歴史人物語り#85 六角家臣でありながら織田信長びいきの小倉実房と、その妻説もある織田信長の側室・お鍋の方はフィギュアスケート選手だった織田信成の先祖!?

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今回は六角家臣で蒲生氏とも縁の深い小倉氏の庶流、
小倉東家の小倉実房(おぐらさねふさ)
そしてのその妻、お鍋の方(おなべのかた)
於鍋の方は後に織田信長の側室となった人ですね。
麒麟がくる」にはお鍋の方はもしかしたら登場するかも?

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では今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。


1.小倉実房(おぐらさねふさ)とは

通称右京亮
生年は不明。父は小倉賢治
妻は高畑源十郎の四女で、後に織田信長の側室となったお鍋の方
※お鍋の方については2章で後述。

小倉氏は蒲生定秀(がもうさだひで)の息子・実隆(さねたか)
小倉宗家を継いだことは二人の記事でも書いています。

tsukumogatari.hatenablog.com

元々、小倉家と蒲生氏は縁戚関係で
小倉氏の中でも室町時代の中期に活躍し
文武の名将と謳われた小倉実澄(おぐらさねずみ)の母は蒲生秀綱の姉であり
実澄の正室蒲生秀綱の娘
さらに小倉実澄と同時代に生きて蒲生氏中興の祖と言われる
蒲生貞秀は蒲生秀綱の娘を正室として蒲生氏を継いだ婿養子なんですが
蒲生貞秀の父は蒲生秀綱の弟で和田氏を継いでいた和田政秀だったりします。
この頃の時代の関係って絡み合いすぎてて
文字見てるだけだと混乱してきます(笑)

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要するに小倉実澄と蒲生貞秀は従兄弟同士であり
対立することなく共に強力して応仁の乱など乱世の時代を
生き抜いた名将の2人なのです。
蒲生定秀の子・実隆が小倉宗家に男児がなく継承したのも
こういう系譜があってのことだろうと思います。
ちなみに小倉実澄は多賀貞能(たがさだよし)の先祖でもある
多賀高忠とも交流が深く、弓は多賀高忠から学んだそうですし
応仁の乱では共に東軍に属して戦ったということです。

tsukumogatari.hatenablog.com

さて、この小倉宗家には庶流として小倉西家と小倉東家がありました。
小倉西家は神崎郡御園庄を支配し
山上城を本拠地としつつ、その周辺を八尾城などの支城で固めていました。
また小倉東家は愛知川小倉庄を支配高野城および小倉城を本拠としていました。
この小倉氏庶流家は、戦国時代に入ってから独立色を強め
小倉宗家と対立するようになります。
蒲生氏郷の子・小倉実隆は庶流家と内乱状態にある小倉宗家を継いで
争いの最中討死してしまったというのはこちらの記事でも書きました。

tsukumogatari.hatenablog.com

今回の小倉実房は小倉東家の当主であり高野城を居城としていました。
六角氏の臣ではありましたが、
織田信長との親交は信長が尾張を統一する以前からあったとも言われていて
信長が1559年に上洛して尾張へ戻る際には
美濃国人衆からの襲撃を避けるために
小倉氏の領地から伊勢へ抜ける道を選んでいるんですが
この時に道案内役をしたのが小倉実房と言われています。

また、1570年の金ヶ崎の戦いで京へ命からがら脱出した織田信長
千種越えで岐阜へ帰還する際にも小倉実房は手助けをしています。
※ちなみにこの千種越え中の信長を狙撃して失敗したのが杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)です。

この手助けに激怒したのが六角義賢
六角義賢織田信長とは対立し、
この頃は既に居城であった観音寺城も信長に奪われていましたが、
甲賀で体制を整え直し織田軍とのゲリラ戦を展開していました。
激怒した六角義賢は小倉実房討伐の軍勢を派遣し、
小倉実房は討死。
小倉東家は攻め滅ぼされてしまいます。
※この時討伐に向かったのは蒲生定秀の軍勢と言われていますが、
息子の蒲生賢秀は信長に既に降伏して臣従しています。
父・定秀は共に臣従していなかったのか、ちょっとこの辺がよくわかってません。
小倉家の内訌によって滅んだという話もあったりしますが
これはもう少し前の1564年頃の話なので時代がちょっとずれてはいるものの
話の辻褄はこっちの方が合いそうな気もします。
でもそうすると千種越えを手助けしたのはどの小倉さん?ってことになり
まだまだ不勉強、不見識な自身を改めて感じるところです。

信長は小倉実房には恩義を感じていたのかもしれませんよね。
小倉実房が亡くなった後、
その子である甚五郎と松寿の2人を
織田家家臣として迎えており
お鍋の方は信長の側室として迎えられています。
※多分お鍋の方が好みだっただけですかね(笑)

2.お鍋の方(おなべのかた)とは

諱は興雲院(きょううんいん)
生年不明。父は近江の野洲郡北里村の土豪
高畑源十郎と言われています。
織田信長の側室となる前は、
今回紹介した小倉実房の正室だったという説があり
二人の子ども、小倉甚五郎と小倉松寿をもうけたと言われています。
そして、夫の小倉実房が六角義賢の怒りを買って攻め滅ぼされると
お鍋の方は織田信長に身を寄せます。
信長はお鍋の方と子供たちふたりを庇護し
お鍋の方は織田信長の側室に
子供二人も織田家の家臣となって近江に本領地を与えられます。

また織田信長の側室となってからは3人の子どもを産んでいます。
織田信高(おだのぶたか)織田信吉(おだのぶよし)
そして於振(おふり)の三人です。
ということは小倉実房の子どもも入れると
5人の子どもを産んでいることになります。
子宝に恵まれた方ですよね。

しかし1582年に本能寺の変が起きて信長亡くなってしまいます。
次男の松寿は御番衆として京都町内で宿を取っていたところ
本能寺の変の報を聞いて本能寺に向い、
明智光秀の軍勢と戦って討死したそうです。

織田信長と息子を亡くしたお鍋の方は
本能寺の変後の6月6日
美濃の崇福寺(そうふくじ)を信長の位牌所として定め
誰の反論も認めないといった内容の自筆の手紙を
崇福寺の住職に送ったとも言われています。
信長の位牌の安置や菩提を弔う行為などを
このお鍋の方が取り仕切っている辺り、
織田家中でのお鍋の方の地位は相当高かったんでしょうね。
そのためか、羽柴秀吉が後に天下のかじ取りを取るようになっても
庇護されて化粧領として近江の神埼郡高野村で500石を与えられていますし
息子の甚五郎も加賀の松任城主に任じられるなど重用されていたようです。

しかし秀吉が亡くなった後におきた天下分け目の戦い、
関ヶ原の戦いでは、息子の織田信吉が西軍についたために
化粧領を取り上げられてしまいます。(信吉は改易)
その後は、豊臣秀頼がお鍋の方に50石の知行、
北政は30石の知行を与えて
二人でお鍋の方の晩年を支えたそうです。
そして1612年の7月23日に京都で亡くなったと言われています。

そういえば織田信高の子孫と称しているのが
フィギアスケート選手だった織田信成さん。
ただ客観的に裏付けるような証拠はないそうですけどね。
いずれにしても、織田信高の子孫は後に徳川幕府幕臣となって
明治維新まで高家旗本として存続しています。

また、娘の於振は始めは三河水野藩主の水野忠胤(みずのただたね)に嫁ぐんですが
1609年に家臣が起こした刃傷事件が元で切腹を命じられてしまい
藩は改易となってしまいます。
ちょっとこの辺りはお母さんと境遇が似ているような。。。
その後は水野忠胤との子供は水野家に残したまま
本人は従兄の佐治一成(さじかずなり)と再婚しています。
ちなみにこの佐治一成織田信長の妹のお犬の方の子ども
※これも諸説あるんですがここでは子どもということで進めます。
そして於振は継室であり、その前の正室と言われているのが、
浅井長政の三女であり徳川幕府2代将軍・徳川秀忠正室となっ江(ごう)なのです。
2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を視聴した方ならご存知でしょう。
この時は平岳大(ひらたけひろ)さんが佐治一成を演じていました。
佐治一成と再婚してからの様子は伝わっていませんが
戦乱も終わった世の中ですから
平穏に暮らすことができていたと思いたいですね。

3.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの小倉実房とお鍋の方

麒麟がくる」では小倉実房もお鍋の方も登場するかどうか微妙なところ。
お鍋の方は、織田信長の側室の中でも地位が高そうですし
過去の大河ドラマでも出ていたいたりするので
登場する可能性はあるかと思いますが、
明智光秀忠臣のストーリーだとどうでしょうかといったところ。
キーになるのは息子の小倉松寿かも?
松寿は信長に仕えて本能寺の変でも明智軍と戦って討死しています。
この松寿がお鍋の方や兄の甚五郎と共に
織田家へ迎える仲介をしたのが明智光秀
みたいなストーリーとかだと面白くなる?(笑)

信長の野望シリーズにおいては
小倉実房どころか小倉氏は誰一人登場しません。
お姫さも登場する人は登場するんですが
お鍋の方は多分登場したことがないんじゃないかと思います。
信長の正室と言われている濃姫帰蝶)は
イベントも込みで登場しますが、
織田信忠や信雄を生んだ生駒の方も登場しませんしね。
確か最新の「大志」だと側室システムあったと思うんで
この辺のシステムが充実するようになると
いろんなお姫様も登場する機会は増えるのかもしれません。
ただ現状で姫武将として登場してる人たちって
有能な人ばっかなのはどうなんだろうって
ちょっと思わなくもないですが(笑)

4.まとめ

今回は六角氏の家臣でありながらも
織田信長と親交が深かったと言われている
小倉実房とその妻の説があるお鍋の方でした。
今回この記事を書きたかったのは
平岳大さんの名前を出したかったのが一番大きいかも(笑)
真田丸武田勝頼を演じられていましたが
武田勝頼のイメージがだいぶ変わっちゃったんですよね。
もちろん良い方になんですが。
描写のされ方にもよるとは思いますけど
平岳大さんの演技がとても好印象でした。
大河ドラマでは「篤姫」にも徳川慶喜役で出演されてましたし
麒麟がくる」では現状キャストとして名前あがってませんけど
誰かしらの役で登場したらいいなぁと思ってたりします。

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!