歴史人物語り#13 将軍擁立に奔走した武闘派幕臣、将軍派ゆえに哀しい末路を辿った三渕藤英

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今回は明智光秀の家臣ではありませんが関係の深かった人物、
三渕藤英(みつぶちふじひで)のご紹介です。
麒麟がくる」では谷原章介さんが演じられることを既に発表されています。

www6.nhk.or.jp

では今回のお品書きはこちらです!

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

 

 

1.三渕藤英(みつぶちふじひで)とは

通称弾正左衛門尉
足利義晴・義輝・義昭の3代の将軍に仕えた幕臣
三渕晴員(みつぶちはるかず)の長男として生まれます。
異母弟には古今伝授を授かり当代一流の文化人教養人として有名な
細川藤孝(ほそかわふじたか)がいます。
(藤孝が兄という説もありますが、ここでは弟説で通します)

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 藤英の「藤」は第13代足利義輝が義藤と名乗っていた時に偏諱により賜ったもので
それまでは藤之(ふじゆき)と名乗っていました。
藤英が歴史の表舞台に出てくるのは、
第13代将軍足利義輝が永禄の変で三好三人衆に暗殺されてからです。

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藤英は、弟の細川藤孝と共に、
足利義輝の弟・一条院門跡覚慶(後の第15代将軍足利義昭
監禁されていた興福寺から救出し還俗させます。
足利義昭を将軍に擁立するため、最初は越前国朝倉義景を頼りますが
朝倉家は加賀の一向一揆に手一杯ですぐに上洛をできるような状況ではありませんでした。
そこで、頼ったのが織田信長です。
この頃から信長が使用していた天下布武の印は
幕府再興をの意志を込めたものということなので
足利義昭が裏切るまでは織田信長と方向性は一致していたんですね。
織田信長との仲介役をおこなったのが明智光秀ですから、
藤英もこの頃から明智光秀との交流があったのでしょう。
織田信長は義昭の期待に応えて、足利義昭は晴れて第15代室町幕府将軍となります。
三渕藤英は、伏見城周辺の守備や三好勢との戦に参陣するなど軍事面でのみならず
政治手腕も発揮して義昭の重臣として重用されます。
1568年には大和守に叙任されています。
しかし、足利義昭織田信長は次第に関係が悪化していきます。
藤英は将軍側の立場を変えずにいましたが、
弟の細川藤孝織田信長についてしまいます。
それを耳にした藤英は激怒し、細川藤孝の居城・勝竜寺城の襲撃計画を立てますが
失敗に終わります。

母が異なるとはいえ実の弟を言葉で説得するのではなく、
戦いで懲らしめようとする辺り、なかなかの武闘派です(笑)
1573年7月3日に義昭が挙兵すると、当然それに従います。
義昭は槙島城で籠城していましたが、藤英は二条城を任され、
そこで前回ご紹介した伊勢貞興らと共に籠城
します。

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しかし、信長が大軍で二条城を取り囲むと多くの幕臣たちは退去してしまいます。
結局最後まで二条城で籠城していたのは藤英と藤英率い軍勢のみとなりました。
最後まで諦めないあたりはさすが武闘派(笑)
しかし最終的には柴田勝家に説得されて7月10日に降伏します。
降伏後、藤英は居城の伏見城に戻りますがそのちょうど目の前にある
義昭が籠城していた槙島城が織田軍勢によって落とされてしまいます。
これによって降伏した足利義昭は信長に京都から追放され、
室町幕府は事実上壊滅、藤英も信長配下となります。
信長配下となってすぐに、淀城で籠城している岩成友通討伐を信長に命じられ、
細川藤孝と共に淀城を陥落させ、岩成友通も討ち取ります。
しかしながら、この後、なぜか信長によって所領を没収され
明智光秀の元に預けられます。
そして嫡男の三淵秋豪と共に自害を命じられ生涯を終えることになるのです。
信長的には、義昭側の人間として最後まで抵抗していたことが許せなかったのか、
信じられなかったのか。。。
信長の怖いところはこういうところですよね、長く仕えた重臣でも突然追放したり。
ちなみに、藤英の次男・三渕光行は細川藤孝に預けられ
そのまま藤孝によって養育されます。

その後徳川家康に高く評価され江戸幕府直参の旗本として召し出されたそうです。
信長のおこなった仕打ちとは逆に厚遇することによって
徳川家の家臣としての忠誠を強く持たせようとした意志が
家康にはあったのかも
なんて勘繰ったり(笑)

2.信長の野望シリーズに出てこないのはなんで?

そうなんです、三渕藤英は信長の野望シリーズにはでてきません
父親の三渕晴員、異母弟の細川藤孝、次男の三渕光行は登場経験あっても
なぜか三渕藤英は出してくれません!
居てくれたら兄弟共に有能なので足利家の大きな戦力となるはずなんですが。
ゲームバランス的な問題なのかもしれないけど、
全体的に武将増やせばいいだけな気もするので
信長の野望の次回作では「麒麟がくる」での活躍も踏まえて出してほしいです(笑)

 

3.「麒麟がくる」での三渕藤英は?

冒頭でもお話したとおり、既に配役が決まっております。
風林火山」では今川義元、「軍師官兵衛」では竹中半兵衛を好演していた
谷原章介さんです。
私が好きな俳優さんの一人でもあります。
俳優としての二枚目役だけにとどまらずTBSの「王様のブランチ」をはじめとした
司会進行役としても多くの実績を残されていますね。
三渕藤英は大河ドラマをはじめとした戦国ドラマにもあまり出てこないような人物でしたが
谷原章介さんがやることによって二枚目のイメージがつきつつ、
視聴者の印象に残る人物として生まれ変わりそうな気がします。
なんとなく喧嘩っ早いイメージのある三渕藤英を
谷原章介さんがどのように演じるのか非常に楽しみです!
最初の登場は、おそらく明智光秀が仲介して足利義昭織田信長を引き合わせる場面の
前後くらいからかなと思っています。
明智光秀明智城斎藤義龍方に襲われ一族離散となった後、
朝倉義景の元で仕えていたという話もあるので
足利義昭の将軍擁立を朝倉義景に頼みにいった時に明智光秀と出会うシーンがあって
そこから親交を深めていくのかもしれませんね。
見せ場はやはり二条城での籠城戦、もしくは最後身柄を
明智光秀に引き渡されてからの自害のシーン
でしょうか。
あんまり自害のシーンが見せ場になるのも気持ちがよくないので、
二条城で勇ましく籠城戦に臨んでいる姿が映えるといいなぁと思っています。

4.まとめ

今回は室町幕府幕臣の中でも武闘派(個人的見解w)であった三渕藤英でした。
おそらく足利義昭の将軍擁立では共に奔走したであろう明智光秀
最期は看取られるような形になるとは思いもしなかったでしょう。
多くの幕臣が信長に降ってしまう中、
最後まで抵抗し続けたその勇ましさがカッコいいんですが
信長はその勇ましさを危うんだのかもしれませんね。
そして「麒麟がくる」では演じるのが谷原章介さんですから
知名度があがる武将の一人となるでしょう。

では今回はこの辺で。
ここまで読んで頂きありがとうございました!