歴史人物語り#26 織田信長に降ることなく斎藤家と命運を共にすることを最期まで貫き通し奮戦した岸信周

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今回は信長に最期まで抗って散っていた
岸信周(きしのぶちかです。
私がブログで歴史人物を書いていく中で
有名武将を差し置いても絶対に書きたいと思っていたうちの一人です。
麒麟がくる」での登場はちょっと厳しいかもしれません!

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

 

1.岸信周(きしのぶちか)とは

通称孫四郎
美濃堂洞城(どうほらじょう)城主
父は佐藤信で、元々佐藤姓でしたが信周の代から岸姓に改姓しました。
信周は斎藤道三に仕えていた武勇に優れた武将で、
中濃地域でも有力な武将の一人でした。
1542年斎藤道三が主君であった土岐頼芸(ときよりあき)を
大桑城から追放した戦に従軍し、
1547年加納口の戦いでは
織田信秀の甥・織田新十郎を討ち取った功から道三より感状を受けています。
※ちなみにこの加納口の戦いで敗れた織田家は、
平手政秀の働きによって信長と道三の娘・帰蝶との縁組が成立し和睦することになります。

斎藤道三の元で持ち前の武勇を発揮していた信周でしたが
道三とその子・義龍が争った1556年長良川の戦いでは、
斎藤義龍についています。
この頃多くの斎藤家の有力な武将(特に旧土岐家家臣団)は義龍の味方となっていて、
長良川の戦いでは5倍の兵力差がついていたと言われています。
戦国大名として成り上がったそのやり方に納得していなかったのかもしれないし
土岐家の血統かもしれない義龍を廃嫡しようとする動きによって
また美濃が混乱に陥ることを良しとしなかったのかもしれません。

斎藤義龍側についた信周は義龍の死後も嫡男の龍興に仕えています
1565年には長井道利(ながいみちとし)佐藤忠能(さとうただよし)
中濃三城盟約を結んでいます。

tsukumogatari.hatenablog.com

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この盟約は、尾張を統一し美濃に攻めかからんとしていた
織田信長に備えてのものです。
そして盟約の結束を固めるために信周は
佐藤忠能の娘・八重緑(やえりょく)を養女としています。
いわゆる人質ってやつです。
しかし、織田信長によって
鵜沼城(うぬまじょう)や猿啄城(さるばみじょう)が落城すると
佐藤忠能信長の家臣・丹羽長秀を通じて織田方に寝返ってしまいます。
そのために八重緑は後述の堂洞合戦前夜に殺されて堂洞城の長尾丸に磔にされます
これが戦国の世の習いとはいえ、惨い話ですよね。
裏切るんだったら盟約なんて結ばなければいいし、
そうすれば娘が殺されることもなかったろうに
なんて考えるのは現代人の浅はかな考え方なのかもしれないけど。

そして堂洞合戦と呼ばれる
織田・佐藤忠能加治田衆連合軍との戦いが始まります。
この戦では長井道利も援軍を送るのですが、
織田信長軍に進行を阻まれ撃退されてしまいます。
また、岐阜城からも斎藤龍興の軍勢が援軍として向かってはいましたが
1日遅く間に合いませんでした。
完全に包囲されてしまった堂洞城での籠城戦。
信周は弟の岸信貞(きしのぶさだ)
嫡男の岸信房(きしのぶふさ)らと共に
死力を尽くし何度も織田軍勢を撃退するなど損害を与えましたが力敵わず、
信周と共に薙刀を振って戦っていた奥さんと刺し違えて亡くなったそうです。
岸一族のほとんどがこの戦いで亡くなっています。

信長からは高禄で重用する話を持ち掛けらてもそれを断り、
主家と最後まで命運を共にするという姿勢を崩しませんでした。
そういう人物だからこそ、佐藤忠能の裏切りは許せなかったんでしょうね。
果てることなく信長についていたら、
忠義に厚い勇将として名を残せたかもしれない、
そんな思いを馳せさせる人物です。

2.岸一族は真の武士!

信周は前述のとおり、負け戦とわかっていても主家を裏切らず
最後まで戦い抜いた武士の誉れというべき人ですが、
奥さんがまた武士の志を持った人でした。
信周の奥さんは、
堂洞城の合戦で夫と共に薙刀を振りかざして戦うその様は、
板額御前(はんがくごぜん)を思わせるほど
だったと伝わっています。
※板額御前とは、「吾妻鏡」にも登場する平安末期から鎌倉時代にかけての女性武将で
建仁の乱(けんにんのらん)において反乱軍側の将として女性ながら勇猛果敢に戦い抜いた人です。

堂洞合戦において、もはやこれまでという時には、
嫡男・信房がもう既に討死しているであろうことを悲しんで
涙を流す信周を励ましながら
「戦で死ぬのは武士の常、私たちも討死を急ぎましょう」
といって、辞世の句を夫婦で読みあってお互いを刺し違えたのだそうです。
この奥さんかっこよすぎる!

そんな二人の血を受け継いだ嫡男の岸信房もまた武勇に優れていたそうです。
堂洞城を信長軍が包囲した際に、
織田方の金森長近が投降をすすめる使者として堂洞城にやってきますが、
前述のとおり父・信周は拒否します。
長近は信房にも投降の意志を確認すると、
信房の嫡男である信近を呼び寄せ、
長近の目の前で首を切って決意を示したそうです。
そして合戦が始まると、
自ら真っ先に進んで敵軍に切りかかり
地形を有効に利用した戦闘によって何度も撃退しました。
しかし戦っているうちに味方は一人二人と減っていき、
自らも3か所に傷を負い、味方が残り6騎となると
雑兵にやられて死ぬぐらいなら腹を切って死ぬことを決意。
腹を十文字に切って自害
したそうです。
この辺の考え方は父と母の武士教育の賜物なのでしょう。

3.「麒麟がくる」に岸一族は?

ちょっと登場する可能性は薄いでしょうね。
明智光秀とはわりとすれ違いになってしまっている気がしますし
特に堂洞合戦の頃、明智光秀はおそらく越前の朝倉家に仕えている頃です。
岸姓を名乗りだした頃の加納口の戦いのシーンがあれば
ひょっとしたらワンチャンあるかも?ぐらいですね。
岸信周大河ドラマで、とまでは言いませんが
小説でもマンガでも主人公にしたものが出ればいいんですが。
自分で書くしかない!?(笑)
と思っていたらTwitterのフォロワーさんから
こんなマンガがあるよと教えてもらいましたので
こちらの記事も読んでみてくださいね。

tsukumogatari.hatenablog.com

4.まとめ

今回は織田信長に降ることなく城で戦い抜き
最後には奥さんと刺し違えて亡くなった岸信周でした。
信長の野望シリーズにはもちろん(?)登場したことはないと思います。
私にとっては武将登録機能で絶対登録するうちの一人でけどね!
岸信周も奥さんも、私が小説でも書かない限り
信長の野望シリーズには登場させてもらえないかもしれないです(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!