歴史人物語り#50 気の合う上司を求めて転職活動に精を出しつつも気持ちはいつも常在戦場、笹の才蔵・可児吉長

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50回目の歴史人物語りは笹の才蔵・可児吉長(かによしなが)
明智光秀含めて多くの主君の元を渡り歩いた武将で槍の名手。
戦国最強の武将と謳われることもあるぐらい武勇に秀でた武将です。
麒麟がくる」には出てこないかもしれませんがどうでしょうね。

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.可児吉長とは

1554年生まれ。美濃の可児郡出身
父母は不明なんですが、一説では朝倉氏の側室の子とも。
通称は才蔵。渾名の「笹の才蔵」知名度が高い武将です。
以後は有名な方の才蔵の呼び名で統一します。
幼少期は願興寺(がんこうじ)で育ったと言われています。

www.gankoji.sakura.ne.jp

この頃に宝蔵院胤栄(ほうぞういんいんえい)に槍を習ったそうです。
胤栄は十文字槍を使用した宝蔵院流槍術創始者で、
有名なマンガバガボンドにも出てきますよね。

バガボンド(1)(モーニングKC)

バガボンド(1)(モーニングKC)

 

才蔵が槍の名手たる所以は胤栄仕込みのためでしょう。

ちなみに胤栄に学んでいた時のエピソードがあって
ある時才蔵が学んだことによって逆に槍がうまく使えなくなったことを
胤栄に相談しました。
胤栄は、
『中途半端に技術を使おうとするからうまく使えない
頭で考えるんじゃなくて
無心で使えるようになるまで修行に励め』
みたいな助言をしたそうです。
これによって才蔵は後に槍の名手と呼ばれるほど腕前が上達したそうです。

1.1.才蔵は主君を転々とする転職のプロ?

才蔵は最初は斎藤龍興に仕えていて織田信長稲葉山城を陥落させて
龍興が伊勢へ逃亡すると織田家仕えたと言われています。
ただし龍興に仕えていた時期があったとしても
元服して間もなくぐらいの時期に斎藤家が滅亡しているので
実質仕えていた期間は短かったのではないかと思います。

斎藤家が滅んでからは信長の家臣である
柴田勝家明智光秀前田利家森長可など
主君を何度も変えていた
ようです。
それぞれどれぐらいの期間仕えていたのかは不明ですが
元々一所に収まっていられない気質なのか、
この人ならと心に決められるような主君が見つからなかったのか。
本能寺の変後は織田信長の三男・織田信孝に仕えるんですが
1583年に対立していた秀吉に岐阜城を包囲されて信孝は自害してしまいます。
その後は羽柴秀吉の甥である羽柴秀次に仕えるんですが、
1584年小牧・長久手の戦いで秀次が徳川家康に大敗すると
秀次を見限って浪人となります。
その後は佐々成正の家臣になったという話もありますが、
最終的に才蔵が腰を落ち着けたのは福島正則の元でした。
福島正則とは馬が合ったのか、以後は転職活動を行っていません。
30過ぎてちょうど脂がのりに乗ってる時期に
ようやく自分にあった就職先を見つけられたようです。

1.2.福島正則の下で大活躍

福島正則は当時伊予国11万石の大名
その正則から才蔵は750石の知行を与えられました。
そいて1590年の小田原征伐では北条氏規(ほうじょううじのり、氏康三男)の守る
韮山城攻城戦に参戦し先陣を切って武功を挙げます。
さらに1600年の関ヶ原の戦いにおいても福島軍の先鋒隊長を任されて
前哨戦である岐阜城の戦いの分も含めると合計20の首級を挙げて
徳川家康からも大絶賛を浴びせられたそうです。(前哨戦で3、本戦で17)
この時の本戦で挙げた17の首は一人では抱えきれないために
自分の落とした首の目印として笹の葉を口にくわえさせていました。
このように常に戦場では多くの首級を挙げていた才蔵が
首を持ち運ばずともいいようにと考えた結果、
首級を挙げた際には背負っている笹の指物から笹の葉をちぎって
その首に笹を含ませるようにしました。これが「笹の才蔵」の所以です。
誰かが笹の葉とっちゃったりしないかはちょっと気になるところ(笑)

関ヶ原の戦いの後は、正則の安芸国広島藩への加増転封に従って
才蔵も広島へ移ります。
そして1613年6月24日にこの地で亡くなるのですが、
才蔵はこの日に死ぬことを予言していたそうです。
予言というよりも願望だとは思うんですが
才蔵は若い頃から愛宕権現を厚く信仰していて
愛宕権現の縁日に死ぬことを常日頃から言っていたらしいんです。
亡くなった当日は身を清めた状態で甲冑を身に着けて長刀を持ち
床机に腰かけたままの状態で死んでいたそうです。
たぶん晩年は愛宕権現の縁日の日には
毎回儀式のようにおこなっていたんじゃないでしょうかと妄想しています。
死にたい日に死ねたこともそうなんですけど
武装した状態で死を迎えようとする辺りは
常在戦場の精神を常に持っていた武人だったのでしょうね。
自分の死にたい日に死ねるなんて羨ましい!

1.3.才蔵のエピソードを聞くと才蔵をもっと好きになる

ここからは才蔵にまつわるエピソードを紹介。
まず才蔵のエピソードといえば森長可(もりながよし)に仕えていた頃の話でしょう。
それは1582年本能寺の変が起こる少し前におこなわれた甲州征伐の時のこと。
森長可は対武田家との戦いの後に460ほどある首級の首実検をおこなっておりました。
首実験っていうのは、討ち取った首が敵の誰のものであるかを確かめる儀式であり、
家臣にとっては自分が討ち取った首級の数の報告の場でもあります。
つまり首実験ではある武将ががどれだけの数の敵を倒して、
それが大将首なのかどうかなのを検分してその武将の恩賞を決めるのです。
才蔵も当然恩賞が欲しいですから、長可に16の首級を挙げたことを報告します。
しかし、才蔵が持っている首の数は3つだけ。
長可が3つしかないのに16といってる才蔵を訝し気に見ていると
『討ち取った首が多すぎて持ちきれないから
目印に笹の葉を口に含ませておいた』」
と言うのです。
そこで実際に調べさせると、口に笹を含んだ首が確かに13あったのです。
この頃から「笹の才蔵」の異名を取ったと言われています。

それから関ヶ原の戦いでも同じようなことがありました。
関ヶ原の戦いでは首実検を徳川家康がおこなっておりました
そこへ島正則と共に才蔵も参加します。
家康は才蔵の噂を兼ねてから聞いていたため今回の武功はいかほどか尋ねると
才蔵は17の首級を挙げてその首には目印に笹の葉を含ませています、と答えます。
長可の時と同様に家康も調べさせると、
確かに笹の葉が含まれている17の首が見つかります
家康は才蔵の武功を目の当たりにして褒めちぎったそうです。

戦場でのエピソードをもう一つ。
これもまた才蔵の人柄がよくわかる話です。
時代は少し前に遡って1584年の小牧・長久手の戦いでのこと。
この時は羽柴秀吉の甥・羽柴秀次に才蔵は仕えていました。
羽柴秀次軍は徳川家康の居城である岡崎城を落とすために奇襲作戦を計画します。
ところが実行前に家康に奇襲作戦がバレてしまい
秀次の軍勢は逆に徳川家康に包囲されてしまうのです。
ここで才蔵は秀次にすぐさま撤退することを進言するのですが
秀次は聞いてくれませんでした。
それどころか、
つべこべ言わずにさっさと戻って戦ってこんかい
ぐらいの勢いで追い返したそうです。
完全に負け戦の戦況で冷静な判断ができないダメ大将の秀次にあきれ果てた才蔵は
戦場を立ち去ります。
結果、秀次軍は大敗して秀次自身は馬もない状態で歩いて敗走する始末。
この歩いて退却中の秀次が馬に乗った才蔵と出くわします。
秀次は、その馬を譲れと命じますが
「雨の日の傘にて候」
といって秀次の命をスルーしてそのまま走り去り
秀次の下から出奔したのです。
今の自分にとって大事な必要なものの喩えとして
「雨の日の傘」なんて言うあたりはちょっと洒落てます。
しかも主君の命令をあっさり退けた上に出奔しちゃうあたり、
何度も転職して上司を変えてきた才蔵らしいといえばらしい(笑)
こういう物怖じしないエピソードがまた才蔵の人気を高めているのでしょうね。

それから最後に戦場以外でのエピソードを。
才蔵はとある武者に試合を申し込まれます
試合ですから、当然実際の戦場のような殺し合いじゃありませんよね。
ところが才蔵は、当日装備は甲冑でしっかりと武装した上に
部下10名に鉄砲を持たせて試合の場に現れました。
相手の某武者は当然、実戦じゃなくて試合であることを主張しましたが
才蔵は「俺の試合は実戦がすべてだ」と笑いながら答えたとか。
亡くなった時も甲冑を着たまま戦場に赴く状態で死んでいたように
常日頃から常在戦場の心持でいたことが伝わるエピソードですよね。
だからこそ多くの武功を戦場で挙げられたし生き残ることができたのでしょう。

2.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの笹の才蔵

明智光秀に仕えていた時期があったみたいですけど
麒麟がくる」では出てこないんじゃないかなぁと思います。
一説では本能寺の変に参加していたような話も聞いたことはありますが
明智光秀と絡みのあるエピソードもないため登場機会はなさそうです。
無理矢理才蔵が出てきて「笹の才蔵」のエピソードが突然始まってもおかしいですしね(笑)

信長の野望シリーズではほぼ常連です。
戦闘力特化の武将ですが、毎回攻撃力が高めに評価をされているのは
才蔵が挙げた首級の多さのエピソードからなのでしょう。
大名にまで出世したわけではない一介の家臣なので
統率は低めの設定です。
信長の野望・創造 戦国立志伝だとこんな感じの評価値です。

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戦法が混乱状態も稀に起こす「笹の才蔵」
才蔵しか持つことが許されない固有戦法です。
この戦法持ってるだけでも部隊の副将として申し分ありません。
政治は一桁でも仕方ないかもしれませんね(笑)
統率がちょっと低いので序盤に部隊の大将を任せるのは少しキツイですが
成長して65ぐらい超えてからなら大将にしてもいいかもしれません。

3.まとめ

今回は何度も転職を繰り返しながらも最後は福島正則の下で
落ち着いた笹の才蔵・可児吉長でした。
ずっと才蔵って呼んでたから忘れちゃったかもしれませんが
諱は吉長なのでお忘れなきよう(笑)
才蔵はいつか書こうとは思っていてタイミングを見計らっていたんですが
ちょうど美濃周辺の武将書いていて50回目っていう
一つの区切りだったので今回書くことにしました。
もうそろそろ越前方面に向かおうかなと思っていますがどうなるか。
そして今回才蔵が気になって仕方なくなってきた方に
お勧めな小説はこちら!司馬遼太郎先生のは短編なのでサクっと読めます。

新装版 おれは権現 (講談社文庫)

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可児才蔵 (学研M文庫)

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では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!