今回は朝倉家が滅亡しても織田家に臣従することなく、
朝倉家再興を目指していた
朝倉景嘉(あさくらかげよし)と
朝倉景忠(あさくらかげただ)の2人です。
「麒麟がくる」で登場するとしたらあの場面か!?
では今回のお品書きはこちらです。
また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たちは
以下の一覧記事にまとめてあります。
その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。
まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。
1.朝倉景嘉(あさくらかげよし)とは
生年も父も不明。
同じく修理亮を称していたことから敦賀郡司を務めたことのある
朝倉景冬(あさくらかげふゆ、応仁の乱で活躍)の系統の者ではないかと言われています。
1568年に足利義昭が朝倉義景邸を訪れた際には
同席した朝倉同名衆19名のうち6番目の席次だったそうです。
ちなみにこの時、敦賀郡司家の朝倉景紀・景恒親子は
当時一門筆頭であった大野郡司家の朝倉景鏡と確執があって欠席でした。
敦賀郡司家と大野郡司家については前回、前々回紹介済みですが
まだ読んでない方はこちらもどうぞ。
景嘉についてはそれほど事績が伝わっていないのですが
1568年に足利義昭が越前入りした際には警固役を務めたそうです。
また1570年には伊勢神宮に参拝して田地を寄進しています。
朝倉家滅亡のきっかけとなる一乗谷の戦い(刀根坂の戦い)では
参陣していたかどうか等わかりません。
しかし朝倉家滅亡後も生き長らえていたことは確かで、
織田家には仕えることもなく、越前一向一揆に付くこともしませんでした。
景嘉が目指していたのは朝倉家の再興。
景嘉は朝倉家を再興するために、越後の上杉謙信を頼ります。
上杉謙信といえば義に厚い武将として有名です。
天下取りよりも義のために生きることを選ぶ人。
景嘉が謙信のもとを訪れ、朝倉再興の意志を伝えて助力を願い出ると
謙信は上杉軍が上洛する際には越前で一城預ける約束をしてくれました。
上杉謙信といえば武田信玄同様に織田信長が最も恐れていた人物でもあります。
武田軍と上杉軍には織田軍も敵わないと言われており、
実際、1577年に手取川で織田軍は謙信率いる上杉軍と戦っていますが
兵力で勝っていたにもかかわらず織田軍は敗れています。
景嘉は謙信の助力確約でほぼ再興は間違いないと思ったかもしれません。
しかし、謙信は遠征の準備を進めている最中、1578年に亡くなってしまいます。
謙信が亡くなった後の上杉家は、家督問題でざわつくことになります。
謙信が養子の景勝と景虎のどちらを家督にするのか決めずに死んでしまったからです。
これは後に、後継を巡って景勝派と景虎派とが争うことになる
御館の乱(おたてのらん)へと発展します。
謙信が亡くなったことにより上杉軍は上洛するどころではなく、
他家の再興になど構っている場合ではありません。
景嘉は謙信が亡くなってしばらくしてから消息がわからなくなってしまったそうです。
この時期唯一織田信長に対抗できた上杉謙信が亡くなったことで
景嘉は相当ショックを受けたことでしょう。。。
2.朝倉景忠(あさくらかげただ)とは
通称与三。
景嘉同様に生年、父は朝倉景富(あさくらかげとみ)。
代々、鳥羽を所領としていたため鳥羽姓を名乗っていました。
1568年に朝倉義景の館に足利義昭が訪れた際の席次は19人中7番目。
前述の景嘉の次ですから、朝倉一門の中でもなかなか上位の家柄です。
景嘉同様に、景忠も一乗谷の戦いなど記録が残っておりませんが
朝倉家滅亡後も生き残っており、
景嘉とは違って一向一揆に与して織田家に対抗しました。
1575年に、織田信長が一向一揆鎮圧のために越前へ侵攻してくると
居城である鳥羽城において600の兵で籠城して迎え撃ちます。
しかし織田軍の柴田勝家(しばたかついえ)と丹羽長秀(にわながひで)の軍勢によって落城。
それでも景忠は自害することもなく、討ち取られることもなく
生き長らえて抵抗を続けたそうです。
一方で、1578年には朝倉氏同名衆の朝倉宮増丸(朝倉義景の遺児とも??)が
景忠を朝倉氏の家督として再興を図ろうと、足利義昭や毛利輝元に助力を求めます。
当時、景忠の上位の家柄の一族は景嘉のみだったそうですが、
前述のとおり景嘉はお家再興のために上杉謙信を頼り確約までもらうものの
実行前に謙信が亡くなってしまったため、お家再興話も流れてしまいました。
そのために宮増丸は景忠を家督に据えてお家再興に向けて動いたのだそうです。
ただし、宮増丸は越前国外にいて景忠との連絡がなかなか取れないばかりか
頼りにしていた毛利家も、織田家との戦いにおいて次第に後れを取るようになってきます。
そのため朝倉家再興計画は自然消滅する形で失敗に終わってしまい、
景忠の消息もわからなくなってしまったとか。
3.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの朝倉景嘉と朝倉景忠
「麒麟がくる」に2人が出てくる可能性は
なかなか、いやだいぶ低いとは思いますけど
ワンチャンあるとするならば、
足利義昭が越前を訪れて朝倉義景の館を訪問したときでしょうね。
朝倉一門勢揃いしているので、このシーンが描かれたりすれば
必然的にちらっとでも登場することになるのかな、なんて(笑)
そして信長の野望シリーズにおいても
二人とも出てきたことはありません!
朝倉家再興シナリオでも作らないと出てこないかも?
ただ登場するとしても能力はすごく低そうな予感が・・・。
信長の野望・創造 戦国立志伝だと
シナリオは作れませんけどイベントは作れるので
朝倉家滅亡後のシナリオで、
朝倉家再興イベントみたいなの作ったら面白いかもですね。
4.まとめ
今回は、朝倉家滅亡後も信長に降ることなく
朝倉家再興を目指していた
朝倉景嘉と朝倉景忠でした。
もっと情報があれば朝倉宮増丸も別立てで書きたかったんですが
宮増丸は景忠を擁立して再興計画に動いていたっていうこと以外
まったくわからないので仕方なく。
景嘉と景忠がもっと二人で協力して動いていたら
良かったんじゃないかなぁとも思いますよね。
景嘉の方がともかく朝倉家再興したい
ていう気持ちが強かった気がする一方で、
景忠はどちらかというと再興うんぬんより
織田憎しが先にあって一向一揆に参加したりしていたのでは。
ちなみに謙信が上洛作戦実行していたら再興できてた気がしちゃいますね。
武田軍も上杉軍も、織田軍に負けるイメージがないです、
もちろん信玄と謙信が存命の場合は、ですが。
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!