「麒麟で学ぶ」第41回目です。
今回の記事を読むと以下の事がわかるかもしれませんw
さて本シリーズの前提事項的なものを毎回0章に記載していますので、初めて本シリーズの記事を読む方はさらっと一読していただけると助かります。
既に読んだことのある方は読み飛ばして頂いてかまいません。
また前提の一番最初に記載していますが本シリーズは「麒麟がくる」のネタバレを含みます。
当日の放送や再放送も見逃してまだ視聴されていない方はU-NEXTまたはAmazonプライムビデオでNHKオンデマンドをチャンネル登録すると見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれるといいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。
最新情報については各サイトにてご確認ください。
しかしネタバレ含んでいるけど、本記事を読んでから視聴すると少し前提知識が入った上での視聴になるのでそれはそれでいいのかもしれませんけどね。
そして「麒麟で学ぶ」の過去分についてはこちらからどうぞ。
では今回のお品書きはこちらになります。- 0.本記事を読むにあたっての前提など
- 1.「麒麟がくる」第41話「月にのぼる者」からの学び
- 1.1.天正6年の出来事からの学び
- 1.2.鞆の浦にいる公方さまとの戦いからの学び
- 1.3.明智十兵衛光秀からの学び
- 1.4.没した登場人物たち
- 1.5.参考資料
- 2.あとがき
ちなみに2019年12月15日から更新中の
「麒麟がくる」公式サイトと公式Twitterもブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめると思いますので
まだの方は是非とも。
→2021年3月31日をもって公式サイト・Twitter・Instagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!
0.本記事を読むにあたっての前提など
1.「麒麟がくる」第41話「月にのぼる者」からの学び
第41話の感想はnoteの方に先出しで書いているのでそちらをご参照ください!
note.com
というわけで、さっさと本題の方へ。
ちなみに第41話の公式サイトのトリセツはこちらです。
今回は未だ将軍で有り続けている足利義昭公の動きと畿内の織田・反織田勢力の情勢が図示されています。
雑賀衆が消えたことはポイントかもしれませんw
→2021年3月31日をもって公式サイト・Twitter・Instagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!
登場人物の年齢のおさらい
まずは主な登場人物たちの年齢確認を。今回は天正5年(1577年)10月開始。
というわけで年齢は全員据え置き。
追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなったと判明した人物に関しては、こちらの一覧からは削除して後述の亡くなった人を弔う章に引き続き掲載する形にしています。
ちなみに生年不明な人や年齢設定不明な人以外の生年については、Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。
1.1.天正6年の出来事からの学び
天正6年何があったか
天正5年(1577年)10月から開始して、天正6年(1578年)秋のたまの結婚で終了した第41話。
天正5年については前回の記事で挙げているので、今回は天正6年の秋ごろまでの出来事について一覧にしてみました。
いつも通り「信長公記」ベースです。
- 01月01日 安土にて茶会
- 02月03日 磯野員昌が出奔
- 02月23日 羽柴秀吉、播磨へ出陣。後に別所長治が謀反
- 02月29日 安土山で相撲大会
- 04月04日 織田信忠を大将として大坂へ出陣させる
- 04月10日 滝川一益、十兵衛、丹羽長秀の三人を丹波へ出陣させる
- 04月中旬 山中幸盛が守る上月城が毛利の軍勢に包囲される
- 06月26日 丹和沖の海戦
- 06月27日 播磨の神吉城攻め開始
- 07月16日頃 播磨の神吉城を攻略
- 08月05日 陸奥津軽の南部政直が鷹五羽を献上
- 08月15日 安土山で相撲大会
- 09月24日 斎藤新五が越中へ出陣
- 10月04日 越中の陣
- 10月21日頃 荒木村重謀反
細川忠興とたまの結婚が8月なので9月以降はおそらく第42話以降の話だろうと思います。
荒木村重の謀反は十兵衛にとっても由々しき事態となるはずで多少なりとも触れられることでしょう。
長女・岸の嫁ぎ先の謀反ですからね。
その辺は除いて十兵衛が関係しているものだけいくつか補足をしていきます。
お正月に開かれた茶会
これはお正月に信長さまが開いた茶会なんですが、茶頭は松井友閑で招かれたのは以下の12名。
十兵衛に藤孝、そして秀吉も招かれていますね。
岸の嫁いだ夫の父・荒木村重もいますね。
ちなみに前年の冬には織田信忠が父・信長から譲られた茶道具を披露するための茶会を開いていますが、ここで招かれたのが以下の9名。
ここには十兵衛、藤孝、荒木村重の3人はいませんがそれ以外は正月の茶会のメンツと同じです。
織田家のトップに招かれるということは、それだけ重きを置かれている人物ということになるでしょう。
でもその中の二人が謀反を起こしているという事実も忘れてはいけないw
十兵衛の丹波攻め
4月10日、十兵衛は滝川一益や丹羽長秀らと共に丹波へ出陣しています。
この時戦ったのが園部城の荒木氏綱。
荒木氏綱は丹波の荒木鬼と恐れられた勇将と伝わっています。
tsukumogatari.hatenablog.com
園部城を包囲して取水路を断った上で攻め立てると、荒木氏綱側が降参して退場しています。
園部城には十兵衛の部隊がそのまま入場したようです。
十兵衛に敗れて縄をかけられていた丹波の国衆が第41話冒頭にいましたよね。
OPのキャスト上や字幕上では「荒木」の姓だけが見えました。
ということは、あれは丹波の鬼の一人、荒木氏綱だったのかどうか。
なんで姓のみなのかがよくわからないですが、荒木氏綱だとすれば本能寺の変でも再登板ありかもです、かなり確率低めだけどw
天正6年は播磨が荒れた年
前年、羽柴秀吉によって平定された播磨なんですが翌年になって三木城の別所長治が反旗を翻します。
別所長治の妻の実家は丹波の波多野氏。
波多野秀治の妹または娘が正妻と言われています。
その波多野氏に呼応して反旗を翻し反信長勢力に加わることになるんですが、これに乗じて周辺勢力も同調して東播磨が反織田勢力で占められることになります。
別所長治が波多野氏に呼応したのは、成り上がりの羽柴秀吉が中国方面の司令官であったことや上月城攻略時の織田軍による大量虐殺が理由とも言われています。
この別所長治の三木城を落とすのには2年ほどかかっています。
また別所長治に同調した神吉城の城主・神吉頼定も織田信忠、十兵衛、佐久間信盛、荒木村重ら総勢3万の軍勢に攻められて、こちらは半月ほどで陥落。
一方で犠牲になってしまったのが上月城の尼子勢。
上月城は織田家が奪取して以降、尼子勝久と山中幸盛が守っていましたが毛利の3万の大軍勢に包囲されてしまいます。
上月城を守備するのは3千程度だったと言われています。
秀吉は救援の支持を信長さまに仰いだものの、信長さまは播磨平定に注力する方針であり、上月城は毛利軍を足止めさせるための捨て駒として利用します。
そのために上月城には援軍は送られることはなく、秀吉からは脱出要請があったものの尼子勝久はそれは無視して自害。
尼子勝久の家臣・山中幸盛も捕らえられた後に殺害されてしまいます。
この辺の話は「軍師官兵衛」で詳細に描かれていたので覚えている方も多いかもしれませんね。
そしてその後には有岡城の荒木村重も謀反を起こすわけですが、それはおそらく第42話で触れられるのではないかと思います。
1.2.鞆の浦にいる公方さまとの戦いからの学び
信長さまの真の敵は公方さま
丹波攻略に難航する十兵衛。
丹波は元々京から近く、将軍家との関りの深い国人衆たちが多い。
そして荒木氏の話から、十兵衛は丹波の真の敵が誰かを悟ります。
それは公方さまこと将軍・足利義昭。
足利義昭は京を追放された後、堺、紀伊を経て天正4年(1576年)に備後の国の鞆の浦に移っていました。
備後の国へ移ったのは、中国地方を治める毛利輝元を頼ってのことです。
そして鞆はかつて足利尊氏が新田義貞追討の命を受けた地で足利家にとっては由緒ある土地。
織田信長打倒を掲げる足利義昭にとっては験担ぎの地であったのかもしれませんね。
足利義昭がこの鞆の地に来て以降を鞆幕府と呼んだりもしますが、反信長勢力を維持するためにこの地から御内書を全国の大名に下しています。
こういった足利義昭の反信長運動によって丹波の勢力もなかなか織田家になびかなったわけです。
やっぱり将軍職ははく奪していまった方がよかった?w
播磨を任された羽柴秀吉
信長さまから播磨を任された羽柴秀吉。
前年は加賀へ出陣した際に柴田勝家と口論して勝手に退却してしまったことで処刑されてもおかしくなかった立場の人が、大役を任されるってどうしてでしょうw
播磨は毛利氏を牽制するためにも重要な地。
毛利氏は信長さまが憎たらしくて仕方ない本願寺勢に物資を海上から支援してりしている点でも厄介な存在。
秀吉を播磨に置くことで中国攻めを本格的に開始すれば毛利氏から本願寺への物資の輸送を邪魔することにもなるでしょうけど、こんな重要な役目を何故秀吉が?
それは十兵衛を平蜘蛛の件で貶めた事によって得られた地位のようです、さすが「麒麟がくる」の秀吉はやることがあくどい(笑)
この秀吉が播磨を任された際に姫路城を譲ってまで秀吉を迎え入れたのが黒田官兵衛ですね。
2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」でもその辺りのことが描かれていました。
黒田官兵衛といえば、本能寺の変が起きた際に秀吉に光秀を討つことを献策したことでも有名ですが「麒麟がくる」には登場しないっぽいですよね。
おそらく中国大返しは逸話で伝わってる以上に超高速で終わりそうな気配ですし、尺的に黒田官兵衛が出てくる隙間はなさげw
「軍師官兵衛」で官兵衛役だった岡田准一さんが数秒登場とかあったら面白いんですが(笑)
信長さまと仲良し?になっていた近衛前久
丹波に逃げていたはずの近衛前久が安土城に。
信長さまといつの間にか仲良しになったのか?と思いきや、なんだか信長さまに不満がある様子で終始厭味っぽい言い方が多かったですねw
それでも二人は共通の趣味である鷹狩りを通じて懇意の仲になっていくのです。
そして信長さまの使いで近衛前久が九州へ渡っていたことも判明しました。
近衛前久が九州へ渡ったのは天正3年(1575年)9月から天正5年(1577年)2月までのこと。
その目的は九州の島津氏や大友氏らに和議を結ぶばせて共に毛利氏を攻めるという、いわば毛利輝元包囲網を作るため。
信長さまが見事その任を果たされたと言ってたように、この画策は功を奏し天正10年(1582年)には計画通り毛利氏を東と西から挟み撃ちにする予定だったんですが・・・本能寺の変が起きてしまったがために実現しなかったのです。
ちなみに近衛前久はこの後、信長さまの宿敵・本願寺との和睦交渉でも活躍し、天下を取った暁には近衛家に一国を献上する約束をするほど信長さまが喜んだそうです。
類箋唐王右丞詩集
三条西実澄の邸で十兵衛が手に取っていたのは「類箋唐王右丞詩集」。
中国の唐の時代における高級官僚で、詩人としても有名な王維の詩集らしいです。
王維は画家、書家、音楽家としても優れていたそうなので当時の中国を代表する文化人でもあったのでしょうね。
王維の最晩年の官職が「尚書右丞」だったことから王右丞と呼ばれたそうです。
だから「―王右丞詩集」なんですね。
そして三条西実澄が言っていた
「君に問う何れの所にか之くと―」
というのは以下に示す王維の五言古詩「送別」の一節でした。
下馬飲君酒
問君何所之
君言不得意
歸臥南山陲
但去莫復問
白雲無盡時
馬を下りて君に酒を飲ましむ
君に問う 何(いず)くの之く所ぞと
君は言う 意を得ず
帰りて南山の陲(ほとり)に帰臥(きが)せんと
但(ただ)去れ復た問うこと莫からん
白雲は尽くる時無し
これは友人または王維自身に向けた送別の詩らしいですね。
とはいえ漢文は全く無知でわからないので詳しい意味とかは書籍等にお任せすることにします(笑)
1.3.明智十兵衛光秀からの学び
「麒麟がくる」の不思議
「麒麟がくる」の最終回が本能寺の変であることが既に公表されています。
つまり「麒麟がくる」の集大成はやはり本能寺の変にあるということでしょう。
そんな「麒麟がくる」の不思議といえばタイトルそのものですよね。
「麒麟がくる」の「麒麟」とは平らかな世に現れるという伝説上の生き物。
いわば「麒麟」とは平和の象徴。
しかし主人公の明智十兵衛光秀の世に「麒麟」は来ない。
なぜなら、明智光秀は主君である織田信長を倒した後、その家臣かつ同僚であった羽柴秀吉に敗れて志半ばで死んでしまうからです。
これはもうみんなが知っている事実です。
明らかに主人公では回収できないタイトルで、一種の矛盾を感じるようなこのタイトルは大河ドラマ決定時から多くの人にとっての謎。
でもこの「麒麟」が見えるはずの未来にモヤをかけて物語の行く末に興味を沸かせる重要なキーとなっていることも間違いありません。
タイトルといえば「くる」が平仮名表記であることも謎です。
なぜわざわざ平仮名表記にしているのか、これには何か意味があるのではないかと考える人も多いのではないでしょうか。
普通に考えれば「くる」の漢字を使うと「来る」だけど、実は違う意味の「くる」だったりするのではないかとか。
個人的には漢字にしてしまう方が意味が広がってしまったりするから逆に平仮名表記にして意味を狭めているのかも、とか思ったりもしましたが、未だにこの謎もよくわかりません。
いや謎ではないのかもしれないけどw
麒麟がくる世にしたいと思っている十兵衛が、果たして何故本能寺の変を起こすのか。
公方さまや信長さまを支えることで麒麟がくる世を目指していた十兵衛が、彼らにとって代わる存在になるために立ち上がるのか。
あるいは、信じていた信長さまを見限って別の誰かに麒麟がくる世を託すために謀叛を起こすのか。
その辺の考察をするためにも今回は「麒麟がくる」の十兵衛がどんな人物なのか、今一度振り返ってみたいと思います。
「麒麟がくる」の明智十兵衛とは
十兵衛を知るために明智十兵衛光秀の現時点での基本スペックを確認してみようと思います。
これは史実上という話ではなく、あくまでも「麒麟がくる」から読み取れるスペックのみです。
その観点は精神(性格や志)、知識(教養)、体力(技量)の3つで考えてみました。
■精神■
- 正直者
- 家族大好き
- 戦が嫌い
- 大きな国を作りたい
- 麒麟がくる世にしたい
- 神仏に対する信仰心は平均値
■知識■
- 五体満足、多分持病無し
- 鹿島の太刀の使い手
- 美濃一の弓の使い手(伝吾曰く)
- 鉄砲の名手
- 何気に50歳なので体力は落ちてるかもw
こうして見ると完璧な人です、非の打ち所がないとはこのこと。
さすが主人公(笑)
ただ見逃しちゃいけないのは、十兵衛の年齢です。
なんだかんだいって、十兵衛は天正5年(1577年)時点でもう50歳なんですよね。
医療が今ほど発達していない時代なので流行り病はもちろん、戦で受けた傷が元で亡くなってしまうこともありえます。
実際年齢が近いと思われる煕子は前年に亡くなってしまいました。
十兵衛の嫡男・十五朗が元服していたら家督は既に譲っていてもおかしくない年齢でしょうね。
そういう年齢に差し掛かっていることが十兵衛の考え方に影響をするのかどうか。
血縁関係
十兵衛の血縁関係についても整理してみましょう。
「麒麟がくる」で血の繋がりのある人たちや親類に当たる人たちを纏めてみました。
■家族■
- 妻木煕子(妻)
- 岸(長女)
- たま(次女)
- 十五郎(長男)
- 牧(母)
- 明智光綱(父。物語が始まる前に既に亡くなっている)
■父方の親戚■
- 明智光安(父・光綱の弟)
- 明智左馬助(光安の子)
- 斎藤道三(叔母・小見の方の夫であり美濃の守護代)
- 小見の方(父・光綱、叔父・光安の妹で帰蝶さまの生母)
- 帰蝶(斎藤道三、小見の方の娘であり織田信長の妻)
- 斎藤孫四郎(小見の方の子で斎藤道三の次男。異母兄・高政が謀殺)
- 斎藤喜平次(小見の方の子で斎藤道三の三男。異母兄・高政が謀殺)
- 織田信長(帰蝶の夫であり今や最も天下人に近い人)
■婚姻による親戚■
- 妻木氏(妻・煕子の実家。ただし妻木氏一族は煕子以外誰も登場せずw)
- 荒木村重(長女・岸の嫁いだ夫の父。ただし麒麟がくるには父子共に未登場)
- 細川藤孝(次女・たまの嫁いだ夫・忠興の父。十兵衛とは古くからの旧友))
- 細川忠興(次女・たまの嫁いだ夫、細川藤孝の嫡男)
帰蝶さまが従妹であるという事実は、つい忘れがちな気も(笑)
「麒麟がくる」だと登場しませんが十兵衛の4女が信長さまの弟・信勝の嫡男・津田信澄の正妻と言われてますし、主家との繋がりが何気に深い。
十兵衛が近江の志賀郡を与えられたり織田家で最初に城持ちとなったのも、その辺の縁があるゆえかもしれません。
仕えた主君との関係
十兵衛が仕えた斎藤道三、朝倉義景、足利義昭、織田信長の4人を十兵衛がどう感じていそうか、というのを纏めてみました。
つまりちょっと私の主観が入った内容になっていると思うので、そこはご容赦くださいw
ちなみに朝倉義景には仕えたのかどうかがよくわからないけど、まぁお世話になっていたのは間違いないので入れてます。
■斎藤道三■
- どちらかと言えば嫌い、ケチなところがw
- 志や国造りの考え方には賛同
- 何気に十兵衛に夢を与えてくれた重要人物
■朝倉義景■
- 政治より蹴鞠を優先してる辺りを嫌ってそうw
- 何気に抜け目なく、曲者だとは思ってそうw
- 仕えたいとは思えなかったようだw
■足利義昭■
- 兄・義輝ほどの器量は感じていない
- 民を想う気持ちには賛同
- 京を静かな都にしたい思いは一緒
- 信長さまとの関係が崩壊しなければ生涯公方さまを支えたはず
■織田信長■
- 全てを理解はできない不思議な人
- 戦上手なところを認めてそう
- 大きな国造りを共に進めていきたい
- 神仏に対する不敬な言動には疑問を感じてそう
- 最近は無茶ぶりが多過ぎて困ってる
多分十兵衛が100点満点をあげる主君ってこの4人の中にはいない気がしています。
満点をあげるのは十兵衛が実際には一度も仕えていない足利義輝なんじゃないかと。
一度も仕えていないからこそ、義輝公のキラキラした部分しか見えてないでしょうしね(笑)
あとちょっと迷ったのは、正親町天皇をここに含めるかどうかなんですよね。
第41話で信長さまの監視役を正親町天皇に命じられていたので、この時を以て十兵衛が帝に乗り換えたと考えてもいいのかな~なんて思ったりしたので(笑)
十兵衛に影響を与えた人たち
十兵衛の志や行動に大きな影響を与えることになったであろう人たちをここではピックアップしてみました。
これも若干主観が強いかもしれませんw
- 父・明智光綱 → 武士の生き様、麒麟の教え
- 母・牧 → 父代わり
- 斎藤道三 → 大きな目標を与えてくれた人
- 三淵藤英 → 奉公衆は憧れの存在
- 松永久秀 → 年の離れた兄貴分のような存在
- 望月東庵 → 年の功や交流の広さによる人生訓
- 足利義輝 → 十兵衛最推しの人物
- 織田信長 → 大きな国造りを任せられる存在
- 正親町天皇 → 信長さま監視指令w
正親町天皇が影響を与えるのかどうかは、今後の話なのかもしれませんが第41話の十兵衛と正親町天皇のやり取りを鑑みて入れておきました。
正親町天皇の『信長が道を間違えぬようしかと見届けよ』という言葉には『もしも道を間違えた時には・・・良きに計らえ』という意味も含まれてる気がしてなりません。
そうなると本能寺の変の黒幕が正親町天皇になっちゃうんだけど、でもつまりはそういうことか?
同じようなことを考えた人は結構いるんじゃないのかなあ(笑)
十兵衛は何故本能寺の変を起こすのか
何故本能寺の変を起こすのかは、もはや明らかなような気もしています。
十兵衛が信長さまをうまく操縦できなくなり、信長さまの暴走が増えるからなのではないかと。
そして信長さまをうまく操縦できなくなった一番のきっかけは、十兵衛が信長さまに嘘をついたことだと思うんです。
誰よりも信頼していた十兵衛が平蜘蛛の所在を正直に話さないどころか隠そうとしたことに相当ショックを受けたはずです。
「麒麟がくる」の信長さまは繊細な心の持ち主なので・・・。
一度信頼の糸が切れちゃうと過去の気に入らなかったけど許したことも蒸し返したりしそうです。
例えば、十兵衛が信長さまに仕えることを一度断ったこと。
例えば、十兵衛が比叡山の焼討で命令に背いていたこと。
良好な関係を築けている時は我慢できてたことが、仲が悪くなると途端に許せなくなることってあるでしょう?(笑)
それに信長さまは一度嫌いになったら徹底的に嫌いになるタイプな気もするので、十兵衛に対する当たりも次第にエスカレートしていくことを予想しています。
そんな感じで徐々に自己中心的な言動が多くなる信長さまに対して、十兵衛ももはや大きな国造りを任せられないという思いに至り、本能寺の変を起こす。
ただ、この本能寺の変を起こすこと自体の筋書きはさほど重要じゃないと私は思ってます。
重要なのは本能寺の変を起こすことで、十兵衛自身がどこへ向かおうとしているのかだと思うんです。
つまり、十兵衛自身が天下人となり麒麟がくる世を目指そうとするのか、もしくは別の誰かに託すために信長さまを討つのか。
もしも前者だとすれば煕子が亡くなる間際に言っていた、十兵衛が麒麟を呼ぶ人であってほしいと思っていたという願いを込めた言葉が影響するのかもしれません。
でも個人的には後者の別の誰かに託す方なんじゃないかと思っています。
そして、その別の誰かが徳川家康なのではないか。
何故徳川家康なのかという理由は、麒麟がくるの第41話まででは明確なものは無いので勘と未来の史実を踏まえてのことでしかありません、現時点では。
でもそれも十兵衛と家康の絡みがありそうな第42話でその辺のヒントがあるかもしれないと考えています。
また、十兵衛自身が天下人になろうとしない理由については、単純に十兵衛がそういうタイプの人間ではなく十兵衛自身もそうわきまえてそうだからです。
松永久秀の平蜘蛛を結局信長さまに献上してしまったことがそれを物語っていると思うんですよね。
伊呂波大夫経由で、平蜘蛛を持つことの覚悟を十兵衛は松永久秀に教えられました。
いかなる折も誇りを失わず志を高く持ち心美しき者であるべきことを。
そして平蜘蛛は松永久秀が絶対信長さまには渡したくなかったからこそ、十兵衛に託しました。
十兵衛を若いころから見ている松永久秀は、十兵衛こそ平蜘蛛を持つ資格があると思ったのかもしれません。
それなのに十兵衛は、平蜘蛛を手放してしまいました。
松永久秀が信長さまに渡したくないことは知っているはずなのに、信長さまに渡してしまった。
信長さまに平蜘蛛を持つ覚悟のある人物になってほしいから、と言ってましたけど、裏を返せば自分にはその覚悟も資格もないって言ってるようなもんだと思うんですよね。
つまり十兵衛は下剋上を起こせるような人間じゃないんです。
麒麟がくる世にすべく大きな国造り事業には参加したいけど、その事業の頂に立つ人間としてではなく、あくまでもトップを支える縁の下の力持ちの一人として参加したいタイプなんです。
本能寺の変を起こすのは、あくまでも次なる天下人のための布石の一つであって十兵衛自身が天下を取るつもりは無い。
と、いろいろ言い切ってしまっていいのかどうかはよくわかりませんが(笑)、「麒麟がくる」の明智十兵衛という人物像を考えた時に現状しっくりくる私の結論がこれです。
でもこの考察は第42話を見たら変わる可能性が大いにあります(笑)
その時は許してくださいw
1.4.没した登場人物たち
こちらは「麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものですが
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。
1.5.参考資料
今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。
軍師官兵衛 - Wikipedia
近衛前久 - Wikipedia
王維 - Wikipedia
送別 王維 漢詩の朗読
2.あとがき
「麒麟で学ぶ」第41回目はいかがでしたか?
感想、ご意見等あればコメントをお気軽に。
信長さまに京から追い出される形となった公方さまの影が未だに見え隠れする「麒麟がくる」。
十兵衛は丹波攻略戦を通じて真の敵が公方さまであることを悟りますが、公方さまも本能寺の変に関与してくるのかどうかがまだよく見えないところ。
信長さまを見限って徳川家康じゃなくて公方さまに託そうとする十兵衛、という考察も有りな気はするんですよね。
どっちにしても自分が天下人のような立場になることは十兵衛は考えていないというのが私の基本的な考えなんですが。
ちなみに、ちょっとここへ来てツッコミたい部分も出てきがちな「麒麟がくる」だったりはするんですが(春宮への譲位の話とか)、敢えてそこはスルーして「麒麟がくる」の世界線を楽しむことにしています。
残り3話でどのような展開が待っているのか。
話数は少ないけど怒涛の3話になることは間違いないだろうと思っております。
さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。
そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。
NHK出版 2019年11月30日
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では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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こちらから過去記事も読んで頂けると
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*1:第38話より良通から一鉄に。
*2:第39話より奇妙丸から信忠に。
*4:「麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。
*5:「麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。
*7:「麒麟がくる」では亡くなっているかどうかの言及はなく、東庵先生も生死どちらとも取れる感じで話している。
*8:信長の野望ベースなら享年42歳。桶狭間の戦いの前哨戦、丸根砦の戦いで討死しているが「麒麟がくる」では語られていない。
*9:実際に亡くなったのは21話と22話の間の期間だが、19話で既にナレ死してます。。。
*10:信長の野望ベースなら享年30歳。桶狭間の戦いの後、今川家からの自立を目指した松平氏との戦いにて戦死。
*11:「麒麟がくる」では桶狭間の戦いから4年間がカットされてしまったこともあって、その死を語られることもなかった。
*12:没した月日は9月13日、9月30日、10月1日、10月8日、10月20日、10月22日など諸説ある。
*13:1540年生年説もあるのでその場合だと享年29歳。
*15:「麒麟がくる」第37話時点で亡くなった説明はないが、蘭奢待切り取りの前年に亡くなっているはず。
*16:「麒麟がくる」では、その死は語られていない。また永正12年(1515年)生年説の場合は享年60歳。
*17:「麒麟がくる」では触れられていないが越前で起こった一向一揆との戦いで亡くなっているはず。
*20:享年も46歳、42歳、36歳など諸説ある。