歴史人物語り#66 越前は剣豪揃い!富田勢源、富田景政、富田重政、川崎時盛、鐘捲自斎、みんな学んでる中条流は天下の剣

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今回は越前の剣豪たちを紹介。
盲目の中条流剣士・富田勢源(とだせいげん)
勢源の弟・富田景政(とだかげまさ)
景政の養子で名人越後と言われた富田重政(とだしげまさ)
勢源に学んだこともある東軍流の川崎時盛(かわさきときもり)
同じく勢源(または景政)を師とする鐘捲自斎(かねまきじさい)
意外と越前には剣豪として名を馳せた人が多い!
麒麟がくる」には出てこないかもしれないけど
抑えておくと何かしらの豆知識で優位に立てるかもしれません(笑)

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com


その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.富田勢源(とだせいげん)とは

通称五郎左衛門
1523年生まれ。父は富田景家(とだかげいえ)
越前朝倉氏の家臣であり、
大橋勘解由左衛門高能から中条流を学んだ剣豪です。

中条流とは、中条長秀を改祖とする武術の流派であり
短い太刀、小太刀を用いた剣術が有名です。
富田勢源を始めとして富田家が継承・発展させたために
富田流とも呼ばれるようになります。

富田勢源の弟子として有名なのは後述する
川崎時盛鐘捲自斎
川崎時盛は東軍流と呼ばれる剣術の流祖と言われていますし
鐘捲自斎については、その弟子に一刀流の祖・伊藤一刀斎がいます。
伊藤一刀斎一刀流は、さらに派生して流派が生まれてたりするので
富田勢源は多くの流派で開祖と言われたりしています。

富田勢源30を過ぎた頃から眼病を患ってしまったことから剃髪し
家督を弟の富田景政に譲ります。
その後は美濃の朝倉成就坊(じょうじゅぼう)のもとに寄寓していて
その頃の逸話が有名です。

1560年神道流の達人、梅津某に仕合を挑まれます。
この梅津某は美濃斎藤家の剣術指南役
仕合を申し込まれた富田勢源
中条流が他流試合禁止であることを理由に一度断るんですが
当時の美濃斎藤家当主・斎藤義龍からの命令で仕合せざるを得なくなります。
そしてその仕合は1560年7月23日午前7時に行われます。
場所は検視役・武藤淡路守の屋敷
梅津某は長さ1mほどある大きな木刀を携えているのに対して、
富田勢源そこら辺に積んであった40cmぐらいの長さの薪に
持ち手の部分に皮を巻いただけなもの。
恰好も、梅津某は空色の小袖に木綿の袴であったのに対して
富田勢源は柳色の小袖に半袴。
そもそも、富田勢源は眼病を患っていて目も良く見えていない様子。
なんかもうやる前から雰囲気的には
どちらが勝つかは一目瞭然。

しかし、いざ仕合が始まると先に仕掛けたのは盲目の富田勢源
しかもその最初の富田勢源の攻撃で
梅津某は顔と腕を強打されて出血していました。
さらに木刀を握りなおして勢源に襲い掛かる梅津某ですが
勢源にかわされた上に、
腕をバチンと叩かれて木刀を落としてしまいます。
落とした木刀は勢源が足を踏みつけて真っ二つに。
ここでもはや勝負は決まっていますが
プライドをズタズタにされた梅津某は諦めきれません。
懐の脇差を抜いて勢源に斬りかかりるのですが
その脇差も小太刀でパコーンと打ち払います。

この梅津某が散々にやられる様を武藤淡路守は
事細かに斎藤義龍に伝えると大喜びして
賞金をいくらでもやると言ったとか。
でも勢源はその褒美は丁重に断って一乗谷に戻ってしまったそうです。

この逸話もどこまで信用できるものなのかはわかりませんけど
富田勢源が剣の遣い手として一流であったがために
広まった逸話なのでしょう。
弟子が優秀なのは、やはり師匠が優秀だったからなのでしょうね。

2.富田景政(とだかげまさ)とは

通称治部左衛門
1524年生まれで、富田勢源の弟です。
富田勢源が眼病を患ったために、景政がその家督を継承することになります。
元々は越前朝倉氏に仕えていましたが、朝倉氏は織田信長によって滅ぼされます。
朝倉氏滅亡後は、織田信長の家臣・前田利家に仕えました。
前田利家の元では、魚津城攻め等で活躍し4千石の知行を得ます。
後に、能登七尾城の守将となります。
子に富田景勝がいたのですが、賤ケ岳の戦いにおいて戦死してしまったので
旧朝倉家臣で富田流の門人であった山崎景邦から養子を迎えます。
その養子が富田重政です。

富田勢源の弟子と言われている鐘捲自斎は景政の弟子とも言われていて
もしかしたら勢源と景政の家督継承の頃に
鐘捲自斎が中条流を学んでいたのかもしれませんね。
また、豊臣秀吉の甥である豊臣秀次にも剣術を指南したそうです。
没年が1593年。享年70歳でした。

3.富田重政(とだしげまさ)とは

通称六左衛門
1564年生まれ父は山崎景邦
山崎景邦は、越前朝倉氏の家臣であり、富田流の門人でした。
富田景政のところで述べた通り、景政の子・景勝が賤ケ岳の戦いで
戦死してしまったことから、富田景政の婿養子となった人です。
剣術の腕前もさることながら、
実戦の戦においても多くの首級を挙げたことから
後に『名人越後』と称されました。
※「越後」は越後守に叙任されていたため

当初は前田利家の家臣として100石で仕えており、
1583年の能登末森城の戦いにおいては一番槍の武功を挙げています。
その後も1590年の小田原征伐や1600年の関ヶ原の戦いにおいても
前田家の武将として従軍し、戦功を挙げた結果
1万3670石の所領を与えられています。
その後高齢のために前田利長が前田利常に家督を譲った頃に
同じく隠居しています。
しかし、1614年からの大坂の陣には前田利常に従って参陣して
19人の首級を挙げる武功を立てています。
この時50歳です。
日頃の鍛錬を怠らない元メジャーリーガーのイチローさんや
サッカー選手のカズさんがちょっと頭をよぎります(笑)

名人越後の逸話といえば首級19を挙げた大阪の陣での戦いと
主君・前田利常に見せた奥義「無刀取り」の話でしょうか。

ある時、主君・前田利常が富田重政
「無刀取りを見せてみよ」
と言って、刀を突きつけてきました。
「無刀取りは秘伝のため多くの人に見せるわけにはいきません。
向こうの障子から覗いている小姓をおさげください」
富田重政が言うので、
前田利常は小姓の方を向いて下げようとします。
その小姓側へ向いた一瞬のスキをついて
富田重政は前田利常の刀を奪い取り、
「これが無刀取りでございます」
と答えたそうです。

こういう主君の無茶ぶりにも動じず対応する辺りは
歴戦の強者だからこそなのかもしれませんね。

富田重政没年は1625年。享年62歳でした。

4.川崎時盛(かわさきときもり)とは

通称鑰之助(かぎのすけ)
生年不明。父は、越前朝倉氏の御用人であった川崎時定
父・時定は鞍馬八流という剣術の達人だったそうです。
13歳ぐらいから父に剣術を学んでいたそうで、
さらに槍術を富田牛生に、剣術を富田勢源に学びます。
17歳の時には真柄真基(十郎三郎)村上長孝(庄蔵)と共に
朝倉の「鬼若三勇士」と言われたという話もあります。

父・時定が何かしらの理由で浪人になると
比叡山の東軍権僧正の下に預けられたそうで、
この地で刀術の秘伝を学び東軍流を開祖したと言われています。
没年は不明です。

東軍流は、東軍流の4代目である川崎次郎太夫(かわさきじろうだゆう、宗勝)
一躍有名にしました。
川崎次郎太夫武蔵国熊谷で仕合をした際に人を殺してしまい、
その門人10数人に襲われるのですが剣技巧みに切り抜けます
これが当時の忍藩主阿部忠秋に召し抱えられるきっかけとなり、
後に江戸で道場を開いて天下五大流儀の一つに数えられるようになるのです。
赤穂浪士で有名な大石内蔵助はこの東軍流を学んでいます。

5.鐘捲自斎(かねまきじさい)とは

別名通家(みちいえ)
生年、父ともに不明。
出身地は不明なんですが、越前朝倉氏の重臣である
印牧氏と同族ではないかと言われています。
※印牧氏の一族である印牧能信についてはこちらの記事をどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

越前朝倉氏の剣術指南役である富田勢源(あるいは景政)に弟子入りして
中条流剣術を学びます。
中条流で扱う小太刀と自ら考案した中太刀の技法によって剣技を高めて
山崎左近将監長谷川宗喜らとともに「富田の三剣」と呼ばれるほど
の腕前を身に付けます。
また、この頃は外田(戸田)一刀斎と名乗っていたこともあるようです。

鐘捲自斎の弟子には前原弥五郎という人物がいて、
この前原弥五郎が「一刀斎」の名跡を鐘捲自斎から譲り受けた後、
伊藤一刀斎と名乗って一刀流剣術を創始したと言われています。
また、鐘捲自斎は伊藤一刀斎
奥義「高上極意五点(ごじょうごくいごてん)」も伝えたそうです。
※高上極意五点は、妙剣・絶妙剣・真剣・金翅鳥王剣(きんしちょうおうけん)・独妙剣の5つの剣技のこと

宮本武蔵と巌流島で決闘をして敗れた佐々木小次郎
鐘捲自斎の弟子の一人と言われています。

6.「麒麟がくる」に登場する剣豪はいる!?信長の野望シリーズでは?

今回紹介した剣豪たちのうち「麒麟がくる」には誰か登場するのかどうか。
明智光秀が中条流を学んでいたりすれば
富田景政や鐘捲自斎あたりと絡みのあるシーンがあったかもです。
この際学んでたことにしてしまうのも有り!?(笑)
名人越後の富田重政はちょっと時代が遅いからタイミングが合わなそう。
東軍流の川崎時盛は生没年があまりよくわかっていないし
多分越前で修業していた時期が光秀の朝倉氏仕官前だと思うので
絡ませるにはちょっと無理がある。
(一説には1525~55年頃に活躍したとか)
いずれかの剣豪が出てきたら、
制作スタッフに剣豪好きな人がいるってことなのかもしれません(笑)
ていうぐらいじゃないと多分出ない気がしています。

信長の野望シリーズにおいてはどうかというと、
富田景政と富田重政は登場経験があります
養父の景政の方は蒼天録から連続登場していて、
名人越後の重政の方はそれより前の天翔記から連続で登場しています。
二人とも剣豪武将として武勇高め、戦法も強力
部隊長としては少し厳しいですが副将としては必ず入れたい二人です。
そして、信長の野望戦国立志伝での富田景政の能力値はこちら。

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富田重政がこちら。

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二人とも武勇70超えぐらいでそれ程でも?って感じるかもしれませんが
二人の持ってる戦法「奥義一閃」、これ持ってるだけで最強です。
敵兵が混乱状態に陥ると兵力をガンガン削れるので
兵力差が数倍あっても逆転してしまいます。
逆に、敵がこの戦法持っていると
形勢逆転されてしまう可能性もあるから要注意。
もしも敵方にいたとしたら、早いうちに味方にしていsまいたいところ。

実は富田景政の方は戦国立志伝だと国人衆として出てくるので、
一つ手順を踏まないと家臣にはなってもらえないんですが、
味方として懐柔していれば援軍として戦に参戦して
奥義一閃を存分に使いまくってくれるので
国人衆のままでも頼もしさは変わりません。

7.まとめ

今回は越前の剣豪たちとして
富田勢源富田景政富田重政川崎時盛鐘捲自斎
の5人を紹介しました。
東軍流の川崎時盛なんて知ってる人はどれぐらいいるのか。
どっちにしても宮本武蔵佐々木小次郎に比べたら
今回の剣豪たちは全然マイナーですけどね。
ちなみに、越前に剣豪が多いのは
第10代朝倉氏当主である朝倉孝景が文化のみならず
武道にも力を入れていた人であったためで、
それは「文道を左に、武道を右にした風流太守」
と称されるほどでした。
父・孝景が築いた文武の道は義景にはうまく継承されなかったのかな・・・。

それでは今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!