ツクモガタリのINDEXページ

ツクモガタリのINDEX

こちらは当サイトのINDEXページです。
カテゴリ毎にどんな記事を書いているかの説明と
カテゴリ内から一部の記事をピックアップしつつ
記事一覧へのリンクを紹介しています。
ただし歴史人物に関する記事に関しては
基本的にピックアップ記事ではなく
取り上げた人物を五十音順に全て挙げています。

こちらのページを基点に各種記事を参照して頂けると嬉しいです。

1.麒麟で学ぶ

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」から学びを得る「麒麟で学ぶ」シリーズ

NHK大河ドラマ麒麟がくるから学びを得るために始めたシリーズ。
一話単位で記事を作成しているので#47まで続く予定です。
自分自身の知識を深めるために始めたものですが
放送を見た後にこちらの記事を楽しみにしてくださる方もいるのが
とても励みになっています。

PICK UP

その他はこちらの一覧から。

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2.歴史人物

歴史上の人物を紹介する歴史人物語りシリーズ

2.1.歴史人物語り

歴史人物語りで取り上げた人物たちのページへのリンクを
五十音順に掲載しています。現在総勢149名です。
戦国時代中心になっていますが他の時代の人物も
徐々に増やしていきたいです。

【あ行】

【か行】

【さ行】

【た行】

【な行】

【は行】

【ま行】

【や行】

【ら行】

2.2.まとめ記事

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2.3.歴史人物語り番外編

麒麟がくる特集

NHK大河ドラマ麒麟がくる」の放送一か月前ぐらいから始めたシリーズで
放送前に独断と偏見によって選んだドラマの謎や明智光秀の謎を
好き勝手に語っています。
歴史をあまりご存知でない方にとっての
放送前予備知識にもなったようなならないような(笑)
もちろん放送開始後に読んでもらっても構いません。
こいつテキトーなこと書いてたんだなぁと笑ってやってください(笑)

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大河ドラマに取り上げてほしい人物

NHK大河ドラマ主人公として取り上げてほしい人物
私が好きな戦国時代の人たちに絞って書いています。
正直、いくらでもいるので折を見て第3弾以降も書くと思います。

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その他

歴史人物語り#26で岸信周を取り上げた際に
Twitterのフォロワーさんから教えてもらった東農に関するマンガの紹介記事です。
現状どの分類にも入らないので「その他」に分類しました。

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3.ブログ運営

ブロガーさんに役立つ情報をまとめたブログ運営シリーズ

私自身がブログを運営していて気付いたこと、学んだことなどを中心に書いています。
特にGoogleサーチコンソールに登録する際に
ブロガーなら誰でも知るであろうサイトマップに関する記事については
多くの方に正しい知識をと思って仕様等から調べて書きました。
サイトマップについて曖昧な知識をお持ちの方は是非一読してみてください。

PICK UP

その他はこちらの一覧から。

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4.15分ライティング

15分で書けなかったらボツ!15分ライティング

15分ライティングは以下のルールに基づいて書いている記事です。

  • 下書き無しで15分で書き上げる
  • 15分以内で書き終えた文章の推敲はおこなわない
  • 15分で書き上げられなかったらその記事はボツ
  • 15分はあくまでも本分の文章作成のみの時間で、
    装飾だったり何かしらのリンク貼りなどは含まない

というわけで基本的に頭の中にある考えを
湯水の如くアウトプットするトレーニンをしようと思って
こんなルールになってます。
内容が薄っぺらいと思うような記事が多かったりしたら
それは私のスキルがまだまだ未熟という証拠です(笑)

PICK UP

その他はこちらの一覧から。

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5.ゲーム

マイクラや信長の野望シリーズなどのゲームプレイシリーズ

現時点ではマインクラフト信長の野望・創造 戦国立志伝のプレイ日記のみ。
ゲームプレイをブログに起こすのって結構大変だなぁと
やってみて実感してます(笑)
しばらく休み気味ですが、またそのうち書くと思います、たぶんw

信長の野望・創造 戦国立志伝

PICK UP

その他はこちらの一覧から。

マインクラフト

PICK UP

その他はこちらの一覧から。

その他のゲーム関連

PICK UP

 

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6.Amazon

Amazonプライムで見た映画やドラマの感想がメインのシリーズ

Amazonプライムで視聴できる映画やドラマを見た感想が中心です。
書く頻度は低めですが何かしら感じて発信したいことがあれば書くでしょう。

PICK UP

その他はこちらの一覧から。

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7.雑談

どこにも分類されない記事はすべて雑談

前述までのカテゴリに入らないものは全て雑談として扱っています。
分類作っても良さそうなのもあるかもですが、
それは今後の記事次第でしょう。
Windows10で使ってるショートカットキーの記事
何故か(?)Google砲が着弾しました。
身近な記事の方が読まれやすいのかな?

PICK UP

その他はこちらの一覧から。

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8.毎月のブログの振り返りと目標設定

毎月のブログ生活を振り返り、翌月以降の目標設定をするシリーズ

ブログ運営の活動報告記事のようなものです。
毎月を振り返り、改善点を見出しながら次の目標設定をすることで
成長を感じることができるし前に進んでいることも実感できる。
ブログ継続のモチベーション向上手段の一つです。
私と同じようにブログを運営してる方のお役に
少しでも立てることが出来れば、という思いも込めて。

PICK UP

その他はこちらの一覧から。

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麒麟で学ぶ#32 「麒麟がくる」第32話は家族に力をもらう十兵衛と反織田勢力を理解できない信長さまの回

「麒麟がくる」第32話は家族に力をもらう十兵衛と反織田勢力を理解できない信長さまの回
麒麟で学ぶ」
第32回目です。
今回の記事を読むと以下の事がわかります。

  1. 顕本寺の霊木・蘇鉄
  2. 姉川の戦いに至るまで
  3. 信長さま暗殺未遂事件
  4. 森可成の奮戦
  5. 志賀の陣
  6. 勝ち虫が暗示するもの←
麒麟がくる」では一瞬で過ぎた出来事を
うまく簡潔に補完していきたいと思う所存。

さて本シリーズの前提事項的なものを
毎回0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると
助かります。
既に読んだことのある方は
読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは「麒麟がくる」の
ネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃して
まだ視聴されていない方は
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオ
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれると
いいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

しかしネタバレ含んでいるけど、
本記事を読んでから視聴すると
少し前提知識が入った上での視聴になるので
それはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分については
こちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる公式サイト

www.nhk.or.jp

公式Twitterもブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめるので
まだの方は是非とも。
Instagramもあります。

0.本記事を読むにあたっての前提など

1.「麒麟がくる」第32話「反撃の二百挺(ちょう)」からの学び

姉川の戦いに参陣していた明智十兵衛光秀、しかし史料上に名前が挙がっていたことはないw
まずは全体の感想から。
姉川の戦いが超高速で終わったこと自体は
そんなに驚いていなかったりします。
尺の関係もあるかもだけど
そもそも十兵衛が姉川の戦いに参戦してたかは
よくわかりませんからね。
史料上名前は残ってないのでは。
それよりかは十兵衛が活躍したと言われている
比叡山の焼き討ちを
しっかりとストーリーに盛り込んだ方が
話に真実味も加わって面白くなるだろうと。
志賀の陣とかも飛ばされ気味で
活躍の場を失った武将たちがいるけれども(笑)
そういう武将たちに関しては
私が補える分は補ってあげればいいですしね。

ただちょっと気にかかるのは・・・
駒の人脈が広すぎる?
まぁこの辺の話はnoteにでも書くことにします(笑)

47.駒と足利義昭との関係を危惧しあの場で話したことは全て公方さまに伝わると忠告する木下藤吉郎
それにしても藤吉郎の情報網は
やっぱりちょっと怖い。
駒の前で話したことは
全て公方様に話したも同然と思えという忠告、
それは本当にそうなんだけど
もはや京で起こっている出来事であれば
何でも知っているのではなかろうか。
噂と言いつつ裏取りもきちんとしてそうだし
十兵衛には本当に気を付けてほしい(笑)
というのはストーリー上の刷り込みで
誰よりも一早く情報を入手できる藤吉郎だから
本能寺の変をいち早く察知することが出来た
みたいな先入観を植え付けるために
作り手がバラまいている種の一つ
かなw

といったところでそろそろ本題へ。

ちなみに第32話の公式サイトのトリセツ
こちらです。

www.nhk.or.jp
トリセツのメインは1570年秋時点での
織田勢とそれに反目する勢力を示す図。
何気に雑賀衆が書かれていますw

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は元亀元年(1570年)4月スタート
というわけで元号はかわったけど
年は変わらないので年齢は全員据え置きです。
追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなった
と判明した人物に関しては
こちらの一覧からは削除して
後述の亡くなった人を弔う章に
引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人とか
年齢設定不明な人以外の生年については
Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

1.1.筒井順慶との交渉からの学び

元号が永禄から元亀へ
元号は永禄から元亀へ
今回のスタートが元亀元年(1570年)4月。
そして前回冒頭も永禄13年(1570年)4月。

元号永禄から元亀に変わることは
わりと前から記事で触れてきましたけど
改めて軽く触れておきます。

永禄から元亀に変わったのは永禄13年4月23日。
そして元亀元年最初の日が元亀元年4月23日。
西暦でいうと1570年5月27日がその日に該当。

この永禄から元亀への境目の日は
信長さまが既に越前討伐へ向けて出陣済みの頃。
もっと具体的にいうと4月23日は
若狭の国吉城にちょうど着陣した日です。
この「元亀」への改元足利義昭
将軍就任に伴って奏請したんですが
信長さまに反対されて改元できなかったのを
信長さまが朝倉征伐で忙しい時を狙って
改元を実行しています。

この改元については信長さまも
相当根に持ってたのか(笑)、
後々足利義昭に提示した17か条の意見書に
元亀は不吉な元号だから改元するよう
申し出ています。
何しろ浅井長政の裏切りに合って
死にそうな目にあったことから始まり
三好勢が盛り返し、
一向衆の石山本願寺勢も三好勢に加担し、
比叡山までもが信長さまに反抗してますからね。
森可成といった父・信秀時代からの重臣
身内の織田信治を戦で失っているし
いつの間にか四面楚歌な信長さまからしたら
元亀の時代はまさに不吉な時代
そんなわけで元亀はわずか4年で終了します。

そして元亀は
応仁から始まった戦国時代にとって
最後の元号です。
次の元号である天正からは安土桃山時代
と呼ばれます。
元亀はちょうど時代の変わり目なんですね。

応仁の乱で元亀がなくなる戦国時代

という語呂で覚えましょう。
何かしらのテストに出るかどうかは
知りません(笑)

顕本寺
顕本寺
鉄砲の調達で堺に訪れた十兵衛と藤吉郎。
その行き先は今井宗久の館。
鉄砲といえば第1話で登場した
大塚明夫さん扮した武器商人・宗次郎の事も
忘れないであげましょう(笑)

さて、宗久に鉄砲300挺を融通するよう頼むも
断られた十兵衛たちですが十兵衛の機転により
今井宗久主催の茶会に招かれます。
その茶会の場所が顕本寺

このお寺の名前、聞いたことあるなと思ったら
三好長慶とかかわりのあるお寺でした。
もっと正確に言うと三好長慶の父・三好元長
本願寺一向一揆勢に追い込まれて
自害した場所、それがこの顕本寺です。

この自害に追い込まれることになった原因は
主君・細川晴元との関係が悪くなったためですが
この辺は将軍の座を巡る争いも関係しています。

麒麟がくる」でも足利義輝が亡くなって
次期将軍には足利義輝の弟である足利義昭
三好一派の推す足利義栄かで一悶着ありました。
三好長慶の父・元長の時代も同様の争いがあり
それが足利義輝・義昭の父・義晴と
足利義栄の父・義維との間の争いだったんです。

細川晴元三好元長
堺公方と呼ばれた足利義維を擁していたんですが
細川晴元足利義晴と和睦をしてしまった事から
細川晴元三好元長の関係は、次第に悪化していき
三好元長の座を狙う木沢長政の奸計もあって
信長の野望・創造 戦国立志伝の木沢長政
最終的には顕本寺で自害をすることに。
※途中だいぶ端折りましたw

そして三好元長の自害がまた壮絶で
腹を切った後に腹から臓物を引っ張り出し
天井に投げつけた
そうです。
こういう話って
尾ひれはひれ付いて噂話として広がることで
怨念とか祟りとか言われて恐れられそう。
その噂を聞きつけた細川晴元が病に・・・
とか創作モノではよくありがちな話?(笑)
kenponji.com

今井宗久の茶会に集まった人たち
今井宗久の茶会出席リスト、こまの名も?
今井宗久の茶会の出席メンバーリストが
十兵衛の下に届きました。
そのメンバーとは
千宗易、油屋常琢、筒井順慶、若狭屋宗慶
そして駒。
駒は菊丸より神出鬼没ではないのか(笑)

というわけで筒井順慶以外の人たちについて
軽く触れておきましょう
といっても若狭屋宗慶に関しては不明です。
おそらく36人で構成されている
会合衆の一人なのではないかと思いますが。

千宗易はご存知の方も多いはず。
後の千利休ですね。
信長の野望・創造 戦国立志伝の千利休
わび茶を完成させた茶人であり豪商であり
信長さまにも藤吉郎にも仕えた人ですが
特に藤吉郎、いわゆる豊臣秀吉の頃には
秀吉の弟・秀長に「内々のことは利休に」
と言わしめたほどの権力を持った人。
ですが、秀吉との関係が悪化していくにつれて
結果、切腹へと追い込まれるという・・・。
藤吉郎が茶会の席の場に最後までいたのか
よくわからない終わり方でしたが
藤吉郎が初めて茶の湯を嗜む席に
千利休がいるというのは
ちょっといろいろ考えてしまうw

そして油屋常琢は油屋常言の別名で
堺の薬師問屋。
多くの名物茶器を所有していて
重要文化財に指定されている『油屋肩衝
と呼ばれる茶入れも所有していた
と言われています。
www.ebara.co.jp
また油屋常琢の子で日蓮宗の僧の日珖は
堺に妙国寺を創建していますが
創建にあたっては
父・常琢からの援助もあったそう。
さてこの妙国寺には
信長さまや徳川家康との逸話があります。
信長さまとは「夜泣きの蘇鉄」の逸話。

信長さまは妙国寺の大きな蘇鉄に目を付けて
安土城に移植してしまいます。
ところが、この蘇鉄
夜な夜な妙国寺へ帰りたい」
と泣き始めたので
それを怒った信長さまが家臣に命じて
切り倒させると、今度は切り口から
血のような樹液?が勢いよく飛び散り
信長さまは気味悪がって
蘇鉄を妙国寺に戻したそうです。
木が喋る時点で伝説話ですがw

徳川家康とは2つ逸話があります。
一つが本能寺の変が起きた時で
堺に商談に来ていた徳川家康
この妙国寺で宿泊していました。
商談も終えてちょうど寺を出た辺りで
本能寺の変があったことを知ります。
変の報を聞いて、これは自分の命も狙われる
と思った家康は三河へ逃げるのです。
この堺を脱出する際には
油屋親子の力も借りたとか借りてないとか?

そして家康公、妙国寺との2つ目の逸話は
時は流れて慶長19年(1614年)大坂冬の陣
この頃、家康はこの妙国寺に滞在してましたが
ここで茶を供された際の茶碗が見事で
名前を聞くと「灰被(はいかつぎ)の天目」
でもこれを家康公は「早勝ちの天目」
聞き間違えたらしくて戦の験担ぎにいいと
この茶碗を持ち帰ってしまったそう。
あとで返礼品は送ったらしいですけど
人によっては泥棒です(笑)

ちなみにその後の大阪夏の陣では
家康が滞在していると聞きつけた
豊臣方の大野治房隊によって
妙国寺は焼き払われています。
その後再建されるも
今度は太平洋戦争中の大阪大空襲で消失。
それでも妙国寺の蘇鉄は
焼けずに残っていたそうですよ。

大和で松永久秀と戦中の筒井順慶
十兵衛と藤吉郎が待つ部屋に通された筒井順慶
大和で松永久秀と交戦中の筒井順慶
筒井順慶についてはこちらの記事でも
既に触れています。
tsukumogatari.hatenablog.com
大和という国では松永久秀の方が新参者。
筒井氏は大和の興福寺一条院に属する宗徒が
武士になって戦国大名として筒井城を拠点に
勢力を張っていましたからね。
それが三好長慶の命で大和に侵攻してきた
松永久秀によって筒井城を追われて以来
宿敵として両者は戦いを繰り返しています。
松永久秀と対峙していたので
自然とその敵となった三好三人衆に接近し
三好三人衆の協力もあって筒井城を
奪還することができました。

つまり、三好三人衆とは
共通の敵である松永久秀を倒すために
手を結んでいただけで
信長さまや足利義昭に対して
敵対していたわけではないんですよね。
筒井順慶が十兵衛と駒に約束させたことは
先祖伝来の大和の地を安寧に治めたい
という思いがあってこそなのかなと。
まぁ松永久秀には少なくとも2度、
筒井城を奪われるので
そっちの敵対心は強そうですが(笑)

筒井順慶が信長さまと公方さまに急接近するのは
松永久秀が織田方から離反した元亀2年以降の話。
松永久秀の離反は正確には室町幕府からの離反、の方が正しいか?
元亀2年10月25日に信長さまに臣従しますが
これは実際に十兵衛の斡旋によるものです。
足利義昭とも同じころに、九条家の娘を
足利義昭の養女として妻に迎えています。

異説として十兵衛の弟説もある筒井順慶ですが
後々には十兵衛の与力となるし関係を深めて
友人として親睦を深めていくんのですが・・・。

ちなみに今回藤田伝吾が久々に登場したのと
筒井順慶の初登場が被ったのは
何か意味ありげな気がするのは私だけ?(笑)

1.2.高速・姉川の戦いからの学び

姉川の戦いに至るまで(1)信長さま暗殺未遂事件
姉川の戦いで勝利の勝鬨を挙げる織田信長
麒麟がくる」の姉川の戦い
いきなり始まっていきなり終わりました(笑)
姉川の戦いに至るまでにも
色んな事が起きているので
その辺を触れていきます。

金ヶ崎の退き口から姉川の戦いまでは
大きく3つのイベントが発生しています。

まず一つ目が信長さま暗殺未遂事件です。

これは信長さまが京へ戻ってから
一端体制を立て直すために岐阜へ戻る際の出来事。

浅井長政がその帰路を遮る形で
部隊を展開したり一揆を扇動していたため
日野の蒲生賢秀、布施の布施公保
そして香津畑の菅秀政らが尽力して
信長さまは千草峠越えのルートで
岐阜へ戻ることにします。

ルートに関してはこちらのブログの状況図Ⅱが
わかりやすいかもしれません。
shmz1975.cocolog-nifty.com
この状況図Ⅱにある鯰江城に浅井長政
部隊を駐留させて信長さまの帰路を
阻んでいました。

千草越えをすることによって
浅井長政勢の部隊をやり過ごせたと思いきや
千草山中の道筋から信長さまは
鉄砲で2発狙撃されてしまいます。
六角義賢杉谷善住坊という鉄砲の名手に
信長さまの狙撃を依頼していたんです。
杉谷善住坊が信長さまを狙撃したのは個人的恨みの説も有り。
信長の野望・創造 戦国立志伝の杉谷善住坊
ただし、2発とも信長さまの体を
少し掠めた程度で大事には至らず
暗殺は失敗に終わり
信長さまは元亀元年(1570年)5月21日に
岐阜へ帰陣しています。

杉谷善寿坊はその後どうしたかというと
信長さまの命を狙った者ということで
追われる身となり逃亡しますが
後々信長さまの家臣となった磯野員昌に
捕縛されてしまい、鋸挽きの刑に処されます。
その刑がまた凄惨なもので・・・
生きたまま首から下を土中に埋められた上、
竹製のノコギリで
ゆっくりゆっくり時間をかけて
首を切断する方法がとられたそうです。
途中で痛すぎて気絶してるうちに
死んでしまいそう・・・。

姉川の戦いに至るまで(2)落窪の合戦
2つ目のイベントは元亀元年(1570年)6月4日。
観音寺城の戦いで織田方に敗れた
六角義賢・義治(義弼とも)親子が
近江南部の諸所で一揆を扇動しつつ
野州川方面へ軍勢を繰り出します。
この鎮圧のために
織田方からは柴田勝家佐久間信盛が出陣。
野州川で両軍が激突します。
落窪の合戦は野州川の戦いとも言われますね。

結果はもちろん織田方の勝利。
この戦で六角方の三雲定持・成持親子や
高野瀬美作守、水原重久が討死し、
そのほか伊賀・甲賀地侍たち780人が
討ち取られ、これによって近江の半ば以上が
信長さまによって平定されました。
三雲定持・成持親子については
こちらの記事でも書いている通り
六角氏を支えてきた重臣です。
tsukumogatari.hatenablog.com
観音寺騒動が起きて六角父子が観音寺城
国人衆たちに追い出された際にも
匿ってあげたのは三雲氏でした。

ちなみにこの落窪の合戦の前哨戦として
長光寺の戦いがあり、この戦において
柴田勝家『瓶割り柴田』の異名がついた
と言われてたりしますね。
ただ信憑性は薄いらしいw

姉川の戦いに至るまで(3)信長さま小谷城を攻める
姉川の戦いが始まるまでの最後のイベント。
それが信長さまの小谷城攻めです。

浅井長政は越前朝倉氏の軍勢を
北近江に呼び入れて長比*1、苅安*2の2か所に
砦を構えて織田方の攻撃に備えます。
一方で、信長さまは浅井勢の切り崩しに
かかります。
その結果、浅井方であった堀秀村および
その家老・樋口直房を寝返らせる事に成功。
堀秀村と樋口直房については
こちらの記事でも紹介しています。
tsukumogatari.hatenablog.com
tsukumogatari.hatenablog.com

そして元亀元年(1570年)6月19日
信長さま自ら出陣。
堀秀村と樋口直房の離反を聞いた浅井方は
長比・苅安の砦から逃げ出してしまったので
織田勢が長比の砦に1両日駐留。

6月21日には浅井長政の居城である
小谷城を攻め立てます。
町や村々を焼き払い
一定の打撃を与えたところで
6月22日に一端兵をひきます。
そして2日後の6月24日には横山城を包囲。
横山城には野村直隆、高坂某、三田村某が
立て籠もって徹底抗戦の構えを見せていました。
ここには既に徳川家康も参陣しています。

この横山城を包囲しているところへ
越前朝倉氏援軍、朝倉景健の部隊8千程が
織田・徳川勢の背後を攻めようと出撃。
6月27日には一端浅井・朝倉勢は
陣払いをして退去したかにみせかけますが
翌日28日の未明、
姉川を前に野村・三田村の両郷へ移動し
軍勢を二手に分けます。

これに対して、織田・徳川勢は
西の三田村口を徳川勢
東の野村口を織田勢が布陣。

そして当日28日の卯の刻
今でいう午前6時前後から
姉川の戦いが始まります。

姉川の戦い
近江の浅井長政を助けるため朝倉勢も出陣、姉川の戦いが始まる
姉川の戦いといえば
浅井方の磯野員昌の姉川十段崩し」の逸話や
徳川方の本田忠勝と朝倉方の真柄直隆の
一騎討ちが有名だったりします。
その辺は以下の記事でも紹介しています。
tsukumogatari.hatenablog.com
tsukumogatari.hatenablog.com

浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍の
ぶつかり合いは一進一退を繰り返す
激戦となりますが
次第に織田・徳川連合軍が優勢に。
特にこの戦いでは浅井・朝倉勢の
名だたる諸将が討ち取られているため
浅井・朝倉勢は失った兵数以上に
大きな打撃を受けたことと思います。

前述の猛将として名高い真柄直隆も
徳川方の青木一重に討ち取られていますし
浅井方の知勇兼備の謀将として名高い
遠藤直経も討ち取られています。
tsukumogatari.hatenablog.com
ちなみに遠藤直経を討ち取ったのは
藤吉郎の軍師で有名な竹中半兵衛の弟で
竹中久作(重隆または重矩)、
もしくは竹中久作の後見役である不破矢足
と言われています。

竹中久作は元々遠藤直経とは旧知の仲。
以前から直経を討ち取ると豪語していたそう。

姉川の戦いの敗北が決定的になると
遠藤直経は形勢を一気に傾けるために
信長さまの首を狙おうと本陣へ忍び込みますが
後一歩というところで
顔見知りの竹中半兵衛の身内にバレて
討ち取られてしまったというわけです。

そういえば信長さまが
徳川勢の活躍を褒めていたのは
本田忠勝の真柄直隆との一騎打ちを皮切りに
三田村口での戦いを徳川勢が
有利に進めてくれたためでしょうね。

姉川の戦いで勝利を収めた織田・徳川軍、
一気に浅井氏の居城・小谷城
攻め落としに行きたいところですが
小谷城は山城で非常に攻めにくい要害の地。
小谷を攻める前に、横山城へ軍を進めます。

ちなみに姉川の戦いっていうのは
織田・徳川方から見た場合の呼び名であって
浅井氏からすると野村合戦であり
朝倉氏からすると三田村合戦と呼びます。
それぞれが布陣していた場所から
そう呼ぶんでしょうね。

横山城で祝杯
姉川の戦いでの大勝利を喜ぶ佐久間信盛ら家臣一同
麒麟がくる」で前述の横山城
勝利を喜びあっていた織田・徳川連合軍。
横山城を守る敵兵はどうしたんだろう?
と思うかもしれませんが、
姉川の戦いの敗戦が大きかったんでしょう。
横山城を守っていた守備兵たちは降参して
退去してしまったんです。
その際には木下藤吉郎を城番として
入場させたらしいですよ。

戦の勝利を横山城で喜んでいた一同ですが
これで織田・徳川勢が
一方的に有利になったわけじゃないんですよね。
むしろまだまだ両者の受難は続く
といっても過言ではない。。。

武田信玄が信長さまの敵に?
気になるのは足利義昭の動きだと忠告する徳川家康
十兵衛をちょこっと呼び寄せる徳川家康
これから三河に帰国して
甲斐の武田信玄との戦に備えるらしい。
武田信玄はかつては駿河今川義元と手を結び
相模の北条氏康も含めて甲相駿三国同盟
締結していました。

しかし、今川義元桶狭間の戦いで討死すると
方針を転換。
駿河への侵攻を開始します。
その駿河への侵攻においては
実は徳川家康駿河の領有分割を約束して
共同で進めていたんですが
遠江の領有を巡って
徳川氏と争うようになります。
そして姉川の戦いから数か月後の12月には
武田氏の秋山虎繁率いる部隊
織田・徳川連合軍と恵那で激突しています。
小田子合戦といいますが、
この時は織田・徳川連合軍が秋山虎繁の軍勢を
撃退しています。
徳川家康三河帰還はこの辺の戦いに備えて
といったところでしょうか。

その武田信玄がそのうち信長さまの敵となる
ということも徳川家康は予言していました。
幕府より上洛を促す書状が武田信玄の下に
何度も届いているらしい。
きっとこの情報は菊丸が入手したのでしょう(笑)

ちなみに織田家と徳川家は婚姻同盟を
結んでいます。
永禄8年(1565年)に信長の姪にあたる
遠山直廉の娘を養女とした上で
武田信玄の子・武田勝頼に嫁がせています。
それに信長の嫡男・奇妙丸(後の信忠)と
信玄の娘・松姫の婚約も決まっていました。

徳川家康とは対立しつつも織田家との間では
一応友好関係は保たれていたようです。
姉川の戦いの頃も、まだその同盟関係は
揺らぐことなく続いています。
揺らぐことになるきっかけが
信長さまの比叡山焼き討ちですね。

1.3.志賀の陣からの学び

野田・福島の陣始まる、そして海老江城で檄を飛ばす足利義昭
京と摂津で睨み合いとなる三好と織田の軍勢
浅井・朝倉との戦いに向けて
6月に織田軍主力が畿内から撤収していた所へ
狙ってきたのが三好三人衆

まず摂津池田城主の池田勝正を追放させます。
池田勝正は前回書いたように
金ヶ崎の退き口の際に
十兵衛らと共に殿を務めた一人です。
tsukumogatari.hatenablog.com
追放させたのは、池田勝正と同族の池田知正
池田勝正重臣であった荒木村重
三好三人衆は2人を調略して摂津池田城
味方に引き入れます。

そして翌月の7月21日には
摂津中嶋に進出して野田城と福島城を築城。
この辺の三好三人衆の動きに
一番最初に動いたのは松永久秀で、
ついで公方さまである足利義昭
河内南半国の守護・畠山昭高に御内書を送って
信長さまと協力して三好三人衆の打倒を
命じています。

こういった背景の下、信長さまも
自ら岐阜より出陣して4万とも伝わる兵を従えて
三好三人衆のいる野田城・福島城から南東5㎞の
天王寺に着陣します。
これが元亀元年(1570年)8月26日のこと。

麒麟がくる」で足利義昭が織田勢一同に
檄を飛ばしていた海老江城に入場したのは
翌月の9月12日です。
その間に三好方であった三好為三*3や香西越後守が
織田方に寝返っています。

姉川の戦いの次は、三好三人衆
幕府・織田方の戦いである
野田・福島城での戦いが始まったわけです。

三好三人衆側には阿波・讃岐方面からの援軍が
8千程到着していたものの
根来や雑賀の軍勢約2万も織田方に参陣して
俄然有利に戦を進めていた信長さま。
※数字は全て「信長公記」上のものです。
三好三人衆側が和睦を申し入れてきても
『もうちょっとで落城だから攻め滅ぼせ』
聞く耳持たなかった様子。
ここで素直に聞いていれば良かったのかも?
それまで動きの無かった石山本願寺
挙兵して反織田勢力に加わって
9月13日夜に攻撃を仕掛けてきたのです。
でも「信長公記」には
『別にどうということもなかった』
とあるので、さほど戦況に影響はなかった?
まだこの時点では、っていう話ですけどね。

この本願寺の挙兵については
望月東庵先生が駒に説明してくれてましたよねw
架空人物たちはこういう歴史的補足で活躍して
あまり出張ってきてほしくないというのが
最近の心境です(笑)

宇佐山城の戦い、そして志賀の陣
三好勢に一向宗本願寺が加勢した上、浅井・朝倉も後背から襲い掛かろうという織田軍四面楚歌の状態
野田・福島城の戦いでも優勢だった織田勢ですが
9月16日になって少し状況が一変します。
越前の朝倉義景、北近江の浅井長政
信長さまの後背を狙って3万の軍勢を率いて
近江の坂本方面へ攻め寄せてきたのです。

この浅井・朝倉連合軍との戦いである
宇佐山城の戦いは完全にスルーでした。
十兵衛と関係ないから止む無しですがw

この宇佐山城の戦いでは
織田方の重臣である森可成が討死しています。
信長の野望・創造 戦国立志伝の森可成

森可成といえば
織田信秀の代から仕える重臣
森蘭丸の父であり、
信長の野望・創造 戦国立志伝の森蘭丸
鬼武蔵で有名な森長可の父。
信長の野望・創造 戦国立志伝の森長可
戦に長けた武将として有名です。

その森可成は坂本の宇佐山城を守っていましたが
浅井・朝倉の大軍が攻めて寄せてきた報せを聞き
城から出て応戦します。
最初の小競り合いは、森勢千人足らずの
寡兵ながら浅井・朝倉連合軍に勝利します。
しかし向こうは3万の大軍。
しかも比叡山延暦寺の僧兵も援軍として加わり
二手に分かれた大軍に再度攻められた結果
為す術なく森可成は討死してしまいます。

またこの時、信長さまの弟の織田信治
蒲生賢秀の弟・青地茂綱も討死しています。

森可成を失った宇佐山城はというと
森家の家老・各務元正や武藤五郎右衛門、
肥田彦左衛門らの奮戦によって
浅井・朝倉連合軍の攻勢を耐えきりました。
宇佐山城の戦いについては各務元正の記事でも
紹介しています。
tsukumogatari.hatenablog.com

宇佐山城攻略を諦めた浅井・朝倉連合軍は
9月21日には醍醐・山科あたりまで進み
京まであとわずか、というところまで迫ります。
摂津で在陣中の信長さまの下に
この浅井・朝倉連合軍侵攻の報告が届いたのが
9月22日です。
報を聞いた信長さまは京都市中に侵入する前に
食い止めようと翌日23日には野田・福島の陣を
引き払って京都へ戻ります。

というのが、海老江城から数分間の間に
起こっていた出来事ですw

信長さまは一転して三好三人衆と和睦をして
朝倉義景討伐に主軸を切り替えたわけだけど
将軍・足利義昭は自ら出陣したにもかかわらず
和睦のためだけに出向いた結果となったことが
気に入らなかった様子です。
いつの間にか将軍としてのプライドを
持ち始めてしまいました。
そろそろ信長さまとの亀裂が走りそうだ(笑)

比叡山に逃げ込んだ浅井・朝倉勢
比叡山
信長さまが京へ戻って来る報せを聞いた
浅井・朝倉連合軍はその場で迎え撃つことなく
比叡山へ逃げ込みます。
信長公記」では『敗軍のていたらく』
という表現をしているのがちょっと厭味っぽいw

朝倉義景延暦寺の僧兵を味方に引き入れて
長期戦に持ち込めば、勝機があると見たのか。
長期戦でなぜ勝機があるのかというのは
比叡山で籠城中に反織田勢力が他にも加わって
各地で蜂起するような事態になれば
織田勢の戦力は分散せざるを得ない状況になる。
そこから一気に攻勢に転換すれば
大打撃を与えられるし
あわよくば大将の織田信長の首も・・・
ぐらいには考えていそうなのが
麒麟がくる」の朝倉義景

次回果たしてどのような展開になるかは見物。

朝倉義景の言っていた座主さまは?
家老の山崎吉家と共に延暦寺に訪れていた朝倉義景
比叡山延暦寺には朝倉義景
その家老・山崎吉家の姿が。
朝倉義景延暦寺に賄賂を渡してましたね(笑)
朝倉義景は座主さまの協力を欲していましたが
当時の座主さまは誰かと言えば
春風亭小朝さんが演じる覚恕(かくじょ)。

覚恕は第166代目の座主さま。
ちなみに現職の座主さまは257代目らしい。
戦国大名とか将軍とかだと
多くても10何代とかなイメージあるから
桁が一桁違うことに驚きです。
まぁ家とは違うからあまりそこ一緒に
考えちゃいけないのかもしれませんけどね。

でもそもそも座主さまってなんですか?w

座主さまとは天台座主さまのことで
天台宗の総本山である比叡山延暦貫主
天台宗の末寺を総監する役職。
て、Wikipediaに書いてありました(笑)

そしてこの覚恕はどうやら正親町天皇の弟君
また、覚恕が天台座主になったのって
元亀元年(1570年)らしいので
座主さまになったばっかじゃないの?
それで比叡山焼き討ちに遭っちゃうのは
ちょっと不遇に感じますね(笑)

武田信玄とも繋がりができるようで
話にどのように絡んでくる人なのか興味津々。

百足と蜻蛉は勝ち虫
駒に土産と言って小さな蜻蛉を見せる足利義昭
今回の話の中で将軍・足利義昭のシーンでは
2つの虫が登場しました。

一つ目が、百足。
海老江城で信長さまたちに檄を飛ばす際に
枕元に百足が歩み寄ってきたのは
めでたき徴と言ってました。

百足は常に前進して一歩も後ろに退かない、
敵に背を向けないということで
戦国時代の武将たちからは好まれました。

百足を模した意匠の兜で有名なのは伊達成実
信長の野望・創造 戦国立志伝の伊達成実
奥州の伊達政宗重臣として活躍した人ですね。
百足っていうと、この伊達成実の兜が
真っ先に思いついたりしますけど
もう一つ思い出すのが甲斐・武田氏です。

甲斐の武田信玄
百足の素早い動きと
一歩も退かない猛々しさを好んで
使番衆の旗指物には百足が描かれていました。
そして彼らは百足衆と呼ばれたんですよね。
百足衆の役目は武田信玄の命令を
他の家臣谷に迅速かつ正確に伝えること。
主君の考えを正確に理解し
戦の最中であっても怯むことなく
直ちに命令を各部隊へ届ける
ていう、軍隊においては非常に重要な役回り。
この百足衆だったのが赤備えで有名な山県昌景
高坂昌信の名で知られる春日虎綱
そして真田昌幸の兄・真田昌輝など
後に武田家を支えた重臣たちが経験者なので
百足衆=エリート候補
みたいな印象があります。

百足の話はとりあえずここまでw

もう一つ、足利義昭と絡んだのが
摂津への出陣の折に
駒への土産と持ってきた蜻蛉。
それ駒への土産じゃなくて
どっちかっていうと
自分が楽しむためのものでは
と思ったのは私だけじゃないはずだ(笑)

蜻蛉もまた百足同様に
前に進みながら飛ぶ様を
武将たちに好まれました。

蜻蛉も前述の百足も「勝ち虫」と呼ばれて
当時は縁起のいい虫だったんですね。

例えば武田信玄の家臣である板垣信方
蜻蛉が好きすぎて
鎧兜や着物に至るまで
至る所に蜻蛉の意匠を使ったらしい。

織田信長の家臣で加賀百万石の祖である
前田利家の兜の前立ても蜻蛉です。

という縁起物として好まれた蜻蛉ですが
武具にその名を冠していたのが
本田忠勝愛用の槍、蜻蛉切ですね。
なんで蜻蛉切っていうのかといえば
槍の先に蜻蛉が止まっただけで
蜻蛉が真っ二つにキレてしまったという
ホントだったらその時死んでいった
蜻蛉の気持ちを聞いてみたい(笑)

それだけ切れ味の良い槍として
有名だったんでしょうけど
勝ち虫を切っちゃった槍って
縁起悪くないのかな
なんて思ったりしますが(笑)

ところで、百足を武田信玄
蜻蛉を本田忠勝繋がりで徳川家康とした場合
何気にこれ三方ヶ原の戦いを意識してる?
なんて変に勘繰ったりしました。
なんか次回予告で蜻蛉死んでた気がするし
今回枕元に近寄って来た百足は
信長さまを裏切る足利義昭
武田信玄が手を貸そうとしている
ていうのを暗に示していたりとか。
それは考えすぎでしょうか(笑)

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものですが
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。

戦国 戦(いくさ)の作法

戦国 戦(いくさ)の作法

  • 発売日: 2018/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
戦国の忍び (角川新書)

戦国の忍び (角川新書)

元亀 - Wikipedia
顕本寺 (堺市) - Wikipedia
戦国武将録: 戦国商人・文化人名辞典
妙国寺 - Wikipedia
特集 堺を巡る |堺観光ガイド
【大坂の家康伝説】(4完)「夜泣き蘇鉄」信長との奇縁 再訪の痕跡(1/3ページ) - 産経ニュース
筒井順慶 - Wikipedia
千草越え: 歴旅.こむ
杉谷善住坊 - Wikipedia
武田信玄 - Wikipedia
野田城・福島城の戦い - Wikipedia
宇佐山城 - Wikipedia
志賀の陣 - Wikipedia
伊達成実 - Wikipedia
天台座主 - Wikipedia
覚恕 - Wikipedia

2.あとがき

家族や仕える者たちからお帰りさないと言われる明智十兵衛光秀
麒麟で学ぶ」第32回目はいかがでしたか?
感想、ご意見等あればコメントをお気軽に。

今回は久々に家族と一緒に住めるようにもなり
十兵衛が本当に嬉しそうでした。
特にたまを溺愛してそうな十兵衛。
岸もたまも嫁に行くときは
きっと十兵衛泣いちゃう?(笑)

金ヶ崎の退き口から命辛々帰還して
いつもなら一人だったのが
妻の煕子も娘の岸もたまも
そして古くからの付き合いの伝吾もいて
みんなから
『お帰りなさい』
と言われてたシーンは
ちょっと感動しちゃいました。
母のお牧さんは美濃から動かなかったようで
このまま美濃で生涯を全うできれば
いいなぁと願っております、本当に。

それにしても十兵衛
だいぶ口が上手くなった?
交渉術も長けてきた気がするし
信長さまを諭すのも上手くなったし
この辺は癖のある道三さまとか
松永久秀辺りと接していたら
自然と身に付いたスキルなのかな(笑)
若い頃の十兵衛はもっと生真面目で
嘘がつけない正直だけが取り柄の青年
ていうイメージなんだけど
摂津晴門とも上手くやりあえてるし
随分成長したなぁと
何故か上から目線(笑)

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日


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では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


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このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:現在の滋賀県米原市あたり。

*2:現在の滋賀県米原市あたり。

*3:三好三人衆の一人である三好宗渭の弟。

*4:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。

*5:麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。

*6:信長の野望ベースなら享年23歳。

*7:麒麟がくる」では亡くなっているかどうかの言及はなく、東庵先生も生死どちらとも取れる感じで話している。

*8:信長の野望ベースなら享年42歳。桶狭間の戦いの前哨戦、丸根砦の戦いで討死しているが「麒麟がくる」では語られていない。

*9:実際に亡くなったのは21話と22話の間の期間だが、19話で既にナレ死してます。。。

*10:信長の野望ベースなら享年30歳。桶狭間の戦いの後、今川家からの自立を目指した松平氏との戦いにて戦死。

*11:麒麟がくる」では桶狭間の戦いから4年間がカットされてしまったこともあって、その死を語られることもなかった。

*12:没した月日は9月13日、9月30日、10月1日、10月8日、10月20日、10月22日など諸説ある。

*13:1540年生年説もあるのでその場合だと享年29歳。