今回は久々に明智五宿老に戻って、
明智光忠(あけちみつただ)のご紹介です。
五宿老としては4人目ですね。
「麒麟がくる」にちなんで明智光秀の家臣や明智光秀に深く関わった人物を
中心に紹介し始めてこれで7人目です。
まだ二桁いってなかったのでまだまだ足りない感じですね!
目指せ100人!(笑)
それでは今回のお品書きはこちらです。
ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たちは
以下の一覧記事にまとめてあります。
その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。
まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。
1.明智光忠(あけちみつただ)とは
通称次右衛門。
明智光秀の叔父・明智光久(あけちみつひさ)の子とされています。
つまり、明智光秀の従父弟です。
1540年生まれですから、1528年説の明智光秀からするとちょうど一回り違うんですね。
(明智光秀には1516年説と1528年説がありますが、「麒麟がくる」では1528年説)
ちなみに安田作兵衛でプレイ日記をお送りしている
信長の野望・創造 戦国立志伝では登場しません!
信長の野望シリーズ最新作大志でも確かいません。
今までもしかしたら信長の野望シリーズでは登場したことがないかもしれません。
「麒麟がくる」の活躍次第では
今後の信長の野望シリーズで登場することになるかもですが。
さて話を戻しましょう。
本能寺の変の計画を事前に知らされていた一人、明智五宿老でもあるので
光秀からすると頼りがいのある弟といった感じで
可愛がっていたのかもしれませんね。
光秀の丹波攻めの際には、亀山城(亀岡城とも)や八上城の
留守居や城主を任されたりしているので光秀の信任が厚かったことを伺えます。
本能寺の変では、本能寺への攻め手として出陣し戦果を挙げた後、
織田信長の嫡男であり既に家督を譲られていた
織田信忠が籠る二条城へ向かいます。
この二条城の戦いでも、
織田信忠を自害に追い込む活躍を見せますが、
この際に鉄砲で撃たれて重傷を負ったそうです。
その療養のため京都の知恩院で過ごしている間に、
山崎の合戦で明智光秀が羽柴秀吉に敗れて光秀が亡くなったことを知ります。
それを知った光忠は、坂本城に向かって残っている明智一族共に籠城しますが
羽柴勢の大軍には到底敵うはずもなく、最後は自害して亡くなりました。
享年43歳でした。
本能寺の変の計画を聞いた際に反対したというような話を聞いたことはありませんが、
当時織田家随一の活躍を見せていた光秀を
誇れる兄のような存在として見ていたかもしれないと思うと(勝手な妄想w)
反対するよりも光秀に付き従うことを覚悟したのかもしれませんね。
私が光忠の立場だったら、
『自慢の兄貴がそう言うなら信長をやってやりますよ!
天下とりましょう!』
ぐらいの勢いでついていきそうです(笑)
2.「麒麟がくる」での明智光忠は?
明智光忠の配役はまだ発表されてはいませんが、明智五宿老の一人ですし
登場することは間違いないと思います。
「麒麟がくる」では光秀のどれぐらいの年代から描かれるのかにもよりますが、
幼年期から光秀の従父弟として出てくる可能性はありますね。
元服が16歳ぐらいだとすると1556年、
この年は斎藤道三が息子の斎藤義龍に攻められて亡くなった年です。
明智家は当時斎藤道三方であったため(城主であった明智光安の妹が道三の継室だった)
斎藤義龍軍に攻められて、明智家は離散してしまいます。
この時に光秀と光忠が一緒に行動していたかどうかはわかりません。
物語的にはここで光秀とその他の家臣たちの多くが散り散りになってしまい
後々光秀の噂を聞いて駆けつけてくる感じなのかなぁと勝手に妄想しています。
なので、光忠も織田信長に光秀が仕えてから本格的に出てくるのかなぁと。
丹波攻めの際には光忠も活躍しているので、
この頃から物語の中心人物の一人として話を盛り上げてくれそうです。
そして負傷はしてしまいますが、
本能寺の変は見せ場の一つになるでしょう!
3.余談:物語にどこまで史実性を求めるのか
書いてる途中でふと思ったんですが、
よく大河ドラマだと視聴者から史実と違うことについてクレームがくるみたいです。
私も昔は作り物の世界であってもなるべく史実に従ってもらわないと
嘘くさいと思うタイプでした。
でも、考えてみると
史実って本当にどこまでが史実なんだっていうところがあります。
昔の話って、確定的に誰がみてもこのはずだって決まっている事実はいいんですが
そこまで確定できないものの方が多いんじゃないかと思うんですよね。
(あくまでも個人的勘ですw)
例えば、というか、戦国時代とか幕末時代ぐらいしかよくわかっていない私ですが(笑)、
戦国時代の資料って、どれが本当なの?っていうぐらい
資料によって記載が違うものがあったりしますし、
そもそもが明智光秀のような大事件を起こしたような人物であっても、
その半生は不明な点が多いです。資料がないですからね。
織田信長や羽柴秀吉、徳川家康のような英傑たちは
確かにいろいろ資料残っていますけど、
それも本当にどこまで真実なのか。
織田信長側の人間が書けば、織田信長に対して良いフィルターがかかった状態で
書いているかもしれないし、その逆も然りですよね。
英雄とは人によって形作られるもの、とも言います。
つまり、何が言いたいかというと
真実は結局その当時のその当人たちにしかわからないのです。
私たちがどんなに当時のいろんな資料を漁って見比べて整合性を確認したところで、
全てがわかるわけじゃないですよね。
タイムリープやタイムトラベルができるようにならない限り、
坂本龍馬暗殺の主犯は誰だかわからないんです(笑)
(だからこそその謎解きが楽しいっていうのもありますけどね!)
だいたい研究の過程で史実だったものが史実じゃなくなってることもありますよね(笑)
※もちろん歴史を研究している方々が限られた資料の中で
真実は何かを見極めようと日々尽力されていることは尊敬しています。
そういった活動を否定する気はさらさらないし、むしろ、私としてはそちら側にいきたいです(笑)
なので、ドラマや小説などの創作物では史実とされていることを
どれだけ忠実に書いているのかも見ますけど、
どちらかというと脚本家や小説家が史実も仮説も含めてどのように捉えて
それを物語に描こうとしているのかを考えながら、
そうしてできあがったストーリー自体を純粋の楽しむことにしています。
私がこの歴史人物語りで伝えている話はほんの一端に過ぎませんし
こういう人が昔いたんだなっていうぐらいの感覚で
読んでもらえればいいと思っています。
皆さんも、「麒麟がくる」は是非ストーリー自体を楽しんでください。
仮に今まで唱えられてきた本能寺の変の説とはまったく違うものになっても
それはそれで脚本した方の考えや意図を感じながら視た方が
より物語として楽しめるのではないかと思っています。
創作物と研究は線引きをして分けて捉える方が
歴史をより楽しめるんじゃないかなって。
4.まとめ
今回は明智光秀の従父兄で明智五宿老の一人、
明智光忠をご紹介しました。
「麒麟がくる」のおかげで誰を書くかっていうこと自体には困らないんですが、
最近よく困ってることがあります。
それは、あまり資料が残っていない人の場合、
書くネタに多少困ることです(笑)
有名武将(といっても戦国時代好きな人から見た有名武将という意味ですが)とかだと
書ききれないぐらいたくさんあったりするんですけど、
それはでも仕方がないので、
今回みたいに全然関係ない話を書き出している時には察してください!(笑)
そうえいば、今期(2019年7月時点)のアニメで
『胡蝶綺 ~若き信長~』というのが放映されていまして、
歴史人物語り1回目で紹介した池田恒興が主要キャラクターで出てきているんですよね。
そんな事情もあって第1回の池田恒興をリライトしました。
※基本的に過去記事は定期的に見直しをかけてリライトしています。
たまにGoogle検索で私のページに間違って辿り着いちゃう方もいるみたいなので(笑)
ちなみに『胡蝶綺麗~若き信長~』はAmazonプライムでも見れますので興味ある方は是非。
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!