歴史人物語り#45 滑稽な髪型になったのは真剣に悩んだ末の結論に違いない、「道化」の語源になった道家定重

スポンサーリンク

今回は美濃斎藤家の家臣、道家定重(どうけさだしげ)
「道化」や「道化師」の語源となったとも言われている人です。
麒麟がくる」には出てこないとは思いますけど
今回書いたエピソードを差し込んでくれるのもアリですよ(笑)

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.道家定重とは

通称六郎左衛門
斎藤道三の家臣の中でも美濃一の怪力無双と恐れられた人物です。
1556年の長良川の戦いでは斎藤道三方について、軍奉行として先陣を務めます。
定重は形勢逆転を狙う策を道三に献じるのですが
戦での勝機がもはやないことを悟っていた道三はその策を取り入れず
自身の旗本の兵を前面に押し出したため、
定重は道三の意を汲み取ったのか先陣を切って討死したといわれています。
定重に関してはこれぐらいの情報しか残ってないので
今回はこれでおしまい
とはなりません(笑)

道家定重は「道化る」とか「道化師」の語源となったと言われていてます。
「道化」っていうとピエロが思い浮かぶ人が多いでしょう。
滑稽手振り身振りで人々を笑わせることだったり
それをする人、っていうのが「道化」の意味ですよね。

その「道化」の語源となったといわれれるエピソードは
江戸時代前期の儒学者であり軍学者であった
山鹿素行(やまがそこう)の記した
武家事紀』に記載があります。
さて、どんなエピソードなんでしょうか。

1.1.道家定重が「道化」の語源と言われるエピソード(8割つくも創作話w)

時は1556年の正月。
美濃稲葉山城の主は1554年に父・道三から家督を譲り受けていた斎藤義龍
年始の挨拶で多くの家臣たちが稲葉山城に出仕していた。
特に今年の年始の出仕には大きな意味があった。

美濃を乗っ取り見事下剋上を成し遂げた道三は息子の義龍に代を譲ることで
謀多き蝮の道三のイメージで染まってしまった斎藤家を
新しい色に染め上げて戦国大名として自立することを願っていたのかもしれない。
しかし、道三と義龍は妙な噂が出回るようになってから二人の仲は険悪になる一方。
互いに互いを疑心暗鬼し続けた結果、
両者の信頼の糸が完全に切れてしまう事件が起きる。
前年11月12日、斎藤義龍は異母弟の孫四郎と喜平次を騙して暗殺したのだ。
弟を暗殺するきっかけは父・道三にあった。
道三は義龍を廃嫡し異母弟の孫四郎に家督を継がせようとしていたのだ。
道三のその動きを聞きつけて、斎藤義龍の腹心の一人長井道利が
異母弟暗殺を義龍に提言し、実行に移したのである。
弟二人の暗殺に仰天した道三は稲葉山城から鷺山城へ逃走し、
鷺山城を要塞化して息子・義龍との全面戦争を決意する。
いよいよ父・道三との決着が近いことを悟った義龍は
腹違いとはいえ弟二人を殺したことに対する贖罪の意味も込めて剃髪した。
そして家臣たちに、こう命じたのである。
「わしと父のいずれに従うか決めよ。
もし、わしに従うのであれば来年正月の年始挨拶でわし同様に剃髪した姿で出仕せよ。」

今年の家臣たちの年始出仕にはこういった経緯があったのだ。
腹心の長井道利を中心として義龍への多数派工作は功をなしており、
西美濃三人衆を始めとして多くの土岐家旧臣たちが義龍側についていた。
大御堂城の竹中重元や明智城明智光安などは道三方についたものの少数勢力である。
年始挨拶に来る家臣は義龍のいいつけ通り、
頭をきれいさっぱり丸めたものたちばかり。(元々丸めてる者もいたけれどw)
ツルツル頭の行列に異様さを感じながらも、
おそらく鷺山にいる道三へ年始挨拶する者よりも多くの家臣たちが
稲葉山城へ訪れていることに義龍はご満悦であった。

ところが挨拶にまかりでた者の中で一人だけ頭の光景の違う者がいた。
その者の頭は確かに髪を剃ってはいるものの、頭半分のみ。
残り半分は剃らずに残しているため髷(まげ)もきちんと結えずに
肩のあたりまで長く伸びた髪がだらりとかかっている状態。
その滑稽極まりない奇抜な髪型の家臣の名は、道家六郎左衛門定重。
怪力無双と言われた剛の者、忠義に厚い人物として知れ渡っていて
義龍もよく見知った者だった。
あまりにも滑稽な形相に大笑いしつつも
さすがに疑問に思った義龍は六郎左衛門に問いただす。
「六郎左衛門、確かに髪は一部丸めておるが半分のこっておるぞ。これは如何なる理由だ」
六郎左衛門は首を垂れたまま静かに答えた。
「私にとって道三さまも義龍さまも同じく主君。どちらを選べと言われましても決められず
悩んだ末に出した結論がこの頭でございます。」
そう答えると、六郎左衛門とちらりと義龍の方へ頭を上げ神妙な顔つきを見せた。
滑稽さなど露一つも感じさせない真剣な眼差しを見て六郎左衛門の真意を悟ったのか
義龍は半分剃らずに残していることは不問に付した。

その後4月、長良川で義龍と道三により決戦が始まる。
なんとも不格好な頭で年始挨拶にまかりでた道家六郎左衛門は
時代の趨勢よりも忠義を重んじて斎藤道三に味方することを選択した。
さすがにその時は頭は全部丸めていたのかどうか。

1.2.「異装の者を称し道化と云うは是なり」(『武家事記』より)

だいぶ勝手に脚色したお話にはしていますが(笑)
要するに道家定重が頭半分ツルツルで半分はふっさふさっていう状態で
義龍の元にまかり出た時の話を元に定重の姓を取って
「道化る」とか「道化者」という言葉が作られたという説です。
信じるか信じないかはあなた次第!(笑)
ちょっとおもしろい話ではあるけど
定重からしたら本当に苦渋の決断だったのかもしれないと思うと
頭の滑稽さっていう表面的なものだけに目を奪われてしまうのは
浅はかな考え方かもしれません。
結局道三方について、忠義を通した定重ですから
笑いものになることを望んだのではなく
義龍に道三となんとか仲直りしてほしいという意味も
もしかしたら込めていたのかもしれません。

1.3.織田家家臣、道家清十郎・助十郎との関係

織田信長の家臣で「天下一の勇士なり」と褒めちぎられた兄弟に
道家清十郎助十郎という武将がいます。
尾張森山出身森可成の家臣として活躍し
特に武田氏との高野口の戦いでの戦功が信長の目にとまって
兄弟の指していた旗指物
信長自ら前述の「天下一の勇士なり」の字を書いたといわれています。
二人の父は道家尾張とも言われていますが、
一説には、道家定重の子どもという話もあります。
道家氏は、美濃・尾張三河の租の徴収を行なう家系だったらしいので
美濃の定重も尾張道家兄弟も同族である可能性は高そうです。

2.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの道化定重

間違いなく出てこないと思いますが
前述のエピソードのためだけに出してくれても面白いですよね(笑)

明智光秀が主役とはいえ、前半は明智家が属する斎藤家の話が中心になると思います。
道三と義龍のこじれ具合とかから始まり長良川の戦いでの決着、そして明智家の離散
この辺の一連の流れがどれぐらい尺を取るのかにも寄りますけど
たまに舞台裏のような面白いエピソード挟んでくれると歴史好きとしては楽しくなる。
個人的には嘘っぽいエピソードほど好きなので
こんなの史実じゃないよっていう話でも入れていってほしいです
苦情とか言いませんよ(笑)

そして信長の野望シリーズにも流石に道家定重はでてきませんね。
マイナーすぎてひっかかりもしない(笑)
ちなみに道化定重の子ども説のある道家清十郎・助十郎も出てきません。
おそらく今後も出してくれることはないと思うので
3人とも武将登録機能で登録して使うことをお勧めします(笑)
能力どうしたらいいかよくわからないけど武勇だけちょっと高い感じかな?

3.まとめ

今回は「道化」の語源と言われる道家定重でした。
姓は「道化」とも伝わっていて「道家」どっちが正しいんだ?
っていう疑問があります。
でも道家氏の名乗りの成り立ちが鎌倉時代の公家・九条道家
建立したお寺の荘園の租税徴収をしていたことが由来なので
やっぱり「道家」が正しくて
「道化」は言葉ができてから転じたものな気がします。

そういえば前回の足利義輝の記事はいつもの倍以上のアクセスがあって
向井理さんの人気を改めて実感しました。
足利義輝も間違いなく人気が上がりそうな気がしてきました、
もちろん「麒麟がくる」放映後(笑)
さて今回の道家定重はどうかな?
「道化」の語源気になって検索してくれる人沢山いるかな?(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!