歴史人物語り#54 名将・朝倉宗滴が務めていた朝倉軍総大将を引き継いだ安居城主・朝倉景隆とその息子・景健

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今回は名将朝倉宗滴が務めていた総大将を受け継いだ
朝倉景隆(あさくらかげたか)
その子・朝倉景建(あさくらかげたけ)です。
麒麟がくる」で登場するかな?

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです。

また過去に紹介した麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.朝倉景隆とは

生年は1508年
父は朝倉景織(あさくらかげもと)
母は第9代朝倉氏当主・朝倉貞景の長女の北殿
第11代当主の朝倉義景とは従弟です。
そもそもお爺ちゃんの朝倉経景(あさくらつねかげ)
第7代当主・朝倉孝景と兄弟ということもあって
景隆は朝倉宗家の中でも序列は高い方だったようです。

朝倉景隆は第10代当主・朝倉孝景、第11代当主・朝倉義景の2代にの当主仕えた
安居城(あごじょう)の城主です。
主に加賀一向衆との戦いで活躍し
武勇に優れた人物であったと伝わっています。

朝倉家といえば長く加賀一向一揆に悩まされており
足利義昭が上洛の手助けを求めてきたときに
朝倉義景が首を縦に触れなかったのは
この加賀一向一揆が原因とも言われています。
その加賀一向一揆衆との戦いにおいて、
1555年、朝倉家の大黒柱で総大将の朝倉宗滴(あさくらそうてき)が病に倒れてしまいます。

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宗滴は療養のために一状態にに帰還することになったので、
総大将をこの景隆に任せます。
宗滴はそのまま病状は戻らず亡くなってしまうのですが、
以後の加賀一向衆との戦いにおいては景隆が総大将を務めるようになります。
ただし、先代の総大将・宗滴が有能過ぎたせいもあるんですが、
宗滴ほど戦上手だったわけではないようで
1555年の一向一揆攻めにおいては山崎吉家(やまさきよしいえ)と協力して
粟津や安宅に攻め込むんですが失敗します。
逆に越前内への侵入をゆるしてしまい焼き討ちされるなど
逆襲を受けてしまうのです。
結局この時の戦いは一向宗を抑えることはできずに
室町幕府の介入によって和睦という結果になっています。
朝倉宗滴が存命中は朝倉軍を援軍として頼ることも多かった室町幕府側とすれば
宗滴のいない朝倉軍の力に陰りを感じたかもしれませんね。

景隆は1564年9月1日も朝倉景鏡(あさくらかげあきら)と共に総大将となって
加賀へ出陣しています。

そして1570年頃に、景隆の嫡男(名前は不明)や舎弟などが
1年のうちに3人亡くなるのですが、続いて景隆も亡くなってしまいます。
流行り病か何かなんでしょうか、
なぜ立て続けに関係者が亡くなったのかはわかっていません。

ちなみにこの景隆は朝倉家の越前支配を正当化するために
大徳寺文書』において室町幕府第8代将軍・足利義政の御版をもらって
越前を支配するようになったと記述したようです。

朝倉景隆は朝倉宗滴が朝倉家にとって唯一無二の存在であったことを
皮肉にも証明する存在になってしまっていることは否めません。
景隆が総大将として宗滴に叶わずとも、結果を残せていたとしたら
朝倉家の結束力も緩まず後々の織田家との戦いでも
家臣一同一致団結して立ち向かえたかもしれません。

2.朝倉景建とは

生年は不明。
朝倉景健は朝倉景隆の末子です。
景隆も景健も代々安居城を居城としていたため、
「安居殿」と呼ばれたりしていたそうです。
景隆もその嫡男も1570年頃に亡くなってしまったため
景健が家督を継ぎました。
1570年には織田信長が越前に攻め込んできましたがこれをよく防戦し、
その後の姉川の戦いにおいては朝倉家の総大将として軍を取り仕切ります。
景隆の総大将を引き継いだ形なのでしょうが
景隆よりは総大将としての戦果を挙げています。
特に、1570年の志賀の陣・坂本の戦いにおいては
織田家重臣森可成(もりよしなり)や信長の弟・信広を始めとして
750人まりの戦死者を出させるという痛手を負わせているのです。
しかし1573年に始まる浅井家の小谷城包囲戦においても
浅井家の援軍として朝倉義景と共に北近江へ出陣していますが
この頃は既に戦局が織田家に傾いていました。
朝倉軍が守っていた大嶽砦が陥落すると当主・朝倉義景は越前への撤退を決めます。
その撤退を予測して動いていた織田信長刀根坂の戦いにおいて
朝倉軍は散々に打ち負かされてしまいます。
以前紹介した山崎吉家はこの戦で殿を務めて討ち死にしました。

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景健は刀根坂の戦いにおいても奮戦したようで、
なんとか朝倉義景を越前に逃がすことができました。
ところが一門の朝倉景鏡の裏切りによって朝倉義景は自害
越前朝倉家は滅亡してしまいます。
景健もやむなく織田信長に降伏して、この時姓を安居に改名して
所領も安堵されたそうです。
以後は織田家臣となるんですが・・・
1574年に起きた越前一向一揆では一揆方に降伏してしまいます。
つまり織田信長を裏切ったことになりますね。。。
1575年にこの越前一向一揆を鎮めるために織田信長は越前に再度侵攻しますが、
ここで一揆勢が不利になると景健はなんと今度は再び織田家に寝返ります。
ただ寝返るだけでは流石に一度裏切っている以上、命が危ないと思ったのでしょう。
一揆勢の指揮官であった下間頼照(しもつまらいしょう)、下間頼俊(しもつまらいしゅん)ら
の首を持参して信長に許してもらおうとしたんですが
信長は許してくれませんでした。
1575年8月21日、景健は信長に命を受けた向久家(むかいひさいえ)によって自害させられます。
信長公記』によると景健の自害後に、
家臣の金子新丞父子と山内源右衛門の3名が殉死
したそうです。
代々安居殿に仕えてきた忠臣だったのでしょうか。

ところでこの向久家、元は越前朝倉家の家臣で
朝倉家滅亡前に織田家に降伏していたんですが、
実はこの向久家も1574年の越前一向一揆では景健と同じく一揆方に付いていたのです。
しかし1575年に一揆攻めで越前入りした信長にいち早く現れて降伏を願い出ています。
これが8月12日のこと。
これを信長は認めるんですが、
おそらくこういう経緯もあって信長は景健の自害検視役を向久家に命じたんでしょうね。
次やったらお前がこうなるんだぞっていう知らしめのため。
順番違ってたら、久家と景健の立場は逆転してたのかも
信長は基本的に裏切った人間に対しては赦すにしても
厳しい対処をするイメージがあります。
ただ、松永久秀だけは特別扱いしてますが(笑)

3.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの景隆・景健父子

麒麟がくる」では、織田家との一大合戦イベントである姉川の戦い
総大将を務めた息子の景健の方がどちらかといえば登場する可能性は高そう
光秀は短い期間ですが越前の行政を担当していたこともありますし
越前一向一揆との戦いにも参戦していることも考えると
その過程で景健が出てくるシーンはありそうな気がします。
一方で、父の景隆の方は加賀の一向一揆衆との戦いがメインだったので
登場するか否かは明智光秀の朝倉家臣時代の描かれ方次第かなぁと思います。
朝倉家の家臣で有名な人ってあんまりいないイメージなので(多分前にも言ってますw)
斎藤家の家臣とかと比べると登場する可能性は父子共々に有りそうです。

そして信長の野望シリーズでの景隆・景健父子は常連武将です。
景隆は全シリーズではありませんが、息子の景健の方は皆勤賞です。
シリーズ通して、父・景隆の方は武勇はちょっと高めで
ほかはまぁ平均値ぐらいの評価で
息子の景健の方は武勇・統率系が高めで、政治・知略系が低めって感じです。
信長の野望・創造・戦国立志伝での景隆の評価値はこちら。

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息子の方がこちら。

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高めと言っても60超えてるぐらいなんですが
実は朝倉家の家臣の中ではそんなに悪くないというか
だいたいみんなこんな感じの能力値に収まってるんですよね。
朝倉宗滴が凄すぎっていう当時のイメージが
信長の野望シリーズでも再現されている感じです。
家臣は突出した人物がいないし当主もいまいちな評価値なので
名家なのに内政も軍事もなかなか厳しい朝倉家ですが
浅井家と盟友であることと、意外と周辺諸大名が強くはないという利点があるので
北陸をさっさと統一しちゃえばちょっとマシになります。
越中とっちゃうと越後の上杉(長尾)とぶつかる可能性が出てくるので
私なら上杉とは婚姻同盟結んじゃいます(笑)

4.まとめ

今回は朝倉宗滴の後に朝倉軍総大将を務めた朝倉景隆朝倉景健でした。
先代総大将が有能過ぎて景隆は完全にその影に隠れてしまう形になってしまいましたが
息子の景健は織田家とも善戦していました。
残念なのは、裏切りに裏切りを重ねてしまったこと。
生きるために選んだ道なのかもしれませんが
信長からした私利私欲の人にしか見えなかったのかもしれないし、
あるいは他の裏切った人物への見せしめのために許さなかったのかも。
こういう戦国時代の武将の生き様や人生の岐路となる選択を見ていると
期末のお金勘定や何やらで忙しくなってちょっと余裕なくなっていようとも
別に生死を追い詰めらてるわけでもないし
戦国武将と比べたら全然幸せな人生送れているんだろうなぁとか思います(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!