2022年のNHK大河ドラマは三谷幸喜さん脚本の『鎌倉殿の13人』。
私は戦国時代・幕末派でそれより前の中世とか全然興味がなかったんですが……
三谷幸喜さん脚本のせいか面白くてすっかりハマってしまいました。
そんな私は毎週『鎌倉殿の13人』を見た感想をnoteに書いています。
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登場人物たちの出自なんかも調べたりしながら感想を書いているんですが、調べてみると死んじゃった登場人物でも意外と死なずに生きていた伝説があったりします。
そこで『鎌倉殿の13人』にまつわる
「あの時死んじゃったことになってるけど、実はその後も生きていた伝説」
のある人たち7人をまとめてみました。
ちなみに有名すぎるあの人の伝説はサラッと流して別の観点の話を入れています。
死なずに生きていた伝説のある『鎌倉殿の7人』
源頼朝の最初の子どもといえば、
千鶴丸(せんつるまる)。
彼は千鶴丸の母・八重の父である伊藤祐親(いとうすけちか)によって殺されてしまいます。
『鎌倉殿の13人』では善児(ぜんじ)という
オリキャラが溺死させたみたいです。
この千鶴丸が実は生き延びていた、という伝説が2つあります。
一つは奥州の和賀氏、本堂氏の祖となった説。
もう一つは薩摩の島津氏の始祖・島津忠久(しまづただひさ)となった説。
前者は祐親の命に憐れんで家人たちが逃がし、後者は伊藤祐親自身が逃がしたそうです。
後者の場合は、平清盛の怒りに触れるのを怖いけど殺すのは忍びないからコッソリ隠した、という事なんでしょうか。
島津氏はもちろん和賀氏、本堂氏は歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズにも登場する武将なので、個人的にはなんとなく馴染み深いですね。
北条時政の嫡男・北条三郎宗時
北条時政の嫡男で
北条義時の兄、
北条宗時(ほうじょうむねとき)は頼朝挙兵時の中心人物。
しかし石橋山の戦いで敗れた後、逃げる道中で伊藤祐親軍に包囲されて討死してしまいます。
『鎌倉殿の13人』ではこれまた善児によって仕留められてしまいました。
さて、この
北条宗時も生きていた伝説があります。
ただちょっと彼の伝説の場合は、話の辻褄が合わなすぎというか……
本当に同じ人のこと?と思ってしまう内容ではあります。
その伝承とは――
北条時政の嫡男・若王丸(にゃくおうまる、北条宗時の幼名ということになってる)は16歳の時の初陣で右腕を切り落とされてしまいます。
それを不憫に思った両親は、戦火の少ない信州で隠居暮らしをさせることに――
というお話から始まるのですが、既にこの時点で
「あれ?これ本当に北条宗時のことなんだろうか?」
とちょっと疑ってしまいたくなる内容です。
時政の嫡男なら確かに北条宗時の事なんですが……
しかし伝承にはまだ続きがあります。
若王丸はその信州の地で、槐(えんじゅ)を植えました。
その若王丸の植えた槐の木にホタルが集まるようになるのですが
同時に若王丸の失ったはずの右腕辺りにもホタルが集まり始め、若王丸にはホタルによって光り輝く右腕が!
そして若王丸が光る右腕を天に突き指すと、ホタルたちが一斉に飛び立ち奇跡が起こりました。
なんと近くにいたお婆さんの曲っていた腰が治り、背筋をピンと伸ばしているではありませんか!
その奇跡を興したホタルたちは若王丸の下に戻り、再び彼の右腕となります。
この噂を聞きつけた人たちが若王丸の光る右腕にあやかろうと彼の住む屋敷に沢山訪れるように。
そしていつしかそこは北條屋敷と呼ばれるようになりました。
またそれ以来、北条家のホタルが右腕に止まった人には特別な力が備わり願いがなんでも叶う、そんな噂が広まります。
この伝承は長野県の大町温泉郷付近(現在の大町市平あたり?)に伝わっているもので、実際に「北條屋敷」の地名が残っていて若王丸を祀った若宮社もあるそうです。
とはいえ『吾妻鏡』で伝わっている数少ない北条宗時の情報とは食い違いがあるので、ホタルの話しも含めてだいぶ眉唾物。
でも彼の地に何故北条宗時の伝承が伝わっているのかは、非常に興味がわきますね!
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木曽義仲の嫡男・木曽義高(清水冠者)
『鎌倉殿の13人』でも一、二を争う悲運の人物といえば
木曽義高(きそよしたか)じゃないでしょうか。
木曽義仲の嫡男である木曽義高は源頼朝との和議の証として、鎌倉へ送られます。
いわゆる人質ですね。
しかし後に父、木曽義仲は源頼朝と対立し、粟津の戦いで討たれてしまいます。
そして頼朝の娘・大姫を娶るはずだった木曽義高も、その命を狙われることに……。
身の危険を感じた木曽義高は側近の海野幸氏を身代わりに鎌倉から脱出します。
しかし追手から逃れる道中、狭山の入間川で藤内光澄によって討ち取られてしまうのです。
※ちなみに木曽義高に懐いていた大姫は、彼の死を非常に悲しんで心を病み、それが原因かはわかりませんが20歳という若さで亡くなってしまいます。この木曽義高にも実は頼朝の追手から逃れて生き残った伝承があります。
それは入間川で討たれることなく下野の佐野基綱(さのもとつな)を頼って佐野の岩崎村(いわざきむら)まで落ち延びたというものです。
その地では佐野(岩崎)義基(よしたか)と名を変えて隠れ住んでいたのだとか。
晩年には山形御所に館を構えて、その地に寺をつくり先祖の霊を弔ったそうです。
この地を拠点とした岩崎氏の先祖が木曽義高の子という話もあって、「木曽ノ直伝」という古文書もあるようです。
これも真偽のほどはわかりませんが、木曽氏と関わりのある人たちが佐野の地に移り住んでいたのかもしれませんね。
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源氏、鎌倉武士たちの挙兵時の敵といえば
平清盛を筆頭とする平家。
しかし清盛亡き後、平家は徐々に衰退していきます。
そして戦の天才・源義経の登場によって源平合戦の戦局は一気に源氏方へと傾き、壇ノ浦の戦いで平家は滅亡。
入水自殺できずに生け捕りにされた平宗盛やその子・清宗も後に斬首されてしまいます。
ところがこの平家の人達にも実は生き延びていた、という伝承が残っています。
それは清盛の嫡男・重盛の子、平資盛(すけもり)・平有盛(ありもり)、そして清盛の次男・基盛の嫡男・平行盛(ゆきもり)です。
彼らは壇ノ浦の戦いで入水自殺をはかったと言われていますが、実は難を逃れて遠く奄美群島で生きながらえていた――
という伝承があるのです。
奄美群島には平資盛らがもたらしたと伝わる「諸鈍シバヤ」という演劇・人形劇が毎年大屯(おおちょん)神社で行われているそうです。
ちなみに大屯神社は平資盛を祀っている神社。
他にも平有盛を祭神とする有盛神社や平行盛を祭神とする行盛神社が実際に存在しています。
実はこの平資盛らが生き延びていた説を採用したと思われるのが、2021年冬に放送されていたアニメ『平家物語』です。
このアニメ最終話の最後のシーンで、
平資盛と思われる猟師風の人物が映り込み『
祇園精舎の鐘の声』というセリフを言います。
猟師風の人物が平資盛であるという確実な証拠はないんですが、悲哀に満ちた平家の最後に一滴の希望をもたらしてくれたような気がして個人的にとても胸アツになるシーンでした。
※猟師風の人物の声は平資盛を担当した岡本信彦さんの声だったと思うのでおそらくは……
ついでに言えば、平家は壇ノ浦の戦いで完全に滅亡したわけじゃないんですよね。
『鎌倉殿の13人』では一度も登場しませんでしたが、平清盛の異母弟、平頼盛は壇ノ浦の戦いより以前に鎌倉へ亡命しています。
要するに鎌倉方へ寝返りました。
その辺の話は2012年の大河ドラマ『平清盛』では描かれています。
頼盛の母は、
平治の乱で敗れた
源頼朝の命を救った
池禅尼(いけのぜんに)。
その縁で頼朝は平頼盛の命を助け、厚遇したそうです。
なので平資盛らの真偽はともかくとしても、平家自体は平頼盛によってその血が完全に失われずには済んだのです。
生存説といえば頼朝の弟・源九郎義経
『鎌倉殿の13人』の中でも、実は生き延びていた伝説の筆頭といえば
源義経ですよね。
平泉で討ち取られずに奥州から
蝦夷へ逃れたとか、はたまた中国へ渡って
チンギス・ハーンになったとか。
その辺の話はあまりにも有名なので本記事では語りません。
本記事では義経が生き残っていた伝説ではなく、彼の子どもが生き残っていた、という伝承を紹介します。
源義経は平泉に逃げる際に妻子も一緒に連れてだっていたわけですが、『
吾妻鏡』には次のような記述があります。
「妻室・男女を相具し―」
そして藤原泰衡に館を襲われた源義経は、妻と4歳となる女児を殺害したのち自害した、とあります。
しかし、前述の記述に或る「妻室・男女」が義経の妻と義経の子どもである男の子と女の子のことを指すのであれば、男の子の方については死んでしまったのかどうかわかりません。
この男の子が殺されることなく下野(しもつけ)の中村城主として生きながらえた、という伝承があるのです。
その義経の子の名前は中村朝定(なかむらともさだ)。
幼名を経若(つねわか)または千歳丸(ちとせまる)。
中村朝定は藤原秀衡の命によって奥州伊達家の祖である伊達朝宗(念西公)に預けられたんだとか。
www.town.koori.fukushima.jp
つまり伊達朝宗は中村朝定の養父にあたります。
また元々は中村義宗と名乗っていたのを鎌倉幕府が「義」の字は義経に通ずるからと嫌ったので、伊達朝宗から一字賜って”中村朝定”に名を改めています。
※これは義経の子であることは鎌倉幕府が認めていたということなのか、それとも基本的に「義経」の名から取ったような名前はダメってことなのか、どっちなんでしょう?
中村朝定が義経の遺児であるという伝承は、青森県弘前市の圓明寺(えんみょうじ)や栃木県真岡市の遍照寺(へんしょうじ)、中村八幡宮に記録が残っているようです。
ちなみに中村朝定の子孫で戦国時代初期に宇都宮氏の家臣として名を馳せた中村玄角(げんかく)は、家臣団の中でも5本の指に入る闘将。
それも戦上手な義経の血が流れているからなのかな!?
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頼朝のもう一人の弟、蒲冠者殿(源範頼)
『鎌倉殿の13人』では「蒲殿」と呼ばれている頼朝の弟、
源範頼(みなもとののりより)。
源範頼は木曽義仲追討軍の大将軍を任せられたり平家討伐時の戦いでは、大手軍の指揮を任せられるなど頼朝の名代としての役割を果たしています。
兄・頼朝からの信頼も厚かったのでしょう。
しかし、その範頼の運命を一変させる出来事が起きてしまいます。
それが建久4年(1193年)5月28日に起きた、曽我兄弟の仇討。
www.city.fuji.shizuoka.jp
この仇討事件の際に、兄・頼朝が討たれてしまったという誤報が頼朝の妻・政子の耳に入ります。
そこで範頼は政子を慰めるために
『後にはそれがしが控えております』
と言ってしまったのですが、これが仇となってしまうのです。
前述の通り誤報だったので頼朝は生きていたのですが、範頼の前述の発言のせいで謀反を疑われます。
この疑われた発言に関しては『保暦間記』にしか記述がないので信憑性はわかりませんが、範頼が謀反を疑われたことは『吾妻鏡』にも書かれています。
(ただし、謀反嫌疑の理由については書かれていません。)
そしてこれ以後、頼朝との関係は悪化してしまい、最終的には伊豆・修善寺の信功院で幽閉され誅殺されてしまうのです。
この源範頼にも、生きていた伝承がいくつかあるようなんですが、ここでは三つ紹介します。
一つめは越前へ落ち延びてそのままそこで生涯を終えたというもの。
二つめは、伊予の河野氏を頼ってそこで亡くなったというもの。
そして三つめは武蔵国横見郡の吉見観音(安楽寺)で隠れ住んでいたというもの。
www.town.yoshimi.saitama.jp
吉見観音には、かつて範頼が建てたと伝わる三重塔があったそう。(現在は戦火により焼失)
また、吉見観音の東約500mは「伝範頼跡」と呼ばれる息障院があります。
その辺り一帯が源範頼の居館跡と伝わっているそうです。
www.town.yoshimi.saitama.jp
『鎌倉殿の13人』にまつわる、実は生きていた伝説の最後は
和田義盛(わだよしもり)です。
www.pref.kanagawa.jp
『鎌倉殿の13人』では可愛い小鳥が好きだったり、手紙に独特な絵を描いて見せたり茶目っ気たっぷりな人物として描かれていて、『鎌倉殿の13人』の登場人物の中でも人気の高い坂
東武者でしょう。
鎌倉幕府の初代侍所別当であり、頼朝死後の十三人の合議制のうちの一人。
鎌倉幕府の中でも超有力な御家人なわけです。
しかし彼はその後、北条義時との関係が悪化したことが原因で反乱を起こします。
いわゆる和田合戦というやつです。
この合戦で和田義盛は討死、和田一族は滅亡してしまうんですよね。
義盛が戦死した由比ガ浜には”和田塚”の地名が残り、和田一族のお墓があります。
しかし、この和田塚が由比ガ浜以外にもあるんです。
それが静岡県賀茂郡南伊豆町にある和田塚。
和田義盛は和田合戦で敗れたものの戦死せずに生き残り、南伊豆の青市に落ち延びたという伝承があるそうです。
そこで和田義盛は庄屋の娘と結婚して、名も和田から山田に変えたんですって。
当時和田義盛60歳を超えてるはずですが子どもも生まれたそうです。
この話が真実なら山田姓の和田義盛子孫がいるかもしれないってことですね。
個人的にも和田義盛は好きなキャラクターなので死んでほしくはないなぁ!
まとめ/鎌倉時代は面白い!
今回は『鎌倉殿の13人』に登場する人物のうち
戦などで討死したことになってるけど実は生きていた!
という伝承が残っている7人を紹介しました。
こういう伝承が残る人たちは、早死にしてしまった事が惜しまれる人達ばかりですよね。
本人の意思とは別の所で権力闘争に巻き込まれちゃったり、難癖つけられて殺されちゃったり、理由はさまざま。
平家一門の場合は盛者必衰の理における無常観から生まれた伝承なのかもしれませんね。
『鎌倉殿の13人』が始まるまでは平安・鎌倉時代に疎かった私としては、そういう伝承が源義経以外にも沢山存在することに驚くとともに、それがまたこの時代への興味・関心を寄せるきっかけにもなっています。
こうしてまた歴史沼にハマっていくことになるのでしょう!
それでは今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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堀 堅一の信濃大町市議会レポート 大町のほたるが舞っていますよ。
大屯神社 | 鹿児島県神社庁
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