今回は元々は室町幕府の幕臣の家系であった
伊勢貞興(いせさだおき)のご紹介です。
遅めになると思いますが「麒麟がくる」でも登場することでしょう。
では今回のお品書きはこちら!
ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たちは
以下の一覧記事にまとめてあります。
その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。
まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。
1.伊勢貞興(いせさだおき)とは
1562年生まれ。
伊勢貞興の家は元々室町幕府の政所執事(まんどころしつじ)を務めていたり
山城の守護だったこともある名家です。
政所とは室町幕府の時代の場合は財政と領地に関する訴訟を掌る職で、
執事とは政所の長官です。
つまり政所の中でもトップということですね。
しかし貞興の祖父・伊勢貞孝(いせさだたか)が
当時の将軍・足利義輝や畿内の覇権を握っていた三好長慶との関係が
悪化したことにより失脚させられた上、
三好長慶の命を受けた松永久秀により討伐されてしまいます。
この時、貞興の父である伊勢貞良(いせさだよし)も戦死しています。
貞興は兄・貞為と共に若狭武田氏の元に逃れて生き延びましたが、
伊勢氏の勢力は衰退していきます。
しかし織田信長によって足利義昭が第15代室町幕府将軍となってから転機が訪れます。
足利義昭の御供衆となった上に政所役にも任じられます。
その後織田信長のと足利義昭の関係が悪くなり
最終的に足利義昭は京都から追放されていまいますが、
貞興は足利義昭には随行せず、明智光秀の家臣となったのです。
光秀は貞興の知勇に優れた才覚や武家故実にも詳しかったため重用するようになります。
以後、丹波攻略など明智家の主要戦線で活躍し、
明智家筆頭家老・斎藤利三と並び称されるほどの重臣となるのです。
本能寺の変でも、当時既に織田家の家督を譲られていた織田信忠の守る二条城を
2000の兵を率いて攻撃し、大勝を治めます。
貞興自身も槍を振って奮戦したそうです。
その後の山崎の合戦では、織田信孝軍の中川清秀隊3500余に
伊勢貞興隊2000余が攻撃をしかけて一時は優勢に戦っていたようです。
しかし総兵力で明智軍は劣っていたため敗走し、
貞興は殿(しんがり)を引き受けますが戦死してしまいます。
享年21歳です。若すぎますよね。
仮に明智光秀が天下を治めていた重職を任されたことでしょうに。。。
ちなみに明智光秀の家臣の中でもトップクラスの武将なのに
信長の野望シリーズにはおそらく一度も登場していないんですよね。
「麒麟がくる」をきっかけに登場するようになるといいんですが!
2.武家故実の書『伊勢貞興返答書』の著者
武家故実とはそもそもなんぞやと思われる方もいると思うので
以下にコトバンクからの引用を。
故実
儀式,典礼,行事,法制,服飾,軍陣などの規定,古例,習慣で,最も模範的な例証をいう。普通,有職 (ゆうそく) 故実と呼びならわされているが,有職とは公家故実を,故実とは武家故実をさす場合が多い。平安時代中期以降,宮廷中心の年中行事が盛んになると,その作法や先例などが重んじられ,九条 (藤原師輔) ,小野宮 (藤原実頼) ,西宮 (源高明) の三大源流が生れ,『西宮記』『北山抄』などの公家故実書が著わされた。このような傾向は武家にも及び,室町時代には伊勢,小笠原の両氏が武家の故実を司り,江戸時代には吉良,畠山などの5家が高家として,武家故実の伝承にあたった。
引用元:コトバンク
要するに伊勢貞興は武家故実を研究していた人で、
それを『伊勢貞興返答書』にまとめていました。
武家故実にしても公家故実にしても、
今の時代みたいにGoogle検索で調べればどんな儀式があって
どういう作法をすればいいのかってすぐ調べてわかるような時代じゃありません。
当時の人たちはそういった儀礼・行事の方法などを日記につけたり口伝によって
後世の人々に残していったそうです。
伊勢氏は伊勢貞興が亡くなった後は兄の貞為の子供が伊勢家の家督を継いで
旗本として江戸時代を生き抜くのですが、
武家の礼法である「伊勢礼法」を創始していて、
元々が室町幕府の政所執事を世襲していたこともあって、
有職故実の家として有名だったようです。
伊勢礼法にはおそらく伊勢貞興が研究していたものも受け継がれているのでしょうね。
3.「麒麟がくる」での伊勢貞興は?
足利義昭が将軍になる頃からが貞興の出番になるので、
登場はだいぶ遅い方かもしれません。
実際に明智光秀の家臣となる頃ぐらいからの登場じゃないかと予想していますので
年代的には1573年ぐらいからでしょうか。
足利義昭が織田信長に京都を追放されたのがその年なので。
一説には明智光秀の娘婿となったという話もあるので、
もしかしたらそういう話もあるかもしれません。
そして丹波攻略戦からは随時明智光秀の主翼として参戦し、
合戦のシーンで槍を振うシーンなんかがあることを期待しています。
まだ10代の若者ですから、元気に戦場を駆け回っていることでしょう!
一番の見せ場になるのは山崎の合戦での殿を務める場面かもしれませんね。
配役はまだ決まっていないので、どんな俳優さんが演じるのかも気になるところです!
4.まとめ
今回は室町幕府の元幕臣で政所執事の家系に生まれた伊勢貞興を紹介しました。
なんとなく幕臣っていうと文官っぽいイメージを持ってしまうのですが
伊勢貞興はそんなイメージを真っ向から払拭してくれる文武に秀でた武将です。
21歳という若さで亡くなってしまったのは本当に残念です。
生きていれば後世にもっと名を遺すような業績を治めていったんじゃないでしょうか。
さすれば信長の野望シリーズでも有能な武将として登場していたであろうに(笑)
では、今回はこの辺で。
ここまで読んで頂きありがとうございました!