麒麟で学ぶ#26 「麒麟がくる」第26話は三淵藤英の奸計よりも山崎吉家の存在感が光った回

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「麒麟がくる」第26話は三淵藤英の奸計よりも山崎吉家の存在感が光ったの回

NHK大河ドラマ麒麟がくる」で
学ぶシリーズの
麒麟で学ぶ」第26回目です。
今回の記事を読むと以下の事がわかります。

間違ってるところあっても許してくださいw

さて本シリーズの前提事項的なものを
毎回0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると
助かります。
既に読んだことのある方は
読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは「麒麟がくる」の
ネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃して
まだ視聴されていない方は
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオ
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれると
いいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

しかしネタバレ含んでいるけど、
本記事を読んでから視聴すると
少し前提知識が入った上での視聴になるので
それはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分については
こちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる公式サイト

www.nhk.or.jp

公式Twitterもブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめるので
まだの方は是非とも。
Instagramもあります。

0.本記事を読むにあたっての前提など

1.「麒麟がくる」第26話「三淵の奸(かん)計」からの学び

明智十兵衛宅を突然訪れた山崎吉家

まずは全体の感想から。
今回は朝倉家中が一枚岩ではないことが
証明された回でした。

今まではの回では
多少狡猾なところも見せる朝倉義景
家中をしっかり取り仕切っている風で
家老の山崎吉家もそれに従っているというか
あまり強く物言えそうもない感じでした。

ところが、その山崎吉家。

朝倉義景に少々目をかけられている十兵衛に
しれっと朝倉家中の問題をこぼしながら
朝倉家が上洛できる状態か否かを
十兵衛に見極めさせる。

上洛の話は十兵衛の進言によって
朝倉義景が意思を固めたので
十兵衛の意見次第によっては
朝倉義景も上洛の話を引っ込めるかも
と思ったのか?

そして十兵衛が呼ばれた宴の席で
朝倉義景から上洛の話が出た折には
予め山崎吉家と示し合わせていた
と思われる朝倉景鏡が
十兵衛に問いただす。

果たして山崎吉家の策なのか
それとも朝倉景鏡の策?
もしくは両者のかもしれないけど
なかなか侮れない人です!。

更に三淵藤英ともタッグを組んで
阿君丸毒殺という非道な手段もとったりね。
阿君丸の死を朝倉義景に報せる際の
あの慌てふためく演技(?)とか
とんでもない食わせ物なのでは(笑)

山崎吉家の迫真の演技・・・こうなることは知っていたのでは


ただ、彼は言っていました。
『身共ごときは万事
殿の仰せに従うてまいるつもりであるが』

これはきっと後々の伏線なのでしょう。

それにしても
良き嫁御料な煕子さんが可愛かった!

十兵衛に褒められて笑みを浮かべる煕子


といった辺りでそろそろ本題へ。

ちなみに第26話の公式サイトのトリセツ
こちらです。

www.nhk.or.jp

今回のトリセツはいつもの麒麟MAPと
元服式・烏帽子親の解説、
前回に引き続きの対立構造図です。

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は永禄10年(1567年)スタート
ということで今回は全員の年齢を加算。
追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなった
と判明した人物に関しては
こちらの一覧からは削除して
後述の亡くなった人を弔う章に
引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人とか
年齢設定不明な人以外の生年については
Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

1.1.第14代将軍足利義栄就任からの学び

近衛前久の大嫌いな二条晴良

近衛前久の推した足利義栄が未だ京へ上らぬことに不信感を露にする二条晴良

小籔千豊さんが演じる二条晴良
近衛前久とはおそらくある意味両想い(笑)

二条家近衛家同様に五摂家に数えられる
公家界隈でもトップに位置するお家柄。
父は二条尹房(にじょう ただふさ)
関白にも2度就任しているんですが
天文20年(1551年)に陶隆房(後の陶晴賢)が
主君・大内義隆に対して謀叛を起こした
大寧寺の変に巻き込まれて死亡しています。
この頃二条尹房大内氏を頼って
山口に滞在していたそうです。

その子・二条晴良
近衛前久より以前に関白に就任していました。
そして近衛前久の後に
再度関白の座に就きますが
その辺の話はもう少し先で出てくるでしょう。

伊呂波大夫の目的

御所の崩れた塀を見つめる伊呂波大夫

御所の崩れた塀をじっと見つめる伊呂波大夫。
彼女はこの塀を直したいと言ってました。
綺麗な都に戻したいと。
近衛前久にお金の事は任せて
みたいに言いながら
越前への旅費は出してと言ってる辺りが
なんだかよくわからないんですが(笑)
彼女が一体何故旅一座をしながら
お金儲けに勤しんでいるのか?

戦をする武士のことは嫌ってそうだけど
それは美しい都・京を荒らされたからなのか?

素直に考えると
近衛家で拾われた恩もあるだろうけど
五摂家という日本の政治の中枢に居られる
近衛前久を助けることで
世の中を麒麟がくる世にしようとしている?

でも十兵衛に織田信長と上洛しろって
けしかける辺りがまたよくわからず・・・。
足利義昭が上洛したら近衛前久の立場が
今よりもっと悪くなりそうなんだけど。

つまり伊呂波大夫のことは
まだよくわかってませんw

地図にあった木ノ芽峠

木ノ芽峠で思い出されるは金ヶ崎の戦いと樋口直房

京から越前の地へ場面転換する際に
足利義昭一行が通った道筋を示す
地図が表示されていましたが
そこに木ノ芽峠が書かれていて
ちょっと目に留まりました。

木の芽峠は北陸道の要衝として栄えた地。
ただしなかなかの難所だったために
後には柴田勝家が越前と近江を結ぶ
栃ノ木峠を整備しています。

そんな木の芽峠は
太平記にも出てきます。

新田義貞足利尊氏に敗れて
北陸の敦賀を目指しますが
その際に大雪に見舞われてしまったために
遠回りとなる木ノ芽峠を越えて
敦賀に至ったと書かれています。

また、織田信長の越前侵攻の際には
朝倉義景木ノ芽峠周辺の守りを固めて
その攻撃に備えたと言われています。

それから個人的に一番思い入れがあるのが
近江の国人・堀氏を支えた家老・樋口直房

tsukumogatari.hatenablog.com

麒麟がくる」では未登場かもしれない(?)
竹中半兵衛重治とも縁のある人です。
竹中半兵衛稲葉山城を乗っ取って
半年後ぐらいに城を退去しますが
そのまま隠棲してしまいます。
その際に近江に逗留して世話になったのが
この樋口直房です。

樋口直房は軍略に優れるばかりか
民政にも明るく近江一の智将と謳われていた
という話もあります。

その樋口直房は過去に世話をした竹中半兵衛
説得されて織田方に内通し、主君の堀秀村も
浅井方から織田方へと転じさせます。

それ以降は秀吉(藤吉郎)の与力として
竹中半兵衛同様に重きをなしたとも。

浅井・朝倉氏が滅亡した後に起こった
越前一向一揆の際には
木ノ芽峠」の守備を秀吉に命じられています。
ところが劣勢だったためか
一揆勢と勝手に講和をしたあげく
どこかへ雲隠れしてしまった事が
秀吉の怒りを買ってしまい
その後捕らえらて
殺害されてしまうんです。

樋口直房は出てこないかもですが
越前攻略時の要の地として
再び木の芽峠の名は出てくるかもしれません。

将軍候補の烏帽子親

足利義昭の烏帽子親は朝倉義景

朝倉義景
足利義昭の烏帽子親となることで
次期将軍候補の後ろ盾であることを
世間に知らしめた
というような話が
今回のトリセツにも書いてあるかと。

ちなみに烏帽子親は
元服時に加冠を行う役目だけでなく
烏帽子子に新たな諱を
命名することもあります。

足利義昭の兄で前将軍の足利義輝
烏帽子親が近江の六角定頼でした。
六角定頼は京を追い出された
足利義晴・義輝親子の後ろ盾となって
度々助力していました。
足利義昭が京から脱出した際に
近江の甲賀に留まることができたのも
その辺の縁もあったからこそでしょう。

ただし、元々将軍候補の烏帽子親は
父である将軍か管領家の者が務めるのが
慣例だったそうです。
もっとも第12代将軍・足利義晴の頃から
管領職は空位だったみたいだし
当時の政治事情を踏まえると
通例に従ってるわけにも
いかなかったんでしょうね。

諜報活動に勤しむ明智左馬助

足利義昭上洛の助力を頼めそうな大名を思案する明智十兵衛光秀と明智左馬助

左馬助はすっかり十兵衛にこきつk・・・
いや十兵衛の右腕的存在になってますね(笑)

周辺諸国の情勢をかき集める仕事を
十兵衛に任されて越後の上杉氏や
近江の六角氏の状況を
おそらく正確に掴んできているっぽい。

諜報活動に長けた忍びのようで
菊丸の事をふと思い出します。

忍びといえば先月発売された
平山優先生が書いた「戦国の忍び」
kindle版で購入済みなんですが
まだ全部読めていません(笑)

過去の史料から読み解くことによって
忍びのリアルさをもっと補完しよう
というのがコンセプトなんだと思います。

忍びってマンガやアニメだと
忍術や道具を使いこなして
諜報活動や戦で大活躍するので
ちょっと実在性を疑うというか
本当のところはどうだったの?
ていうのが気にはなっていました。

リアルな忍びってどんなの?
ていう疑問の答えが
ここに載ってるのかな~という期待から
「戦国の忍び」を買ってみました。


戦国の忍び (角川新書)

戦国の忍び (角川新書)

 

 ちなみに本のはじめに書いてあるんですが
忍びが使っていたと言われている
武器や忍術は史料が残ってなくて
検証できないという点から
一切触れられていません。
ただそれはそれでリアルさを感じます。

という平山先生の本の宣伝でした(笑)

武田へ寝返ったという上杉の重臣は誰?

明智左馬助の情報によると上杉は寝返った重臣討伐で忙しく上洛どころではないという

左馬助の情報によると
足利義昭
最も上洛してほしかった上杉は
武田に寝返った重臣の討伐で忙しく
上洛どころではないらしい。
上杉とは上杉輝虎、後の上杉謙信です。
武田は武田信玄のこと。

はい、問題です。
この寝返った上杉氏の重臣とは
一体誰でしょうか?

上杉輝虎から寝返った武将と言うと
以下の3名がいます。

一人目は大熊朝秀。
弘治2年(1556年)頃に武田家へ寝返り
後には武田家重臣として武田勝頼の代まで
仕えたています。

信長の野望・創造 戦国立志伝の大熊朝秀

二人目が北条高広
天文23年(1554年)に武田信玄と通じて
反乱を起こし、その後赦されて再度仕官するも
永禄10年(1567年)には北条氏康と通じて
再び上杉輝虎を裏切ります。

信長の野望・創造 戦国立志伝の北条高広

そして最後の3人目が本庄繁長
永禄11年(1568年)に上杉輝虎の命令通りに
長尾藤景・景治兄弟を謀殺したのに
その恩賞がなかったことに腹を立てて
武田信玄と通じて独立を試みます。

信長の野望・創造 戦国立志伝の本庄繁長


第26話の開始当初は
永禄10年(1567年)でしたが
あれは足利義昭元服前の話。

足利義栄が将軍職に就いたのは
永禄11年(1568年)2月8日。
そして二条晴良を越前に招いておこなった
足利義昭元服式は
永禄11年(1568年)4月15日

ということを踏まえると
おそらく謀叛を起こした上杉家の重臣とは
本庄繁長のことなのかなと。

本庄繁長の乱とも言われますが

謀叛を起こした本庄繁長は
永禄11年(1568年)4月から
永禄12年(1569年)3月まで
約1年にも渡って上杉輝虎と戦っています

本庄繁長の挙兵と連動して
蘆名氏の家臣・小田切氏が越後に侵攻したのが
永禄11年(1568年)の3月らしいので
3月もしくは3月より前には
本庄繁長が動いていたということであり
左馬助が得た情報とも時期とも
合致するんじゃないでしょうか。

ちなみに本庄繁長の乱は
本庄繁長の嫡男・千代丸を人質として
上杉輝虎に差し出すことと
本庄繁長の一時蟄居を条件として
蘆名盛氏の仲介により講和が結ばれ
乱は収束しました。

1.2.上洛宣言からの学び

上洛したくない派の朝倉景鏡

上洛には反対の意思を示す一門の朝倉景鏡

朝倉一門の朝倉景鏡。
明らかに上洛したくなさそう(笑)
朝倉景鏡は後々までこの朝倉義景との
関係の悪さを保っていく感じでしょう・・・。

そんな朝倉景鏡の父は朝倉景高
朝倉義景の父・朝倉景孝の弟なので
朝倉義景と朝倉景鏡は従兄弟同士。*2

この朝倉景高という人は
兄の朝倉孝景に謀叛を企てるんですが
事前に察知されてしまい
逆に追放されてしまいます。
その後は若狭武田氏に身を寄せて後
西国の方で没したらしい。

というように朝倉景鏡は
父がちょっと曰くつきなんですよね。
その辺はこちらの記事でも書いています。

tsukumogatari.hatenablog.com

それでも朝倉一門の筆頭的地位であり
朝倉軍の総大将を何度も務めているので
父の事とは関係なく、朝倉義景からは
一定の信頼があったのだろうと思います。

信長の野望・創造 戦国立志伝の朝倉景鏡

今後も朝倉家の中でも
重要な立ち位置を占めるキャラとして
登場していくことでしょう。

朝倉景鏡を演じるのは手塚とおるさん。
個人的にはドラマの「ルーズベルトゲーム」で
演じられてた監督役が「半沢直樹」の時よりも
印象に強いですw

松永久秀どうしてる?

上洛も戦も論外だと酒の力で朝倉義景に物申す明智十兵衛光秀

宴の席で上杉や六角は上洛できるか?
と朝倉景鏡に問われた十兵衛でしたが
松永久秀のことも聞かれてました。
そういえば松永久秀
この頃どうしてたんでしょう?

実はめっちゃ大変な目に遭ってます(笑)

ついでに言うと
三好一派で三好三人衆
出てくるようにはなったけど
そもそも三好家を継いだ三好義継
松永久秀の子・久通はどうしたの?
って思いませんでしたか?
まぁ忘れ去られている可能性も有る?(笑)

まず松永久秀三好三人衆と対立して
山城や摂津、大和での戦に
お忙しかったはずです。
大和の筒井順慶
三好三人衆に同調していたので
かなり劣勢だったご様子です。

そして当初は三好義継も松永久秀と対立して
戦っていたんですが・・・
三好三人衆足利義栄を持ち上げる一方で
自らを蔑ろにし始めたことに不満を持ち
三好義継は三好三人衆と袂を分かちます

そして頼った先が松永久秀
以後、三好義継と松永久秀は行動を
共にするようになるのです。
もちろん松永久秀の子、久通も同様に
父と共に三好三人衆と争っています。

この頃の特に有名な戦いが
多聞山城の戦い

東大寺大仏殿の戦いとも言われる戦で
この時に松永久秀
東大寺の大仏殿を燃やした
と吹聴されてしまったがために
松永久秀=極悪人のイメージが
固められてしまいました。

でも大仏殿に火が付いたのは
三好三人衆側の過失であって
松永久秀の仕業ではない
とも言われてるんですよね。

大仏殿を燃やしたのは誰か
という話は置いておくとしても
このような状況だったがために
松永久秀はどうかと十兵衛が問われても
『さ~て、微妙かと』
と言うしかなかったのでしょう。

伊呂波大夫に出番を取られた?真柄直隆

お歌はともかく舞は流石と伊呂波大夫を褒める明智十兵衛光秀

祝宴の席で舞を求められた伊呂波大夫。
この伊呂波大夫のせいで
朝倉氏の客将だった真柄直隆の出演機会が
削られてしまったのかもしれません(笑)

信長の野望・創造 戦国立志伝の真柄直隆


真柄直隆は姉川の戦いでの活躍が有名です。
5尺3寸(約175cm)にも渡る巨大な太刀、
「太郎太刀」を振り回せるほどの豪傑で
朝倉家中でも武勇に優れた人物として
数々の講談や軍紀物に登場します。
詳しくはこちらの記事もご覧ください。

tsukumogatari.hatenablog.com

真柄直隆は足利義昭が越前を訪れた際にも
太郎太刀を何十回も頭上で振り回してみせる
という豪傑自慢の舞(?)を見せたそうです。

でも伊呂波大夫のせいで姉川の戦いまで
登場はお預け・・・
もしくは登場しない可能性もあり? 

1.3.阿君丸毒殺からの学び

朝倉義景の室たち

朝倉阿君丸に運ばれてきた汁物を見てほほ笑む阿犬丸の母・小宰相

阿君丸の母・小宰相が初登場。
小宰相は朝倉義景の側室の一人です。

朝倉義景正室や側室については
こちらのnoteに詳細に纏められてます。
今回登場した阿君丸の母・小宰相も
以前話の中だけで登場した近衛の姫も
かなり詳しく書かれているので
ご興味ある方は読んでみてください。

note.com何か補足的なことを書こうかとも思いつつ
これに関しては記事の紹介のみで。

朝倉義景の闇落ち

阿君丸が大事にしていた忠太郎を眺める朝倉義景

阿君丸の突然の死によって
悲しみの闇に落ちてしまい
堕落してしまった朝倉義景
そのため足利義昭と上洛もしなかったし
徐々に国を治めることからも
逃げるようになってしまった
というのがよくある説。

でも自分の息子が7歳で亡くなったら
そりゃ落ち込む・・・。

阿君丸は毒殺で亡くなった説もあるけど
実際そうだったかはよくわからず
次の後継者争いに巻き込まれた説もあり
その辺は定かではないようです。

毒殺の話は『朝倉始末記』に書いてあって
阿君丸の乳母になることで成り上がろうとした
御サシという女性が
元々授乳担当だった乳母を毒殺して
それに巻き込まれる形で阿君丸も毒で亡くなった
と書かれています。

さて「麒麟がくる」の朝倉義景
阿君丸の死から1か月経過してしまってたけど
犯人捜しとかはしなかったんですかね?

もしくはそうやって事を荒立てることで
家中が分裂することを恐れて
特に何も動かなかったのか?

権力争いが絡んでの毒殺となると
分裂した方が仕掛けた側にとっては
好都合、それが狙いかもしれませんしね。

それよりも織田信長に対する憎悪の方が
大きくなってたりする可能性も有りそう。
家中の誰かが犯人だったとしても
それもこれも織田信長が悪い!
なんて思ってたり??
織田信長のことかなり見下してますしね。

なんであんなに嫌ってるんだろう?
会ったこともないだろうにw
元々同じ斯波氏の被官っていう出自も
関係してるのかなぁ。

たまと同い年の細川藤孝の子

6歳になる子がいると突然カミングアウトする細川藤孝

『私にも6歳の子がいる』
突然カミングアウトした細川藤孝
これは自分にすっかり懐いているたまを
息子の嫁にしたい一心で
つい漏れ出てしまった言葉かもしれません(笑)

この6歳の子はもちろん細川忠興

信長の野望・創造 戦国立志伝の細川忠興

たまの将来の夫になる人であり
織豊時代を代表する戦国武将の一人。
当時一流の文化人・細川藤孝の子なだけあって
文化にも長じており
著書をいくつか残したり
和歌にも通じていました。

特に茶の湯に関しては
師事していた千利休
最も気に入られていたほどで
利休七哲の一人に数えられます。

細川忠興とたまが結婚するのは
まだ少し先の話ですが
結婚を勧めたのは
織田信長と言われています。

でも「麒麟がくる」では
細川藤孝たっての願いで
たまに縁談の話がやってくる
みたいな展開がいいな~
と個人的には思っていますが如何にw

細川藤賢を探せ

キャストに名を連ねる細川藤賢はどこにいた?

OPのクレジットでふと気になる名前が。

細川藤賢

信長の野望・創造 戦国立志伝の細川藤賢

あぁ細川藤賢出るんだ~へぇ
と思って最後まで気にしながらみたけど
どこにいたのかかわからず・・・

2回目の視聴でもよくわからず・・・

ただ有り得ないけどいるとしたら
あの辺か?と思ってチェックしたのが
以下の3つのシーン。

  1. 朝倉館での宴のシーン
  2. 十兵衛が足利義昭に美濃へ行くことを進言するシーン
  3. 足利義昭ご一行が美濃へ行くシーン

結果、多分これだろうという人を発見。

細川藤賢を探せ!

1つ目の宴のシーンですね。
でも正直なんであなたここにいるの?
と突っ込みたくなるやつ(笑)

細川藤賢は
確かに足利義昭に仕えるんですが
それはまだ先の話のはずで
永禄の変の後は松永久秀に属して
松永久秀と共に三好三人衆と戦っています。

つまり、越前には一緒に同行していないはず

足利義昭の家臣になるのは
足利義昭が将軍職に就いてからなんです。

そもそも、この細川藤賢は誰なんだ?
という感じでしょうが
細川藤賢は幕府の御供衆の細川典厩家の生まれ。
「藤」の字は前将軍・足利義輝
足利義藤と名乗っていた頃の偏諱です。

そして細川藤賢の兄は
管領家細川京兆家を継いだ細川氏綱です。

信長の野望・創造 戦国立志伝の細川氏綱


ちなみに同じ細川でも細川藤孝
またちょっと違う細川家です。
和泉上守護家といって
代々和泉守護を務めた家。
細川家沢山あってよくわからないですw

細川藤賢は「信長公記」にも登場していて
その最初の登場が
足利義昭が将軍に就いた後
織田信長を招いて催した能の席です。

最初に織田信長にお酌をした人物として
名前が挙げられています。
京都馬揃えでも名前が挙がっているので
機会は頻繁じゃないにしても
一応ドラマ終盤までそこそこ出るのかな~。

それにしても藤孝と藤賢って
名前がちょっと紛らわしい(笑)

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものですが
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。


現代語訳 信長公記 (新人物文庫)
 

戦国 戦(いくさ)の作法

戦国 戦(いくさ)の作法

  • 発売日: 2018/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

  • 発売日: 2014/09/08
  • メディア: 文庫
 

戦国の忍び (角川新書)

戦国の忍び (角川新書)

 
二条晴良 - Wikipedia

二条尹房 - Wikipedia

木ノ芽峠 - Wikipedia

足利義輝 - Wikipedia

大熊朝秀 - Wikipedia

北条高広 - Wikipedia

本庄繁長 - Wikipedia

本庄繁長の乱 - Wikipedia

朝倉景鏡 - Wikipedia

東大寺大仏殿の戦い - Wikipedia

真柄直隆 - Wikipedia

細川藤賢 - Wikipedia

2.あとがき

阿君丸が大事にしていた忠太郎

第26話の「麒麟で学ぶ」はいかがでしたか?
感想やご意見あればコメントにお願いします。

26話で個人的にちょっと面白かったのが
あれだけずっと明智って
十兵衛のことを呼んでいた朝倉義景
宴の席では『十兵衛』と呼んでいたこと。

宴の席で無礼講だったからなのか
それとも十兵衛に対する信頼感というか
親近感が芽生えてそう呼んだのか。
ちょっと和んだ瞬間でもありました。

信長さまが一人で上洛することになって
ちょっとビビり気味だったのも可笑しかったw

そういえばネズミの忠太郎
見つかったんですね。
ネズミ逃げたら絶対見つからないだろう
て思ってたのに(笑)

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日


by ヨメレバ

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: ムック
 

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


ここからは当サイトの宣伝です。

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このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:1540年生年説も有り。

*2:朝倉義景自体の出自に諸説あるので、従兄弟同士ではない説もある。

*3:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。

*4:麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。

*5:信長の野望ベースなら享年23歳。

*6:麒麟がくる」では亡くなっているかどうかの言及はなく、東庵先生も生死どちらとも取れる感じで話している。

*7:信長の野望ベースなら享年42歳。桶狭間の戦いの前哨戦、丸根砦の戦いで討死しているが「麒麟がくる」では語られていない。

*8:実際に亡くなったのは21話と22話の間の期間だが、19話で既にナレ死してます。。。

*9:信長の野望ベースなら享年30歳。桶狭間の戦いの後、今川家からの自立を目指した松平氏との戦いにて戦死。

*10:麒麟がくる」では桶狭間の戦いから4年間がカットされてしまったこともあって、その死を語られることもなかった。