ツクモガタリ

本サイトはプロモーションをふくみます!

「麒麟がくる」第28話は本能寺の変への足跡が聞こえる回

スポンサーリンク

「麒麟がくる」第28話は本能寺の変への足跡が聞こえる回
NHK大河ドラマ麒麟がくる」で学ぶシリーズの
麒麟で学ぶ」
第28回目です。
今回の記事を読むと以下の事がわかります。

  1. 陶芸家になれるゲームが面白いw
  2. 松永久秀筒井順慶の関係
  3. 摂津三守護
  4. この時代にも春日局がいたw
  5. 本国寺の戦い参戦メンバー
  6. しれっと奉行を任される村井貞勝
でもこれらが何に役立つのかはわかりませんw

さて本シリーズの前提事項的なものを
毎回0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると
助かります。
既に読んだことのある方は
読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは「麒麟がくる」の
ネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃して
まだ視聴されていない方は
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオ
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれると
いいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

※本記事掲載のAmazonプライムビデオおよびU-NEXT配信情報は、2021年3月31日時点のものです。
最新情報については各サイトにてご確認ください。

しかしネタバレ含んでいるけど、
本記事を読んでから視聴すると
少し前提知識が入った上での視聴になるので
それはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分については
こちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる」公式サイト公式Twitterもブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめると思いますので
まだの方は是非とも。
→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

0.本記事を読むにあたっての前提など

1.「麒麟がくる」第28話「新しき幕府」からの学び

足利義栄、摂津富田で亡くなる
まずは全体の感想からなんですが
先週先走って
足利義栄を亡くなったことにしてしまったこと
謝罪致します、
本当に申し訳ありませんでしたw

今井宗久が「倒れた」っていうから
つい亡くなってしまったものばかりと・・・。
確かに亡くなった時期的にちょっと早いから
そこで気づいても良かったんですが
死亡時期が諸説ある方だけに
私の知らない死亡時期があったりするのかも
というのもあって
勝手に葬ってしまいましたw

さて、十兵衛ついに幕臣に取り立てられまして
※正確には幕臣ではないらしいw
本国寺襲撃の際には
足利義昭の安全を確保したり
壊れたお寺の修復を部下に指示出したり
望月東庵先生が自分の事のように
そのご立派ブリを自慢するほどの出世ぶり。
いつの時代にも人脈は大事ですね~。
まぁ正直十兵衛は
動くのが遅すぎな気がするんだけどw

そして信長さまと十兵衛の関係が
毎回どこかしらズレが生じている印象。
十兵衛は朝倉氏討伐も乗り気じゃない?
本能寺の変ラソン
既に始まっているのでしょう。
これから幾つもイベントがある中で
どこでペースがあがるのか。
砕かれた石仏を見て何か感じている明智十兵衛光秀
破壊された石仏を見て
違和感を感じている十兵衛は
比叡山焼き討ちの時は
どんな表情を見せるんでしょうか。

といった辺りでそろそろ本題へ。

ちなみに第28話の公式サイトのトリセツ
こちらです。

足利・織田政権の組織図には
十兵衛が幕臣ではなく奉公衆に従属していて
幕臣扱い』と説明があります。
この辺は何かの文献で細川藤孝の臣であった
みたいなのが書かれていたのを
採用した設定なのかな。
まぁでも足利政権を支える
織田家との重要な橋渡し役だし
足利義昭からの信頼も厚いので
三淵藤英や細川藤孝並みの扱いを
受けてる感じですよね。

→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は永禄11年(1568年)9月スタート
というわけで今回は年齢加算は無し。

追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなった
と判明した人物に関しては
こちらの一覧からは削除して
後述の亡くなった人を弔う章に
引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人とか
年齢設定不明な人以外の生年については
Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

1.1.足利義昭上洛からの学び

松永久秀が信長さまに献上した九十九茄子の茶入れ
松永久秀に織田信長に献上したのは九十九茄子
松永久秀が信長さまに献上するために持参した
九十九茄子の茶入れ。
こちらについてはトリセツにも
詳しく説明があります。
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/28.htmlwww.nhk.or.jp
九十九茄子の茶入れは
九十九髪茄子または付藻茄子と呼ばれる
唐物茄子茶入れで
天下三茄子と呼ばれる大名物です。
天下三茄子とは、茶道具の茶入れの中でも
特に優れた三つの茄子茶入れのことを指していて
九十九茄子の他が松本茄子富士茄子
茄子茶入れはその名の通り
茄子の形をしています。
麒麟がくる」では出てきていませんが
今井宗久も『紹鴎茄子』と呼ばれる茶入れを
信長さまに献上しています。

ちなみにこういう陶器を作るゲームが
あったりしましす。
『陶芸マスター』というゲームで
steamで購入できます。
陶器を作る様子をこちらの動画で
紹介しているので覗いてみてください。
やりだしたら結構ハマりますw

【陶芸マスター】410円で陶芸家になれる神ゲーがあった!【MASTER OF POTTERY】

松永久秀の大和での働き
久々に芥川城で再会する松永久秀と明智十兵衛光秀
十兵衛が松永さまの大和での働きを
信長さまも重々承知している

とかなんとか言ってました。
その松永久秀がこの信長さま上洛までの間に
どんな状況にあったかについては
こちらの記事で既に言及しています。
tsukumogatari.hatenablog.com
要は三好三人衆と対立して争っていたわけで
三好家当主の三好義継も
三好三人衆とは袂を分かち
松永久秀と共闘して
信長さまの上洛にも協力しています。
麒麟がくる」だと三好義継は
宙ぶらりん状態な気がしますが。

信長さまの上洛後は松永久秀は大和を
三好義継は河内北半国と若江城*2の領有を
許されています。

松永久秀も三好義継もいずれ信長さまと
一悶着起こすことになるんですが
それはもう少し先のお話。

池田城主の池田勝正伊丹城主の伊丹親興
最後まで織田軍に抵抗した池田城主・池田勝正と伊丹城主・伊丹親興
池田城主の池田勝正伊丹城主の伊丹親興が
名前のみの登場。
池田勝正も伊丹親興も最後まで信長さまに
抵抗したというようなことを
柴田勝家が言ってましたね。
この池田勝正も、伊丹親興も
信長さまから摂津の支配を任された
所謂「摂津三守護」と称された二人で
三守護のもう一人が
これまた名前しかまだ出ていない和田惟政です。
和田惟政足利義昭が永禄の変後に捕らわれた後
脱出して一時期隠れ住んでいた館の主ですね。

池田勝正に関しては信長の野望シリーズにも
登場する武将で、後の金ヶ崎の戦い
十兵衛、藤吉郎と共に殿を務めます。
信長の野望・創造 戦国立志伝の池田勝正
結構功を成してることが残ってるのに
信長の野望では能力が低いっていう。。。
そして果たして「麒麟がくる」では
殿を務められるのかどうか見物ですw

伊丹親興は信長の野望シリーズには未登場?
ちょっと古い作品でどうなのかが
よくわからないんですが
少なくとも創造、戦国立志伝、大志には
登場していません。
伊丹親興は摂津の有力国人の出身
元は細川晴元の臣であり
三好長慶とは対立していました。

細川晴元三好長慶に敗れた江口の戦いでは
三好長慶軍に居城の伊丹城を包囲されるものの
退くことなく城を守り通して
最終的には和睦に持ち込んでいます。

また、三好長慶が亡くなった後も
三好三人衆と反目していた
松永久秀の味方となって加勢し
前述の池田勝正とも戦っています。

しかし、三好三人衆方の阿波三好氏や
讃岐十河氏を実質的に纏めていた篠原長房が
兵庫浦に上陸し、その攻勢が激しくなると
三好三人衆方に降りました。

これが永禄10年(1567年)9月頃の話なので
足利義昭や信長さまの上洛1年前ぐらいです。

三好三人衆方ではあるけれども
元は三好家とは相対していたのが
伊丹親興なんですよね。

信長公記」だと池田勝正が抵抗したことは
記述があるんですけど、伊丹親興に関しては
一切触れられていないので
抵抗なく降伏してそうな気もするけど
その辺実際はどうなのか。

それと「麒麟がくる」では触れらなかったけど
池田勝正も伊丹親興も本国寺が襲撃された際には
細川藤孝や三好義継らと共に救援に向かって
三好三人衆を撃退しています。

三好氏から奪った芥川城
三好の本拠地・芥川城を占領する織田軍
三好三人衆の一人である三好長逸細川昭元
立て籠もっていた芥川城でしたが
情勢不利と見て三好長逸らが退城したために
織田方の城となって足利義昭も入城しました。
この城は後に和田惟政の居城となり
前述のとおり、和田惟政は摂津三守護の一人として
摂津の支配を任されることになります。
されど和田惟政は配役も無く名前のみの登場
というのがちょっと切ないですw

信長公記」によると信長さまたちが
芥川城に滞在していたのは2週間ほどで
その間に近隣諸国の者たちが献上品を持参して
信長さまに挨拶する人々でごった返しだった
ということが書かれています。
今井宗久もこの芥川城に訪れて
信長さまに茶道具を献上したっぽいけど
麒麟がくる」ではその辺描かれませんでした。

政所頭人摂津晴門
政所頭人の摂津晴門
政所頭人摂津晴門が初登場。
この方は幕臣であり前将軍の足利義輝の時にも
政所頭人を務めていた人です。
生没年不詳なので年齢がどれぐらいかは
よくわからないんですが一説には
1500年代後半の生まれで
1560年代には60近かったのではないか
という話もあります。

摂津晴門の務めた政所頭人とは
幕府の財政や領地に関する訴訟を掌る職
室町幕府では長い間
伊勢氏が世襲していました。

この伊勢氏の幕府内での権力は
将軍の決定を覆すほどに強いものであり
足利義輝からすると邪魔な存在に。
そもそも足利義輝細川晴元三好長慶と争った
北白川の戦いでは伊勢貞孝は三好方として
参戦しています。
ただし松永久秀の台頭によって
伊勢貞孝の力も次第に失速していき
最終的には三好長慶から怒りを買う事態を
引き起こして、失脚に追い込まれます。
追い込まれた伊勢貞孝は京の船岡山で挙兵。
その追討を三好長慶から命じられた
松永久秀と戦って討ち死にしてしまうんです。

伊勢氏はこれで没落してしまうんですが
伊勢氏の代わりに新たな政所として
足利義輝に目をかけられたのが
摂津晴門だったわけです。
摂津晴門は父・元造の養女の春日局*3
足利義輝の乳母を務めていたという縁もあって
足利義輝とは近い存在だった
父が務めていた官途奉行や地方頭人などを
継いでいて三好氏や京都要人との人脈も
広かった
ことから、政所頭人として
採用されたと言われています。

そして足利義輝が襲われた永禄の変では
摂津晴門嫡男・糸千代丸が13歳で
討死
しているそうです。

その後は、三好一派が推した足利義栄
伊勢貞孝の孫・伊勢貞為の出仕を
認めたことに反発して京を離れたそうです。
足利義栄の将軍宣下式でも出席を拒む一方で
足利義昭元服では奉行を務めています。
なのでこの頃既に足利義昭に従ってたみたい。

摂津晴門は「麒麟がくる」では片岡鶴太郎さんが
かなりの悪役として演じるっぽいですが
信長さまとも信長さまに従う十兵衛とも
一悶着起こしそうな感じです。

ちなみに摂津晴門が目の敵にしていそうな
伊勢氏ですが、伊勢貞孝の孫で
伊勢貞為の弟の伊勢貞興
摂津晴門の後の政所頭人になるんですが
この伊勢貞孝は後に十兵衛の家臣になります。
麒麟がくる」での登場はまだ不明ですが
伊勢貞興に関しては
こちらの記事でも取り上げているので
興味ある方はご覧ください。
tsukumogatari.hatenablog.com

1.2.足利義昭の将軍就任からの学び

勝竜寺城主となった細川藤孝
十兵衛に呼び止められる細川藤孝
十兵衛と細川藤孝の会話から
細川藤孝が山城の国主となり
勝竜寺城主となったことが判明。

この勝竜寺城三好三人衆の一人である
岩成友通が守っていた城なんですが
信長さまは
柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成坂井政尚
先陣を命じて勝竜寺城攻略を開始。
最終的には信長さま自身も出陣して
勝竜寺城を攻略、岩成友通は降伏しています。
ただし岩成友通はこの後、本国寺の襲撃に
参加していますけどね。

この勝竜寺城を任された細川藤孝
ここを拠点に大和や摂津の三好残党との戦いを
繰り広げることになります。

ちなみに、後々足利義昭
信長さまと対立して京を追放されると
幕府直轄領であった山城の西岡一帯
信長さまは知行地として細川藤孝に与えます。

西岡といえば
斎藤道三さまが生まれた地
とも言われている場所であり
松永久秀もこの西岡出身の商人の生まれ
という説もあったりします。
西岡の地名は確か「麒麟がくる」第1話で
美濃から道三さまの遣いで堺にやってきた
十兵衛と松永久秀が初めて対面した際にも
ちらっと出てきたはず。
道三さま大好きな松永久秀の語りのところでw
何気に細川藤孝も道三さまや松永久秀
奇妙な縁がある?
ていうのは私のただのこじつけです(笑)

三好方の筒井順慶
大和へ戻って筒井順慶と一戦交えるという松永久秀
松永久秀は大和に戻って
三好方についた筒井順慶と戦うみたい。
松永久秀筒井順慶のことを
どこぞの者とも知れぬ者みたいな
言い方してましたけど
そんなことはない、良く知っているはずw
そして筒井順慶はこの後、
十兵衛とも深く関わって来る人物の一人。
信長の野望・創造 戦国立志伝の筒井順慶

その筒井順慶はまだ名前のみの登場ですが
既に配役は決定しています。
https://www.nhk.or.jp/kirin/cast/46.htmlwww.nhk.or.jp
笑福亭鶴瓶さんの息子さんの駿河太郎さんが
演じることになっています。

筒井順慶は大和の筒井城主・筒井順昭の子。
信長の野望・創造 戦国立志伝の筒井順昭
筒井氏は興福寺一条院に属する有力宗徒が
武士化して戦国大名化したんですが
順昭は順慶2歳の時に28歳という若さで
病没してしまいます。

そのため叔父の筒井順政が後見役として
順慶が後を継ぐことになります。
信長の野望・創造 戦国立志伝の筒井順政
大和は元々守護がいない地で
筒井氏、越智氏、箸尾氏、十市氏、
興福寺の勢力が同地を治めていたんですが
三好長慶畿内で権力を掌握すると
その家臣である松永久秀
大和へ送り込まれます。
そして筒井氏とは協力関係にあった
十市氏の十市遠勝が松永久秀に降ったことで
大和の情勢に変化が現れ始めます。
そんな折、後見役であった叔父の順政が
亡くなり、筒井順慶は後ろ盾を失います。
その隙に乗じて松永久秀が筒井城を襲撃
筒井順慶筒井城を追い出されてしまうのです。
これは足利義輝が永禄の変で殺害されて
すぐの頃であり、松永久秀は三好一派と
仲違いを起こしていた頃でもあります。

筒井城を追い出された筒井順慶
その後巻き返しを図って
永禄9年(1566年)に
松永久秀と対立している三好三人衆と手を組み
筒井城奪還を計画・実行します。
この頃松永久秀は、堺で三好義継と
一戦交えている最中でもあったために
筒井城の救援に向かうことは出来ず
情勢が不利になると行方もくらましていました。
そういう事情もあったおかげで順慶は
筒井城の奪還に成功します。
ちなみに「順慶」を名乗ったのはこの後であり
それまでは「藤政」と名乗っていました。
「藤」は足利義輝が足利吉藤と名乗っていた頃の
偏諱によるものです。

無事に筒井城を取り返した筒井順慶ですが
信長さまが上洛して三好三人衆を駆逐した事で
情勢がまた一変することになります。
今回の28話では盛り返す松永久秀
筒井順慶討伐に向けて大和へ向かう
といったところでしょうか。

ところで島左近はどこかのタイミングで
出てきたりしないのかな~。
一応筒井氏に従う国人領主だったようなんですが。
信長の野望・創造 戦国立志伝の島左近

足利義昭の将軍就任
室町幕府第15代将軍となった足利義昭
信長さまによって上洛を果たした足利義昭
足利義栄が亡くなったこともあり
念願の将軍職に就くことができました。
信長公記」では10月22日に内裏に参内して
征夷大将軍に任命された、とあります。
また、この将軍職就任にあたって
尽力してくれた人たちのために
能の見物をさせてやろうということで
観世左近太夫や今春太夫に能を演じるよう
命じたそうです。
能が行われた場所が細川邸とあり
おそらく細川藤賢の館?
28話で初めてセリフをしゃべった細川藤賢ですw

この能の宴の際に元々用意してあった演目は
第13番まであったそうですが
まだ近隣諸国を平定している最中で
戦が終わってるわけでもない
と言って、信長さまが第5番までに縮めたそうです。
晴れて将軍の座に就いて少し浮かれ気味の将軍と
まだ油断はならない状況であることを
しっかりと噛み締めている信長さま。
この辺の意識の差は
後々の仲違いに通ずるものなのかもしれません。

またこの時に足利義昭
信長さまには副将軍または管領に任じる意向を
示しますが、信長さまは辞退しています。

信長さまは10月24日に岐阜へ帰る旨の挨拶を
足利義昭にしているんですが
この時に足利義昭は信長さまに対して
感状を与えていて
同時に桐紋と引両筋の使用も許可しています。
この時の宛名が「御父織田弾正忠殿」
これだけで足利義昭
相当信長さまを信奉していた事が伺えますね。

ちなみに信長さまはこの頃
領国中にある多くの関所を撤廃しています。
これによって人の行き交いが容易くなり
都市、田舎の身分の別なく有難いことだ
と皆満足したのだとか。

1.3.本国時の変からの学び

本国寺の変
本国寺を襲撃にきた三好の兵士たち
本国寺周辺に突然現れた三好三人衆の軍勢。
信長公記」では
「六条の合戦」と記されていますが
そこには信長さまに美濃を追い出された
斎藤龍興や長井道利も
三好三人衆の軍勢に加わっていた様子。
本国寺を包囲した敵方の先陣大将は
薬師寺九郎左衛門とも書かれています。
そして信長公記」で初めて
明智光秀の名が登場する
のがこの六条の合戦。
御所、つまり本国寺に立て籠もったメンバーは
明智光秀も含めて以下の者たち。

  1. 細川藤賢
  2. 織田左近
  3. 野村越中
  4. 赤座永兼
  5. 赤座助六
  6. 津田左馬丞
  7. 渡辺勝左衛門
  8. 坂井与右衛門
  9. 明智光秀
  10. 森弥五八
  11. 内藤備中
  12. 山県盛信
  13. 宇野弥七
十兵衛の名がだいぶ後の方で挙がっているのが
なんとなく気になります。
やっぱこの頃は身分も低かったってこと?

十兵衛の活躍の詳細は書かれていませんが
御所側の守りが堅く、なかなか三好勢が
攻め入ることができなかった様子は
書かれています。
そして御所側の堅い守りに
三好勢が苦戦していた所へ
三好義継、細川藤孝池田勝正、伊丹親興、
そして荒木村重らが三好方の後背を突く形で
援軍としてやってきます。
これによって情勢を不利と見た三好方の軍勢は
本国寺周辺から引き揚げていったそうです。

身の危険に晒されている近衛前久
関白近衛前久の件で公方さまと会えるように話をつけてくれないかと駒に頼む伊呂波大夫
伊呂波大夫の話から近衛前久
命の危険に晒されている状況にあることが
わかりました。
近衛前久は、足利義栄を将軍に推薦したことで
三好方と通じているのではないかと疑いが。
そして足利義輝公の暗殺にも加担していたのでは
という話もあったりして
将軍に就任した足利義昭
近衛前久を追放して
二条晴良を関白に復職させています。

麒麟がくる」では伊呂波大夫が
十兵衛に近衛前久のことを頼み込むようだけど
果たして近衛前久を救えるのかどうか。
次回は近衛前久も出るようなので
何かしら進展はありそうですね。

将軍に相応しい城・二条城
足利義昭のための城、二条城築城中
本国寺を襲撃されたことによって
信長さまは将軍に相応しいお城を
築城することを宣言します。
それが二条城です。
現存している二条城は江戸時代に徳川氏が
造営したものなので全く別物です。
信長さまが将軍のために築城した二条城は
後に解体されて安土城の一部の建材として
使われたようです。

信長公記」によると二条城の着工が
永禄12年2月27日で
この城の築城のために
尾張、美濃、近江、伊勢、三河五畿内、
若狭、丹後、丹波、播磨
の計14か国から
大名・武将たちを上洛させたそうです。
「まもなく出来上がった」と書かれていて
具体的にどれぐらいの工期で作られたのかは
わかりませんけど、信長さま自身が普請の
総奉行として指揮した様子が書かれているので
皆テキパキと仕事をしたことでしょう(笑)
また、前回ちょっと話題に出した村井貞勝
島田秀満も奉行に任じられたそうです。
ちなみに石仏も利用したかどうかまでは
書かれていませんが、全国に知れ渡った
名石や名木を取り寄せたりはしたみたい。

これに加えて信長さまは
荒廃した内裏の修復もおこなっています。
担当奉行は朝山日乗村井貞勝
朝山日乗は日蓮宗の僧侶で
後に信長さまにキリスト教宣教師の追放を
進言した人でもあります。
宣教師のルイス・フロイスとは
信長さまの前で宗論をするんですが
途中で怒って刀を抜こうとしたために
取り押さえられてしまいます。
アンチキリストとして「麒麟がくる」でも
登場するのかな。

京から岐阜まで2日間でいける?
やればやれるのだと誇らしげに言う織田信長に、全ては信長さまのお力と答える明智十兵衛光秀
帰蝶さまが美濃に帰ったので
一度美濃に来いと十兵衛を誘った信長さま。
その際信長さまは
「美濃は2日で帰れる道のり」
と言ってました。
これ実は「信長公記」に書かれています。
本国寺襲撃の報せを聞いて
急いで馬を飛ばした信長さま。
通常なら岐阜から京までは3日かかるところを
2日で到着したことが書かれています。
多分この辺の話を盛りこんだのかなぁ
と思いながら見ていました。

まぁ十兵衛は美濃に帰る話よりも
朝倉氏討伐の方が気になっちゃってて
行程が2日か3日かなんていう話は
どうでもいいんでしょうけれども(笑)

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものですが
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。

戦国 戦(いくさ)の作法

戦国 戦(いくさ)の作法

  • 発売日: 2018/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
戦国の忍び (角川新書)

戦国の忍び (角川新書)

九十九髪茄子 - Wikipedia
茶入 - Wikipedia
三好義継 - Wikipedia
若江城 - Wikipedia
池田勝正 - Wikipedia
伊丹親興 - Wikipedia
摂津晴門 - Wikipedia
筒井順慶 - Wikipedia
二条城 - Wikipedia
朝山日乗 - Wikipedia

2.あとがき

砕いて石垣に使うという石仏を見る明智十兵衛光秀には引っ掛かるものがありそう
麒麟で学ぶ」第28回目はいかがでしたか?
感想、ご意見等あればコメントをお気軽に。

十兵衛が目指す大きな国造りって
具体的にはどうやって実現するのか
実は語られていませんよね。

安直に考えると
従わない者は力でもって従わせていく
つまり信長さまはそういう考えっぽいけど
十兵衛は朝倉氏討伐に納得していないようで
もしかしたら大きな国造りへの道筋が
信長さまとは既にズレているんじゃないか
という気がしてきました。

そもそも十兵衛は足利義昭という
将軍の権威を中心とした国造りが理想で
そこには武力による支配は頭にないのかも。
十兵衛は戦は好きじゃないだろうし
避けられる戦は避けたい派、
その一方で信長さまは戦が好き。
なぜなら戦で勝つと皆が褒めてくれて
喜んでくれるから。
つまり、皆が喜ぶ戦なら厭わず仕掛ける。

この考え方の違いは大きい気がするんだけど
一度ちゃんと話すり合わせた方がよくない?
グランドデザインの認識合わせって大事だし
と、十兵衛にちょっと助言したくなりますw

正直こんなに早い段階から
十兵衛と信長さまのすれ違いが生じるとは
あまり考えていなかったので
先が読めるような読めないような
というのが今の私の心境ですね。

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日


by ヨメレバ

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 後編 (2) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: ムック
 

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


ここからは当サイトの宣伝です。

ツクモガタリ
以下のランキングサイトに参加しています。
バナーをポチって頂けると
今後の励みになります!
にほんブログ村
にほんブログ村 にほんブログ村へ
人気ブログランキング

また、ツクモガタリ
歴史人物の記事を主戦場としつつ
ブログ運営関連の記事なども投稿している
雑記ブログです。
こちらのINDEXページ
各記事のカテゴリの説明と共に
ピックアップ記事や
カテゴリの記事一覧へのリンクも
掲載しています。

tsukumogatari.hatenablog.com

このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:1540年生年説も有り。

*2:現在の大阪府東大阪市若江南町にあった城。かつては畠山氏の城だったが、三好長慶が落とした。

*3:江戸幕府三代将軍家光の乳母ではないw

*4:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。

*5:麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。

*6:信長の野望ベースなら享年23歳。

*7:麒麟がくる」では亡くなっているかどうかの言及はなく、東庵先生も生死どちらとも取れる感じで話している。

*8:信長の野望ベースなら享年42歳。桶狭間の戦いの前哨戦、丸根砦の戦いで討死しているが「麒麟がくる」では語られていない。

*9:実際に亡くなったのは21話と22話の間の期間だが、19話で既にナレ死してます。。。

*10:信長の野望ベースなら享年30歳。桶狭間の戦いの後、今川家からの自立を目指した松平氏との戦いにて戦死。

*11:麒麟がくる」では桶狭間の戦いから4年間がカットされてしまったこともあって、その死を語られることもなかった。

*12:没した月日は9月13日、9月30日、10月1日、10月8日、10月20日、10月22日など諸説ある。

*13:1540年生年説もあるのでその場合だと享年29歳。