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「麒麟がくる」第38話は幾つになっても十兵衛は十兵衛な回

「麒麟がくる」第38話は幾つになっても十兵衛は十兵衛な回
麒麟で学ぶ」第38回目です。
今回の記事を読むと以下の事がわかるかもしれませんw

  1. 三淵藤英より前に亡くなった人w
  2. 三好康長について
  3. 六角氏の今と未来
  4. 公方さまの動向
  5. 丹波の鬼より一向一揆
  6. 春宮さまについて

さて本シリーズの前提事項的なものを毎回0章に記載していますので、初めて本シリーズの記事を読む方はさらっと一読していただけると助かります。
既に読んだことのある方は読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが本シリーズは「麒麟がくる」のネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃してまだ視聴されていない方はU-NEXTまたはAmazonプライムビデオNHKオンデマンドをチャンネル登録すると見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれるといいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

※本記事掲載のAmazonプライムビデオおよびU-NEXT配信情報は、2021年3月31日時点のものです。
最新情報については各サイトにてご確認ください。

しかしネタバレ含んでいるけど、本記事を読んでから視聴すると少し前提知識が入った上での視聴になるのでそれはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分についてはこちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる」公式サイト公式Twitterもブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめると思いますので
まだの方は是非とも。
→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

0.本記事を読むにあたっての前提など

1.「麒麟がくる」第38話「丹波攻略命令」からの学び

参議になった織田信長
第38話の感想はnoteの方に先出しで書いているのでそちらをご参照ください!
note.com

というわけで、さっさと本題の方へ。

ちなみに第38話の公式サイトのトリセツはこちらです。
今回も織田家勢力図と十兵衛が攻略命令を受けた丹波にクローズアップ。
おっと、六角氏の名前が消えているぞw

→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は天正2年(1574年)3月スタート
というわけで年齢は全員1年繰り上げ。
追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなったと判明した人物に関しては、こちらの一覧からは削除して後述の亡くなった人を弔う章に引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人や年齢設定不明な人以外の生年については、Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

1.1.三渕藤英からの学び

三淵藤英の死は謎
十兵衛から信長さまの命を聞く前から既に覚悟は決まっていた三淵藤英
十兵衛が美濃以外の武将で初めて出会ったのが奉公衆の三淵藤英。
鉄砲を買い付けるために堺の武器商・宗次郎のお店で対面したのが最初。
同じく噂の鉄砲がどんなものかを見に訪れていた三淵藤英に、一緒に見ていってはどうかと十兵衛を誘いました。
三淵藤英のおかげで鉄砲の威力を知ることが出来たし、その後、松永久秀とも面識を持ち鉄砲を1挺購入することもできたんですよね。
きっと十兵衛は父の光綱から将軍に仕える奉公衆の話も聞かされていただろうから、奉公衆として幕府に仕えることは夢だったのかもしれない。
そして三淵藤英がその奉公衆の一人と知って心躍る気持ちになったのではないか。
立場は違えども2人の目的は常に一緒だったはずです。
それは将軍を支えて幕府を盛り立て、世を平らかにするということ。
支えたい人物は同じだったけど目的を達するために必要な人物は一緒ではなかったために、二人の明暗が分かれてしまったのかなと思います。
麒麟がくる」ではわりと納得のいく切腹の理由付けがされていて、あれはあれで良かったんだけど、実際は切腹することになった理由ってわかっていないんですよね。
信長さまの命で自害したのかどうかもわかっていません。
弟の細川藤孝と共に岩成友通の籠る淀城を落とす命令もきっちりこなしたにも関わらず、何故切腹しなければならなかったのか。
最後まで二条城に立て籠もって信長さまに抗おうとしていた事で、足利義昭に対する忠誠心の強さを警戒した信長さまが捨て置くわけにはいかずと切腹させたのかもしれない、みたいな安直な考察はできるんですけどね。
ちなみに「麒麟がくる」では登場していませんが、三淵藤英の嫡男・三淵秋豪(あきひで)も共に切腹を命じられて亡くなっています。
そして次男の三淵光行細川藤孝預かりとなって、そのまま叔父の藤孝に仕えることになります。
信長の野望・創造 戦国立志伝の三淵光行
後々に起こる天下分け目の戦い・関ケ原の戦いの折、西軍に攻められつつも守り切った田辺城の戦いで叔父・細川藤孝と共に奮戦しますが、その戦ぶりを聞き知った徳川家康がそれを評して三淵光行を旗本に召し出しています。
室町幕府を支えた三淵氏は江戸幕府を支える旗本の家系として続いていくことになるのです。
tsukumogatari.hatenablog.com

麒麟がくる」では谷原章介さんが演じた三淵藤英でしたが、過去作だと1992年の信長 KING OF ZIPANGUでは渡辺寛二さんが演じていたらしいです。
信長 KING OF ZIPANGU」はNHKオンデマンドで見れるようなので三淵藤英を探す旅に出ようと思いますw

朝倉景鏡、越前の一向衆に討たれる
前回も少し触れましたが朝倉景鏡は越前で起こった一向一揆との戦いで討死してしまいます。
麒麟がくる」では予想通り触れられませんでしたが、三淵藤英が亡くなった天正2年7月6日より前の出来事です。

朝倉景鏡は主君・朝倉義景を裏切って自害に追い込みました。
そして朝倉義景の首と捕らえた義景の妻子や近習を信長さまに差し出すことで降伏を認めてもらい、所領も安堵されています。
その後は名を土橋信鏡と改めて、越前の地で所領を守っていました。
ところが天正2年(1574年)に信長さまに守護代を任されていた桂田長俊(旧名:前波吉継)を打倒するために富田長繁土一揆を起こし、それが越前の一向一揆とも結びついた結果、越前は一揆衆に飲み込まれてしまいます。
その一揆衆との戦いにおいて天正2年4月14日、朝倉景鏡は討死してしまいます。
せっかく生き残る道を選択したにも関わらず、その最期は意外と早く訪れてしまったのです。
tsukumogatari.hatenablog.com

麒麟がくる」公式サイトのトリセツで越前が一向一揆に支配されているのは、この一向一揆が理由なんですが何故かこの件、一度も触れられてませんよね?w

三好康長って誰だっけ?
信長の野望・創造 戦国立志伝の三好康長
十兵衛が河内へ出兵して活躍したおかげで三好の一党を畿内から追い出すことができたらしい。
ただし三好康長の首は取り損ねたと十兵衛が悔しがっていました。
さてその三好康長とは、あの三好長慶の叔父にあたる人で、後に咲岩(しょうがん)と号します。
元々の三好氏の本貫地である阿波を拠点として活動していた武将で、三好長慶の弟・三好実休(義賢)に仕えていました。
生没年共に不詳のため年齢はよくわかりませんが、三好長慶の叔父であることを考えると松永久秀辺りと同じぐらいの年齢でしょうか。
ちなみにゲームの「信長の野望」シリーズだと1508年生まれの設定なので松永久秀より3歳ぐらい年上。

三好康長は基本的には三好三人衆と同じ路線を歩んでいます。
その流れで松永久秀とも一時敵対するんですが、三好義継と松永久秀が結託して河内の畠山昭高を攻めるとそれに同調して信長包囲網に加わります。

しかし三好義継が信長さまに敗れて三好宗家が滅亡し、三好三人衆岩成友通の討死によって瓦解してしまうと、松永久秀は信長さまに降伏。
さらに将軍・足利義昭も京から追い出されてしまい、畿内で残る反信長勢力は一向宗の総本山である本願寺ぐらいとなってしまいます。

そんな状況下でも天正2年(1574年)4月に本願寺が再度挙兵して信長さまに対抗すると、三好康長も河内の高屋城に入って反織田勢として加勢します。
十兵衛や佐久間信盛が河内へ攻め込んだのは、この三好康長の入場した高屋城攻めなのでしょう。
十兵衛が取り逃がしたといったように、三好康長は戦に敗れるものの辛くも逃げ切り、向こう1年信長さまに抵抗し続けることになります。
向こう1年という期限付きなのは、その後は信長さまに降伏して織田家臣になるからです。
信長さまの家臣となって以降は、元々四国に地盤のある三好康長を信長さまは四国方面の担当として重用します。
この辺の事情が、実は本能寺の変の原因とも言われる四国攻めに関係してきます。
三好康長は名前のみの登場なのかもしれませんが、「麒麟がくる」で本能寺の変への道のり過程で絡んでくる可能性はあるのでちょっと覚えておいてほしい武将の一人です。

六角氏も今回で退場か

名前と地図上にしか登場してこない近江の六角氏。
それももはや今回限りかもしれません(笑)

近江の六角氏は六角義賢の父・六角定頼の代には幕府に対しても影響の大きい人物で、足利義昭の父・足利義晴も兄・足利義輝も多大なる支援を受けています。
しかし次代の六角義賢が北近江の浅井長政に敗れてしまったがために、その勢力は衰退し、さらに観音寺騒動と呼ばれる内訌によって六角氏に対する国人衆の信頼度は下がる一方。
そんな状況の中で信長さまが足利義昭を奉じて上洛したため、居城の観音寺城を捨てて逃げざるを得ませんでした。
tsukumogatari.hatenablog.com
それでも甲賀や伊賀の国人衆とゲリラ戦を展開しながら信長さまに対抗し続けていたんですが、天正2年(1574年)4月13日に菩提寺城と石部城が織田方に落ちたことによって六角氏は完全敗北状態。
トリセツからも遂に六角氏の名が消えてしまいました。。。
ちなみに六角義賢のその後は判然としてはいないようですが、豊臣秀吉の時代まで生きていたことは確かで、子の義治同様に御伽衆に加えられています。

1.2.斎藤利三からの学び

ようやく登場した斎藤利三本能寺の変にどう絡んでくるのか
稲葉一鉄の下を去り十兵衛を頼ってきた斎藤利三
明智五宿老の一人、斎藤利三が第38話にしてようやく登場。
斎藤利三のほどほどに詳しい情報は以下の記事を参照してくださいw
tsukumogatari.hatenablog.com
キャスト発表も遅かったから、もしかして出ないとかあるの?なんて不安も過った時期がありましたねw
明智五宿老は全員揃わなくてもいいけど、明智三羽烏の安田作兵衛は登場してほしいな~なんて思ったりしています。
tsukumogatari.hatenablog.com

さて、そのやっとこ登場した斎藤利三稲葉一鉄の下を出奔して十兵衛を頼ってきたようです。
そして十兵衛が信長さまを怒らせた逸話の一つとして有名な、斎藤利三を稲葉に返せ・返さないのやり取りが採用されていました。
あの話は斎藤利三の導入として使いやすい話なのでしょう。

この斎藤利三丹波平定後に黒井城を任されるなど十兵衛に重用されるんですが、四国の長曾我部元親と縁戚関係にあって本能寺の変の原因説に絡んできたりします。
斎藤利三が長宗我部氏と縁があることから長宗我部氏との外交担当を十兵衛が任されていて、斎藤利三宛の長曾我部元親の文書が残っていたりもします。
一方で前述の三好康長は藤吉郎と繋がりを持つことで長曾我部元親に奪われつつあった阿波の領地の回復を信長さまに訴えていて、それがゆくゆくは四国征伐へと繋がっていきます。

麒麟がくる」ではこの辺の話を絡めてくるのか、全く絡めてこないのかといったところに今後は注目したいところです。

ただ現時点の感覚では、本能寺の変の要因は一つや二つの疑念が原因になるというよりも、いろんな事の積み重ねによって起きるんでしょうね。
それは二条城建設時の頃から既に始まっているんじゃないかと。
そして信長さまに対する小さな疑念の積み重ねが今まさに十兵衛の中で起きている最中で、信長さまの言動に対して怪訝な顔をすることが多くなってきたような印象があるのも、その蓄積量が増してきたためなのではないかと思うのです。

若江城に移された公方さま
将軍・足利義昭を若江城に追いやった織田信長
前回の記事でも触れましたが、やはり公方さまは若江城に移動されたようです。
移動されたというか強制的に信長さまに移された?w
tsukumogatari.hatenablog.com
若江城への移動に関しては「信長公記」にも記述があって、藤吉郎(羽柴秀吉)の警固の下、送り届けられたとあります。
また、十兵衛が『公方さまを着の身着のままはだしで歩かせ人々の嘲りを受けさせた』と言っていましたが「信長公記」にも『上下の人日から「貧乏将軍」と指をさされて嘲笑された』という記述があるので、やはり武家の棟梁には相応しくないお姿を晒されながらの移動だったのでしょう。

公方さまの移動した若江城は現在の大阪府大阪市若江南町にあった畠山氏が築城したお城。
畠山氏は三管領家の一つとして室町時代まで隆盛を極めたお家柄ですが、応仁の乱の一因でもある家督相続争いを引き起こしたことが原因で徐々に衰退していきました。
公方さまが若江城に移った際の城主は誰かと言えば、三好義継。
三好宗家の後継ぎであり、三好長慶の甥にあたる武将です。
しかしその三好義継は公方さまに同調して信長さまと再び敵対する姿勢を見せたことから信長さまに攻められて自害してしまいます。
これが「信長公記」を読む感じでは天正元年(1573年)11月から12月の出来事。

以後、公方さまの動向は「信長公記」では見当たらないんですが、三好義継と信長さまの間に再び険悪な空気が流れた頃に堺へ移った後、紀伊の興国寺を経て泊城の湯川直春を頼ります
湯川氏は畠山氏の家臣ですが、紀伊で湯川衆を率いる一大勢力。
紀伊根来衆本願寺勢力と手を結んで信長さまの包囲網に加わっています。
そして公方さまは泊城を拠点に打倒信長勢力を募るために、沢山文を書くんですが誰も賛同してくれないためいじけて備後の国を目指すのです・・・w
ちなみにこの頃って「麒麟がくる」に登場した一色藤長も公方さまに付き従っているはずなんですが、彼はもう出てこないんだろうか。
後々公方さまにお怒りを買って追い出されちゃうんですけどね。

十兵衛が骨を折ることになる丹波攻略
十兵衛に丹波攻略を命じる織田信長
畿内から三好の一党を排除した十兵衛に、信長さまは大きな仕事を任せます。
それが丹波攻略
丹波は「麒麟がくる」でも言ってたように幕府や朝廷との繋がりが深い上に鬼がいます(笑)
丹波の赤鬼と恐れられた赤井(荻野)直正丹波の鬼荒木氏綱、そして丹波の青鬼籾井教業です。
tsukumogatari.hatenablog.com
tsukumogatari.hatenablog.com

信長の野望シリーズにも必ず揃って出てきてると思います、たぶんw
特に赤井直正との戦いは十兵衛も苦戦するんですよね。

そもそも「麒麟がくる」だとあんまりわかんないけど、織田軍って年がら年中戦に明け暮れている感じなんですよね。
しかも主要な武将たちは北へ南へいったりきたりで、精神的にかなりきつい状況が続いていたんじゃないかと思ったりします。
次回の本願寺攻めはその辺の状況も加味して描かれそうです。
そして十兵衛にとって辛い事が起きてしまうのかもしれません。
その辺は次回を待て、ということにしておいて、その前に信長さまにツッコミたいことが。
手つかずで残ったのは丹波だけって言ってたけど一向衆に乗っ取られた越前は放置ですか?(笑)

伊勢の一向一揆は確かに7月から8月にかけて侵攻作戦をおこない、9月には平定していることが「信長公記」に書かれています。
この平定戦には信長さまの嫡男・信忠を始めとして佐久間信盛柴田勝家稲葉一鉄など主要な家臣が多く参戦していますが、十兵衛の名は「信長公記」上では見られません。
一方で越前の一向一揆に関しては翌年の天正3年(1575年)8月以降まで収められていません。
この越前の一向一揆討伐については十兵衛も参戦しているし、佐久間信盛柴田勝家も藤吉郎も参戦しています。
信長公記」上の記述では3万騎を超える大軍勢で越前討伐に向かっています。
十兵衛が本格的に丹波攻略に乗り出すのもこの越前の一向一揆が収まってからじゃなかったかなぁと。
この辺はもしかしたら次回少し触れられるのかもしれません。

春宮さま、誠仁親王
織田信長を慕う誠仁親王
春宮さまといえば皇太子殿下。
東宮とも書きますね。
正親町天皇の御嫡男で誠仁親王のことです。
信長さまのことを『参議』といって親しげな感じでしたが、誠仁親王元服は信長さまのおかげで出来たので、その辺のこともあって信長さまに対する信頼度や好感度が高め設定なんだと思いますw
元服式を挙げられたのが永禄11年(1568年)の12月。
当時、春宮さまは数えで17歳。
当時元服は早いと12歳で行われていましたから、延び延びになっていたことがわかります。
延期されていた理由は資金面の問題です。
その解決をしてくれたのが、当時足利義昭を奉じて上洛した信長さまだったわけですね。

関白の二条晴良が春宮さまの即位を急かすように信長さまの援助を求めている感じでしたが、信長さま自身は慎重な姿勢を示していました。
実際信長さまは春宮さまの天皇即位を否定はしないもののあまり積極的に関与しようとはしなかったようなんですよね。
ただし、後に信長さまが近江に築く安土城には天皇を迎える「御幸の間」を設置していて、これは誠仁親王の即位を想定して作ったのではないかと言われています。
正親町天皇自身は既に58歳という当時で言えば高齢なので、譲位してもおかしくはないお年頃。
信長さまが生きている間に誠仁親王への譲位が実現していたら、第107代天皇は誠仁天皇だったのかもしれません。
麒麟がくる」では描かれない時代だと思うのでばらしてしまうと、誠仁親王天皇に即位することなく信長さまの死から数年後に享年35歳という若さで亡くなってしまうんです。

ちなみに誠仁親王が居住することになる二条新御所は、信長さまが自らの居館として建てたものを献上したものです。
そしてここがは本能寺の変の際にもスポットが当たることになります。

そういえば信長さまに蹴鞠を披露せよと言っていた春宮さまですが、翌年天正3年(1575年)7月3日大規模な蹴鞠大会を開催したことが「信長公記」に記されています。
信長さまはお馬廻主のみ従えて参内したそうですが、正親町天皇から女官を通じて盃を頂戴したそうです。
この時の蹴鞠に参加した人たちの名簿と、蹴鞠の時の位置?みたいな図も残っているんですよね。
計4回蹴鞠をおこなったようですが、あの三条西実澄も蹴鞠プレイヤー(?)として名を連ねています。

1.3.近衛前久からの学び

近衛前久赤井直正
信長のような武将が好きという近衛前久
二条晴良の策略によって京を追い出されることになった近衛前久
その潜伏先は丹波赤井直正の下でした。
赤井直正の後妻が近衛稙家の娘、つまり近衛前久の妹であることは「麒麟がくる」でも語られていました。
近衛前久が信長さまと敵対する側についていたことから今後どちらにつくつもりなのかというのを十兵衛が尋ねていました。
でも元々近衛前久が敵対していたのは自分を追い落とした二条晴良と兄・足利義輝の暗殺に一枚かんでいると思い込んでいた足利義昭に対してであって、信長さまに対してじゃないんですよね。
むしろ信長さまみたいな武将は大好物で(笑)、趣味も合って意気投合しちゃいます。
信長さまも近衛前久鷹狩りが大好きで、それぞれがその成果を自慢し合う形で話が盛り上がっていたのだとか。
そんなわけで足利義昭は京から出て行ってしまったし二条晴良もその権威は落ち目な状態にあるので、天正3年にはきっと信長さまの奏上によって京へ戻ってこれることでしょう。

ちなみに若き頃の近衛前久が主役の小説「戦国秘譚 神々に告ぐ」を最近読んでみました。
信長さまと仲良しの時代ではなくて三好長慶畿内で勢力を持っていた時代の話が中心なんですが、公家視点の戦国時代の小説って読んだことがないのでその辺が新鮮で面白かったです。

戦国秘譚 神々に告ぐ(上) (角川文庫)

戦国秘譚 神々に告ぐ(上) (角川文庫)

戦国秘譚 神々に告ぐ(下) (角川文庫)

戦国秘譚 神々に告ぐ(下) (角川文庫)

菊丸は何故京にきたのか

前回から菊丸は京へ来て望月東庵先生のところにやってきてましたけど、彼は一体何しにきたんでしょうか?(笑)
やることがあるといってた気がするので、徳川家康から何か重大な使命を受けているんだとは思うんですが・・・。
なんとなく本能寺の変が起きた際の伊賀越えの先導役は「麒麟がくる」だと菊丸なのかな?と思ったりはしますが、それ以外だとどんな役目があるのか想像力に乏しくてまったく思い浮かんできませんw
武田信玄も亡くなって甲斐武田氏の脅威も薄れて主君の身も安泰なので駒に逢いに来た、みたいな理由じゃないだろうしw
そもそも甲斐武田氏の脅威は武田信玄が亡くなっても収まってはいませんしね。
遠江高天神城天正2年(1574年)6月に武田勝頼に攻め落とされちゃいましたし。
この時も信長さまは援軍送ったんだけど間に合わなかったんですよね。

まぁ事は単純で畿内の情勢を徳川家康に逐一伝えることが目的かもしれません。

何か面白い理由を思いつく方がいたら教えてくださいw

船井の小畠永明
丹波攻略を命じられた明智十兵衛光秀
丹波船井の小畠氏は、丹波攻略戦の初期から十兵衛の味方に付いた丹波の国人衆です。
この小畠氏は「小畠文書」と呼ばれる十兵衛からの書状が残されていることで知られているんですよね。
丹波国人衆の多くは公方さま側についていたんですけど、元々船井郡内で内藤如安松永久秀の弟・松永長頼の子)と勢力争いをしていたこともあって織田方につき、桑田郡の川勝継氏も織田方に引き入れています。
十兵衛はこの小畠氏と川勝氏の協力をもって丹波攻略戦を開始することになります。
小畠永明は後の波多野軍との戦いにおいて討死してしまいますが、十兵衛はその一族に明智姓を与えていますから十兵衛の信頼の厚さが窺えるんじゃないでしょうか。
でも「麒麟がくる」だと配役があるのかどうかは微妙な所かなぁ。

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものですが
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。

戦国 戦(いくさ)の作法

戦国 戦(いくさ)の作法

  • 発売日: 2018/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
戦国の忍び (角川新書)

戦国の忍び (角川新書)

三淵藤英 - Wikipedia
朝倉景鏡 - Wikipedia
三好康長 - Wikipedia
誠仁親王 - Wikipedia
赤井直正 - Wikipedia
明智千代丸 (明智伊勢千代丸) 小畠国明 小畠永明 | 歴史探
光秀公のまち亀岡/第6回 明智光秀と馬路・余部
小畠氏について|【note版】戦国未来の戦国紀行|note

2.あとがき

麒麟で学ぶ」第38回目はいかがでしたか?
感想、ご意見等あればコメントをお気軽に。

今回個人的に面白かったシーンを3つあげるとすれば

  1. 信長さまと十兵衛の『帰れ・帰ります』コント
  2. 煕子に褒められてまんざらでもない南蛮衣装姿の十兵衛
  3. 三淵藤英が坂本城で自害しても変わらない明るさのたま
こんな感じです。

一つ目はnoteの方にも書いたと思うけど、美濃編で道三さまと十兵衛が繰り広げた『帰れ・帰ります』コントとまるっきり同じ展開で面白かったのと同時に、十兵衛はあの頃から十兵衛のまんまだなっていう安心感みたいなものを感じましたね。
信長さまから頂いた南蛮の服を纏う明智十兵衛光秀
二つ目は十兵衛の南蛮衣装姿を見た娘二人も左馬助も可笑しがってる中で、煕子一人が十兵衛を持ち上げて心の底から喜んでいる様が可愛かったのと、煕子に褒められて『そうか』なんて満足げに言っちゃう十兵衛も可愛かったですねw
十兵衛はきっと煕子が褒めてくれれば他の誰も褒めてくれなくてもいいのかもしれないし、煕子は煕子でどんな十兵衛の姿も素敵に見えるのかもしれない。
なんて尊い二人なんだ~と思ったシーンw

最後は生け花にアドバイスをくれた三淵藤英が坂本城の一角で自害したことは知っているだろうに、その哀しみを一切見せることなくいつも通り明るいたま。
さすが将来の日本の生母さま、演じているのは仏陀の生まれ変わりのような気質をお持ちのアッシーダ・マーナさまですw
ちなみにたまはまだ12歳ぐらいですがw

そして次回第39話は、楽しみだけど悲しみもありそうで複雑な気持ちです。

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
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当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
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そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日


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麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

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  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/01/11
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麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

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  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: ムック
 

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

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  • 発売日: 2020/01/11
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では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


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こちらのINDEXページ
各記事のカテゴリの説明と共に
ピックアップ記事や
カテゴリの記事一覧へのリンクも
掲載しています。

tsukumogatari.hatenablog.com

このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:第38話より良通から一鉄に。

*2:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。

*3:麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。

*4:信長の野望ベースなら享年23歳。

*5:麒麟がくる」では亡くなっているかどうかの言及はなく、東庵先生も生死どちらとも取れる感じで話している。

*6:信長の野望ベースなら享年42歳。桶狭間の戦いの前哨戦、丸根砦の戦いで討死しているが「麒麟がくる」では語られていない。

*7:実際に亡くなったのは21話と22話の間の期間だが、19話で既にナレ死してます。。。

*8:信長の野望ベースなら享年30歳。桶狭間の戦いの後、今川家からの自立を目指した松平氏との戦いにて戦死。

*9:麒麟がくる」では桶狭間の戦いから4年間がカットされてしまったこともあって、その死を語られることもなかった。

*10:没した月日は9月13日、9月30日、10月1日、10月8日、10月20日、10月22日など諸説ある。

*11:1540年生年説もあるのでその場合だと享年29歳。

*12:信長の野望ベースなら享年45歳。

*13:麒麟がくる」第37話時点で亡くなった説明はないが、蘭奢待切り取りの前年に亡くなっているはず。

*14:麒麟がくる」では触れられていないが越前で起こった一向一揆との戦いで亡くなっているはず。