歴史人物語り#83 六角六宿老であり浅井長政の舅殿でもあった平井定武、そしてその孫説もある浅井万福丸は浅井長政の嫡男だったがために処刑されてしまう

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今回は六角氏重臣であり六角六宿老にも数えられる
平井定武(ひらいさだたけ)
その孫であり浅井長政の嫡男と言われている
浅井万福丸(あざいまんぷくまる)です。
麒麟がくる」には出てこないかなぁ。
しばらくずっと出てこなさそうな人ばっかりだけど(笑)

www6.nhk.or.jpでは今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com


その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.平井定武(ひらいさだたけ)とは

通称右兵衛尉
生年不明。父は平井高好
平井氏は近江の高島郡平井村を本貫地とした宇多源氏佐々木氏の支流
主君である六角氏は宇多源氏佐々木氏嫡流なので
六角氏と平井氏は同族であり、古くから六角氏を支えてきた氏族です。
とりわけ、平井定武は六角家中でも重臣として称された
六角六宿老の一人に数えられています。
ちなみに他の六宿老は
後藤賢豊(ごとうかたとよ)

tsukumogatari.hatenablog.com

蒲生賢秀(がもうかたひで)

tsukumogatari.hatenablog.com

進藤貞治(しんどうさだはる)

tsukumogatari.hatenablog.com

三雲成持(みくもしげもち)
そして目賀多綱清(めがたつなきよ)の5人です。
ここ最近の武将紹介では何度も六宿老が登場してきているので
このブログを読んでくださってる方々にとっては
当たり前のように頭の中に刷り込まれているかもしれませんね(笑)

平井定武の軍事外交での活躍を見てみることにしましょう。
軍事面では1525年、北近江で勢力を伸ばしつつあった
浅井亮政(あさいすけまさ)との戦いで出陣し、軍功をあげています。
また外交面だと1553年11月の浅井氏との和議に関した書状を出していますし
石山本願寺への使者として派遣された記録も残っています。
軍事外交の両面において、六角家中でも重責を任されていたのでしょう。
さらに外交に関していえば、浅井氏との婚姻
浅井久政の息子・浅井賢政(のちの浅井長政)の烏帽子役
この平井定武が務めていますが、
加えて平井定武の娘が浅井賢政の正室となっています。
これは六角氏に対して臣従政策をとっていた浅井久政外交政策の一環です。
浅井賢政の「賢」の一字を六角義賢からもらい受けていることもそうですし、
六角氏重臣の一人、平井定武と姻戚関係になることによって
六角氏と浅井氏の臣従関係を明確にし、
六角氏には逆らいませんよっていうのをアピールしたかったのでしょう。

しかし息子の浅井賢政自身は、
久政のいわゆる弱腰外交に納得がいっておらず
六角氏からの独立を望み、
その想いを浅井政澄(あさいまさずみ)遠藤直経(えんどうなおつね)に打ち明けます。

tsukumogatari.hatenablog.com

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二人の後押しもあって浅井賢政は六角氏と戦うことを決意し、
「賢」の字も捨てて「長政」と名乗ります。
さらに正室であった平井定武の娘とは離縁して郷へ送り返してしまうのです。
この辺の経緯がなかったら、
織田信長の妹・お市の方浅井長政に嫁ぐことは
なかったかもしれません。
平井定武が信長の野望シリーズで登場できない理由も
ここにあるのかもしれません(笑)

その後、平井定武はどうなったかというと
1568年に近江へ侵攻してきた織田信長に寝返っています。
観音寺騒動を経て家臣団からの信用を失い
勢力も衰退の一途を辿っていた六角氏ですから
寝返るのも止む無しでしょうね。
※観音寺騒動の詳細についてはこちらをどうぞ

tsukumogatari.hatenablog.com


観音寺騒動後に家臣主導でまとめられた
六角氏の権力を制限する「六角氏式目」にも
息子の高明と共に連署しています。

しかし、その後の消息がわかっておりません。
信長に仕えたあとは、もしかするとあまり重用されなかったんでしょうか。
浅井氏と一時期でも姻戚関係を結んでいたことも
後々いい印象とはならなかったのかなぁ。

2.浅井万福丸(あざいまんぷくまる)とは

生年は1564年と言われています。
ただこれは亡くなった当時の年齢からの逆算です。
父は浅井長政、母は今回紹介した平井定武の娘と言われていますが
実はそれを確証するような資料があるわけではありません。
「浅井氏家譜大成(あざいしかけいたいせい)」という
明治期に医師の浅井国幹(あざいこっかん)によってまとめられた系譜には
平井定武の娘が生んだ子供とされているようです。
ただこの資料も10歳で亡くなったと言われている万福丸
元服名(輝政)が記されていたりして信憑性が疑問視されているみたいです。
浅井長政には、平井定武の娘以外に側室がいたことも確認されているみたいだし
お市の方の婚姻時期が実は1561年ぐらいでお市の方が生んだのではとかいう説も。
浅井三姉妹(茶々、初、江)の双子説もあるらしいし、
要するに出生に関してははっきりしたことが言えないのは確かです。
万福丸の出生の話はこれぐらいにしておきましょう。

といってもこの万福丸、前述のとおり10歳で亡くなってしまいます。
浅井氏は、浅井長政織田信長の妹・お市の方が婚姻することによって
織田氏と同盟関係を結んでいましたが
朝倉氏へ相談なく攻め入ったことから、織田氏との関係を断ち切り
朝倉氏に味方をするようになります。
金ヶ崎の退き口では、織田信長をあともう一歩で追い詰めるに至るまでの
打撃を与えるものの、結局京まで逃れた信長は岐阜へ戻って体制を立て直し
浅井氏・朝倉氏の討伐に動きます。
1570年の姉川の戦いで織田・徳川連合軍に敗れてしまった浅井・朝倉連合軍は
その後、家臣団が次々に信長方へ寝返ったり、降伏するようになり
徐々に劣勢を極めていく状況となります。
そして、1573年に小谷城を完全包囲され攻め立てられた浅井氏は滅亡
万福丸は、この小谷城の戦いの際中に浅井長政が家臣の村喜内之介を付けて
場外へ逃がしたと言われています。
お市の方浅井三姉妹織田信長の元へ引き渡されています。
村喜内之介は万福丸の乳母の夫だったようです。
村喜内之介と共に小谷城を脱出した万福丸
長浜にある余呉湖(よごこ)あるいは越前の駿河地方で匿われていました。
しかし裏切った浅井氏に対しては
苛烈な仕置きをしていた織田信長
万福丸の探索も厳命しており、
その結果羽柴秀吉の軍勢によって発見され
串刺しの刑に処されました。
※「信長公記」ではこの処刑が関ヶ原で行われたと記されています。

戦国時代では女子の命を助けても
男子の命は後々のことを考えて殺してしまう
ていうのが通例なのかもしれないけど
万福丸お市の方の子どもだったら
処刑されなかった可能性もあるんじゃないのかな
て、素人目には考えちゃったりもします。
信長の弟・信勝は2回信長を裏切った結果殺されてしまいますが
嫡男の信澄は助命されて
後々織田信長やその子・信忠の側近として
重用されています

tsukumogatari.hatenablog.com

自分に近い人達は重用する傾向にある信長からすると
お市の方の子どもだったら助けたんじゃないかなって。
六角家中でも有能だった平井定武が
信長の家臣となってからは音信不通なのは
浅井長政と姻戚関係があったこと、
万福丸を生んだ娘がいたこと
あたりが関係して
疎まれたり遠ざけられたりしたんじゃないかなぁ
なんて思っちゃったりしています。

ちなみに、天正元年1573年に生まれたと言われている
弟の万寿丸は仏門に入って正芸と号し、
近江国坂田郡長沢村の副田寺の住職となったそうです。
一説によると、その後還俗して職を放浪した後、
九州の細川家の庇護を受けて家臣となり
その子孫は細川藩や杵築藩の藩士として明治維新を迎えた
なんていう話もあります。

3.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの平井定武と浅井万福丸

平井定武は厳しい気がしますけど
万福丸はもしかしたら「麒麟がくる」でも
ちょっと出て来たりするかもしれませんね。
ナレ死で登場するだけとかかもしれないけど。。。
明智光秀織田信長に対する疑問を持つきっかけの一つ
みたいな感じで浅井親子の骨の盃の話や
万福丸の処刑の話が取り上げられたり、
なんてことも可能性としては無くはないかなぁとも思ったりもしますが。
ただどっちにしても二人とも主要キャストは無理だろうし
脇の脇でも厳しいのは確かですね。

そして信長の野望シリーズにおいてはどうかというと
平井定武も浅井万福丸も登場したことはありません。
六角六宿老の中でも、
後藤賢豊、蒲生賢秀、進藤貞治、三雲成持
の4人は登場しているんですけどね。
浅井久政浅井長政家督を譲るイベントは有ったりするので
その前に長政に賢政を名乗らせたり平井定武の娘と婚約させる
イベントもつくって、後々の久政が家督を奪われるイベントとも
繋げちゃえばいいのに(笑)
そうすれば平井定武が登場するようになるかもです。
史実イベントはたくさんあった方が楽しい派なので
是非検討して頂きたいです(笑)

万福丸は10歳で処刑されちゃってるから登場しないのも仕方ありません。
実は処刑されたのは身代わりになった別の子どもで
浅井万福丸は生き延びて浅井氏再興を図ろうとしていた
みたいな妄想をしながら
新規武将登録して遊ぶのがいいんじゃないかと思います(笑)

4.まとめ

今回は六角氏の六宿老として名高い
平井定武(ひらいさだたけ)
その孫ではないかとも言われている
浅井長政の嫡男万福丸まんぷくまる)でした。

六角氏の家臣を沢山紹介したところで
きっと「麒麟がくる」にはほとんど出てこないんでしょうね(笑)
六角氏との戦いってあんまり細かい描写されずに
上洛の通り道でおわっちゃってる感ありますし。。。
何よりも明智光秀との絡みが全然なさそうですしね。
紹介した中で誰が登場して誰が登場しなかったかは
後々表とかにしてい発表したいところです。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!