歴史人物語り#67 浅井長政に進言しても取り上げられない、それでも腐らず長政に忠義を尽くした遠藤直経は信長を暗殺する(未遂)

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今回は北近江・浅井長政の片腕、智将・遠藤直経(えんどうなおつね)です。
伊賀忍者を用いて諜報活動をおこなっていたために
最近のゲームだと風貌が忍者っぽかったりしますね。
麒麟がくる」で登場するとしたらどの辺のシーンかなぁ。

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.遠藤直経(えんどうなおつね)とは

通称喜右衛門
史料は講談ではこの通称の喜右衛門の名前で登場します。
生年は1531年。父は遠藤主膳(えんどうしゅぜん)
近江坂田郡柏原庄の出身で、代々須川山一帯を治めており
須川城を居城としていました。
遠藤氏自体は、元は鎌倉武士であり
鎌倉時代に近江で所領を得て移り住んだようですが
浅井氏が京極氏の家臣であったころから
浅井氏に仕える譜代家臣なのです。

浅井氏の重臣・譜代家臣といえば
海赤雨三将(かいせきうさんしょう)
海北綱親(かいほうつなちか)
赤尾清綱(あかおきよつな)
森清貞(あめのもりきよさだ)が有名ですが
そこに並び称されるのが遠藤直経でしょう。
そして遠藤直経は浅井家中でも智勇兼備の謀将として名高いですね。
信長の野望・創造 戦国立志伝で浅井家の武将の中で
私が一番最初にプレイしたのはこの遠藤直経でした。
真田昌幸とか竹中半兵衛とか謀略でかき回せる武将たちが好きなので。

1.1.浅井長政の片腕・遠藤直経

遠藤直経は浅井長政の傅役(もりやく)であったことから
長政にとっては最も信頼できる相談役でした。
重大な決断を長政が迫られた際には
おそらく常に直経に意見を聞いていたのでしょう。

当時浅井氏はどのような状況下に置かれていたかというと・・
浅井長政の父・浅井久政
南近江を支配する南近江の守護・六角氏からの圧力に屈して臣従していました。
長政の祖父・浅井亮政(あさいすけまさ)の代には六角氏とも対立して
勢力拡大に努めていましたが、久政は亮政ほどの器量がなかったのか
息子の長政に六角義賢(ろっかくよしかた)の「賢」の字を
偏諱として受けさせて
浅井賢政と名乗らせたり、
賢政の妻には六角氏重臣の平井定武(ひらいさだたけ)の娘を娶らせる
といったような弱腰な外交政策
なんとか北近江の支配を維持しているような状態。
浅井長政は一時期、浅井賢政と名乗っていました。
正室として有名なお市も実は継室なのです。

このような弱気な政策をし続ける当主・浅井久政に対しては
遠藤直経を始めとして多くの家臣が不満を持っていました。
しかし不満を持っていたのは家臣ばかりではありません。
息子の浅井賢政も無理矢理六角家臣の娘をあてがわれるなど
六角氏への臣従政策に屈辱を感じていました
そして浅井賢政は決断します。
六角氏とからの独立を。
浅井賢政がこの決断をするにあたって相談したのが
遠藤直経と浅井政澄(あざいまさずみ)だったそうで
二人とも六角氏からの独立を目指して戦うことを進言したそうです。

ちなみに浅井政澄は浅井玄蕃とも呼ばれた浅井氏庶流の生まれで
浅井賢政の宿老の一人です。
1570年の姉川の戦いで浅井軍の第2陣を務めますが、織田家の家臣で
西美濃三人衆の一人・氏家卜全に討ち取られてしまいます。

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六角氏からの独立を決断した浅井賢政は
1560年野良田の戦いにおいて、六角義賢の軍勢と戦って撃破します。
この時の賢政の戦いぶりには遠藤直経を始め多くの浅井氏重臣が心酔。
一刻も早く浅井賢政の家督相続を望んだのでしょう。
浅井氏家臣たちは、当主であった・浅井久政竹生島(ちくぶしま)に追放して
隠居を迫るというクーデーター起こします。
このようにして浅井賢政は家督をなかば強奪するような形で相続し、
名も六角義賢からもらった一字を捨てて新九郎と名乗ります。
これって武田信玄(晴信)家督相続ともちょっと似てますよね。
それから、正室だった六角氏重臣・平井定武の娘は国許へ送り返しています

遠藤直経が浅井長政の独立意欲に賛同し六角氏との戦を進言していなかったら、
当主・浅井長政が誕生するのはもっと後だったかもしれないし
お市の方が輿入れすることも、もしかしたらなかったかも?
※浅井氏との同盟自体は織田家にとっては必要だったものですから同盟自体は結ばれたと思いますが、
側室としてお市の方が輿入れするのは
ちょっと想像ができないなぁ。

1.2.遠藤直経、信長暗殺計画を企てる

1567年浅井長政は政略結婚として
織田信長の妹・お市の方を妻として迎え入れました。
長政の「長」の字は、織田信長の「長」を拝領して改名したとも言われています。
以後、1570年の金ヶ崎の退き口の戦いにおいて浅井長政が裏切るまでは
織田家との同盟関係が続きます。
この同盟は織田家にとっては非常に重要な外交政策であり
織田信長美濃攻略を進展させることになったと共に、
京への上洛経路を確保することができました。
浅井氏にとっても六角氏と対抗する上で重要な同盟関係。
今時でいいうなら(ちょっと古い気もするけどw)、
両者にとってはWin-Winな関係です。
後に将軍家再興のために織田家を頼ってきた足利義昭
信長は受け入れて上洛することになりますが、
上洛の道中では浅井氏と協力して六角氏を追い払うなどして
ここでも両者の同盟関係が功を奏します。

遠藤直経は、織田信長の才覚をいち早く見抜いていたそうです。
遠藤直経は伊賀忍者と交流があって
浅井家の諜報活動にも利用していたという話がありますから、
織田信長の様々な情報も入手していた上で
その才能を認めていたのかもしれません。
六角氏との近江での覇権争いで優位に立ちたい浅井氏の立場を考えれば
織田家との婚姻同盟には遠藤直経も大賛成だったのではとも思うのですが・・・。

1568年に、織田信長佐和山城を訪れることになった時、
遠藤直経は浅井長政織田信長の暗殺計画を進言したそうです。
遠藤直経は佐和山城での接待役を命じられていたんです。
信長の才能を認めつつも、場合によってはその才能によって
浅井家が飲み込まれる未来も有りうることを怖れていたのかもしれません。
潰せるなら織田家の勢力が拡大する前にやってしまえ、
しかも佐和山城織田信長の接待役を仰せつかっているし丁度いい
狙うならここしかない
って感じでしょうか。

しかし、浅井長政はこの時の遠藤直経の進言を
信義に反すると言って受けれいませんでした。
後々信長を裏切るんですけどね・・・(笑)
遠藤直経は長政がダメと言ってる以上、それに背くわけにはいきませんから
信長暗殺計画は実行しませんでした。
でもこれ実行して成功していたら
浅井長政が天下を取るような世界線に辿り着けたかも?(笑)

1.3.一発逆転を狙った姉川の戦いにて死す

信長の暗殺計画を立てた遠藤直経ですが、
その後、浅井家が織田家につくか朝倉家につくかで
揺れに揺れていた時は、織田信長に協力することを強く主張します。
これは、優柔不断な対応の多い朝倉義景に対して
遠藤直経があまりいい印象をもっていなかったから、とか言われています。
一度は暗殺計画を企てた遠藤直経ですから朝倉側につくのかと思いきや、
才覚を比べて織田信長についた方が得策と考えたのかもしれませんね。

しかし信長との同盟に反対していた家臣たちが
信長が朝倉攻めの一報を入れなかったことに不満を持ち
隠居していた浅井長政の父・久政をかつぎだしてまで
信長との手切りを進言してきました。
結果、浅井長政は遠藤直経の意見は取り入れず、
朝倉軍に与することを決断するのです。
朝倉家と浅井家といえば、先々代、長政の祖父・浅井亮政と
朝倉義景の父・朝倉孝景の代から続く盟友関係です。
浅井亮政が朝倉家の名参謀・朝倉宗滴(あさくらそうてき)
助けられたことがそもそもの縁で続いていました。

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浅井長政は祖父の代から培ってきた盟友を見捨てる方が
義に背くと思ったのかもしれませんね。

この結果、金ヶ崎城を落城させるものの背後から浅井軍の攻撃を受けて
金ヶ崎の退き口で織田信長軍は散々な目に遭わせられます。
辛くも京都へ逃れた織田信長は岐阜へと引き返して軍備を整えなおし
裏切った浅井氏討伐のために近江へ侵攻します。
そして1570年7月に浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍の一大決戦、
姉川の戦いが行われるのです。
ちなみに、姉川の戦いという呼称は徳川方の呼び方だそうで
織田・浅井氏は「野村合戦」と呼び、朝倉氏は「三田村合戦」と呼んだそうですよ。

姉川の戦いでは朝倉家中一の猛将であり、
遠藤直経とは石を持ち上げる力比べで競ったという逸話もある
真柄直隆(まがらなおたか)
徳川軍四天王の一人で百戦錬磨の本多忠勝(後世ではロボット的扱いw)
一騎打ちを繰り広げるなど激戦が展開。

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しかし次第に状況は織田・徳川連合軍優位に戦局は傾き、
浅井軍も総崩れとなります。
もはや負けは確定とまできたところで
遠藤直経は一発逆転を狙います。
それは織田信長の暗殺です。
大将・織田信長をやってしまえば一気に潮目は変わるでしょう。
織田軍も戦どころではなくなるやもしれません。
織田家一門や家臣たちが逆上して一気に浅井家を滅ぼそうとするかもだけど(笑)
最後の秘策を実行にうつすため
遠藤直経は味方の三田村左衛門の首級を掲げて織田軍の味方に成りすまし
織田信長の本陣への侵入を試みます。
織田家中にそれほど顔が見知られていないこともあってか
織田軍兵士からは見抜かれることなく、
織田信長の元あであと数十メートルという距離のところまで近づきました。
しかし、ここで遠藤直経をよく知る人物に見つかってしまいます。
竹中久作重矩(しげのり)
羽柴秀吉の軍師として有名な竹中半兵衛重治の弟です。
竹中半兵衛が美濃斎藤家を出奔した後に
一時期客分として浅井家にいた時期がありました。
そのため竹中半兵衛も久作も、遠藤直経を見知っていたのです。
竹中久作に見つかった遠藤直経は抵抗するものの捕縛されていまい、
そのまま斬首されてしまいました。
1570年8月9日のこと。享年40歳

ちなみに見つけたのは久作ではなく、
久作の後見役不破矢足(ふわやたり)とも言われていて
手柄を久作に譲ったとも。
不破矢足はこの姉川の戦い足に矢傷を負いながらも
遠藤直経ら二人の首級を挙げる活躍をしたことを
竹中半兵衛が賞賛して「矢足」という名に改名させたのです。
さらに余談ですが不破矢足といえば黒田官兵衛との関係が有名。
謀叛をおこして有岡城に立て籠もった荒木村重の説得に向かった
黒田官兵衛がなかなか戻ってこないので、
信長は官兵衛も裏切ったと思い込みます。
そしてその息子・松寿丸(後の黒田長政)を信長は処刑しようとするのですが
竹中半兵衛が松寿丸を殺したと見せかけて匿います
半兵衛に命じられて松寿丸を匿って養育したのが、この不破矢足なのです。

2.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの遠藤直経

遠藤直経は浅井長政が最も頼りにしていた家臣といっても過言ではありませんから
(進言聞き入れてくれないこともあるけどw)
浅井長政とセットで登場、っていうのは全然ありそうですね。
長政の傍らには常に直経有り、みたいな状況を妄想しちゃいます。
姉川の戦いで信長の首を狙って織田軍に成りすましていく様とか
ちょっと見てみたいけど、さすがにそのシーンは無いでしょう。
遠藤直経を見破ったのが明智光秀ってことにして
話つくっちゃえばいいかもですけど、
それやったらいろんな方面から沢山苦情がくるんだろうなぁ(笑)

そして信長の野望シリーズにおいては
覇王伝から常連武将として登場し続けています。
能力評価的にはシリーズ前半は武勇・統率系高めといった武力特化系でしたが
後半からは統率よりも知略系が高めの能力値に設定されるようになりました。
系統でいうと忍者系の武将(服部半蔵とか)みたいな能力値ですね。
信長の野望・創造 戦国立志伝においてはこんな感じです。

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知略・武勇70超えで敵の同士討ちを誘う離間が戦法です。
浅井長政の副将として十分な働きをしてくれることでしょう。
最新の大志だと、統率70超えに加えて武勇・知略は80超えと
さらに評価が高くなっています。
この評価の見直され方は良い傾向です、個人的に好きな武将なので(笑)

3.まとめ

今回は浅井長政の相談役であり補佐役であった遠藤直経でした。
名前は「直径」じゃなくて「直経」なのでお間違いなく(笑)
遠藤直経が企てた信長暗殺計画は、
どちらか成功していたら
戦国時代は今に伝わるよりも長く続いたかもしれませんね。
成功させた遠藤直経も天下に鳴り響く智将としてもてはやされたに違いない(笑)
その世界線だと誰が天下を取ることになるのかとても気になります。
そんな世界線も味わえるかもしれないのが
信長の野望シリーズですね!(笑)
最新作の発表まだかなぁ、三国志の最新作の後に出ると思うんですが。
大志は個人的にあんまり合わない気がして購入見送ったんですよね。
YouTubeで実況動画とか見て満足しちゃってます(笑)
戦メインで結構テンポよく進められそうだから面白そうですけどね!

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!