可児才蔵は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した槍の名手で、「笹の才蔵」で有名です。
斎藤龍興から福島正則まで多くの主君に仕えた、戦国時代のフリーランス武将的存在、なんて言われることもあります。
才蔵が多くの大名に仕えられたのは、それだけの実力があったからこそ。
槍一筋にその道を極め、戦国時代を駆け抜けた才蔵の生き方は、現代にも通ずるものがあるかもしれません。
本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、可児才蔵の生涯や最新情報を解説します。
可児才蔵の出自・功績・逸話
可児才蔵は、備中松山城主、近江小室藩初代藩主として知られる戦国武将です。
その一方で、「綺麗さび」と呼ばれる独自の美意識を確立し、茶道「遠州流」を創始した名高い茶人でもありました。
名前(読み方) | 可児 吉長(かに よしなが) |
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別名/渾名/二つ名 | 才蔵(さいぞう)、笹の才蔵 |
生年 | 天文23年(1554年) |
没年 | 慶長18年6月24日(1613年8月10日) |
父 | 不詳(朝倉義景の側室の子の説あり) |
母 | 宝渕宗珠(朝倉義景の側室の説あり) |
兄弟姉妹 | 作兵衛 |
妻 | 不詳 |
子 | 養子:長景(山岡景宗の子) |
以降では、可児才蔵の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。
出自
可児才蔵は天文23年(1554年)、美濃国可児郡(現在の岐阜県御嵩町付近)に生まれました。
出生については諸説あります。
例えば願興寺の記録「大寺記」によると、越前で朝倉義景が滅ぼされた際に逃げ出した身重の側室が願興寺に身を寄せ、そこで生まれた男児が才蔵だという伝承が残っています。
幼少期は願興寺で過ごし、12歳頃まで寺で育てられたそうです。
その後、宝蔵院流槍術の開祖である覚禅房胤栄に槍術を学び、その卓越した技術を身につけた才蔵。
この修行時代に「無心の境地」の重要性を説かれ、後の戦場での活躍の基礎を築いたというわけです。
家族や親類
可児才蔵の家族関係は史料が少なく、詳細は不明な部分が多いです。
作兵衛という名の弟がいたようです。
結婚についても確かな記録が残っていません。
ただし、子には恵まれなかったのか、家系を継ぐために山岡景宗の子・長景を養子に迎えたとされています。
ちなみに才蔵の子孫は、「笹の才蔵」の異名から「笹」姓を名乗るようになったそうです。
現代では、歌人の笹公人さんやが才蔵の子孫で、家系図も残っているようです。
改姓由来が「笹の才蔵」なのがおもしろい!
内政や合戦での功績
才蔵の最大の特徴は、やはり、その槍の腕前と戦場での活躍ですが、多くの主君に仕えたことでも有名でしょう。
才蔵が仕えた主君は、以下の8人(仕えた順)。
- 斎藤龍興(斎藤道三の孫)
- 柴田勝家(織田家宿老、正室は織田信長の妹、お市の方)
- 明智光秀(本能寺の変……)
- 前田利家(加賀百万石の祖)
- 織田信孝(織田信長の三男)
- 豊臣秀次(豊臣秀吉の甥、関白)
- 佐々成政(織田家重臣、黒百合伝説の人)
- 福島正則(賤ヶ岳の七本槍)
これだけ多くの主家をわたり歩くことになったのは、主君の多くが自刃や滅亡に追い込まれた不運な背景があります。
主君と不仲だったとか、馬が合わなかったから、というわけではないようです。
才蔵の戦場での華々しい活躍といえば、天正10年(1582年)の甲州征伐で森長可に仕えていた際のエピソードは外せません。
このとき16の首級を挙げたものの、多すぎて持ち帰れなかった才蔵。
そこで討ち取った敵の首に指物の笹の葉を挿し、後で自分の功績として証明できるようにしました。
これが「笹の才蔵」という異名の由来となっています。
さらに慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、東軍・福島正則隊の先鋒隊長として参戦。
前哨戦の岐阜城の戦いと本戦で計17もの首級を挙げ、家康からも大いに賞賛されました。
この武功により、福島正則から500石を新たに知行として与えられ、後に746石にまで加増されています。
晩年と最期
主君・福島正則が、関ヶ原の功績により安芸国広島藩に加増移封されると、才蔵もこれに従って広島に移りました。
晩年の才蔵は意気衰えることなく、常に馬を乗り回し、老齢であることを意に介さない姿勢を貫いたそうです。
周囲の人々が「年齢を考えては」と諭すと、「老衰するのは人による」と笑って答えたというエピソードも残っています。
ただ、長刀は重かったのか、部下に持たせることが多くなり、ある部下に年のことを揶揄されると、その長刀を取って部下の首を打ち落としたという逸話も……。
また、才蔵は若いころから愛宕権現を厚く信仰し、「我は愛宕権現の縁日に死なん」と予言していたといわれています。
そして慶長18年(1613年)6月24日の愛宕権現の縁日に、心身を清め、甲冑を着けて床机に腰掛けたまま、静かに息を引き取ったそうです。
遺言により広島の矢賀の坂の脇に葬られ、現在は広島市東区東山町の才蔵寺で祀られています。
享年60歳でした。
押さえておきたいエピソード
可児才蔵の魅力を語るうえで、押さえておきたいエピソードをまとめてみました。
- 【笹の葉マーキング】
戦功の証明として、笹の葉を敵の首に挿して目印にするという独創的手法を考案。笹の才蔵になくてはらないエピソード! - 【秀次への対応】
小牧長久手の敗戦時、徒歩で逃げる秀次に馬を求められ、「雨の日の傘に候」と断った大胆さ。別説では「この敵に槍は通じない」と率直すぎる進言で怒りを買ったともいわれます。 - 【実戦を重視する姿勢】
試合に甲冑着用で鉄砲隊を従え、「俺の試合は実戦が全て」と述べた徹底ぶり。才蔵の心構えが伝わってきます。 - 【槍術上達の秘訣】
宝蔵院胤栄に槍を学んだ際、技術を意識しすぎて逆に腕が落ちる経験をしました。胤栄から「無心の境地」の重要性を説かれた才蔵は、徹底した修行で「敵の突き出しが見える」とまで言われる境地に達したといいます。 - 【樹木射貫きの逸話】
木の陰に隠れた敵を発見すると、躊躇なく木ごと槍で貫き、敵を仕留めたという驚異的な腕力と精度を持っていたと伝わります。槍の穂先は三寸(約9cm)だけを研磨し、「槍は突くもの」という信念を貫いたそうです。 - 【梶田繁政との競い合い】
関ヶ原では、武の友である梶田繁政と共に功を競い、互いに大将級の首級を取り合って徳川家康から賞賛されました。後に二人とも福島正則に仕えることとなります。 - 【部下への気前の良さ】
才蔵は優れた武芸の持ち主を見出すと、惜しみなく自分の禄を分け与えたそうです。 - 【愛宕信仰と最期】
若いころから愛宕権現を厚く信仰し、自ら予言した通りの最期を迎えた武士道精神の体現者。甲冑姿のまま亡くなる辺りが笹の葉魂!?
他にも面白いエピソードがあれば教えてください!
信長の野望シリーズでの可児才蔵
「信長の野望」シリーズといえば、戦国時代のシミュレーションゲームでおなじみです。
ここでは、「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、可児才蔵の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。
タイトル別能力
可児才蔵の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。
タイトル | 政治 | 知略 | 武勇 | 統率 |
---|---|---|---|---|
信長の野望・創造PK | 4 | 41 | 82 | 56 |
信長の野望・創造 戦国立志伝 | 4 | 41 | 82 | 56 |
信長の野望・大志 |
内政:23 |
62 | 86 | 55 |
信長の野望・新生 | 22 | 61 | 85 | 56 |
タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。
タイトル | 戦法 | 特性・個性 | 志 | 奉行特性 |
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信長の野望・創造PK | 笹の才蔵 |
|
- | - |
信長の野望・創造 戦国立志伝 |
笹の才蔵 |
|
- | - |
信長の野望・大志 | 奮闘 補佐:猛攻 |
|
領地保全 | - |
信長の野望・新生 | 激励 |
|
- | 具足奉行 (常備兵制) |
ゲーム内で向いている役割
「信長の野望」シリーズでは、武勇に優れた武将として描かれています。
特に、戦法や個性で「笹の才蔵」という固有スキルを持っているのが特徴。
武勇特化型の武将でも、固有スキルを持つケースは限られているので、「信長の野望」シリーズでは評価が高い武将といえるでしょう(武勇の面だけは…)。
特に最近の「信長の野望・大志」や「信長の野望・新生」では、特性・個性が複数あり、使い勝手が良くなっています。
一方で政治・知略に関するステータスはからっきしです!
知略は上昇気味ですが、政治面はさっぱりなので、完全な戦闘要員です。
城主、部隊長でもなんでもござれです!
特に、「信長の野望・新生」の特性「笹の才蔵」は、部隊撃破時、高確率で部隊長に負傷を負わせる強力なスキル。
戦には必ず動員し、戦場で才蔵の槍裁きを見せつけてやりましょう!
大名プレイで楽しむなら、やはり「信長の野望・創造 戦国立志伝」で家臣から成り上がっていくのが楽しめます。
知性などなくても、槍働きのみでのし上れるので安心してください!
ただし、登場年は1569年と、少し遅めな点にも注意しましょう。
「信長の野望・新生」を例にすると、1570年から始まる「信長包囲網」辺りで始めないと、才蔵が登場するまで待たなければなりません。
可児才蔵プレイにおすすめのタイトル
可児才蔵プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。
それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!
タイトル | おすすめポイント |
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信長の野望・創造PK |
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信長の野望・創造 戦国立志伝 |
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信長の野望・大志 |
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信長の野望・新生 |
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「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。
個人的には、「信長の野望・創造 戦国立志伝」で一家臣から始めて下克上を起こすか、「信長の野望・新生」で有能な戦闘要員として重用するのがおすすめ!
小説・映画・書籍に見る可児才蔵
続いて、各メディア作品で可児才蔵に関するものをピックアップしておきます。
興味がある書籍や作品があればぜひ!
登場する小説
- 『可児才蔵』 2007年、志木沢郁
主君を7度変えながら、槍一本の生き方を貫いた才蔵の爽快な武士道を描いています。「偉くはないかもしれないけれど、心涼やかな生き方」という作中の言葉通り、福島正則との相性の良さや前線で純粋に戦う姿が魅力的に描かれています。
- 『わが槍を捧ぐ 戦国最強の侍・可児才蔵 』 2016年 鈴木英治
若き日に、愛する女性から託された秘宝を探し求め、信長・秀吉・家康の三英傑とも対峙しながら、戦国の世を駆け抜ける男の物語。槍の如く、真っ直ぐな生き様を貫いた才蔵の熱い人間ドラマが描かれています。武勇以外にも才蔵の魅力を感じ取れる作品です。
登場するマンガ
- 『センゴク』 2004年~2007年 宮下英樹
豊臣秀吉の家臣、仙石秀久が主人公のマンガ。模擬合戦で仙石秀久と激闘を繰り広げるシーンや小谷城攻めでの活躍が描かれています。また、スピンオフ作品の『センゴク兄弟』(作画:細川忠考/原作:本郷隆)には、少年期の才蔵が登場します。
可児才蔵の関連書籍
- 『戦国武将名言録』 2006年、楠戸 義昭
織田信長など有名な武将から、多胡辰敬のようなマイナー武将まで、数々の名言を史料から集めて解説しています。可児才蔵のものもありますが、さまざまな武将の考え方・生き様の一端を知れる書籍としておすすめです。サクッと読めます!
登場する映画やドラマ(NHK大河ドラマ以外)
- 映画『関ヶ原』 2017年 東宝 演: 田中美央
石田三成を演じた岡田准一さん主演の日本映画。豊臣秀吉の死から、関ヶ原の戦いまでを描いた作品で、可児才蔵も登場しています。が、私はどこにいるのかわかりませんでした…w
大河ドラマでの可児才蔵
NHK大河ドラマで可児才蔵が登場した作品は、『葵 徳川三代』のみです。
才蔵さんを演じたのは竹本和正さん。
笹を背負った武将が1話に登場してきます。
また、才蔵の父が、可児権蔵という名で『国盗り物語』に登場しているみたいです。
映像確認できていないので詳細は不明ですが、権蔵ってだれなのw
関ケ原の戦いのシーンがあれば、『葵 徳川三代』のように登場機会はあるかもですが、それ以外だとなかなか厳しいものがあります。
ただし、2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』であれば、もしかしたら登場するかもしれません。
主人公・秀長の甥である秀次の家臣だったことがあるので、小牧・長久手の戦いの逸話のシーンがあればといった限定的な話です。
もちろん、主人公として抜擢されれば話は別ですが……でもフリーランス隆盛のいまの時代に、実はマッチしやすい人物!?
なかなか登場機会に恵まれないにしても、もし見かけたら、SNSなどで盛大にお祝いをしてあげましょう!
ゆかりの地:可児才蔵と歴史を感じる場所
可児才蔵のゆかりの地を3つ紹介します。
願興寺(岐阜県御嵩町)
願興寺は可児才蔵の生誕地とされる寺院で、815年(弘仁6年)に最澄によって創建されたと伝えられています。
才蔵の母・宝渕宗珠が梵鐘を寄進したとの伝承も残されています。
本堂は国の重要文化財に指定されており、天正9年に再建されたものです。
ほかにも木造薬師如来坐像や梵鐘などの文化財が保存。
寺内には才蔵出生伝承の解説看板も設置されています。
寺は高さ10メートルの土塁に囲まれた山門があり、戦国時代の雰囲気を今に伝えています。
また、子年のみ御開帳される秘仏本尊も存在し、貴重な文化財を見ることができる場所です。
才蔵寺(広島市東区)
可児才蔵の墓所として知られる才蔵寺は、広島市東区東山町に位置しています。
1613年(慶長18年)に建立されたとされ、才蔵の遺言により広島の矢賀の坂の脇に葬られたことに由来します。
寺内には甲冑姿の石像(高さ2.5メートル)や供養塔があり、特に「ミソ地蔵」と呼ばれる地蔵は、合格祈願のスポットとして知られています。
祈願方法がちょっとユニークで、願い事を書いた紙を味噌の入った袋に貼り、それを地蔵の頭の上に乗せて拝み、さらに自分の頭の上に乗せるというもの。
また、江戸時代には才蔵の武勇を称え、墓前を通る武士たちが下馬して礼を送る「下馬礼拝」の慣習があったそうです。
現在でも、毎月28日には祈祷が行われており、多くの参拝者が訪れます。
中山道みたけ館(岐阜県御嵩町)
中山道みたけ館は、可児才蔵に関連する史料を保管・展示している施設です。
願興寺の縁起書である「大寺記」の原本や、福島正則の感状(武功証明書)の写本、十文字槍のレプリカなどが所蔵されています。
年に2回「可児才蔵展」が開催され、才蔵ゆかりの品々を見ることができるほか、殺陣ワークショップなども併催されています。
また、館内では「笹モチーフクッキー」や「才蔵イラスト入り日本酒」といった特産品も販売。
御嵩駅から徒歩1分という好立地にあり、願興寺や顔戸城跡など、他の才蔵ゆかりの地と併せて訪れるのに便利な場所です。
可児才蔵の生涯と功績まとめ
可児才蔵は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した槍術の名手であり、「笹の才蔵」の異名で知られる武将でした。
多くの主君に仕え、関ケ原の戦いなど大きな戦では、数多くの首級をとる活躍。
討ち取った敵に笹を挿し、自分が討ち取った目印とした話は、才蔵の武勇と共にいまにも伝わる有名なエピソードです。
戦国時代が中心のゲームでは、登場する時期が若干遅いものの、戦闘力は抜群です(ただし、知性は無しw)。
そのため、戦国武将のなかでも有名な部類に入る人物だと思いますが、まだ知らなかった人は、本記事を機会に興味を持ってもらえたらうれしいです!
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!