今回は越前朝倉家中でも猛将として名高い3人、
真柄直隆(まがらなおたか)、
真柄直澄(まがらなおすみ)、
三段崎為之(みたざきためゆき)。
真柄直隆と真柄直澄は兄弟ですが、
二人は同一人物ではないかとも言われています。
「麒麟がくる」ではそれぞれ得意の武を見せることはできるか!?
では今回のお品書きはこちらです。
また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たちは
以下の一覧記事にまとめてあります。
その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。
まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。
1.真柄直隆(まがらなおたか)とは
通称十郎左衛門。
1536年生まれ。父は不明。
越前真柄荘の国人で客将。
客将なので朝倉氏の完全な家臣というわけではありません。
朝倉氏にに臣従態度を取りつつも、軍役は一部負担するけど
完全には従わないぞといった感じ。
以前紹介済みの堀江景忠もそうなんですが、
独立性が強い国人衆だったのです。
なので朝倉氏が少しでも弱い立場を見せたりすると
堀江景忠のように反乱を起こすこともありうる立場です。
真柄直隆といえば徳川四天王の本田忠勝との一騎打ちでも有名なので
朝倉家中の武将でも有名な方でしょうね。
そして、直隆の使用していた「太郎太刀」がまた有名ですね。
越前の刀匠千代鶴国安の作と言われていて
刃渡り5尺3寸(約175cm)の巨大な太刀、重さは4kgほど。
こんな巨大な太刀を戦場で振り回して戦っていたっていうんですから
相当な力持ちです。相撲なんかやったら絶対勝てなさそう・・・(笑)
それから乗ってた馬は黒鹿毛。
巨大な太刀掲げてるだけで近寄りたくないのに
黒い馬に跨って駆け回られたら
強そうなイメージがさらに増して敵兵はみんな逃げていくんじゃ?(笑)
実際、インパクトやイメージって大事だと思いますしね。
そういうのも実は狙っていたのか!?
足利義昭が越前に来訪した際には、
御前でこの太郎太刀を頭上で数十回振り回して
その豪傑ぶりを披露したそうです。
足利義昭もさぞ驚き喜んだことでしょう。
そして真柄直隆を一躍有名にしたであろう戦いが1570年の姉川の戦い。
姉川の戦いは、織田信長・徳川家康連合軍と浅井・朝倉連合軍の戦い。
この戦いより3か月前の4月に織田信長が越前侵攻を開始して
金ヶ崎の戦いにおいて金ヶ崎城を落城させます。
ところが、信長の義理の弟・浅井長政が信長を裏切って朝倉義景の味方につき
越前侵攻中の織田軍を背後から襲撃しようとします。
一気に形勢不利となった信長は撤退を開始し、
金ヶ崎の退き口で浅井・朝倉軍に激しく追い討ちをかけられながらも
なんとか京へ逃げ延びます。
その後、信長は岐阜へ戻って体制を立て直し
裏切った浅井長政を討伐するべく近江へ侵攻します。
そして徳川家康の援軍が合流した織田信長軍と
朝倉義景の援軍を得た浅井長政軍とが姉川をはさんで対峙し激戦となります。
この時、大河ドラマなんかでも描かれるのが
徳川家康の家臣・本多忠勝が一騎駆けして朝倉軍に突撃するのを
真柄直隆が迎え撃つシーン。
本多忠勝も穂先にとまっただけでトンボが真っ二つになってしまったという
天下三名槍にも数えられる「蜻蛉切(とんぼきり)」の持ち主。
巨大な太郎太刀と鋭い切れ味の蜻蛉切の勝負でもあります。
しかしどちらも譲らず一騎打ちは一進一退。
そうこうしている間に、徳川勢が朝倉軍を押し返し始めます。
結局本多忠勝との決着は着かず仕舞い。
朝倉軍の敗戦が濃厚になってきたことを感じた真柄直隆は
味方を逃がすべく単騎で徳川軍へ突入します。
12段構えの陣のうち8段まで突き進んだところで
徳川家臣の向坂3兄弟(向坂式部・五郎次郎・六郎五郎)の攻撃を受けたところで力尽き
「この首を手柄にするがいい」といって敵に首を献上して果てたそうです。
『信長公記』では直隆を討ち取ったのは
徳川家臣の青木一重(あおきかずしげ)と書かれていますが
青木一重は後に
「直隆は怪力過ぎて一人じゃ無理。誰かが倒しかけのをやっただけ」
みたいなことを言ってたようなので、首を落としたのは青木一重だけど
手負いにさせたのは向坂3兄弟ってことなのでしょう。
また青木一重が首をとった際に使用した刀は「真柄斬り」と呼ばれるようになります。
※「真柄斬り」は「青木兼元(あおきかねもと)」とも呼ばれる
美濃の刀匠・孫六兼元(まごろくかねもと)作の名刀。
息子の隆基(たかもと)も豪傑武将として知られており
姉川の戦いでも父と共に奮戦しましたがこの戦いで討死しています。
ちなみに真柄氏は朝倉氏滅亡後の1583年に、
織田家臣・丹羽長秀から真柄加介宛に知行安堵状が発給されているため、
一族自体は存続していたようです。
さて「真柄斬り(青木兼元)」といえば
以前、美濃の武将・岸信周の記事を書いた際にも紹介した
カクヨミで小説を掲載している風羅真さんが
「真柄斬り」を題材に短編小説を書いていらっしゃいます。
まさにこの姉川の戦いでの1シーンがメインとなっています。
さくっと読めちゃうボリュームなので読んでみてくださいね。
それから太郎太刀は、
愛知県名古屋市の熱田神宮宝物館に奉納されています。
しかし熱田神宮に奉納されているものは刃渡り220cmと
伝わってる太郎太刀よりもさらに大きいです。
一説では熱田神宮の太刀は弟・直澄の次郎太刀で
石川県白山市の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)にある太刀が
直隆の太郎太刀ではないか、という見方もあるみたいです。
2.真柄直澄(まがらなおすみ)とは
通称十郎左衛門。
兄・直隆と通称が同じなんですよね。
おまけに、兄と同様に5尺7寸の大太刀を振っていた猛将といった点から
直隆と同一人物なのではという説もあります。
確かに通称名同じってそんな紛らわしいことする?って思いますよね(笑)
でも一応ここでは同一人物ではない、という体で進めます。
足利義昭が越前へ訪れた際には
足利義昭の御前で兄・直隆同様に大太刀を披露しますが
その太刀はなんと九尺五寸(288cm)もあったとか。
さすがにこの太刀は実戦では使っていないっぽいですけど
一振りで何人の首が飛ぶんだろうって感じの大きさですよね。
そして1570年の姉川の戦いでは兄・直隆同様に
大太刀「次郎太刀」を振り回しながら織田・徳川連合軍相手に
一歩も引かない奮戦ぶりを見せますが討死してしまったそうです。
んーやっぱり同一人物なんじゃないのかな・・・。
信長の野望シリーズは多分同一人物説をとっているんですよね。
何故なら途中から弟の直澄が登場しなくなったからです(笑)。
3.三段崎為之(みたざきためゆき)とは
通称勘右衛門。
生年、父、共に不明。
三段崎氏は第2代朝倉氏当主の朝倉高景を祖とする朝倉氏の庶流です。
朝倉高景の3男が三段崎弼景と三段崎を名乗っています。
為之は第10代朝倉氏当主・朝倉孝景と第11代の朝倉義景の2代に渡って
仕えた強弓の使い手として有名な猛将でした。
1555年の加賀一向一揆攻めにおいては小松城の戦いで一番槍の戦功を挙げ、
さらに敵陣の3段目まで攻め込んだそうです。
1555年の加賀一向一揆攻めといえば
朝倉家随一の名将であり総大将であった朝倉宗滴が最後に赴いた戦でもあります。
※朝倉宗滴についてはこちらをどうぞ。
1573年の織田信長の越前侵攻の際には
為之は殿を務めており、刀根坂の戦いで織田家臣・山内一豊に戦いを挑まれます。
一豊の顔に重症を負わせるものの、逆に討ち取られてしまいました。
弟の六郎も兄に負けず劣らず勇猛な武将だったようですが
一旦は助太刀した兄を見捨てて退くも、その戦いで討死したようです。
三段崎氏の子孫は後に医師・谷野一柏に弟子入りして
朝倉氏滅亡後は福井で代々医業を生業としたそうです。
※姓は「段」を略して「三崎」と名乗ったようです。
4.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの真柄兄弟と三段崎
三段崎為之は山内一豊のドラマだと結構出てくる率高いんですが
「麒麟がくる」だとどうでしょうね。ちょっと厳しいかな。
真柄兄弟の方が出てくる確率は高いと思います。
姉川の戦いでの真柄直隆と本多忠勝の一騎打ちは見せ場ですし
足利義昭が越前へ訪れた際に見せる大太刀の振り回し芸もまたしかり。
ただ直隆と直澄は同一人物説もあるだけに
兄弟揃ってでるのかどうかは怪しいかもですね。
信長の野望シリーズでは三段崎為之は登場経験なしですが
真柄兄弟は二人ともあります。
特に兄の真柄直隆の方は覇王伝から連続で登場し続けています。
一方、弟の直澄の方は覇王伝と天翔記の2作品に登場して以後は
一度も登場していません。
前述しましたが、たぶん兄弟同一人物説をとっているんでしょうね。
兄弟二人いた方が、朝倉家でやる場合には助かるんですけどね(笑)
そして真柄直隆の信長の野望・創造 戦国立志伝での評価値がこちら。
武勇80超えなんですが、統率が50いってないので
部隊の大将を任せるのはちょっときつい。
戦法も神速っていう部隊の移動速度が上昇するやつで
うーん?ってちょっと頭悩ませる感じです(笑)
本多忠勝とやりあって勝負つかなかったにしても負けなかったわけですし
武勇90超えてもいいんじゃっていうのと(忠勝は98)、
統率もせめて60ぐらいあってもいいんじゃないかなって思います。
戦法は足速くなるのも悪くはないけど
火力アップ系か混乱起こさせる系でいい気がします。
だって人間の身長ぐらいの武器振り回してるんですから(笑)
5.まとめ
今回は朝倉氏の家臣の中でも武に優れた武将3人
真柄直隆(まがらなおたか)、
真柄直澄(まがらなおすみ)、
三段崎為之(みたざきためゆき)でした。
朝倉家はどうしても朝倉宗滴が全面に出すぎて
他の家臣があまり目立たないんですけど
真柄直隆は徳川四天王の本多忠勝とやりあっても
負けなかった武将です。
もっともっと評価されてもいいはず!
三段崎為之は山内一豊にやられちゃったことだけ
取り沙汰されちゃうせいでイメージがあんまり良くないけど
朝倉家臣一の強弓の使い手としてもっと有名になってほしいものです。
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!