歴史人物語り#86 甲賀五十三家の三雲氏は瓶割り柴田の由来にちょっと絡んでいたり六角六宿老でもあり猿飛佐助のモデルの人もいたりで意外とネタが豊富

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今回は六角氏の重臣であり甲賀五十三家の一つでもある三雲氏
三雲定持(みくもさだもち)
その嫡男三雲賢持(みくもかたもち)
そして次男の三雲成持(みくもしげもち)
この3人が中心です。
麒麟がくる」での登場は流石にないかぁ。

www6.nhk.or.jp

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com


その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.甲賀五十三家の三雲氏とは

三雲氏は六角氏の重臣であり
甲賀五十三家の一つにも数えられる氏族です。
甲賀五十三家というのは室町幕府1487年に行った六角氏征伐、
いわゆる鈎の陣(まがりのじん)の際に
六角氏に味方をした甲賀地侍五十三家のことを言います。
後には甲賀流忍術の中心となった家としても知られていますね。
五十三家ってどんだけって感じではありますが(笑)

ちなみに、この五十三家出身で三雲氏以外で
ゲームの信長の野望シリーズに登場しているのは、
杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)
和田惟政(わだこれまさ)
秀吉の家臣で三中老の一人でもある中村一氏(なかむらかずうじ)
五十三家の滝氏出身という説がありますし、
キリシタンとしても有名な高山友照(たかやまともてる)
その子・高山右近(たかやまうこん)も五十三家の高山氏出身説があります。
あとは歩き巫女で有名な望月千代女(もちづきちよめ)
信濃の滋野一党の望月氏ですがこの一族が甲賀に移り住んで
甲賀五十三家の筆頭格に数えられるまでになったとも言われています。
多羅尾光俊(たらおみつとし)とかはいつになったら登場するんだろう
ていうのはまた別の話です(笑)

要するに、その甲賀五十三家の出身である三雲氏は
六角氏に古くから味方をしていた国人衆であり、
重臣として六角氏を支え続けてきたのです。
といっても三雲氏は家臣としてというよりも
同盟者的な立場をとっていたようです。

というのも、三雲氏自身が単独で明との貿易を行っていたり
寺社の統制や恩賞の決済も独自におこなっていて
六角氏に味方はするものの、独立意識も非常に強かったようです。
室町幕府への寄付も単独でおこなっていたようなので
経済的にもかなり潤っていたのでしょう。

1.1.戦国の世も六角氏を支え続けた三雲氏

そんな氏族に生まれた三雲定持(みくもさだもち)
六角定頼の代から六角氏の重臣として活躍した人です。
通称三郎左衛門
生年は不明ですが、父は三雲行定(みくもゆきさだ)です。
六角定頼の代での具体的な事績は不明ですが
定頼の代は外交的にも力があり、
まだ国人衆をある程度統制できていた時代なので
独立した経済圏を保ちながらも忠節を尽くしていたのではないかと思われます。
しかし、六角義賢の代になってからは
六角氏は勢力が衰退する一方であり、
さらに六角義治家督を継いでから起きた観音寺騒動
六角家臣団の結束力を粉砕してしまった事件といっても過言ではありません。
観音寺騒動詳細についてはこちらをどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

六角義治が宿老・後藤賢豊(ごとうかたとよ)を誅殺したことで
六角氏に従っていた国人衆たちは不信感をあらわにし
六角義賢と義治を観音寺城から追い出してしまいます。
この六角氏と家臣団の仲裁役を担ったのが、
蒲生定秀・賢秀父子と三雲定持だったのです。

tsukumogatari.hatenablog.com

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甲賀五十三家として古くから六角氏を支えてきた歴史もあってなのか
この観音寺騒動を収束させたのちも
変わらず六角氏を支え続けます。

嫡男の三雲賢持(みくもかたもち)と次男の三雲成持(みくもしげもち)も
父と共に六角氏をサポートしていきます。

三雲賢持は通称新左衛門尉。生年は不明です。
「賢」の字は、もちろん六角義賢からの偏諱です。
賢持は1566年に浅井氏を通じて六角氏に謀反を起こした
布施公雄(ふせきみお)を攻めるなどの働きを見せます。
しかし、同年に佐和山城周辺での浅井長政との戦いにおいて
討死をしてしまいました。

嫡男の賢持が討死してしまったため次男の成持が三雲氏の家督を継いでいます。
成持は1540年生まれで、通称は兄と同じく新左衛門尉
1567年に六角氏の家臣主導で定められた分国法である「六角氏式目」には
父・定持と成持が連署しています。
「六角氏式目」によって六角氏の権限は制限されてしまうものの
三雲定持・成持父子の六角氏に対するサポートは変わりません。
同盟者的立場でありながら形勢がよろしくなくなってきていも
サポートし続けるっていうのがちょっと不思議な関係な気はしますね。
六角氏との見えない絆の深さっていうところなんでしょうか。

1.2.六角氏とゲリラ戦を展開して織田信長に抗戦

1568年に上洛作戦で近江に侵攻してきた織田信長
その織田信長に敗れて観音寺城を放棄した六角義賢・義治父子は甲賀へ逃亡。
六角氏十八番の戦法です(笑)
この逃亡した六角氏を三雲定持は三雲城に迎え入れます
そして以後は、織田信長軍とのゲリラ戦を六角氏と共に展開するのです。
このゲリラ戦は数年間に渡って続けられ織田信長軍を苦しめることになります。

しかし1570年の野洲河原の戦い(やすがわらのたたかい)において、
父・定持は柴田勝家佐久間信盛らの軍勢と戦って討死してしまいます。

ちなみにこの野洲河原の戦いの前に、
柴田勝家が守る長光寺城
六角義賢・義治父子の軍勢に囲まれた戦いがあったと言われています。
長光寺城を包囲した六角義賢長光寺城内は水が出ず
後ろの谷から桶で引いているという情報を得ます。
すると、義賢は水源を止めさせて
長光寺城へ水が行きわたらないようにしてしまいます。
水源を止められてしまい、
瓶に残った水のみとなった長光寺城内では
水の渇きで苦しみながら死ぬイメージが蔓延していたことでしょう。
しかしここで柴田勝家が死ぬ気で戦う決意を示し
城兵にもそれを促したことで士気が上がり
その勢いで残った水の入った瓶を割って城外へ。
長光寺城を囲む六角氏の軍勢を突き崩してしまいます。
さらにその勢いで野洲河原の戦いで三雲定持を討ち取るなどして
六角勢を打ち破ったと言います。
これが「瓶割り柴田」の由来なんです。

ちょっと脱線しましたが、
父の三雲定持は
この「瓶割り柴田」で水を得た軍勢に討ち取られてしまうんですが、
家督を継いだ成持はそれ以後も
織田信長軍と戦い続ける六角氏を支援し続けます。
しかし、1575年に織田信長重臣佐久間信盛を通じて降伏し、浪人となります。
終わりの見えないゲリラ戦にさすがに疲れちゃったのかな?(笑)

1.3.降伏してから旧領回復願うも叶わず・・・しかし家康が救世主となる

その後しばらく三雲成持はなりを潜めていましたが
本能寺の変から2年後の1584年に織田信雄に仕えて旧領復帰の約束の元、
小牧・長久手の戦いに参戦しています。
約700人を率いて伊勢松ヶ島城に滝川雄利(たきがわかつとし)らとともに籠城します。
しかし、織田信雄羽柴秀吉と和睦してしまったので旧領回復はならず
織田信雄の元を離れてしまいます。
その後は、六角氏に仕えていた時代から縁のある蒲生氏郷に4千石で仕えますが
ここでも旧領回復はならないまま、1603年に亡くなったそうです。

成持の後を継いだ子の三雲成長(なりなが)
1593年に徳川家康に召し出されており、
その後は関ケ原の合戦等での功によって
近江甲賀軍のうち千石を加増されるなど
旧領復帰を遂げています。
さらに大坂の陣でも参陣して武功をあげたようです。
1635年に三雲成長は亡くなってしまい、
嫡男の成時も同年に相次いで亡くなってしまったため
三雲氏の嫡流はここで途絶えてしまうのですが
成時の弟・成賢の系譜が旗本として残って
後世までその血を繋いでいるそうです。

ちなみに早くに討死してしまった三雲賢持の子どもに三雲賢春がいますが
この賢春は真田十勇士の猿飛佐助のモデルと言われてたりします。
賢春の通称も佐助らしいです。
どっちにしても猿飛佐助は架空の人物ですけどね(笑)

2.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの三雲氏

麒麟がくる」に三雲氏は誰も出てこないでしょうね(笑)
言い切ってしまっていのかっていうのもありますが
登場させるメリットがあんまりないっていうか、
明智光秀と全然絡みもないし。。。
それよりも帰蝶を誰がやるんだろうっていう方が
今(2019年11月18日時点w)は気になって仕方ないですが。。
最初から帰蝶は登場しているというのは
まぁだいたい予想通りなんですが
撮り切っちゃった分の取り直しもだけど
期間短い中での代役探しが大変そうです。
放映が始まってない分、まだよかったと考えて
製作スタッフには踏ん張ってほしいですね。
大変だろうけど。。。

あと全然今回の記事とは話が逸れていきますが(笑)、
麒麟がくる」で登場する帰蝶を演じる予定だった
沢尻エリカさんが逮捕されたことにかこつけて
帰蝶役を「呪われた役」
みたいに悪い印象を与えるタイトルを冠した記事を見かけました。
本当にこういうのやめてほしいしウンザリします。
役者が間違いを犯して逮捕されたことと
その役者が演じようとしていた人物はまったく関係ないでしょうに。
勝手に呪をかけないでほしいです、
帰蝶さまが迷惑してます、たぶん(笑)

さて、信長の野望シリーズでの三雲氏はというと
三雲成持だけ毎回登場してると思いきや
調べたら父の三雲定持も武将シリーズ2作目の武将風雲録から
天翔記あたりまで登場してました。
ただそこから最近のシリーズまでは登場していません。
「六角六宿老」として数えられてるのって子供の三雲成持の方なんですけど
父の定持もそういわれてもまったく遜色ないようなサポートを
六角氏に対して続けているわけだし、
登場させてあげてもいいんじゃないかなと思ったりします(笑)
そして信長の野望・創造 戦国立志伝での「六角六宿老」三雲成持の評価値はこちらです。

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凡人クラスの能力値となっております。
六宿老って謳われるぐらいなんだし
甲賀五十三家として六角氏とゲリラ戦も頑張ったんだし
もうちょっと評価してあげてもいい気がします(笑)

3.まとめ

今回は六角氏を支え続けた甲賀五十三家の一つ、三雲氏でした。
六角定頼の代から六角氏を支え続けた三雲定持
早くに討死してしまった三雲賢持は子供が猿飛佐助説、
三雲成持は六角六宿老でも有名。
3人とも詳しく事績が伝わってきてるわけじゃないけど
それぞれにちょっとしたネタがあって面白いです。
そもそも甲賀五十三家っていう忍者の出な時点でネタになりますよね。
これだけで創作活動に繋げられそうですし(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!