伊達政宗の同級生集めていろいろランキング ー1567年世代ー

スポンサーリンク

伊達政宗の同級生集めていろいろランキング

コロナ禍の影響で「麒麟がくる」は
放送休止中ですが、その代わりに
戦国大河ドラマ名場面スペシャを放送中。
その第1弾は独眼竜政宗でした。

その伊達政宗の同級生たち
皆さんはどれぐらいご存知ですか?
今回は伊達政宗の同級生たちを集めて
いろんなランキングをやってみたり
関ケ原の戦い大坂の陣では
どちらの陣営についたかを纏めました。

というわけで今回のお品書きはこちらです。

ちなみに今回の記事に挿入してる武将の絵は
信長の野望・創造 戦国立志伝』*1の顔グラを
真似して私が描いたもので
構図等オリジナルの作品ではありません。

信長の野望・創造 戦国立志伝 [オンラインコード]

信長の野望・創造 戦国立志伝 [オンラインコード]

  • 発売日: 2016/03/24
  • メディア: Software Download
 

 

1.そもそも伊達政宗の同級生何人?

伊達政宗は永禄10年生まれ、
西暦だと1567年生まれです。
そこで伊達政宗の同級生をピックアップするために
みんな大好きWikipedia(笑)の
以下のページを参考にしました。

ja.wikipedia.org

なぜか1568年生まれの人も混ざってるんですが
基本的にランキングは
1567年生まれの人で日本人のみ
としています。
そうすると伊達政宗の同級生は総勢46名
中には僧侶やお公家様もいますが
2クラスできそうなぐらいの人数で
少しビビりました(笑)

次章ではこの総勢46名で
さまざまなランキングをやってみました。
ただしソースがWikipediaのみですし
情報の欠けている人たちも多いので
はっきり言って
不平等極まりないランキングです(笑)
基本的にはネタとして面白がってもらいつつ
これをきっかけにマイナーな人たちにも
興味を持ってもらえたらいいなと思います。

ちなみにランキングは上位3名までですが
基本的にその中の1名だけ簡単な経歴や
逸話に触れていきます。

2.伊達政宗の同級生で勝手にランキング

2.1.石高ランキング

1位 伊達政宗 62万石 仙台藩
2位 岩城常隆 12万石 磐城平
3位 立花宗成 11万石 柳河藩

同級生内でトップは伊達政宗でした。

信長の野望・創造 戦国立志伝の伊達政宗

奥州筆頭さすがです。
同級生内でも圧倒的。

20年早く生まれてたら
伊達政宗が天下を取ってた
みたいな話はよくありますが
あれは政宗の器量を喩えているだけで
実際に20年早く生まれても
天下はそう簡単には取れない気がします(笑)

越後の上杉謙信、相模の北条氏康
甲斐の武田信玄駿河今川義元
この4人の名前を聞いただけで
難しそうに感じてしまいますが
そもそも陸奥戦国大名蘆名盛氏が健在で
全盛期の頃とおそらくかぶるんですよね。
奥州筆頭すら難しいかも。
戦国BASARA世界線も変わりそうw

ちなみに2位の岩城常隆は
父が岩城親隆なんですが
親隆は伊達政宗の祖父・伊達晴宗の長男です。
つまり政宗とは従兄弟ってことですね。

2.2.長寿ランキング

1位 斎藤利宗 81歳
2位 立花宗成 77歳
3位 大友親盛 77歳

没年齢は享年です。

1位に輝いた斎藤利宗をご存知ですか?
この人は斎藤利三の三男です。

斎藤利三と言えば
まだ「麒麟がくる」には登場してませんけど
明智光秀重臣の一人として名高い人物です。
明智五宿老の一人と言われたりしますね。

tsukumogatari.hatenablog.com

 その子である利宗は父と共に
本能寺の変に参加しています。
しかし山崎の戦い羽柴秀吉軍に敗れた後
剃髪して降伏。
細川忠興預かりとなった後に
秀吉から許されて小牧・長久手の戦い
活躍します。

その後、加藤清正に仕えて
加藤十六将の一人に数えられるほどに。
しかし清正が亡くなると出奔して
妹である春日局の伝手で
江戸幕府3代将軍家光に拝謁。
以後は常陸国真壁に5千石を領する
旗本となります。

ちなみに伊達政宗は享年70歳で9位。
何気にトップ10にランクインしてます。

2.3.短命ランキング

1位 浦上久松丸   9歳
2位 小倉松寿    16歳
2位 武田信勝    16歳
2位 森力丸(長氏) 16歳

今度は長生きの逆ですね。
3人同じ年に亡くなっているのは
織田信長甲州征伐と本能寺の変
原因ですね。

1位の浦上久松丸は浦上家当主として擁立した
宇喜多直家に毒殺された説があって
それが1575年頃ということなんですが
死亡時期については別の説もあります。

父・浦上誠宗が久松丸の生まれた永禄10年に
浦上宗景*2の家臣に暗殺されているんですが
この時、父と共に殺された説もあるらしい。
そうなると生まれて間もなくという
もっと悲しい結末に・・・。

ちなみに久松丸の母は黒田職隆の娘。
黒田職隆羽柴秀吉の軍師・黒田官兵衛の父。
つまり久松丸は黒田官兵衛の甥にあたります。

2.4.子沢山ランキング

1位 伊達政宗 14人
1位 真田信繁 14人(伝承含む)

3位 戸川達安 12人
3位 有馬晴信 12人

ここでも奥州筆頭強いですね。
大名クラスはいろんな意味で強いのかも。
記録としてちゃんと残されるかどうか
というのも関係してきちゃいますしね。

ただびっくりするのは
真田信繁の子沢山ぶりではないでしょうか。

信長の野望・創造 戦国立志伝の真田信繁

創作名と言われる幸村の名の方が有名ですが
真田信繁って大名になったことはありません。

父・昌幸の後を継いだのは
兄の真田信之ですし
大坂の陣で敗れてしまったので
立身出世することなく
この世から消えてしまいますからね。
真田丸」でこんなに子供でてきたっけ(笑)

さて、次のランキングからは
数字根拠無しの
個人的主観の強いランキングです(笑)

2.5.猛者ランキング

1位 菅正利  虎斬りと島左近討ち取り*3
2位 黒沢道家 大坂冬の陣で大活躍
3位 伊木遠雄 賤ケ岳の三振太刀

なんで真田信繁とか立花宗茂入ってないの?
とかは言いっこなしでお願いします。
あの辺は殿堂入りってことです(笑)

1位の菅正利は黒田官兵衛黒田長政
そして黒田忠之と黒田氏3代に仕えた武将。

信長の野望・創造 戦国立志伝の菅正利

黒田二十四騎の一人でもあります。
17歳の初陣が賤ケ岳の戦いなんですが
この時首級を2つ挙げています。
その後も紀州征伐で一番槍を挙げたり
九州征伐文禄・慶長の役
戦場で多くの功績を挙げています。
朝鮮では虎を斬った逸話もある豪傑です。

身長190cmほどの巨躯で剛力だったそうですから
猛者ランキング1位に相応しいでしょう?(笑)

ちなみに剣術は2つの流派を学んでいて
それぞれ奥義を極めていた剣豪でもあります。
その2つの流派の一つが新当流で
これは宮本武蔵の父(養父?)・新免無二
学んだそうです。
そしてもう一つの流派が新陰流で
こちらは疋田景兼*4に学んだのだとか。

2.6.奥さんの父上凄いランキング

1位 毛利秀包 妻・桂姫(大友宗麟娘)
2位 伊東義賢 妻・レジナ (大友宗麟娘)
3位 岩城常隆 妻・佐竹義重養女

異論は大いに認めます(笑) 
大友宗麟は個人的にはパワーワードかなって(笑)
あと坂東太郎の佐竹義重も然りです。

毛利秀包はその名の通り
中国地方の覇者である毛利元就の子供で
9男にあたります。

一時は異母兄の小早川隆景の養子となりますが*5
その養子となった理由が
次兄・吉川元春と同様に
父から武勇を最も受け継いでいたから。
また、秀吉が鎮西一と褒め称えた
立花宗茂とは馬が合ったらしく
義兄弟の契りを結んでいるほどです。
関ケ原の戦いで西軍に加わったために
改易処分となってしまいますが
豊臣政権下では
築後久留米15万石の大名だったのです。

2.7.そもそも父上凄いランキング

1位 鶴姫(中川秀正室) 父・織田信長
2位 毛利秀包      父・毛利元就
3位 御宿勘兵衛(政友) 父・御宿友綱

これも異論はいつでも受付中です(笑)
1位の鶴姫は織田信長の娘なんですが
生母はわかっていないようです。
中川清秀荒木村重の討伐で戦功を挙げたために
清秀の子・秀政に娘を与えて婿としたそうです。

中川秀政は秀吉の元で出世して
播磨国三木13万石の大名になっているんですが
1592年の文禄の役で戦死しています。
鶴姫と秀政の間には子供はいなかったようで
弟の秀成が跡目を相続しています。*6

ちなみに3位の御宿勘兵衛は
父の友綱が甲斐の武田信玄の侍医だった
というだけの理由です(笑)

信長の野望・創造 戦国立志伝の御宿勘兵衛

昔の大河ドラマ武田信玄」に
父・友綱が登場しているのを
先月ぐらいにNHKオンデマンドで確認したから
印象に残ってたので(笑)

2.8.主君を転々ランキング

1位 塙団右衛門(直之)
 不明→加藤嘉明小早川秀秋→小笠原吉光→松平忠吉福島正則豊臣秀頼
2位 御宿勘兵衛(政友)
 武田勝頼北条氏直徳川家康結城秀康松平忠直豊臣秀頼

2人しかいないのは
他の人たちが
あまり転々とはしてなかったからです(笑)

塙団右衛門も御宿勘兵衛も
共に最終的には大坂の陣で豊臣方に。

塙団右衛門は、前歴が不明で
加藤嘉明の前に誰に仕えてたのか
よくわからないみたいです。

信長の野望・創造 戦国立志伝の塙団右衛門

織田家臣だったり北条家臣だったり
小早川隆景の家臣に仕えていたり
いろいろ説はあるみたいなので
やっぱり転々といろんな主君を
渡り歩いていたのかも。

ただ加藤嘉明に仕えていたのは確からしいです。
加藤嘉明といえば賤ケ岳の七本槍の一人
その加藤嘉明の元では千石持ちの鉄砲大将
任されていたんですが、命令違反が元で
加藤嘉明の怒りを買って
『お前には大将の器ない』って叱られます。
これに腹を立てた団右衛門は
捨て台詞のような漢詩を残して出奔するんですが
この漢詩がまた加藤嘉明の逆鱗に触れてしまって
他国で仕官できないように罰を与えます。
奉公構(ほうこうかまい)というやつです。

団右衛門がその後転々とするのは
そういう経緯もあってなんですよね。
大坂の陣が始まる前には
実は仏門に入って「鉄牛」と称してました。
奉公構のせいで仕官しても罷免されたりして
もうどうでもいいやってなったみたい(笑)

ちなみに大阪入りした際に団右衛門は
家老の山県三郎右衛門昌重を従えていましたが
この山県三郎右衛門は
甲斐の武田信玄重臣武田四天王の一人、
山県三郎兵衛昌景の次男です。

2.9.主君への忠誠心ランキング

1位 成瀬正成 主君・徳川家康
2位 佐竹義種 主君・佐竹義宣
3位 星合具泰 主君・織田秀雄

本来家臣は主君に対する忠誠は
高い人が多いだろうと思うんですけど
伝わっている逸話のみで判断した
これまた根拠の薄いランキングです(笑)

これについては一人ずつ
さらっと触れてくことにします。

3位の星合具泰は織田秀雄の家老です。
織田秀雄織田信長の孫にあたります。

星合具泰は関ヶ原の戦いの際、
大谷吉継を討ち取ろうとする動きや
西軍方の山口正弘の籠る大聖寺城を攻める
前田利家の軍勢に加わるよう秀雄に進言する等
東軍勢として行動し織田秀雄徳川家康
功績を認められるよう活動していたんですが
いろいろあって織田秀雄は戦後改易処分に。

しかし改易となっても星合具泰は
秀雄が亡くなる慶長15年(1610年)まで
付き従っていたそうです。

2位の佐竹義種は佐竹南家の3代目当主
主君・佐竹義宣とは小さい頃から共に養育された
幼馴染の間柄で、元服も共に済ませています。

関ケ原の戦いの戦後処理で佐竹氏が秋田へ
移封となった際は、誰よりも早く秋田に入り
移封の準備を進めます。
その迅速な行動に喜んだ義宣は
義種の封地を自分で選ばせるんですが
義種は、東北の強者である
伊達氏・最上氏と隣接する地、湯沢を選択。
その理由は、どちらが攻めてきても
逸早く戦場に駆け付けられるから。
行動が早い人は信頼される
これはいつの時代でも同じですよね。

そして1位の成瀬正成

信長の野望・創造 戦国立志伝の成瀬正成

正成は徳川家康小姓から大名に出世し
尾張藩の附家老にもなった人。
また、大坂冬の陣の和睦条件となっていた
大坂城の惣堀埋め立てを
『総堀』つまり『総ての堀』
と解釈して内堀も外堀も全部埋め立てさせた
という逸話がある人でもあります。

そんな成瀬正成の忠誠心高そうな逸話が2つ。
一つは尾張藩附家老となった際のこと。
家康は、もしも尾張藩主・義直が
謀叛をおこしにそうになったらその旨を報せよ
といって起請文を書かせようとしました。
しかし成瀬正成は、附家老となったからには
主君は義直であり、主君が謀叛を起こすといえば
自分もそれに家臣として従う
そう言って家康の命令を断ったと言います。

そしてもう一つが
正成の死期が間近に迫っていた頃の話。
『大御所(家康)の眠る日光にいく』
と突然言い出して聞かないから
困った家臣たちは籠を担いで
日光へ行く振りをしたのだとか。
家康に小姓から引き立てられたこともあり
徳川家康には大恩を感じていたでしょうし
そっちの世界へいくことを
ちゃんと報告したかったのかも。

2.10.同姓同名多すぎランキング

1位 福原広俊

はい、一人しかいません(笑)
というか他の人たちがどうなのかは
よくわかりません(笑)

福原広俊は、安芸の毛利氏一族で
主に毛利輝元の代に活躍しました。
毛利輝元毛利元就の孫ですね。

永禄10年に誕生した福原広俊
福原氏第13代目の当主なんですが
ご先祖に既に”広俊”の名を冠した人が
2人います。

一人目が8代目当主の福原広俊
生没年ともに不詳なんですが
毛利元就の父やその祖父の代に活躍した人。
毛利元就の外祖父にあたるそうです。

そしてもう一人の広俊は
10代目当主の福原広俊
毛利元就の父・弘元、毛利元就の兄・興元
興元の子・幸松丸、そして元就に仕えています。
毛利元就の従兄弟に当たる人でもあります。

以上のようにご先祖に2人いましたが
子孫にも一人、福原広俊がいます。
福原氏15代目当主の福原広俊です。
永禄10年に誕生した広俊の孫にあたります。
当初は藩主・毛利綱広から1字賜って
”広次”と名乗っていたのですが
亡き父・元俊の1字を取って”広俊”に
改名したそうです。

通字の関係でたまたま同姓同名が
多くなってしまったのかもですね。
でも縁起担ぎもあるかもしれません。
その名の御先祖が戦や政で
いい成果を出したから同じ名にしたとか。

そういえば伊達政宗にも
先代の”政宗がいました。
9代目当主の伊達政宗
伊達氏中興の祖と言われていて
その活躍にあやかって”政宗”と
命名されたのはわりと有名。
ちなみに伊達政宗
伊達氏17代目の当主です。

3.関ケ原大坂の陣、陣営どっち?

伊達政宗およびその同級生たちの中には
関ケ原の戦いや大阪の陣まで生きてる人達も
沢山います。
その人たちがどの陣営にいたのか明らかにして
ふ~ん、なるほどな
と納得するだけのコーナーです(笑)

ちなみに参陣した情報が無い人でも
主君が〇〇だからこっちだろうという人と
参陣したのか全くわからない人と
いたりするので、その辺アバウトです。
また、山崎家盛のように心は東軍だけど
でも状況的に西軍につくしかなかった人は
心より実をとりました(笑)
寝返った人は寝返った側の陣営を優先してます。
それと、今まで紹介していない人たちには
簡単に補足も加えています。

3.1.関ケ原の戦い

東軍陣営
  1. 秋月種長 日向高鍋藩主。
  2. 有馬晴信 肥前日野江藩主。岡本大八事件切腹を命じられる。
  3. 大沢基宿 徳川家臣。高家旗本。
  4. 大田原晴清 下野大田原藩主。
  5. 大友親盛 豊後の戦国大名大友宗麟三男。宗家改易後、細川忠興家臣に。
  6. 菅正利 
  7. 小出秀家 関ケ原の戦いの功を徳川家康に高く評される。
  8. 斎藤利宗
  9. 杉原長氏 徳川家康の使番。
  10. 伊達政宗
  11. 戸川達安 元宇喜多氏家臣。備中庭瀬藩主。その出で立ち仁王の如し。
  12. 成瀬正成
  13. 塙団右衛門(直之)
  14. 星合具泰
  15. 御宿勘兵衛(政友) 大阪の冬の陣では塙団右衛門らと共に本町橋の夜討ちで功を挙げる。
  16. 六郷政乗 出羽本荘藩主。戦国の世をうまく生きた人。
西軍陣営
  1. 伊木遠雄(半七) 豊臣秀吉の黄母衣衆。大阪の陣では真田信繁の軍艦に。
  2. 黒沢道家 元は仙北小野寺氏家臣。後に佐竹氏に仕えて大坂の陣で活躍。
  3. 真田信繁
  4. 下瀬頼直 石見の国人・吉見氏庶流。後に毛利氏家臣として活躍。
  5. 立花宗成 鎮西一の名将。真田信繁以上の戦歴があるのに能力値は下という不思議。(信長の野望
  6. 長束直吉 豊臣五奉行長束正家の子。一時は大名にまで出世。
  7. 福原広俊
  8. 毛利秀包
  9. 山崎家盛
どっちつかず陣営
  1. 佐竹義種
  2. 簗民部少輔宗勝 元結城氏家臣。後に佐竹氏家臣に。大坂の陣はとある理由で参陣希望通らず。
不明
  1. 寺山久兼  知勇兼備の島津家臣。
  2. 長井元重  毛利家臣。長井氏は毛利氏と同じく大江広元の子孫。
  3. 長谷川藤広 長崎奉行岡本大八事件で有名な人。
その他
  1. 幸地宗廣 琉球王国の人
  2. 須田満胤 多分浪人中?
  3. 中山慶親 お公家様
  4. 結城義顕 白河氏当主の座を奪われて農業頑張ってた

3.2.大坂の陣

徳川方
  1. 大沢基宿
  2. 大田原晴清
  3. 大友親盛
  4. 菅正利
  5. 黒沢道家
  6. 斎藤利宗
  7. 佐竹義種
  8. 杉原長氏
  9. 立花宗成
  10. 伊達政宗
  11. 戸川達安
  12. 成瀬正成
  13. 福原広俊
  14. 星合具泰
  15. 六郷政乗
豊臣方
  1. 伊木遠雄(半七)
  2. 真田信繁
  3. 塙団右衛門(直之)
  4. 御宿勘兵衛(政友)
不明
  1. 須田満胤 
  2. 長井元重
  3. 長谷川藤広

3.3.総論『陣営どっち?』

生年がわかっている人たちだけなので
これで一概に判断はできませんけど
少なくとも今回集めた伊達政宗同級生たちは
関ケ原の戦いにしても
大坂の陣にしても
勝者側の陣営が圧倒的に多い結果に。
少なくとも関ケ原の戦い
もうちょっと均衡するのかなと
思ってたりもしたんですが。

要するに伊達政宗の同級生には
時流を読める優秀な人たちが多かった
という結論でいいのかな(笑)
※西軍・豊臣方をディスってるわけではありませんw

4.「麒麟がくる」に登場するかも?

放送一時休止中の「麒麟がくる」で
もしかしたら登場するかもしれない
伊達政宗の同級生たちも
ここで紹介しておきましょう。

小倉松寿[おぐらまつじゅ]

織田信長の側室となった於鍋の方の子
父は近江高野城主・小倉実房。

永禄13年(1570年)の金ヶ崎の戦いにおいて
織田信長岐阜城へ帰還するのを援助したのが
近江の大名・六角承禎(義賢)の怒りを買って
攻め滅ぼされてしまいます。
於鍋の方は、その難を逃れて
長男・甚五郎と次男・松寿を連れ添って
信長に庇護を願い出ます。
以後、母の於鍋の方は信長の側室となり
連れ子の二人も信長の家臣として
近江に本領が与えられます。

そして本能寺の変の際は小倉松寿は
御番衆*7として京で宿を取っていました。
小倉昭寿は変の方を聞くや否や
本能寺へ向かって信長を守ろうしますが
あえなく討死してしまいます。

斎藤利宗[さいとうとしむね]

斎藤利宗は長生きランキングで
見事同級生1位を勝ち取った人ですね(笑)
だいたいの経歴的なものは前述の通りです。
父・斎藤利三は流石に登場すると思うので
子の利宗も兄の利康と共に出てくるかな?

森力丸(長氏)[もりりきまる(ながうじ)]

織田信長重臣森可成の五男
有名な森蘭丸(長定)の弟です。
本能寺の変の際が16歳ですから
伝わってる話はもはや本能寺の変しかないという。
2011年の大河ドラマ『江~姫たちの戦国』では
蘭丸、坊丸と共に3人そろって登場しましたが
麒麟がくる」ではどうでしょうね。
本能寺の変はじっくり描かれそうだから
という理由だけで有りに1票(笑)

山崎家盛[やまさきいえもり]

山崎家盛は今まで挙げた人たちの中では
麒麟がくる」の登場確率が一番低そうです。

信長の野望・創造 戦国立志伝の山崎家盛

山崎家盛自身が、本能寺の変あたりで
何かをしたということはありません。
父の山崎片家が明智方の将として
活動しているんです。

tsukumogatari.hatenablog.com

ただし、本能寺の変が起こった当初は
山崎片家は居城の山崎城に籠ってました。
明智光秀に与するつもりはなかった様子ですが
明智光秀の圧力に負けて降伏してしまいます。
その後は佐和山城の占拠に協力する等
明智方として行動します。

羽柴秀吉との決戦の場となった
山崎の戦いには参陣していないようですが
明智光秀敗死の報せを聞くと
羽柴秀吉に降伏して所領も安堵されます。

この頃、子の家盛も元服はしていると思うので
父と共に行動をしているのかなと。

でもそもそも父・片家がナレのみの登場かも。
結構マイナー武将が登場している感のある
麒麟がくる」だけど・・・
流石に山崎家盛の登場は厳しそうです(笑)

5.まとめ

伊達政宗の同級生たちを
大集合させてみましたが
いかがでしたか?

伊達政宗真田信繁立花宗茂
この3人は有名だと思いますけど
他の人たちは戦国時代関連のゲームや
大河ドラマを見ていても
よくわからない人が多いかもです。
実際私は今回調べて知った人の方が多いです。

今回の記事のソースはWikipediaが主なので
すべてが最新で正しいとは言い切れず
古い情報や誤った情報が
含まれている可能性はあります。

もっと深く知りたい方や
最新の情報を知りたい方は
関連の文献や論文を
紐解いてみることをお勧めします。



そして次の戦国大河ドラマ名場面スペシャルは
国盗り物語なんですよね。
司馬遼太郎の同名小説を
原作にしてるだけじゃなくて
他の著作『新史太閤記』『功名が辻
『尻啖え孫市』そして『梟の城』などを
ミックスして脚本したらしいです。
主人公は斎藤道三織田信長
そして明智光秀もなのかな?
この3人のうち誰かの同窓会を
また開くかもしれません。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


ここからは当サイトの宣伝です。

ツクモガタリ
以下のランキングサイトに参加しています。
バナーをポチって頂けると
今後の励みになります!
にほんブログ村
にほんブログ村 にほんブログ村へ
人気ブログランキング

また、ツクモガタリ
歴史人物の記事を主戦場としつつ
ブログ運営関連の記事なども投稿している
雑記ブログです。
こちらのINDEXページ
各記事のカテゴリの説明と共に
ピックアップ記事や
カテゴリの記事一覧へのリンクも
掲載しています。

tsukumogatari.hatenablog.com

このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:2016年にコーエーテクモゲームスより発売された役しシミュレーションゲーム

*2:浦上誠宗の父・政宗の弟。久松丸にとっては大叔父にあたる。

*3:島左近の最期については諸説あって菅正利以外に、戸川達安が討ち取ったという説も有る。

*4:剣聖・上泉信綱の直弟子。上泉信綱の姉が母と伝えられている。

*5:後に秀吉の養子・木下秀俊(後の小早川秀秋)が小早川隆景の養子となったため秀包は廃嫡された。

*6:中川秀成は「無人」の状態で敵の待ち伏せに遭って戦死しため、こういう場合は無駄死にとして当時家督相続は認められず秀吉の怒りも買っていた。しかし、父・清秀の賤ケ岳の戦いでの戦功等に免じて所領半分の相続を特別に弟の秀成に認めた。この際、諸将に対して今後は無駄死にの場合跡目相続は認めない通達も出している。

*7:番を編成して宿直警固にあたる人。狭義では幕府に詰めて将軍及び御所の警固にあたる人のこと。