歴史人物語り#18 明智光秀を愛し愛され光秀と生涯の苦楽を共にした糟糠の妻・妻木熙子

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今回は明智光秀正室である妻木熙子(つまきひろこ)です。
麒麟がくる」では木村文乃さんが演じます。

www6.nhk.or.jpそれでは今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

 

1.妻木熙子(つまきひろこ)とは

生年はわかっていません。1530年頃というとても曖昧な説ならあります(笑)
以前に紹介した妻木広忠の記事でも少し書きましたが、
父親説には、妻木広忠妻木範熙(つまきのりひろ)の2説があります。 

tsukumogatari.hatenablog.com

光秀と熙子の娘・珠(ガラシャ)の嫁ぎ先である細川家公式の歴史書『細川家記』には
『妻木勘解由左衛門範煕の女』とあるので、妻木範熙の娘説が今では有力です。
妻木広忠父親説に関しては証拠となるような資料がありません。

光秀と熙子はとても夫婦仲が良かったことで有名で
二人の夫婦仲を示すエピソードもいくつか伝わっています。
ここからはそのエピソードとともに
熙子の生涯を紹介していきます。

1.1 光秀と結婚する前のエピソード

熙子は光秀に嫁ぐ前、天然痘を患ってしまいます。
天然痘についての説明をWikipediaから一応引用しておきます。

天然痘(てんねんとう、smallpox)は、天然痘ウイルス(Variola virus)を病原体とする感染症の一つである[1]。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。疱瘡の語は平安時代、痘瘡の語は室町時代天然痘の語は1830年大村藩の医師の文書が初出である[2]。非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率が平均で約20%から50%と非常に高い[3][4]。仮に治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残す。天然痘人類史上初めて撲滅に成功した感染症である。

引用元:Wikipedia

引用にもある通り、天然痘は治癒してもその後が残ってまいます。
熙子もその瘢痕が残ってしまいました。
これを光秀が嫌って縁談を断られると思った妻木家は
妹の芳子(熙子にとても似ていたそうです)を光秀に嫁がせようとします。
しかし、光秀は妹ではなく熙子と結婚することを望んだのです。
その時に光秀は、
人の容貌は変わっても心の美しさは変わらない
と言ったとかなんとか。
これはイケメンだ(笑)
熙子はとても美人だったと伝わっていますが
光秀は容姿よりもその人となりに惚れ込んでいたんですね。
ちなみに結婚したのは1545年と言われています。

1.2 光秀浪人中の髪売りのエピソード

明智家は斎藤道三の仕えていましたが、
斎藤道三と道三の息子・義龍の仲が悪くなり、
両者は長良川の戦いで雌雄を決することになります。
勝ったのは斎藤義龍でした。

tsukumogatari.hatenablog.com

明智家は斎藤道三方であっためその後、
義龍に居城である明智城を攻められ
本拠地を失ってしまいます。
光秀はしばらく浪人生活を送ったあと、
越前の朝倉義景に仕えますが生活は貧しかったようです。
そんな中、連歌会の催しを光秀が担当することになります。
この連歌会では訪問する参加者に主催者が接待しなければなりません。
酒と肴も人数分用意しないといけないわけです。
しかし当時の光秀にはそんな余裕はありません。
費用の工面で苦しんでいた光秀を熙子は見兼ねて、
自慢だった自分の綺麗な黒髪を売ってしまうのです。
そのおかげで光秀は無事参加者をもてなすことができ、
面目を保つことができたのです。
光秀は熙子のこの計らいに対しての感謝と申し訳なさとから
熙子が亡くなるまで側室や妾を持たなかったそうです。
この辺、熙子が糟糠の妻(そうこうのつま)と言われる所以でしょうね。

1.3 織田信長に抱きつかれるほど美しかった!?

これは夫婦仲を示すエピソードではありませんが
面白いエピソードです。
光秀は朝倉義景に仕えた後、足利義昭の家臣となり
将軍家再興のために足利義昭織田信長を引き合わせます。
光秀はその後、織田信長の家臣となりますが、
信長は光秀の妻・熙子が美人であるという噂を聞きつけます
すると信長は熙子を城に呼び寄せるんですが、
物陰に隠れてどれほどのものかこっそり確かめようとします(笑)
そこへ熙子が登城してきました。
熙子を見るや否や、
その美しさのあまり
信長は思わず熙子に抱き着いてしまったのだとか(笑)
若い頃はうつけと言われていただけのことはあります(笑)
信長にとられなくてよかったですね、光秀さん(笑)

1.4 光秀と熙子は子だくさん!

二人の子供は明智軍紀によると3男4女の7人です。

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嫡男の光慶と三女の珠(ガラシャ)以外は史料がまったく残っていないので
どのような子供立ちであったかはわかりませんが、
光秀のように頭が切れ、熙子のように優しく献身的な性質を持った
将来有望な子供たちばかりだったに違いありません!!そうに決まってます!(笑)
宣教師ルイス・フロイスによると二人の子供は
見目麗しく王族のようだったと褒めちぎってますから
熙子の美貌も子供立ちに等しく受け継がれたのでしょうね。

1.5 重病の光秀の看病疲れが元となって・・・

1576年4月、光秀は石山本願寺との天王寺の戦いに出陣します。
石山本願寺とは、大坂にあった浄土真宗の寺院であり本山。
当時は大名並みの経済力と軍事力を持ち合わせており、
特に織田信長を仏敵とみなして10年以上にわたって激しい攻防を繰り広げていました。
この天王寺の戦いも激戦で信長の重臣の一人、
塙直政(ばんなおまさ)が討死しています。
そして5月23日には光秀が過労で倒れてしまいます。
倒れた光秀を熙子は付きっきりで献身的に看病するのですが
その看病疲れが元で病気になってしまい、
遂には亡くなってしまった
というのです。
享年は諸説あって46歳、36歳、42歳の3つの説があります。

しかし、明智軍紀』には1582年の本能寺の変後の坂本城落城時のときの
熙子の言動を記しており、48歳で亡くなったことになっています。

明智軍紀』の方は信ぴょう性が薄いらしいのですが、
実際はどちらなんでしょうか。
明智一家は生死が謎だらけで困ります(笑)

2.信長の野望・創造 戦国立志伝にも妻木熙子は登場しています!

特典武将なので、ある条件をクリアしないと出てこないのですが
戦国立志伝で妻木熙子プレイをすることが可能です。
ちなみに信長の野望シリーズの最新作、大志でも出てきますね
戦国立志伝での評価値はこちらです。

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やはり美人さんとして描かれていますね!
ただこれ残念なのは
ゲームシステム的にはイベントエディタで専用のイベントを作らないと
光秀と結婚ができないのです・・・。
羽柴秀吉とねね、前田利家とまつはイベントがあるんだから
最初から光秀と熙子も用意してくれればよかったのに(笑)
しかし「麒麟がくる」放映によって次回作ではイベントが作られる気がしますね!
来年あたり最新作の信長の野望が出るんじゃないかと勝手に思っていますし(笑)

3.「麒麟がくる」での妻木熙子はどのように描かれるのか

前述したとおり、妻木熙子を演じるのは女優の木村文乃さんです。
元々おとなしめのお嬢様的な役が多かったと思うので
なんとなく熙子のイメージに合ってる気がしています。

妻木熙子自体は、当然光秀と結婚する前からの登場となるでしょう。
今回紹介した結婚前のエピソードを始めとして
おそらくほぼ全てのエピソードが
物語の中で再現されるのではないかなと思っています。

となると気になるのは、死亡説をどちらをとるのか。
本能寺の変より前に病死で亡くなってしまうか、
本能寺の変後、一族と共に坂本城で自害をするのか。
なんとなく前者の方が物語的には盛り上がるような気がします。
しかし亡くなる時の話ばかり気にしていたって暗くなるだけ(笑)
光秀との仲睦まじさがどのように描かれるのか、
全編通じて楽しみにすることにしましょう。

4.まとめ

今回は貧しい頃から光秀に付き従って苦労を共に重ねてきた、
いわゆる糟糠の妻、妻木熙子でした。
過去の大河ドラマだったり明智光秀が主人公の作品でも登場しているので
ご存知の方も多いかもしれませんね。
1年通じて放映される大河ドラマの主人公の奥さんですから
ちょっとそれまでのドラマとは注目度が異なるでしょう。
今って景気悪くなくてもみんな貧しいみたいな雰囲気があるので
『糟糠の妻』的な奥さんにスポットライトが当たったりするのかも?(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!