
山崎吉家(やまざき よしいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて越前朝倉氏に仕えた武将です。
朝倉家の重臣であり、名将・朝倉宗滴から薫陶を受けた人でもあります。
宗滴の死後はその外交・軍事の役割を引き継ぎ、朝倉家を支え続けました。
ゲームの「信長の野望」シリーズでも登場しますが、その経歴を知ったほうが、戦国時代を駆け抜けた一人の武将としてイメージしやすいでしょう。
そこで本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、山崎吉家の生涯や魅力を解説します。
山崎吉家の出自・功績・逸話
山崎吉家は、越前朝倉氏の重臣として、外交・軍事の両面で活躍した武将です。
| 名前(読み方) | 山崎吉家(やまざき よしいえ) |
|---|---|
| 別名/渾名/二つ名 | 新左衛門尉、長門守 |
| 生年 | 不明 |
| 没年 | 天正元年8月14日(1573年9月10日) |
| 父 | 山崎長吉 |
| 母 | 不明 |
| 兄弟姉妹 | 吉延(吉清)、半左衛門(了清)、珠宝坊 |
| 妻 | 不明 |
| 子 | 吉健 |
以降では、山崎吉家の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。
出自
山崎吉家は、越前山崎氏の出身で、もともと山城国(京都府)にルーツを持つ家系だそうです。
山崎吉家の祖父の代から、朝倉家の重臣として活躍したと伝わります。
山崎氏には長門守家と河内守家の二系統があり、吉家は長門守家に属しています。
享禄4年(1531年)8月の享禄の錯乱で朝倉軍が加賀国に出兵した際、「山崎新左衛門尉」として史料に初めて登場します。
このとき朝倉宗滴に従って今湊に着陣しており、この記録が吉家の初見とされています。
家族や親類
父・山崎長吉は、永正3年(1506年)の加賀一向一揆で敵軍を退却に追い込んだ功臣として知られています。
母や妻についての詳細は伝わっていません。
兄弟は弟が3人いてことがわかっていて、吉延(吉清)、半左衛門(了清)、珠宝坊と伝わります。
また、吉家の子の吉健は共に刀根坂の戦いで討死しましたが、弟・吉延の子、山崎長徳が生き延びました。
山崎長徳は朝倉家滅亡後、明智光秀、柴田勝家の家臣を経たのち、前田利家・利長親子に仕え、加賀藩の重臣として活躍しました。
現在の山崎家は、この長徳の末裔と伝わります。
内政や合戦での功績
山崎吉家は、朝倉宗滴の下で軍略を身につけたそうです。
弘治元年(1555年)の加賀一向一揆攻めでは、陣中で病に倒れた宗滴の代わりに朝倉景隆と共に軍を指揮しています。
宗滴の死後は、それまで宗滴が担当していた越後上杉氏との交渉役を引き継ぎました。
織田信長との対立が始まると、美濃の遠藤氏を通じて武田信玄とも交渉を行うなど、朝倉氏の外交で重要な役割を果たしていたようです。
永禄10年(1567年)に堀江景忠の謀叛が起こると、魚住景固と共に討伐軍の大将として派遣されました。
元亀元年(1570年)4月の金ヶ崎の戦いでは、朝倉義景本隊の第1陣として一乗谷を進発し、織田・徳川連合軍と戦っています。
同年8月には浅井長政の要請を受けて援軍として小谷城に入り、現在「山崎丸」と呼ばれる砦を築いたと伝わります。
その後の坂本の戦い(志賀の陣)では、朝倉景健と共に先陣を務め、織田家の重臣・森可成、織田信治、青地茂綱らを討ち取る戦功を挙げました。
晩年と最期
元亀3年(1572年)7月から12月にかけての義景の北近江出陣にも従軍し、翌年3月の敦賀出陣にも参加しています。
天正元年(1573年)3月の出陣では若狭国に進出し、佐柿城に付け城を築くなど、最後まで軍事面で活躍しました。
そして同年8月14日の刀根坂の戦いでは、退却する朝倉軍の殿軍という最も危険な役目を任されます。
織田軍の執拗な追撃に対して奮戦しましたが、ついに力尽き……。
このとき弟の吉延、子の吉健ら一族のほとんどを含めた多くの将兵と共に命を落としています。
現在、福井県敦賀市疋田の国道沿いには、国道建設工事で発掘された朝倉家家臣たちの墓塔が集められており、山崎一族の墓塔もこの中に含まれているようです。
押さえておきたいエピソード
山崎吉家にまつわる逸話は、以下を押さえておくといいでしょう。
- 朝倉宗滴の下で軍略を学び、宗滴没後はその外交・軍事の役割を継承した文武両道の武将
- 越後上杉氏や武田信玄との外交交渉を担当し、朝倉氏の外交政策の中核を担った
- 小谷城で築いた砦が現在も「山崎丸」の名で呼ばれ、地名として残っている
- 坂本の戦いでは先陣を務め、織田家の重要武将である森可成らを討ち取る戦功を挙げた
- 刀根坂の戦いでは殿軍という最も危険な役目を果たし、主君・朝倉義景を最後まで守り抜いた
ほかにも興味深いエピソードがあれば教えていただきたくっ!
信長の野望シリーズでの山崎吉家
「信長の野望」シリーズといえば、戦国時代のシミュレーションゲームでおなじみです。
ここでは、「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、山崎吉家の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。
タイトル別能力
山崎吉家の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。
| タイトル | 政治 | 知略 | 武勇 | 統率 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 72 | 73 | 45 | 53 |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 72 | 73 | 45 | 53 |
| 信長の野望・大志 | 内政71 外政73 |
72 | 45 | 52 |
| 信長の野望・新生 | 73 | 76 | 50 | 50 |
タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。
| タイトル | 戦法 | 特性・個性 | 志 | 奉行特性 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 鼓舞 |
|
- | - |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 鼓舞 |
|
- | - |
| 信長の野望・大志 | 策士 補佐:強撃 |
|
所領拡大 | - |
| 信長の野望・新生 | 同討 |
|
- | 軍師心得 (八陣の法) |
ゲーム内で向いている役割
「信長の野望」シリーズでは、政治と知略が70台で、武勇と統率は50台。
外交と軍略で重きをなした人物としての輪郭が、そのまま設定されている印象です。
特性や個性については、実は朝倉宗滴とそっくりです。
宗滴の愛弟子としての立ち位置を表現してくれているのでしょう。
朝倉宗滴の場合、固有の戦法や特性がつくことがあるので、そこが大きく違います。
でも、刀根坂の戦いで討死したとはいえ、主君の朝倉義景を逃がしてはいるので、殿としての務めはしっかり果たしたはず。
そこ、もうちょっと評価してくれてもいいのでは?と、個人的には考えたりしちゃいます。
そんなわけで、やはり史実通り、軍師のような役回りで任せるのがいいでしょう。
特に「信長の野望・新生」では、所属城の耐久値が少し早くなる「修繕」持ちなので、前線の重要な城を押えたら、城主または領主にするのがおすすめです。

配下の忠誠がアップする「盛名」持ちでもあるので、城主もしくは軍団長にするのが最適。
朝倉氏から無理やり家督を譲って大名プレイをする場合でも、この特性は活きます。
朝倉氏は、ある意味不甲斐ない滅亡の仕方をしてしまうのですが、人材はそこそこ有能な武将が多いです。
特に、朝倉孝景(朝倉義景の父)存命のシナリオでプレイすれな、朝倉宗滴も存命なので心強いです。
山崎吉家を活躍させるなら、まずは朝倉孝景が大名のシナリオでプレイするのがいいでしょう。
山崎吉家プレイにおすすめのタイトル
山崎吉家プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。
それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!
| タイトル | おすすめポイント |
|---|---|
| 信長の野望・創造PK |
|
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
|
| 信長の野望・大志 |
|
| 信長の野望・新生 |
|
「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。
山崎吉家が登場する小説・書籍・アニメなど
続いて、各メディア作品で山崎吉家に関するものをピックアップしておきます。
なんと山崎吉家が主人公の作品もあります!
興味がある書籍や作品があればぜひ!
登場する小説
- 『酔象の流儀 朝倉盛衰記』 2018年 著:赤神諒
山崎吉家を主人公とする小説で、朝倉宗滴に救われた幼少期から斜陽の朝倉家を支える姿までが描かれています。創作を交えながら、吉家の人生を丁寧に描いた作品です。
リンク
登場するマンガ
- 『信長の忍び』 2008年~連載中 著:重野なおき
戦国4コマ漫画。山崎吉家はなぜか白髪のアフロヘアw朝倉宗滴の名言集を常に携える老将として描かれています。コミカルながらも武将としての矜持を持った人物として表現されています。
リンク - 『センゴク』シリーズ 2004年~2022年 著:宮下英樹
戦国時代を仙石秀久の視点から描いた歴史マンガです。織田信長の追撃戦で登場し、猛々しい風貌の武闘派重臣として描かれています。刀根坂の戦いでの最期も描写されています。
リンク
山崎吉家の関連書籍
- 『地図と読む 現代語訳 信長公記』 2019年 著:太田牛一 翻訳:中川太古
織田信長の一代記として信頼性の高い史料です。さらに地図付きでわかりやすい。刀根坂の戦いで討ち死にした人物として「山崎新左衛門」の名があり、これはおそらく山崎吉家のことかと。
リンク - 『戦国武将列伝5 北陸編』 2021年 著:[著者2]
北陸地方の戦国武将を収録した人物列伝です。山崎吉家の列伝も収録され、刀根坂に散った猛将としての評価がなされています。
リンク - 『朝倉氏と戦国村一乗谷』 2017年 著:松原信之
応仁の乱で活躍して主家から自立し、有力な戦国大名となった越前朝倉氏の実像を史料から解明した研究書です。山崎吉家が仕えた朝倉氏をよりくわしく知るならこの一冊がおすすめです。
リンク
大河ドラマでの山崎吉家
山崎吉家は、大河ドラマでは以下の1作品に登場歴があります。
- 『麒麟がくる』(2020年) 演:榎木孝明
大河ドラマでは朝倉家の重臣として、義昭を擁して上洛する義景の意思には表面上従いながらも、本心では反対している人物として描かれました。
『麒麟がくる』が大河ドラマ初登場ということで、界隈ではちょっと盛り上がった記憶があります。
朝倉孝景や朝倉義景が主人公の作品なら間違いなく登場するのでしょうが、両者が主人公になるイメージは、残念ながらあまりないです……。
なので、今後も登場するかどうかは未知数!
ゆかりの地:山崎吉家と歴史を感じる場所
山崎吉家のゆかりの地を紹介します。
一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市)
一乗谷は、山崎吉家が仕えた朝倉氏の本拠地で、現在は国史跡に指定されています。
福井県福井市城戸ノ内町に位置し、朝倉氏の城下町遺構が良好な状態で保存されています。
館跡・庭園・武家屋敷が復元され、朝倉氏全盛期の都市構造を今に伝える貴重な遺跡です。
復元町並み、史料館、発掘現場などが見どころで、武家屋敷の庭園も見事に整備されています。
JR福井駅から京福バス「一乗谷朝倉氏遺跡」行きで約30分でアクセスできます。
小谷城跡・山崎丸跡(滋賀県長浜市)
小谷城は、朝倉氏の盟友、浅井氏の居城。
ここには、山崎吉家が築いたと伝わる「山崎丸」と呼ばれる付城跡があります。
滋賀県長浜市小谷郡上に位置し、1567年から70年の織田氏と浅井氏との戦いの際、支援をするための付城として、吉家が築いたそうです。
断崖絶壁に築かれた山城で、琵琶湖を望む絶景が楽しめる場所としても知られています。
山崎丸跡を含む多数の曲輪や石垣が残り、遊歩道が整備されて登山も可能です。
JR河毛駅または木ノ本駅からタクシーで約20分、登山道入口から徒歩約60分でアクセスできます。
戦国武将の墓(福井県敦賀市疋田)
戦国武将の墓は、刀根坂の戦いで戦死した朝倉家家臣たちの墓塔群が集められている場所です。
福井県敦賀市疋田の国道8号線沿い、五位川と笙の川の合流地点付近にあります。
国道建設工事の際に出土した朝倉家家臣多数の墓塔を集めて祀る小祠で、山崎吉家ら重臣の遺骸も出土したそうです。
墓塔には、武将の兜や馬の人形が供えられる独特の供養形態が見られます。
JR敦賀駅からえちぜん鉄道バスで約40分「疋田」下車、徒歩約5分、または北陸自動車道・敦賀ICから車で約15分でアクセスできます。
山崎吉家の生涯と功績まとめ
山崎吉家は、越前朝倉氏に仕えた重臣として、軍事・外交の両面で活躍した武将です。
朝倉宗滴から薫陶を受け、宗滴没後はその役割を継承して朝倉家を支え続けました。
上杉氏や武田氏との外交交渉を担当し、金ヶ崎の戦いや坂本の戦いでは軍事面でも功績を挙げています。
最期は刀根坂の戦いで殿軍を務め、主君・朝倉義景を守るため一族と共に討死しました。
「信長の野望」シリーズでは政治・知略に優れた武将として設定され、朝倉家臣団の中でも重要な存在。
凡庸なステータスに設定されている朝倉義景を、軍事・外交で守り立てる軍略家として、うまく活用してみてください。
織田信長が出てくる前なら、朝倉氏は強い!
※若狭と加賀は、史実と違って意外にあっさり奪えるw
また、ゲーミングPCのサイト「ツクモル?」で「信長の野望 新生」のプレイにおすすめのゲーミングPCを紹介しています。
「信長の野望」シリーズも、最近はグラボ必須になっているので、ゲーミングPCの購入を検討している人は参考にしてみてください。
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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