と消えてしまうのだろうか(笑)

近江制圧後一気に入京早くない?
武装せずに入京した織田信長の軍勢
ビックリするぐらい近江制圧から
入京までが一瞬でした(笑)
信長公記」ベースで
信長さまの上洛戦あたりの出来事を
時系列に載せてみます。
  1. 9月7日 織田信長軍、美濃から出陣
  2. 9月12日 佐久間信盛らに箕作山城攻めを命じて陥落させる
  3. 9月13日 既に六角義賢は逃亡済みの観音寺城を制圧
  4. 9月14日 不破光治を迎えとして足利義昭一行の下へ派遣
  5. 9月21日 足利義昭一行が柏原の上菩提院で宿泊
  6. 9月22日 足利義昭ご一行、桑実寺に到着
  7. 9月24日 織田信長軍、守山へ進出
  8. 9月25日 織田信長軍、志那と勢田の渡船の都合がつかず駐留
  9. 9月26日 織田信長軍、琵琶湖を渡り三井寺極楽院に到着
  10. 9月27日 足利義昭ご一行、琵琶湖を渡り三井寺の光浄院に到着
  11. 9月28日 織田信長軍、東福寺に陣を移す
  12. 9月28日 柴田勝家らに先陣を命じて三好三人衆の一人・岩成友通の守る青竜寺城方面を攻撃
  13. 9月29日 織田信長青龍寺方面へ出陣、寺戸の寂照院に陣を取る
  14. 9月29日 岩成友通降伏
  15. 9月30日 織田信長軍、山崎に着陣、先陣は天神の馬場にて陣を取る
  16. 9月30日 芥川城に立て籠もっていた細川昭元三好長逸が夜になって退城
  17. 9月30日 三好重臣の篠原長房の居城、越水・滝山城も退城
         この間に足利義昭ご一行は芥川城へ移動
  18. 10月2日 織田信長軍、池田の池田勝正の居城を攻撃、池田勝正降伏
         織田信長軍、芥川城へ引き揚げる
  19. 10月某日 松永久秀織田信長に茶入れ「九十九髪」を献上する
  20. 10月某日 今井宗久が名物の茶壷「松島」武野紹鴎旧蔵の茶入れ「茄子」を献上
  21. 10月14日 足利義昭一行、芥川から帰京し六条の本国寺へ移る
この辺が信長さまの上洛戦のあらましです。
次回の冒頭とかで少しこの辺の説明あるのかも?

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものですが
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。

戦国 戦(いくさ)の作法

戦国 戦(いくさ)の作法

  • 発売日: 2018/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
戦国の忍び (角川新書)

戦国の忍び (角川新書)

立政寺|岐阜観光コンベンション協会
村井貞勝 - Wikipedia
廣田高志 - Wikipedia
松平信一 - Wikipedia
金ヶ崎城 - Wikipedia
ウチダの黄連解毒丸(オウレンゲドクガン) - ウチダ和漢薬(旧サイト)
足利義栄 - Wikipedia

2.あとがき

足利義昭、織田信長らと共に入京した明智十兵衛光秀
麒麟で学ぶ」第27回目はいかがでしたか?
感想、ご意見等あればコメントをお気軽に。

さて信長さまも
だいぶ力をつけて
貫禄も出てきた感があるけど
やっぱり織田家真のボスは帰蝶さま
みたいですよね(笑)
今井宗久もべた褒めだったし
京や堺では帰蝶さま超有名人みたい。

その帰蝶さまが信頼する人物として
十兵衛の名前が知れ渡ってそうなのが
ちょっと面白いw
本人は越前で10年以上引き籠ってたのに
勝手に十兵衛の名が独り歩きしているのも
帰蝶さまが十兵衛を想って
ワザとそう吹聴していたのかも
なんてことを思ったり思わなかったり。

そして新たな出演者の発表がありました!
https://www.nhk.or.jp/kirin/news/news_201016.htmlwww.nhk.or.jp
なんと成長したたま(ガラシャ)を
芦田愛菜さんが演じるらしいです。
既に悟りの境地を開いてそうな芦田愛菜さんが
キリシタンとなるたまを演じるっていうのが
なんだかエモい気がします。

そしてようやく発表された斎藤利三の配役
仮面ライダー龍騎須賀貴匡さんw
須賀さんは大河はもう5回目の出演になります。
前回が「花燃ゆ」で戦国時代のだと
軍師官兵衛天地人に出演しています。
個人的には仮面ライダー龍騎役と
少し前に見た映画デッド寿司での出演が
印象に強く残ってる方です。

斎藤利三ってイケメンでいいんだろうか
と思いながらも
どんな斎藤利三に仕上がるのかとても楽しみ。

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日


by ヨメレバ

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: ムック
 

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


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このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:1540年生年説も有り。

*2:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。

*3:麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。

*4:信長の野望ベースなら享年23歳。

*5:麒麟がくる」では亡くなっているかどうかの言及はなく、東庵先生も生死どちらとも取れる感じで話している。

*6:信長の野望ベースなら享年42歳。桶狭間の戦いの前哨戦、丸根砦の戦いで討死しているが「麒麟がくる」では語られていない。

*7:実際に亡くなったのは21話と22話の間の期間だが、19話で既にナレ死してます。。。

*8:信長の野望ベースなら享年30歳。桶狭間の戦いの後、今川家からの自立を目指した松平氏との戦いにて戦死。

*9:麒麟がくる」では桶狭間の戦いから4年間がカットされてしまったこともあって、その死を語られることもなかった。

*10:没した月日は9月13日、9月30日、10月1日、10月8日、10月20日、10月22日など諸説ある。

*11:1540年生年説もあるのでその場合だと享年29歳。