歴史人物語り#40 西美濃三人衆、最後の一人は頑固一徹の人、その武人としての佇まいは尊敬に値する稲葉一鉄

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今回は頑固一徹で有名な稲葉一鉄(いなばいってつ)
西美濃三人衆の一人で娘は明智光秀の宿老・斎藤利三の妻
春日局のお爺ちゃんでもあります。
麒麟がくる」では村田雄浩さんが演じます。

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では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.稲葉一鉄(いなばいってつ)とは

通称彦四郎、彦六郎。諱は良通(よしみち)ですが
号の「一鉄」が有名なので、ここでは一鉄」で統一します。
1515年生まれ、美濃の曽根城主・稲葉通則(いなばみちのり)の六男です。
斎藤道三の側室となった深芳野(みよしの)は姉とも言われています。
六男の末っ子ということもあってか、
幼少時に崇福寺(そうふくじ)の僧侶となり、
快川紹喜(かいせんじょうき)の下で修業をしていました。
しかし1525年の牧田の戦いで一鉄の人生は大きく変わります。
牧田の戦いとは、北近江の国人・浅井亮政(あさいすけまさ)
美濃に侵攻してきたによって起きた戦。
当時の稲葉家は美濃守護・土岐頼芸(ときよりのり)に従っていましたので
一鉄の父・通則は5人の息子と共に出陣しました。

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浅井亮政といえば後に織田信長の妹・お市の方と婚姻した浅井長政のお爺ちゃん
浅井氏は北近江半国を治める守護・京極氏に仕える被官(官僚)でしたが、
亮政は国人一揆の混乱に乗じて京極家中の実権を掌握し勢い上昇中。
勢力拡大にも励み、南近江の守護・六角定頼(ろっかくさだより)とも争ったり
そんな亮政との戦は激戦となり一鉄の父と兄5人が討死してしまいます。
そのため一鉄は呼び戻され還俗し、
叔父・稲葉忠通(いなばただみち)の後見の元、
家督と曽根城を受け継ぐのです。
戦国時代の定めとはいえ、突然身内が6人も亡くなってしまうのは悲しすぎますね。
それにわずか11歳ほどで突然領主に祭り上げられて
プレッシャーも感じたのではないでしょうか・・。
少なくとも私なら先行き不安でたまらなくなりそうです(笑)

1.1 美濃斎藤家の重臣として躍進

曽根城の城主となった稲葉一鉄土岐頼芸に従っていましたが
斎藤道三が美濃を乗っ取ると、道三に従います。
そして道三の下では、
氏家卜全(うじいえぼくぜん)安藤守就(あんどうもりなり)と共に
西美濃三人衆の一人として名を挙げます。
ちなみに一鉄以外の西美濃三人衆二人の記事は
以前こちらで書いていますので読んでない方は是非とも。

tsukumogatari.hatenablog.com

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また、道三とその息子・義龍との仲が険悪となり
遂に両者が争うようになると義龍に味方をします。
これはもしかすると姉が義龍の母であることが関係しているかもしれませんね。
義龍は早くに亡くなってしまいますが、
一鉄はその子・龍興の代も織田信長の美濃侵攻を止めるべく、
1561年の森部の戦いや1562年の軽海の戦いなどで活躍します。
しかし、龍興は酒色に溺れるようなダメ主君であり、
西美濃三人衆たちの諫言を聞き入れず自分に近い家臣ばかり寵愛するようになります。
一鉄の龍興への信頼感が次第に薄れていくことになります。
そんな最中に竹中半兵衛安藤守就によって稲葉山城が占拠される事態が発生します。
半年ほど後に稲葉山城は龍興に返却されるのですが、
この事件を契機に一鉄を始めとした西美濃三人衆は織田信長に寝返り
これが大きな痛手となって斎藤家は滅亡の道を辿ることになるのです。

1.2 織田信長にも重用され数々の戦功を挙げる

信長に仕えて以降、西美濃三人衆として覚えも高かったこともあり
信長に重用されて以下に示すような数々の主要戦線でその武功を発揮しています。

このうち1573年一乗谷の戦いでは朝倉義景を追い詰めるなど
各戦線で活躍したことから美濃清水城を与えられています。
この一覧をみればわかるとおり、
一鉄は信長の天下取りへの軌跡を
信長と共に歩むように様々な主要な合戦に参加しています。
稲葉氏は元々美濃においても独立気質の高い国人だったそうですが、
織田信長とは馬が合ったんでしょうか、
逆らうこともなく織田家によく尽くしていたみたいですね。

そして1579年には家督と曽根城を嫡男・貞通(さだみち)に譲って
一鉄自身は美濃清水城へ移ります。
1582年には甲斐武田攻めで凱旋した織田信長を領内で饗応したそうです。

それにしても西美濃三人衆は3人それぞれでだいぶ明暗が分かれてしまいました。
氏家卜全は1571年の第一次長島侵攻で殿を務めて討死してしまっていましたし
安藤守就にいたっては、過去の謀叛の嫌疑から1580年に突然織田家から追放されます。
一鉄は世渡り上手っていうイメージはありませんけど、
その実直さと頑固さが信長にも好印象を与えていたのかもしれません。

1.3 本能寺の変明智光秀との関係、そして豊臣政権の時代へ

1582年明智光秀が本能寺において織田信長を倒す、所謂本能寺の変が起きます。
一鉄はこの時、美濃国人衆に呼び掛けて
岐阜城に斎藤利堯(さいとうとしたか)を擁立し、
明智光秀とは対立する動きを見せます。
斎藤利堯は斎藤道三の息子であり、
母は深芳野、つまり一鉄の姉と言われている人です。
擁立したのは身内で斎藤家に残された跡取りということもあるんでしょうけど
明智光秀とはそもそも反りがあっていなかったと思われます。
以前、明智光秀の宿老として有名な斎藤利三の記事でも書きましたが
一鉄は、光秀に自分の家臣であり娘婿の斎藤利三を引き抜かれているのです。

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さらに斎藤利三経由で別の家臣・那波直治も引き抜かれたため、
それに怒った一鉄は信長に訴え出たほどです。
こういう経緯もあって明智方に与する機は起きなかったのかもしれませんね。

一方で、信長から追放されていた西美濃三人衆の一人、
安藤守就は光秀と手を組んで挙兵し、
北方城(元々守就の居城だった)を奪還
さらに本田城を攻撃してきたため一鉄は安藤守就と交戦。
一鉄はこの戦いで勝利を収め、安藤一族は自害して滅亡します。
これ以後も美濃国内では諸将が頻繁に争うような事態となり、
一鉄も娘婿の一人である揖斐城主・堀池半之丞と戦って
その領地を支配化に置いています。
また、斎藤利三の娘で一鉄の孫娘であるお福(後の春日局
稲葉家に引き取られて成人するまで美濃清水城で過ごしたといわれています。
そのためお福は稲葉一鉄の薫陶を受け、
馬術や武芸にも秀でていた
といわれていますね。

明智光秀山崎の戦い羽柴秀吉に敗れて以降は
一鉄は羽柴秀吉に従います。
信長の三男・織田信孝が美濃岐阜城を相続したんですが、
信孝とは相性がよくなかったのか、対立していたいました。
これも秀吉側につく要因だったのでしょう。
その後の賤ケ岳の戦い、小牧・長久手の戦いでも
秀吉勢として参戦し武功を挙げています。
小牧・長久手の戦い以降の戦では前線に出ることはなかったようです。
もうこの時既に70歳ぐらいですしね。
そして1588年11月19日
居城である美濃清水城で亡くなったといわれています。
享年74歳

一鉄は戦働きでも名を挙げていますが、
茶道や能にも造詣が深く、医学にも関心があったようです。
一鉄愛用の能面が大垣市の指定文化財になっていたりしますから
文武に秀でた武将としても名高かったことでしょう。

1.4 数ある逸話の中でも信長に殺されそうになった話が出来過ぎている

稲葉一鉄も逸話が数多い武将の一人です。
その中でもやはり一番一鉄のかっこよさを伝える逸話は
嘘の諫言によって信長に殺されそうになった話でしょう。

ある時、信長の家臣のだれそれが一鉄のことを貶めるために
信長に讒言します。要は一鉄が謀叛を起こそうしていると嘘八百並べたわけです
それを信じるべきかどうか確かめるために信長は一鉄を茶会に招きます
謀叛が真実とわかればその場で殺してしまおうということです。
一鉄も招かれた理由を察していたようなんですが、
茶室にあった掛け軸に書かれていた
虚堂智愚(きどうちぐ、中国・南宋時代の禅僧)漢詩を読んで見せます。
茶室で接待役を務めていた武将がその意味を尋ねると、
詳しく解説したばかりか、
自分は信長に逆らう機などさらさらなく、
今後も忠義を尽くすことを滔々と話したそうです。
裏で聞いていた信長はこれに感嘆し、
茶会へ招いた本当の理由を話した上で謝罪をしたそうです。
信長から真実を打ち明けられた一鉄は感謝を伸べるとともに
殺されるにしても一人ぐらいは道連れにしようと思って
懐剣を忍ばせていたことを打ち明けるのです。
信長はこれを聞いてさらに感心したとか。
話としては出来過ぎてて作り話し感が否めない気もしますが(笑)、
一鉄の教養の深さと武人としての心意気が伝わってきますよね。
さすが60年あまり戦場を生き抜いてきただけあって懐も深いし器も大きい!
こんなお爺ちゃんに教育されたんだったら
春日局後の徳川幕府で権勢を振うことになるのも納得できちゃいます。

2.「麒麟がくる」での稲葉一鉄

麒麟がくる」では村田雄浩さんが稲葉一鉄を演じます。
稲葉一鉄明智光秀とは結構かかわりが深い。
明智五宿老の一人、斎藤利三は娘婿ですし、そもそも一鉄の家臣でした。
光秀に利三が引き抜かれたことをよく思っていなかったでしょうし、
明智光秀が謀叛を起こしたことによって、
娘とその子供たちは謀叛人のレッテルを貼られて
表には出られない生活を送ることにもなりました。
光秀との関係性はあまり良くは描かれないと思いますね。
この辺は明智光秀が信長の家臣となって以降の話ですが
それ以前では、斎藤家の中でも有力な西美濃三人衆の一人ですから
序盤からも頻繁に登場してくることだろうと思います。
演じる村田雄浩さんは軍師官兵衛
宇都宮鎮房(うつのみやしげふさ)を演じていたのが記憶に新しいです。
武骨な武将をうまく演じてくれた印象が強いので
今回も頑固一徹な一鉄を好演してくれることでしょう。
ちょっと優し気な面が強い気もするけど、どうでしょうね(笑)

3.信長の野望シリーズでの稲葉一鉄

信長の野望シリーズでは稲葉一鉄は欠かせない武将の一人
毎回内政から軍事まで長けた有能な武将としての評価値を与えられています。
西美濃三人衆の中でも最も優れた能力値です。
三人の中で天寿を全うしたのは一鉄だけですし、
安藤守就に至っては一鉄に敗れて自害しちゃってますからね。
そして信長の野望・創造 戦国立志伝での評価値はこちら。

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ほぼ70平均という能力値の高さ
そしてこの稲葉一鉄、ゲーム内では
寝返ってくれやすい武将の一人です(笑)
大垣城の城主スタートだったりするので
いきなり大垣城ごと手に入ってしまったりします。
元々稲葉氏が独立気質が強くて、他国へ臣従という形を
とっていなかったことが影響してるのかもしれませんけど
稲葉一鉄のことをゲームだけからしか知っていない人は
裏切者的なイメージが強そうです。
寝返ったのは斎藤家からだけなんですけどね。
しかも、寝返られても仕方のない人が斎藤家の当主でしたし(笑)

4.まとめ

今回は頑固一徹で有名な稲葉一鉄でした。
武芸のみならず、文化・教養にも造詣のあった文武両道の人です。
信長との逸話にあった漢詩の朗読は
幼い頃に快川紹喜の下で真面目に修行をしていたからなんでしょうね。

そういえば、もう一つ逸話を。
1577年の紀州征伐の時の話。
信長は敵対する雑賀兄弟を降伏させるために使者を送ります。
が、使者が帰ってきません。
説き伏せることができず殺されてしまったんでしょうね。
もう一度使者を送るんですが、この使者が稲葉一鉄
稲葉一鉄無事帰ってきたばかりか、雑賀兄弟を説き伏せることに成功するのです。
信長は何故一鉄は殺さずに降伏したのかを問うと、
最初に来た使者は尊大かつ横柄だったので殺したけど、
一鉄は礼儀正しく武士としての風格も立派だったから
感銘して降伏することにした、と言うのです。

こういう敵を感服させるような素行の良さも、
やっぱり元々僧として修業をしていた経験によって
培われたものなのかなぁ、
私もお寺で修業していたらもっと・・・(笑)

というわけで、今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!