歴史人物語り#16 琵琶湖を馬で渡り切った伝説の持ち主であり明智五宿老の一人でもある明智秀満

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今回は明智光秀から信頼の厚かった明智五宿老が一人、
明智秀満(あけちひでみつ)です。
今まで4人の明智五宿老を紹介しているので
明智秀満が最後の一人となります。
配役はまだ未発表ですが
麒麟がくる」でも確実に登場するでしょう。

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。 

1.明智秀満(あけちひでみつ)とは

通称左馬助(さまのすけ)
出自は諸説ある人物なんですが、明智軍紀に記載のある
以前紹介した明智光安の子の説が有力でしょうか。

tsukumogatari.hatenablog.com

 明智光安明智光秀の父・明智光綱の弟なので
明智秀満明智光秀の従兄弟ということになりますね。

tsukumogatari.hatenablog.com

ただし、秀満は三宅性を最初の頃は名乗っていたことが
いくつかの資料からわかっています。
加えて、父と言われている明智光安にも遠山景行と同一人物説があるために
遠山氏説もあったりして、この辺はよくわかりません(笑)

明智家は斎藤道三小見の方(光秀・秀満の叔母)を継室として送るなどして
斎藤家との結びつきを強くしていましたが、
斎藤道三が息子の義龍と仲が悪くなり長良川の戦いで敗死すると
明智家も居城である明智城を義龍の軍勢に攻められて陥落してしまいます。
この時当主代わりであった明智光安は自害して亡くなりますが、
明智秀満明智光秀らと共に城を脱出し浪人生活をしばらく送るのです。
このように明智光秀と生涯苦楽を共にした一族の一人でもあるので
光秀からの信頼は絶大だったと言われています。
1578年には光秀の娘を奥さんとして迎えていますからね。

ちなみにこの奥さんは、
元々は荒木村重(あらきむらしげ)嫡男・村次(むらつぐ)に嫁いでいました。
しかし、荒木村重織田信長に謀反を起こしたことによって
離縁されてしまったのです。
離婚も今の世の中だとわりと普通にありますけど、
戦国時代なんかだと家同士の結束や戦略のために
婚姻関係を結ぶことが多かった時代ですから
望んでではなくても敵同士になってしまったら
離縁せざるを得ないケースがよくありますよね。

話を秀満に戻しましょう。

秀満は丹波攻めでも当然明智家主力として参戦し、
丹波平定後は福知山城城代を任されます。
この福知山城は丹波の新たな重要な拠点として
明智光秀が築城したのが元と言われています。
その城代を任せたという点から、光秀の秀満に対する信頼度が伺えます。

秀満は最初に紹介したとおり、明智五宿老の一人です。

tsukumogatari.hatenablog.com

すなわち明智光秀本能寺の変の計画を事前に知らされていたうちの一人です。
打ち明けられた5人の中でも一番先に謀反に同調した人物で、
そのために他4人も謀叛を決意したという話も伝わっています。
そして本能寺の変では先鋒として本能寺を襲撃し、
その後は安土城の守備を任されます。
しかし、光秀が山崎の戦い羽柴秀吉に敗れたことを聞くと
安土城を離れ、琵琶湖南西にある光秀が元々近江平定の拠点としていた
坂本城へ入場します。
坂本城堀秀政の軍勢に包囲され
しばらく防戦するものの
衆寡敵せず
光秀の妻子と自分の奥さんを刺殺したのち
腹を切って火を放ち自害したそうです。
斎藤義龍明智城を落とされ
明智家離散となった頃から
明智光秀と共に明智家を支えてきた秀満が
明智一族の最期を看取ることになったのは
皮肉としか言いようがありません。

2.明智秀満は逸話がおもしろい

明智秀満には伝説があります。
本能寺の変後に安土城を守っていたことは前述しましたが、
その安土城から退去して坂本城へ向かう途中、
大津で堀秀政(ほりひでまさ)の軍勢と遭遇します。
堀秀政とは当時なにをやらせても名人といわれるほどの文武に秀でた武将で
信長も高く評価していた人物の一人です。
秀満もこれはまずいと思ったことでしょう。
しかし逃げるにしても琵琶湖を渡る以外に逃げ道はない・・・。
そして秀満が選択したのは琵琶湖を渡ること!
琵琶湖を馬に乗って渡って逃げ切ったというのです。
明智左馬助の湖水渡り」伝説と言われています。
真偽は定かではありませんが、馬ってどれぐらい泳げるんでしょうか。
あと、この時他に家臣はいなかったの?
みたいな野暮は聞いちゃいけません(笑)

秀満は他にも面白い逸話があります。

本能寺の変後に安土城から退去して坂本城に入場した後の話です。
坂本城が包囲され籠城をしていると、
坂本城入江長兵衛(いりえちょうべえ)という武士が
坂本城に一番乗りでやってきました。
秀満は元々、この入江長兵衛とは知り合いだったようなのですが
この入江長兵衛を説得します。
どんな説得の仕方かというと、こんな感じです。
君のようにワシも戦場では
我先にと一番乗りし

退却する時は殿を務め
武功に励んできた。

全ては我が身を犠牲にしてでも
一族子孫のためと思ってやってきた。

でもその結果が結局これだよ。
君もきっとワシと同じような目に遭うぞ
話をちゃんと聞いてくれたお礼に餞別で黄金300両をあげたそうです。
入江長兵衛、ちょっと人が良すぎじゃないですかね?(笑)
私なら『有難いご忠告どうも、気を付けるよ』といって
ブスッと槍を突き刺してるかも(笑)
で、その入江長兵衛はどうなったかというと、
その後武士をやめて秀満にもらった黄金で商人となって財を成したのだとか。

それからもう一つの逸話。ちょっとこれはしびれます
これも本能寺の変後に坂本城で籠城していた時の話です。
坂本城には明智光秀秘蔵の脇差をはじめお宝品がたくさんありました。
きっとお高い茶器もたくさんあったことでしょう!
これらのお宝がなくなることをおそれた秀満は、
これらを荷造りし目録を添えて、
包囲していた堀秀政の一族・堀直正(ほりなおまさ)に贈ります。
堀直正は目録に書いてあるものがすべてあることを確認できましたが
明智光秀秘蔵の郷義弘(ごうのよしひろ)の脇差
目録にないことに気づきます。

そのことを問いただしたときの、秀満の回答がこちら。
脇差は光秀さま秘蔵のものだから
死んでワシが光秀さまに渡すんじゃ。
だからワシが腰に差す
あれ?うまいこといってパクってない??(笑)
とかいうのは野暮ですよね。
主君想いの秀満らしいエピソードです。
そう考えるとしびれるでしょう?(笑)

あと明智秀満とは直接は全然関係ないですが、
秀満が城代としてまかされたのが福知山城というお話はしましたね。
このお城は明治時代に廃城となって天守閣は取り壊されたんですが
市民運動によって天守閣が再建されます。
そしてわりと最近
2018年に将棋のタイトル戦である竜王戦
この福知山城で開催されました。
お城で将棋の王者を決めるなんてちょっとカッコイイですよね!

3.「麒麟がくる」でも主要キャストなのは間違いなし!?

配役はまだ未発表なので、どなたが演じるかも気になるところです。
おそらく明智光安の子の設定で登場すると思いますが、
明智城落城からの明智光秀の右腕的存在として
多くのシーンに登場するのではないでしょうか。
特に序盤の浪人時代は、明智光秀藤田伝五と共に
様々な場面で支えていくことでしょう。
個人的には明智家の中でも一族想いで熱い男、
そう現代でいう松岡修造さんみたいなイメージです!!
あ、なんか、松岡修造さんやってくれたたら面白そうだなって
本気で思ってきました(笑)
入江長兵衛を説得する逸話とか
松岡修造さんの熱い語り口調でやってほしい(笑)
松岡修造さんって役者はやらないんでしたっけ?
あの人すごい好きなんですよね、個人的に。

あと、秀満の一番の見せ場はなんといってもあれです
琵琶湖を馬に乗って渡るシーン!!!(笑)
どうせ大河ドラマは作り物、
実際にできたかどうかなんて関係ない、
見せてください湖水渡り!

4.まとめ

今回は明智光秀の従兄弟であり明智五宿老であった明智秀満でした。
明智家といえば出自がわからない人だらけの中、
やっぱりこの人も出自が不明なんですが、
興味深い逸話がたくさん残っていて
その人柄がなんとなく垣間見えてきます。
そして今回もなんとなくタイミングを失っていたので
ここで信長の野望・創造 戦国立志伝での能力評価値を。

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武勇・統率が高めの評価です。
後々の成長も見込めば家臣としては有能な部類に入ります。
麒麟がくる」放映始まったらもっと評価値はあがるかもしれません。
そういえば読んだことありませんが
小説で明智左馬助の恋』っていうのありましたね。
タイトル名変わってドラマ化もされていたような。
この機会に小説は読んでみようかなと思います。

明智左馬助の恋 上 (文春文庫)

明智左馬助の恋 上 (文春文庫)

 
明智左馬助の恋 下 (文春文庫)

明智左馬助の恋 下 (文春文庫)

 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!