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浅井四翼・磯野員昌の生涯と魅力 - 大河ドラマや信長の野望で知る戦国武将

浅井四翼・磯野員昌の生涯と魅力 - 大河ドラマや信長の野望で知る戦国武将

磯野員昌は、戦国時代に近江国を拠点とした浅井氏に仕えた勇猛果敢な武将です。

「浅井四翼」の一人として知られ、元亀元年(1570年)の姉川の戦いでは織田信長の本陣目前まで迫ったという「十一段崩し」の逸話が残っています。

本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、磯野員昌の生涯や魅力を解説します。

磯野員昌の出自・功績・逸話

磯野員昌は、近江浅井氏に仕えた佐和山城主で、「浅井四翼」と称された猛将の一人です。

名前(読み方) 磯野 員昌(いその かずまさ)
別名/渾名/二つ名 丹波守、浅井四翼、十一段崩し
生年 旧暦大永3年(1523年)
没年 旧暦天正18年9月10日(1590年10月8日)
磯野員宗
不詳(小谷城で処刑されたという説あり)
兄弟姉妹 不詳(叔父・員清が一時家督を継ぐ)
不詳
行信、政長、娘(小堀正次に嫁ぐ)
養子:員次(安養寺氏種子)、津田信澄(織田信勝長男)

以降では、磯野員昌の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。

出自

磯野氏は、もともと京極氏の家臣として近江国で活動していた一族です。

浅井亮政が台頭してくると、京極氏に代わって浅井氏の配下に加わることになりました。

磯野員昌の父・員宗は、磯野氏一族の中で佐和山城を本拠とする磯野員吉に養子として迎えられています。

ちなみに主家筋の磯野氏は西に下り、筑前国で活動するようになったとされています。

※『サザエさん』の磯野家は、この筑前国の磯野氏の末裔説があるらしいw

員宗の死後、いったん叔父の員清が家督を継ぎましたが、のちに員昌が継ぐことになりました。

佐和山城は後に石田三成が居城とした名城ですが、それより前に員昌がこの城の城主として浅井氏に仕えていたのです。

家族や親類

員昌の父・員宗は、前述のとおり本家筋とは別の磯野氏に養子として迎えられていますが、それ以外の詳細ない情報は不明です。

母親についても詳しい記録が残っていません。

ただし、姉川の戦い後に「員昌が織田方に内通している」という噂が立った際。

浅井氏によって人質として小谷城にいた員昌の母は処刑されてしまった

そんな逸話は残っているようです。

員昌の息子・磯野行信は、本能寺の変の際に信長の長男・織田信忠を護衛していました。

行信は奮戦するも明智の大軍には抗えず、信忠は自害、立て籠もっていた二条新御所も焼け落ち、命からがら敗走します。

ところが、近江国に入る直前で明智光秀の軍と遭遇し、覚悟を決めた行信は自害したそうです。

また行信の子、つまり員昌の孫にあたる磯野行尚は、石田三成に仕え、三成没後は藤堂高虎に仕えました。

特に行尚は、大坂の陣で増田盛次を討ち取る功を挙げたと伝わります。

員昌の娘は小堀正次に嫁ぎ、茶人として有名な小堀政一(遠州)を産んでいます。

また、織田信長の弟・信勝の長男、津田信澄を養子として迎えました。

この養子縁組が後の員昌と信長の不和につながったという説があります。

内政や合戦での功績

磯野員昌は佐和山城を拠点に、六角氏との戦いで数多くの武功を挙げ、その武名を轟かせました。

合戦では浅井軍の先鋒として活躍し、大野木国重、野村定元、三田村秀俊らと共に「浅井四翼」と呼ばれたという話もあります。

最も有名な功績は、元亀元年(1570年)の姉川の戦いでの「十一段崩し」です。

この戦いで、織田軍は先鋒から本陣までを13段に分けて配置していましたが、員昌は1,500ほどの兵を率いて浅井軍の先鋒を務め、織田軍の11段目まで突破したと伝わります。

ただし、この逸話は江戸時代の『浅井三代記』が初出のため、後世の創作かもしれません。

姉川の戦い後、織田軍は横山城を落として小谷城と佐和山城の陸路を分断。

その結果、員昌は孤立状態に追い込まれました。

元亀2年(1571年)、佐和山城を攻撃された員昌は止む無く織田信長に降伏

ただし、降伏後は近江高島郡を与えられるなど厚遇され、織田家の宿将として活躍しています。

天正元年(1573年)には、織田信長を鉄砲で暗殺しようとした杉谷善住坊を捕縛

天正3年(1575年)には越前一向一揆の鎮圧に従軍するなど、織田家中でも活躍は衰えませんでした。

しかし天正6年(1578年)、信長の意向に背いたことで叱責され、織田家を出奔することになります。

信長が𠮟責した理由は不明ですが、家督を譲る(または高島郡を譲る)よう信澄や信長が迫るも、それを員昌が拒んだためという説があります。

晩年と最期

織田家を出奔した後の磯野員昌の動向は詳しくわかっていません。

本能寺の変で織田信長や津田信澄が亡くなると、高島郡に戻って帰農し、天正18年(1590年)10月8日、68歳で生涯を閉じたそうです。

※伊香郡高月(現在の滋賀県長浜市)に蟄居していた説もある。

押さえておきたいエピソード

磯野員昌まつわる逸話は、以下を押さえておくといいでしょう。

  • 姉川の戦いで「十一段崩し」とも称される猛攻で織田本陣に迫る活躍
  • 佐和山城に6ヶ月以上籠城し、織田軍と対峙
  • 織田家に降伏後は高島郡を与えられ、信長から高く評価された
  • 津田信澄を養子に迎えるが、後に家督問題で対立し織田家を出奔
  • 子孫が石田三成、藤堂高虎に仕え、孫の行尚は大坂の陣で武功を挙げた
  • 娘は茶人・小堀遠州の母

ほかにも興味深いエピソードがあれば教えていただきたくっ!

信長の野望シリーズでの磯野員昌

信長の野望」シリーズといえば、戦国時代のシミュレーションゲームでおなじみです。

ここでは、「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、磯野員昌の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。

タイトル別能力

磯野員昌の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。

タイトル 政治 知略 武勇 統率
信長の野望・創造PK 28 42 81 77
信長の野望・創造 戦国立志伝 28 42 81 77
信長の野望・大志 内政31
外政33
64 86 76
信長の野望・新生 29 67 85 72

タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。

タイトル 戦法 特性・個性 奉行特性
信長の野望・創造PK 急襲
  • 馬術
- -
信長の野望・創造 戦国立志伝 急襲
  • 馬術
- -
信長の野望・大志 早駆け
補佐:猛攻
  • 騎馬配備
  • 農兵動員
家名存続 -
信長の野望・新生 激励
  • 一番槍
  • 一所懸命
  • 牢固
- 具足奉行
(常備兵制)

ゲーム内で向いている役割

信長の野望」シリーズでは、磯野員昌は武勇と統率が高い猛者として設定されています。

とくに騎馬戦術に長けた武将として評価されているようです。

先鋒で「急襲」「早駆け」が設定されているのは、姉川の戦いでの逸話がベースになっているのでしょう。

武勇80超えは、浅井家臣のなかでもトップ。

先鋒として縦横無尽に戦場を駆け巡る、そんな戦いぶりが似合っている武将です。

個人的には、大名プレイよりは、軍事面で重用する家臣として活躍させるほうが楽しいです。

政治・知略は低めでしたが、知略は「信長の野望・大志」から60以上に見直されています。

60くらいだと調略を看破するには物足りないレベルとはいえ、前線を守る城主としても期待できるでしょう。

磯野員昌プレイにおすすめのタイトル

磯野員昌プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。

それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!

タイトル おすすめポイント
信長の野望・創造PK
  • 内政と軍事、どちらもほどよく楽しめる
  • 複雑すぎないゲームシステムで遊びやすい
  • 築城で支城を作れば戦略の幅が広がり、より楽しくなる
信長の野望・創造 戦国立志伝
  • 大名プレイのみならず家臣プレイも堪能できる!
  • ゲームシステムは創造PKを踏襲しているので遊びやすい
  • 異次元世界にある領地を発展させるのが楽しい!
    (個人的には、領地の兵力はあまり増やさないほうが楽しめる)
信長の野望・大志
  • 戦国時代のリアルな戦闘の雰囲気を味わえる野戦が楽しい!
  • 「志」システムが大名の個性を引き出している
  • 他国との外交が天下統一への肝になっているところに現実味がある
  • 正室以外に側室も設定できるのがうれしいw
信長の野望・新生
  • 籠城戦はシリーズNo.1の作りこみ!籠城戦楽しい!
  • 大志同様、外交戦略も必要な点にリアルさを感じる
  • コツさえわかれば小国でも乗り切れる(序盤はかなりきつい)
  • 武将ごとに設定された「奉行特性」は、効果の説明を読むだけでワクワクするw

 

磯野員昌プレイでの注意点

信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。

  • 大名プレイをするには、元々仕えている大名の娘婿になり、大名を隠居して家督を継がせる必要がある
  • 信長の野望・大志」(PK版のみ)や「信長の野望・新生」の場合、ゲーム開始前に大名を変更する。

個人的には、「信長の野望・大志」または「信長の野望・新生」がおすすめです。

特に「信長の野望・大志」は野戦がアツいので、リアルな戦場を騎馬隊で暴れさせましょう!

 

磯野員昌が登場する小説・書籍・アニメなど

磯野員昌が主人公の作品はおそらくありません。

しかし、姉川の戦いで活躍した武将のため、戦国武将の中でも小説やマンガに登場する機会は多いです。

磯野員昌が登場するおもな作品を以下に挙げておきます。

  • 全一冊 豊臣秀長 ある補佐役の生涯』 2015年 著:堺屋太一
    姉川の戦いなど浅井方の武将として磯野員昌が登場します。
  • 九十三歳の関ヶ原: 弓大将大島光義』 2019年 著:近衛龍春
    姉川の戦いの場面で浅井方の猛将として描かれています。
  • センゴク』 2004年~ 宮下英樹作
    佐和山城主として登場し、姉川の戦いで活躍する猛将として描かれています。
  • 信長の忍び』 2008年~ 重野なおき作
    「突撃突破の磯野員昌」として逆立った頭髪が特徴的なキャラクターで描かれています。
  • 信長協奏曲』 2009年~ 石井あゆみ作
    姉川の戦いで織田軍を追撃するシーンに登場します。
  • アニメ『戦国BASARA Judge End』 声優:上田燿司
    織田残党軍の武将として登場します。

大河ドラマでの磯野員昌

大河ドラマでは、以下の2作品に登場歴があります。

『功名が辻』では、姉川の戦いで主人公・山内一豊を川に突き落とすなど、浅井家の猛将として描かれています。

また、同作では磯野員昌の庶子とされる磯野平三郎(演:園岡新太郎)も登場し、石田三成に仕える武将として描かれています。

大河ドラマにおける員昌の描写は限られたものですが、浅井家の重臣として、また猛将としての一面が強調されることが多いようです。

ゆかりの地:磯野員昌と歴史を感じる場所

磯野員昌のゆかりの地を紹介します。

佐和山城跡(滋賀県彦根市)

佐和山城は、磯野員昌が城主を務めた城です。

滋賀県彦根市古沢町に位置し、彦根駅から北に徒歩約20分のところにあります。

佐和山は標高232.5mの山で、この山頂に築かれた城は交通の要衝として重要な役割を果たしていました。

元々は近江守護・佐々木氏によって築城され、石田三成が城主となった際には5層の天守を備えたそうです。

現在は建築物のほとんどが彦根城や麓にある清凉寺、龍潭寺に移築され、わずかに残った石垣と後世に建てられた石碑のみとなっています。

山頂からは琵琶湖や比良山系が一望でき、磯野員昌が見ていた風景を偲ぶことができます。

姉川古戦場(滋賀県長浜市)

姉川古戦場は、磯野員昌が「十一段崩し」の活躍を見せたと伝わる元亀元年(1570年)の姉川の戦いの舞台です。

滋賀県長浜市野村町・三田町に位置しています。

伊吹山を源流とする姉川の両岸では、浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍による壮絶な合戦が繰り広げられました。

兵士の血で真っ赤に染まったという姉川の野村橋のたもとには、戦死者の慰霊碑が立てられています。

周辺には姉川合戦に関連する史跡が多く残り、説明板も設置されているため、当時の様子を偲ぶことができます。

浅井歴史民俗資料館(滋賀県長浜市)

浅井歴史民俗資料館(お市の里)は、磯野員昌が仕えた浅井氏に関連する資料を展示している資料館です。

滋賀県長浜市大依町の浅井文化スポーツ公園内にあります。

「郷土学習館」では戦国大名浅井氏に関する資料や小谷城模型が展示。

「糸姫の館」「鍛冶部屋」「七りん館」と合わせ、浅井地域の歴史や文化、産業の進化を実感できる施設です。

浅井家臣団の一翼を担った磯野員昌が守った地域の歴史や文化を知りたい、そんな人に訪れてほしい場所です。

磯野員昌の生涯と功績まとめ

磯野員昌は、「浅井四翼」の一人として浅井家に仕えた戦国時代の猛将です。

姉川の戦いでは、織田信長の本陣に迫るほど勇猛果敢な武将として有名。

織田氏の勢いに抗えず降伏しますが、高島郡を与えられるなど織田信長からも高く評価されました。

しかし、養子・津田信澄との家督問題で信長と対立し、織田家を出奔。

そのまま表舞台に立つことなく、生涯を終えてしまいました。

ただし、その子孫は石田三成や藤堂高虎に仕え、娘の血筋からは茶人・小堀遠州が誕生するなど、戦国から江戸初期にかけての歴史にも影響を与えました。

信長の野望」シリーズでは、姉川の戦いでの勇ましさを再現するかのように、武勇と統率に優れた武将として設定されています。

史実では織田信長に屈しましたが、ゲームでは浅井氏を天下統一に導く戦鬼がごとく活躍させてあげましょう!

 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!

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