
戦国時代、豊臣秀吉に仕えた勇将として知られる宮部継潤。
その生涯は、比叡山の僧侶から戦国武将へと変貌を遂げ、波乱に満ちた物語です。
「日本無双」と称えられた彼の人生は、戦国の世を生き抜いた武将の典型とも言えるでしょう。
比叡山で培った教養と武将としての才覚を併せ持つ彼の生涯は、まさに戦国時代を象徴するものでした。
本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、宮部継潤の生涯や最新情報を解説します。
- 宮部継潤の出自・功績・逸話
- 信長の野望シリーズでの宮部継潤
- 小説・映画・書籍に見る宮部継潤
- 大河ドラマでの宮部継潤
- ゆかりの地:宮部継潤と歴史を感じる場所
- 宮部継潤に関する最新の注目ニュース
- 宮部継潤の生涯と功績まとめ
宮部継潤の出自・功績・逸話
宮部継潤は、戦国時代を代表する武将の一人で、豊臣秀吉の重臣として活躍しました。
| 名前(読み方) | 宮部 継潤(みやべ けいじゅん) |
|---|---|
| 別名/渾名/二つ名 | 善浄坊、宮部法印、中務卿法印 |
| 生年 | 享禄元年(1528年)? |
| 没年 | 慶長4年3月25日(1599年4月20日) |
| 父 | 土肥真舜、養父:宮部清潤 |
| 母 | 不詳 |
| 兄弟姉妹 | 土肥刑部少輔 |
| 妻 |
不詳 |
| 子 | 長房、養子:吉継(後に離縁)、猶子:宗治(土肥刑部少輔子) |
以降では、宮部継潤の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。
出自
宮部継潤は、近江国浅井郡宮部村の小豪族を出自とし、もとは比叡山の山法師でした。
桓武平氏土肥氏の後裔で、坂田郡醒ケ井の国人土肥真舜の子として生まれ、浅井郡宮部村の湯次神社の僧侶・宮部善祥坊清潤の養子となりました。
家族や親類
継潤の家族関係についての詳細な情報は少ないです。
嫡男は宮部長房で、関ヶ原の戦いでは西軍についたため、所領の鳥取5万石を没収されています。
また、羽柴秀吉の調略により浅井氏から織田方に寝返る際、秀吉の甥・吉継(のちの秀次)を養子にもらっています。
※その後秀次は、三好笑岩(康長)の養嗣子となったのちに羽柴姓に服して秀吉の養嗣子となり、関白に任じられている。
ちなみに、宮部長房の関ヶ原の戦いを題材にした短編小説が『関ヶ原別』(永井路子著)で、『執念の家譜 』に収録されています。
内政や合戦での功績
継潤は優れた内政・外交・軍事能力を持ち、以下のような功績を残しました。
- 浅井長政家臣から秀吉家臣への転向:元亀3年(1572年)に秀吉の調略に応じて織田方に寝返り、その後の秀吉の天下統一にも大きく貢献
- 中国攻めでの活躍:天正5年(1577年)からの中国攻めに従い、但馬国方面の攻略に尽力(毛利氏の吉川元春と対等に渡り合う)
- 鳥取城代就任:天正9年(1581年)に山陰での戦功が認められ、因幡国鳥取城代となる
- 九州征伐での活躍:天正13年(1585年)の九州平定に参加し、日向国高城にて島津家久軍を撃退(根白坂の戦い)
- 因幡銀山の開発:文禄2年(1593年)に因幡巨濃郡蒲生郷荒井村に因幡銀山を開き、秀吉から銀山経営を任された
晩年と最期
継潤は慶長元年(1596年)に高齢を理由に隠居しています。
しかし秀吉からの信任は厚く、秀吉の御伽衆として相談相手を務めながら重臣として政務にも関わり続けました。
その後、慶長4年(1599年)3月25日に死去。
享年は諸説あり、64歳または72歳とされています。
押さえておきたいエピソード
- 武勇伝:
『武家事紀』によれば、浅井家臣時代に弓の名手と争った際、相手の放った矢を3本まで槍で打ち落としたという逸話が残っています。 - 「日本無双」の評価:
九州征伐での活躍により、秀吉から「日本無双」と称えられました。これ以前の中国攻めでの活躍も含めると、マイナー武将に成り下がっているのが少し疑問ですw
信長の野望シリーズでの宮部継潤
ここでは、戦国時代を舞台にしたシミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズで、宮部継潤の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。
対象のタイトルは、直近の4作に絞ってみました!
タイトル別能力
宮部継潤の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。
| タイトル | 政治 | 知略 | 武勇 | 統率 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 65 | 76 | 56 | 62 |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 65 | 76 | 56 | 62 |
| 信長の野望・大志 | 内政:64 外政:71 |
83 | 55 | 72 |
| 信長の野望・新生 | 59 | 86 | 50 | 76 |
また、タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。
| タイトル | 戦法 | 特性・個性 | 志 | 奉行特性 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 足止め |
|
- | - |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
足止め |
|
- | - |
| 信長の野望・大志 | 叱咤 補佐:伏兵 |
|
所領拡大 | - |
| 信長の野望・新生 | 罵声 |
|
- |
製銀奉行 |
ゲーム内で向いている役割
「信長の野望」シリーズでは、知略と統率力に優れた武将として描かれています。
軍事面では、部隊の指揮官や軍団長の一人として重宝するでしょう。
また、知略は「信長の野望・大志」から評価が上がっているので、謀略・調略も任せたいところ。
戦法、「信長の野望・大志」の志、「信長の野望・新生」の奉行特性は、汎用のものが設定されているのが残念です。
吉川元春や島津兄弟と引けを取らないほど勇ましく、「日本無双」と秀吉に呼ばれたことが、まるで無かったかのようw
その辺りは、今後の新作で固有の戦法や特性が設定されることを期待します。
宮部継潤プレイにおすすめのタイトル
宮部継潤プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。
それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!
| タイトル | おすすめポイント |
|---|---|
| 信長の野望・創造PK |
|
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
|
| 信長の野望・大志 |
|
| 信長の野望・新生 |
|
宮部継潤は、どのタイトルでも家臣として登場し、最初から大名になっているケースはないです。
シナリオによっては、登場年の1543年以降にならないと出てこないこともあります。
そのため、「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。
小説・映画・書籍に見る宮部継潤
続いて、各メディア作品で宮部継潤に関するものをピックアップしておきます。
宮部継潤を主題とした作品は、残念ながら現時点ではありません。
ただし、豊臣秀吉に関連する作品であれば登場したり、紹介されたりすることがあります。
たとえば以下の作品に登場するので、気になる方はぜひ!
- 『信長・秀吉と家臣たち』 2011年 谷口 克広
- 『秀長さん』2014年 鞍馬良
- 『センゴク権兵衛』2015年~2022年 宮下英樹
- 『化かしもの 戦国謀将奇譚』 2023年 簑輪諒
大河ドラマでの宮部継潤
NHK大河ドラマで宮部継潤が登場した作品は、1973年に放送された『国盗り物語』のみ。
演じたのは小松方正さんだったようですが、この作品は現在総集編しか視聴できず、様子がまったくわかりませんw
また、宮部継潤自身は登場していませんが、2006年の『功名が辻』に、継潤の妹と甥(宮部肥前守宗治、義弟説もある)は登場していたようです。
ただし、2026年の『豊臣兄弟!』では登場するのではないかと予想しています。
『豊臣兄弟!』は、秀吉の弟・秀長が主人公で、秀長に従って中国攻め(但馬方面の攻略)で活躍したからです。
秀長不在時は、秀長の代わりに指揮を取っていたこともあるので、大河ドラマで初の主要人物扱いになるかもしれません。
ゆかりの地:宮部継潤と歴史を感じる場所
宮部継潤のゆかりの地を2つ紹介します。
宮部神社(滋賀県長浜市宮部町)
長浜市宮部町は宮部継潤の出生地。
宮部神社の一体は、宮部継潤が築城した宮部城の跡地と伝わり、境内には宮部継潤の記念碑が建てられています。
※宮部継潤に仕えていた記録が残っている田中吉政の記念碑もある。
その近隣には、北に小谷城跡と小谷城戦国歴史館があり、南には国友鉄砲ミュージアム、そして東の姉川沿いには姉川古戦場跡もあります。
宮部継潤のルーツや、織田信長と浅井長政の激戦の面影を感じられ、戦国時代好きにはたまらない場所です!
鳥取城跡(鳥取県鳥取市)
宮部継潤が城代を務めた鳥取城の跡地は、「日本(ひのもと)にかくれなき名山」と称された久松山に位置する歴史的に重要な場所です。
山下ノ丸と山上ノ丸、天守台からの絶景、秀吉の本陣跡など見どころが豊富。
現在は江戸時代の姿を取り戻す復元計画が進行中で、メインエントランスの橋と大手門がすでに復元されています。
戦国時代から現代まで多様な城の姿を残す「城郭の博物館」として知られ、宮部継潤ゆかりの貴重な史跡として必見のスポットです。
宮部継潤に関する最新の注目ニュース
現時点では、宮部継潤に関する最新の史料発見などの大きなニュースは見あたりませんでした。
今後ニュースを発見次第、更新していく予定です!
宮部継潤の生涯と功績まとめ
宮部継潤は、比叡山の僧侶から戦国武将へと転身し、豊臣秀吉の天下統一に大きく貢献した重要な人物。
優れた知略と武勇を併せ持ち、内政能力にも長けた継潤は、中国攻めや九州征伐で大きな功績を残し、晩年には秀吉の側近として重要な役割を果たしました。
「日本無双」と称えられた彼の生涯は、戦国時代の動乱を象徴する物語の一つと言えるでしょう。
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!