歴史人物語り#48 徳川家康も豊臣秀吉も賞賛した武勇の持ち主は明智光秀の親戚だった!?元は支流ながら惣領家再興を鈞命された土岐定政

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今回は岐定政(ときさだまさ)
明智光秀とちょっと関係があるような無いような人物。
とはいえ「麒麟がくる」には出てこないとでしょう。

www6.nhk.or.jpでは今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.土岐定政とは

生年は1551年と言われています。
父は明智定明。元は土岐氏の支流である明智氏の系統なんです。
土岐氏明智氏といえば、明智光秀もその系統という説がありますが
その辺の話はまた後述ということで。

父・明智定明は美濃守護土岐頼芸に仕えていましたが
1552年6月斎藤道三との争いに乗じて
定明の弟・定衡に殺されてしまいます。
さらに御嵩城(みたけじょう)の城主・小栗教久に居城を落とされてしまい
まだ幼い定政(幼名は愛菊丸)は一族と共に
母方の実家である菅沼定弘の元へ落ち延びます。
母はその後奥平貞勝(おくだいらさだかつ)に嫁いだため
定政は母の兄弟である菅沼定仙の養嗣子となり、
菅沼藤蔵(すがぬまとうぞう)と名乗るようになります。

そして1564年、徳川家康に招聘されて家臣となり1565年には初陣を飾ります。
その後は姉川の戦いを始めとして徳川家の主要戦線で多くの戦功を挙げ
家康からも武勇に優れた武将と賞賛されたそうです。
1582年には数々の功績から甲斐巨摩郡切石に1万石を与えられて大名となります。
この時に亡くなった父の跡を継いで明智定政と名乗るようになります。

1584年の小牧・長久手の戦い1590年の小田原征伐においても功を挙げたため
徳川家康の関東移封とともに下総相馬郡守谷に1万石を与えられます。
豊臣秀吉からも武勇を賞賛されていたそうなので、
目立った事績が史料に残っていないものの
武に優れた武将の一人だったのでしょう。
そして1593年従五位下山城守に叙任されたばかりか、
惣領家である土岐家の後を継いで再興することを命じられます
そのため、以後は土岐定政と名乗りました。
それから4年後の1597年3月3日に定政は亡くなりました。享年47歳
家督は嫡男の定義(さだよし)が継いで、
以後藩を変えながらも明治維新までその血脈は続いていきました。

ちなみに奥さんは関ケ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦い
勇ましく散ったことで有名な鳥居元忠の娘です。

2.土岐定政明智光秀の関係

出生の謎多い明智光秀はその系譜を示す系図がいくつかあるものの
一致しない部分が多くて謎をさらに深めていたりします。
土岐定政は前述したとおり、明智光秀と同じく土岐氏明智氏です。
(光秀の場合確定していいのかどうかはわかりませんが)
そして定政のお爺ちゃんが明智光秀の祖父と言われている
明智光継の弟であることを示す系図があります。
『続群諸類従』に収められている系図なんですが、
ただしその系図上では光秀の祖父の名は頼典、父の名は光隆になっています。
参考:武家家伝_明智氏

www2.harimaya.com

上の参考サイトにある参考略系図見ていただくと一目瞭然、
系図によっていろんなところに明智光秀の系統が合体しちゃってて
なんだこりゃってなっているのがよくわかると思います(笑)
またこれとは別で明智物語」っていう
土岐・遠山・明智三家の分立から明智光秀本能寺の変
起こすまでに至る経緯をまとめている軍記物語があって
これによると明智光秀土岐定政の父・土岐定明の弟になっているみたい。
弟といっても、光秀は養子ってことらしいです。
でも養子だとすると光秀は明智家の本流ではないってことに?
真偽については明智光秀研究家の人たちにお任せするとして
前述のようにいろんなところにくっつく系図たちを見ていると
作られたもののような気がしてならないです、素人目では(笑)
個人的には明智光秀がどういう家系であろうと評価は何も変わらないんだけど
当時の人達からするとアピールするためには多少の改竄も
一つの手段として必要だったんだろうなとも思います。
今の時代みたいにSNSのようなコミュニケーションツールも存在しませんでしたしね。
元々由緒正しい家系だったらそういうこと気にする必要もないんでしょうけど。
前回?前々回だったかな私の家系の話をちょっとしましたけど
あれも正直どこまで本当なのやらって感じなんですよね。
言ったもん勝ち名乗ったもん勝ちじゃない?っていう感が否めません(笑)

3.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの土岐定政

麒麟がくる」で土岐定政は流石に登場しないでしょう。
斎藤道三の頃はまだ生まれたばかりですし
その後は徳川家康の家臣ですから
同じ系統の家柄とはいえ明智光秀との接点が全くありません。
全くは言い過ぎなのかな、姉川の戦いには参戦しているし。。
でも明智光秀との逸話もなさそうです。
本当に同じ氏族であるならば
何か交流があってもいいんじゃないかって思ったりします。
だって斎藤利三は兄が継いだ石谷家や父は違うけど
母が同じ妹の嫁ぎ先である長曾我部家とは交流あったみたいですからね。
なんかこういう部分が、明智光秀明智家本流ではない説に
ちょっと傾きかける自分がいるんですが、それはまた別の話(笑)

信長の野望シリーズでも土岐定政は登場していません。
登場するなら徳川家康の家臣としてなんでしょうが、
家康の家臣も織田信長に負けず劣らず家臣が多いんですよね。
誰かの記事の時にも書いたかもしれませんけど
ゲームシステムが武将の多さによってあまり左右されないようになれば
土岐定政に限らずもっといろんな武将が登場するかもしれません。
ただ徳川の家臣でも戸田氏なんかは戦国立志伝で初めて登場したりもするので
今後登場する可能性は無きにしも非ず!

4.まとめ

今回は明智光秀と同じ土岐氏明智家の系統であり
大名の地位まで昇りつめた土岐定政でした。
家康も秀吉もその武勇を認めていた隠れた勇将です。
麒麟がくる」で登場しないとは思っていますが
番組終わりにやる紀行シリーズありますよね。
あれで系譜の話がらみでは出てくるかもしれません。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!