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NHK大河ドラマに登場した山中鹿之介|歴代俳優一覧と出演作品まとめ

NHK大河ドラマに登場した山中鹿之介|歴代俳優一覧と出演作品まとめ

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」の逸話で知られる山中鹿之介

主家・尼子氏の再興にその生涯を捧げた山陰の麒麟児は、大河ドラマにも何度か登場しています。

そこで本記事では、山中鹿之介が登場したすべての大河ドラマ作品を紹介!

演じた歴代俳優の一覧や、各作品での描かれ方もまとめて解説します!

NHK大河ドラマで放送された山中鹿之介の登場作品一覧(1965年〜2014年)

山中鹿之介の石像

山中鹿之介が登場した大河ドラマは、1965年の『太閤記』から2014年の『軍師官兵衛』まで4作品です。

鹿之介は尼子氏という山陰地方の戦国大名の家臣であり、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった「天下人」の物語の中心に位置する人物ではありません。

そのため、中央政権の動きを軸にした作品では出番がどうしても限られます。

一方で、毛利元就を主人公にした作品や、播磨・中国攻めを描いた作品では、対立する尼子方あるいは尼子氏再興の象徴的人物しやすいです。

そんな山中鹿之介が登場した作品と演じた俳優を、表にまとめました。

NHKオンデマンドで見れるので、見返したい作品や気になる作品があればぜひ視聴してみてください。
※『太閤記』は1話のみ。それ以外は全話配信中。

作品タイトル 放送年 演じた俳優 主人公
太閤記 1965 神山 繁  
秀吉 1996 梅垣 義明  
毛利元就 1997 山田 純大  
軍師官兵衛 2014 別所 哲也  

山中鹿之介登場作品と演じた俳優の一覧

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山中鹿之介を演じた歴代俳優一覧【全4作品・4名】

NHK大河ドラマで山中鹿之介が登場した作品は、前述のとおり4作品です。

演じた俳優も作品数と同じ4名

各作品でどのような鹿之介が描かれてきたのか、見ていきましょう。

歴代の山中鹿之介俳優

複数回、山中鹿之介を演じた俳優

大河ドラマで、山中鹿之介を複数回にわたって演じた俳優はいません

4作品すべてで異なる俳優が起用されており、同じ俳優が再び演じたケースは一度もありません。

大河ドラマ全体では同一人物を同じ俳優が再演するケースもあるものの、基本的には毎回異なる俳優が起用されるのが通例です。

山中鹿之介を1度だけ演じた俳優一覧

各作品で山中鹿之介を演じた俳優と、代表作・特徴を以下にまとめました。

俳優 作品タイトル 代表作・特徴
神山 繁 太閤記
(1965年)
文学座出身の名脇役。
海軍経理学校卒業の異色の経歴を持ち、TBS『ザ・ガードマン』や映画『日本のいちばん長い日』『華麗なる一族』『ブラック・レイン』など、知的で重厚な役柄を中心に活躍。
大河ドラマには『太閤記』を皮切りに9作品に出演。
梅垣 義明 秀吉
(1996年)
劇団WAHAHA本舗所属の俳優・コメディアン。
「歌姫」として女性歌手のものまね芸を持ち味とし、舞台を中心に幅広く活動。
テレビドラマ『はみだし刑事情熱系』『相棒』なども出演。
山田 純大 毛利元就
(1997年)
俳優・歌手の杉良太郎を父に持つ俳優。
1997年のNHK連続テレビ小説『あぐり』で俳優デビューし、同年の本作でほぼ同時期に大河初出演。
以後『水戸黄門』『鬼平犯科帳』『半沢直樹』など、ドラマや時代劇に多数出演している。
別所 哲也 軍師官兵衛
(2014年)
1990年の日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビューし、翌年『波の数だけ抱きしめて』で日本アカデミー賞新人賞を受賞。
映画・ドラマ・舞台・ミュージカル『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』など幅広く活躍。ショートショートフィルムフェスティバル&アジアの代表も務める。

山中鹿之介を演じた俳優と代表作・特徴

 

近年で印象に残っているのは、2014年の『軍師官兵衛』で演じた別所哲也さんでしょうか。

長身で端正な容貌を活かし、尼子家再興にすべてを賭ける猛将としての存在感を発揮。

主人公・官兵衛と意気投合する熱い武将像が描かれ、上月城での悲劇的な最期まで印象的に演じきりました。

幼少期・青年期で俳優が分かれるケース

山中鹿之介の場合、幼少期と成人後で俳優が分かれた作品はありません

そもそも鹿之介の前半生は確実な史料が乏しく、生年すらはっきりしないなど不明な点が多い人物です。

さらに、大河ドラマでは尼子氏滅亡(1566年)以降の再興運動から登場するなど、すでに成人した姿として描かれるため、子役を立てる必要がないケースが大半です。

仮に幼名「甚次郎」を名乗っていた時代から描く作品が登場すれば、子役と成人俳優で分かれる可能性もあります。

その場合、鹿之介が主人公になるか、尼子氏が中心の大河ドラマの必要があり、現実的には実現がむずかしそうです。

俳優ごとの起用傾向と演技スタイル

月山富田城にある山中鹿之助慰霊碑

山中鹿之介は主人公級の人物ではないものの、登場すれば一時的にでも必ずインパクトを残す「山陰の麒麟児」です。

三日月に七難八苦を祈る忠義の士という強烈なキャラクター性を体現するには、短いシーンでも一目で心をつかむ存在感が必要でしょう。

そのため、純粋な二枚目俳優よりは、骨太な演技力と独自の個性を持つ俳優が選ばれてきた傾向があると言えそうです。

山中鹿之介が主人公として描かれた大河ドラマは?

山中鹿之介が主人公として描かれた大河ドラマはまだありません

尼子家再興にすべてを賭けた生涯は物語性に富んでいます。

しかし活躍の舞台が山陰地方に偏り、見せ場も再興運動の各局面に限られます。

最終的には阿井の渡しで騙し討ちで殺されてしまうため、1年間放送する大河ドラマの主人公としては物足りないかもしれません。

2時間スペシャルドラマのような枠で、じっくり描くほうが向いている武将ではないかと考えています。

大河ドラマの山中鹿之介によくある質問(FAQ)

大河ドラマに登場する山中鹿之介に関して、よくある質問をまとめました。

山中鹿之介によくある質問

山中鹿之介は何をした人?

月山富田城本丸跡

山中鹿之介(1545年頃〜1578年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて山陰地方で活躍した武将で、出雲国・月山富田城を本拠とした尼子氏の家臣です。

諱は幸盛(ゆきもり)で、本人の自筆書状には「鹿介」と署名されています。

しかし講談などで広まった結果、現在では「鹿之介」「鹿之助」「鹿助」など複数の表記が併存し、いずれの表記でも通用するのが特徴です。

幼名は甚次郎。

優れた武勇から「山陰の麒麟児」と呼ばれ、尼子十勇士の筆頭尼子三傑の一人としても知られています。

永禄9年(1566年)、毛利元就の攻撃により主家・尼子氏が滅亡すると、鹿之介は再興運動に身を投じます。

京都の東福寺で僧侶となっていた尼子勝久を還俗させて主君に擁立し、出雲・因幡・播磨と舞台を変えながら3度にわたって尼子家再興を目指して戦いました。

最終的には織田信長配下となり、羽柴秀吉の中国攻めに従って播磨・上月城を拠点としましたが、毛利軍の大軍に包囲されて降伏。

天正6年(1578年)、毛利輝元のもとへ護送される途中で暗殺され、その生涯を閉じました。

後世への影響力も絶大で、コーエーの『信長の野望』シリーズでは1988年発売の第3作『戦国群雄伝』から登場し、武勇に優れた猛将武将として高い能力値で描かれることが多い人気キャラクターです。

『戦国BASARA4』『戦国無双5』などのゲームにも登場し、『桃太郎電鉄』シリーズでも歴史ヒーローとして姿を見せるうえ、藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』にも登場します。
※のび太のパパが楽をしようとするのび太を諭す際、「我に七難八苦を与えたまえ」と祈った戦国武将として鹿之介の逸話を引用している。

戦国武将のなかでも、これだけ多様な分野で繰り返し登場するキャラクターは珍しいかもしれません。

山中鹿之介の終焉の地はどこですか?

山中鹿之介の終焉の地は、備中国・阿井の渡し(現在の岡山県高梁市落合町阿部)とされています。

天正6年(1578年)、播磨・上月城が毛利軍の大軍に包囲され、織田の援軍も得られず孤立した尼子再興軍は降伏。

主君・尼子勝久は切腹し、鹿之介は捕虜となって毛利輝元のいる備中松山城へ護送されることになります。

しかしその護送の途中、阿井の渡しで毛利家臣の河村新左衛門・福間彦右衛門らによって謀殺されたと伝わります。

山中鹿之介の子孫は?

山中鹿之介の子孫として最もよく知られているのが、江戸時代に日本最大の財閥を築いた鴻池家です。

鴻池家の家伝によれば、鹿之介の長男・山中幸元(鴻池新六)は、父の死後、9歳で流浪の身となり、大叔父・山中信直を頼って摂津国川辺郡鴻池村(現在の兵庫県伊丹市鴻池)に移住しました。

幸元は武士の身分を捨て酒造業を始め、清酒の醸造に成功して財を成します。

後に大坂へ進出して両替商も営み、江戸時代を通じて「日本の富の七分は大阪にあり、大阪の富の八分は今橋にあり」と謳われるほどの大商家・鴻池財閥を築き上げました。

この鴻池の系譜は明治以降も続き、明治8年に設立された第十三国立銀行を経て、昭和8年に三和銀行となり、現在の三菱UFJフィナンシャル・グループへと繋がっています。

ただし、鹿之介と鴻池新六の親子関係には異説もあります。

鹿之介の実子は娘の八重姫のみで男子はなかったとする説です。

1937年(昭和12年)には、八重姫の直系子孫である山中三郎と鴻池家の間で「どちらが正統な鹿之介の直系子孫か」を巡る裁判が行われ、山中三郎側が勝訴したという経緯もあります。

確実な系譜については議論が残るものの、いずれにせよ「山陰の麒麟児」の血を受け継ぐとされる人々が、後世にまで大きな足跡を残したことは間違いありません。

山中鹿之介のゆかりの地は?

山中鹿之介ゆかりの地として、まず挙げられるのが島根県安来市の月山富田城跡です。

尼子氏の居城であり、鹿之介が主家再興を誓った地として知られます。

山頂までの登城路や本丸跡からは、戦国の山陰の風景を一望できます。

同じ安来市内には、三日月に祈る姿で名高い山中鹿介幸盛祈月像があります。

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈る姿を表現した銅像で、鹿之介ファンには欠かせない撮影スポットです。

また、月山富田城の麓には山中鹿介幸盛屋敷趾もあり、鹿之介の生まれ育った地として伝わります。

 

そして、終焉の地である岡山県高梁市には山中鹿之助幸盛公之墓があります。

阿井の渡しで毛利方に謀殺された鹿之介の最期の地として、今も多くの参拝者が訪れます。

少し変わり種なのが、長野県南相木村にある山中鹿之助幸盛・生誕地資料館です。

鹿之介の出生地には信濃国の見上城出生説もあり、地元には「信濃出身説」を裏付ける資料が展示されています。

出雲生誕説が通説とはいえ、鹿之介の前半生には謎が多く、こうした諸説の存在自体が彼の伝説性を物語っています。

 

山中鹿之介の逸話を知りたいです

山中鹿之介には、その忠義と武勇を物語る数々の逸話が伝わっています。

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」

鹿之介の逸話のなかで最も有名なのが、三日月に向かって「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったというエピソードです。

主家・尼子氏の再興という途方もない大事業を成し遂げるためには、いかなる困難も乗り越えてみせるという凄まじい決意の表れとされています。

主君のために自ら苦難を願うこの姿勢は、江戸時代以降「忠義の鑑」として講談などで広く語り継がれ、明治以降は道徳教育の教材にも採用されました。

藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』第8巻「くろうみそ」でも、のび太のパパがこの逸話を引いてのび太を諭す場面があり、昭和を生きた人々にとっては馴染み深い名言となっているようです。

品川大膳との一騎打ち

永禄8年(1565年)、第二次月山富田城の戦いの最中、鹿之介は石見の国人・益田藤兼の家臣で弓の名手・品川大膳と一騎打ちを行ったと伝わります。

大膳は鹿之介に対抗して「棫木狼之介勝盛(たらのきおおかみのすけかつもり)」と名乗りました。

「鹿が角を落とす植物・棫木」「鹿を食う狼」「幸盛に勝つ勝盛」と縁起を担いだ名前ですが、鹿之介は見事これを討ち取り、その武名を轟かせました。

1997年大河ドラマ『毛利元就』では、この一騎打ちのシーンが描かれ、山田純大さん演じる鹿之介の見せ場となっています。

厠からの脱出劇

第一次尼子再興運動に敗れて毛利方に捕らえられた鹿之介は、伯耆・尾高城に幽閉されました。

そこで赤痢を装い、一晩中何度も厠(トイレ)に通って監視を油断させ、便所の穴から脱走したという逸話が残っています。

脱出後はそのまま因幡へ逃れて尼子再興運動を再開し、絶望的な状況からも諦めない不屈の精神を象徴するエピソードとして語り継がれています。

織田信長が与えた駿馬「四十里鹿毛」

第三次再興運動に向け、鹿之介は織田信長に接近して謁見します。

信長は鹿之介を「良き男」と絶賛し、「四十里鹿毛」という駿馬を与えたと伝わります。

戦国の革新者として知られる信長が、滅亡した尼子家の遺臣に過ぎなかった鹿之介を高く評価したというこの逸話は、鹿之介の人物的魅力を物語るものとして広く知られています。

山中鹿之介に関連する本や小説でおすすめは?

山中鹿之介についてさらに深く知りたい方に、おすすめの本を紹介します。

【英雄にっぽん(角川文庫) 池波正太郎 著 Kindle版あり】

『鬼平犯科帳』『剣客商売』で知られる池波正太郎が描く、山中鹿之介の生涯を題材にした歴史小説です。

主家・尼子家の再興にすべてを捧げた鹿之介の波乱の人生を、池波らしい骨太な筆致で描いた一冊。

山中鹿之介を主人公にした小説のなかで、もっとも入手しやすく読みやすい作品としておすすめです。

【尼子氏関連武将事典 妹尾豊三郎 著、島根県広瀬町観光協会 編集】

山中鹿之介が仕えた尼子氏に関連する武将を網羅した事典です。

鹿之介はもちろん、尼子経久・晴久・義久・勝久ら歴代当主や、尼子十勇士、家臣団の人物像までを丁寧に解説。

地元・島根の研究成果が反映されており、尼子家全体を理解するうえで貴重な一冊です。

【出雲尼子一族(読みなおす日本史) 米原正義 著】

出雲を本拠とした尼子一族の歴史を、戦国大名としての興亡という視点から解き明かす研究書です。

尼子氏の隆盛と滅亡という大きな流れのなかで、鹿之介の再興運動がどのような意味を持っていたかを理解するのに役立ちます。

学術的な視点から尼子氏と鹿之介を深く知りたい方におすすめです。

まとめ|大河ドラマで描かれてきた「山中鹿之介像」の変遷とその魅力

山中鹿之介は、1965年の『太閤記』から2014年の『軍師官兵衛』まで、4作品の大河ドラマに登場してきました。

登場作品の数は決して多くありませんが、いずれの作品でも視聴者に確かな印象を残してきた存在感のある武将といえます。

主人公として描かれた作品はまだないものの、いつの日かスペシャル枠などで彼の波乱の生涯がじっくり描かれる日が来ることを期待したいところです。

次の山中鹿之介は、だれがどんなスタイルで演じることになるのか!?

 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!