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「麒麟がくる」第20話は松平元康を中心に尾張や明智十兵衛が揺れ動く回

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「麒麟がくる」第20話は松平元康を中心に尾張や明智十兵衛が揺れ動く回

NHK大河ドラマ麒麟がくる」で
学ぶシリーズの
麒麟で学ぶ」第20回目です。
今回は新たに登場する武将が多かった回です。
そのため、登場した武将の話が多めです。
ちなみに朝倉家の宇野市兵という武将は
何者なのか良く知りません。
実在するのか、それっぽい人を元にした
オリジナルなキャラクターなのか
ご存知の方いたら教えてください。

さて本シリーズの前提事項的なものを
毎回0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると
助かります。
既に読んだことのある方は
読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは「麒麟がくる」の
ネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃して
まだ視聴されていない方は
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオ
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれると
いいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

※本記事掲載のAmazonプライムビデオおよびU-NEXT配信情報は、2021年3月31日時点のものです。
最新情報については各サイトにてご確認ください。

しかしネタバレ含んでいるけど、
本記事を読んでから視聴すると
少し前提知識が入った上での視聴になるので
それはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分については
こちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる」公式サイト公式Twitterもブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめると思いますので
まだの方は是非とも。

→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

0.本記事を読むにあたっての前提など

ネタバレ含みます

本シリーズはNHK大河ドラマ麒麟がくる」の
各話を元ネタ
としているため
ネタバレ情報を存分に含んでいますので
その辺は考慮の上お読みください。

記事と「麒麟がくる」の各話の関係

基本的に「麒麟がくる」の
1話に対応して1記事書く予定です。
複数話をまとめた内容の記事を
書く予定はありません。
つまり「麒麟がくる」第1話に対応するのは
麒麟で学ぶ#1」ですし
第10話であれば「麒麟で学ぶ#10」が
対応した記事になります。
もし何らかの事情で対応記事を書けない場合は
その話数と同一の記事ナンバーは
廃番扱いにします。

名前の表記について

例えば斎藤道三斎藤義龍については
伝わりやすさを重視して
本記事内では「麒麟がくる」での名前に
合わせることにします。

斎藤道三 → 斎藤利政
斎藤義龍 → 斎藤高政

ドラマの中で呼び名が変われば
それに合わせて変更しますが
あくまでも第1話と対になる記事であれば
第1話の中での呼び名で統一します。

この呼び名のルールについては
全話通して同様であり
斎藤道三親子以外の
その他の人物についても適用します。

1.「麒麟がくる」第20話「家康への文」からの学び

今川義元に抱かれる猫

まずは全体の感想から。
明智家は相当お金に困っているようで
駒が送ってくれた薬草を質にいれないと
お米も食べれないようです。
使いっパシリにされてる左馬助に
美味しいものを食べさせてあげたい(笑)
左馬助に様子を探らせるぐらい気になるなら
信長さまに仕えなよって思うんですが
もしかして・・・
斎藤義龍に遠慮している??
仕えたくはないけど争いたくはない
みたいな心情がはたらいているのかなぁ
と辻褄合わせみたいな想像が捗ります(笑)

さすがに貧乏暮らしも限界がきたのか
ようやく朝倉義景に仕える気にはなったみたい。
でも蹴鞠に興じる朝倉義景のことを嫌いっぽい()
仕官するのやめちゃったりして?

ユースケ・サ・・じゃない、朝倉義景
めちゃくちゃ楽しそうに蹴鞠やってましたよね。
あの人顔で笑かすのやめてほしい・・・(笑)
そして完全にバカ殿朝倉義景になっている?

蹴鞠のことを十兵衛は馬鹿にしてたけど
当時、蹴鞠は武家の嗜みとされていて
例えば剣豪将軍で名高い足利義輝
他大名との関係強化のために蹴鞠の宗家である
飛鳥井氏を派遣したりしています。
蹴鞠人気が衰退したのは
信長さんが相撲大好きで
相撲を奨励したことが原因とか。
流行りのスポーツの移り変わりみたいな?(笑)

それよりもちょっと気になってるのは
煕子さんの髪の長さなんですよね。
最初に比べてだいぶ長くなってる気がして
『あれいつか切って売るんやで・・・』
と勝手に妄想してたんですけど
十兵衛が仕官するとなると
その必要なくなるのかな?
逸話であるんですよね、
煕子が綺麗な黒髪を売って
生活費の足しにしたっていう。

あとね、「麒麟がくる」って
松平元康を弱冠持ち上げすぎじゃないですか?
なんか前もこれ書いたきがします(笑)
まぁ確かに世を後々平らかにするのは
松平元康だけど・・・。
何かちょっと嫌な雰囲気を感じている(笑)

といったところでそろそろ本題へ。

ちなみに第20話の公式サイトのトリセツこちらです。 

→2021年3月31日をもって公式サイト・TwitterInstagramは天に召されました。
1年以上に渡って「麒麟がくる」を盛り上げて下さり、ありがとうございました!

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は永禄3年(1560年)スタート
なので全員の年齢を2つ繰り上げています。

追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなった
と判明した人物に関しては
こちらの一覧からは削除して
後述の亡くなった人を弔う章に
引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人とか
年齢設定不明な人以外の生年については
Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

■1560年でのみんなの年齢

  • 明智十兵衛光秀 33歳(1528年生)
  • 妻木煕子  不明だけど1530年生まれの説なら31歳
  • お岸    不明だけど1560年生まれの設定なら1歳
  • 明智左馬助 25歳(1536年生)
  •      不明。明智光安より下か同じぐらいか?
  • 足利義輝  25歳(1536年生)
  • 三淵藤英  不明。弟・藤孝よりは多分年上
  • 細川藤孝  27歳(1534年生)
  • 貞永久四郎 三淵藤英の家臣。さっぱりわかりませんw
  • 細川晴元  47歳(1514年生)
  • 三好長慶  39歳(1522年生)
  • 松永久秀  53歳(1508年生)
  • 土岐頼芸  59歳(1502年生)
  • 斎藤義龍  34歳(1527年生)
  • 帰蝶    26歳(1535年生)
  • 稲葉良通  46歳(1515年生)
  • 長井秀元  不明。稲葉良通ぐらい?
  • 日根野備中守 43歳(1518年生)
  • 藤田伝吾  不明。光秀と年齢近そう
  • 与八    不明。光秀より下?
  • 佐助    不明。光秀より下?
  • 斯波義銀  21歳(1540年生)
  • 織田信長  27歳(1534年生)
  • 土田御前  不明。信長の野望だと寿命設定の無い特典武将だったりするのでこちらも不明
  • 織田信広  不明。信長の野望だと1527年生まれの設定なので34歳
  • 佐久間盛重 不明。信長の野望だと1519年生まれの設定なので42歳
  • 柴田勝家  39歳(1522年生)
  • 簗田政綱  不明。信長の野望だと1532年生まれの設定なので29歳
  • 中条家忠  不明。簗田政綱と佐々成政ぐらいの年齢?
  • 佐々成政  25歳(1536年生)
  • 前田利家  22歳(1539年生)
  • 毛利長秀  20歳(1541年生)
  • 藤吉郎   24歳(1537年生)
  • 今川義元  42歳(1519年生)
  • 朝比奈親徳 不明。太原雪斎に近い年齢だったかも?
  • 鵜殿長照  不明。信長の野望だと1533年生まれの設定なので28歳
  • 松平元康  18歳(1543年生)
  • 源応尼   69歳(1492年生)
  • 水野信元  不明。於大の方よりは上。信長の野望だと1508年生まれの設定なので53歳
  • 伊平次   不明。光秀よりは年下か?
  • 於大の方  33歳(1528年生)
  • 朝倉義景  28歳(1533年生)
  • 宇野市兵  不明。実在した人ではない?
  • 望月東庵  不明。斎藤利政や平手政秀ぐらい?
  •      28歳(確か初登場時で15歳の設定)
  • 菊丸    不明。光秀と同じぐらい?
  • 伊平次   不明。光秀よりは年下か?
  • 伊呂波大夫 不明。光秀と年齢は近いか?
  • 芳仁    不明。東庵先生よりは下?

1.1.越前でくすぶり中の十兵衛からの学び

子曰く人にして遠き慮り

称念寺で子供たちに学問を教える明智十兵衛光秀

「子曰く人にして遠き慮り
無ければ必ず近き憂いあり」

第1話で道三さまが
十兵衛は「四書五経」を2年で読み終えた
と言ってましたから
論語」の一節ぐらい何も見ずとも
十兵衛は論じられるわけですね。

論語」といえば中国の春秋時代の思想家、
孔子が語った言葉として
弟子たちが孔子の亡くなった後に纏めたもの。
孔子紀元前552年頃から紀元前479年
生きた人と言われてますが
今の時代になっても
論語」に関する出版物がある
ということからすると
多くの年月が過ぎてどれだけ文明が発達しても
普遍的に変わらない教えが世の中にはある
ということを示しているのだと思います。

論語」には全部で512の短文が
収められていますが
その中でも個人的に好きなのは
「学んで思わざれば即ち罔(くら)し
思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」
という言葉で
小学生の時に祖父から教わりました。

ただ「学ぶ」だけではいけない。
学んだことを自分で考えなければ
真に理解することは出来ないし
学ぶことをサボったらサボったで
独りよがりの偏った考え方にしかならないよ。

そんな意味だったと思います。
この言葉の意味を真に理解できたのは
もっと後の事なんですけど
祖父は「論語」の一節を引き合いに出すことが
多かったので、ちょっと懐かしく感じました。

【前回の訂正】十兵衛最初の子はお岸

明智十兵衛光秀と煕子の長女・お岸

前回の記事で十兵衛の最初の子が
嫡男だろうとかとぼけたこと書いてました。
それについて訂正です。

今回の20話は冒頭をリアルタイムでは見れなくて
後で最初から見たんですが
赤子を見た瞬間『アーッ!』って
思わず声を上げました(笑)
そもそも明智光慶の記事書いたときに
明智軍記」を元にした家族構成を書いたのに
アホなんでしょうか。(笑)

tsukumogatari.hatenablog.com

さて十兵衛に嫡男がいた事は確かのようですが
いつ生まれたのかはわかっていません。
有名な愛宕百韻*1に名があるぐらい。
初陣を飾ったという記録がないので
本能寺の変が起きた天正10年(1582年)頃で
まだ13歳ぐらいだったのでは
と言われています。
それを踏まえると十兵衛の嫡男が
1560年代に生まれるはずがありません(笑)

今回生まれた十兵衛と煕子の子は
後に荒木村重の嫡男・村次に嫁いだ
左馬助の妻となる長女と思われます。*2
織田信長に仕えた荒木村重が信長を裏切ったため
その際に離別されてしまいます。

2014年NHK大河ドラマ軍師官兵衛では
倫(りん)の名で登場していました。
十兵衛には正確にどれぐらい子供がいたのか
確実な資料がないこともあって
前回あんまり考えずに書いてました(笑)

麒麟がくる」は家族構成とか親族は
明智軍記」がベースになっているっぽいし
荒木村重織田信長から離反するのが
天正6年(1578年)なので
その辺を踏まえても長女が正解なんだけど
余計な気をまわし過ぎた気もします。

というわけで前回は適当に書き過ぎたことを
お詫びいたします。

十兵衛と秀満が見ていた地図

織田家と今川家が戦争状態突入ってことで
十兵衛と左馬助が地図を見ながら
軍議みたいなことやってましたよね。
あの地図を見ると
なかなかしっかり砦が書かれている。
あの地図に載っていた「氷上山ノ取手」以外は
全て「信長公記」にも出てきます。

信長公記」には
各砦にどの武将が配置されたかが
記されています。

「信長公記」による各砦は配置された武将たち

鳴海城の北西に位置する「丹下ノ取手」
古屋敷を砦として整備したもので
配備された武将が以下の6名。

  • 水野帯刀
  • 山口守孝
  • 柘植玄蕃頭
  • 真木与十郎
  • 真木宗十郎
  • 伴十左衛門尉

その東に位置する善照寺を要害に改造したのが
「善照寺ノ取手」
ここに配備されたのは以下の2名。

善照寺の砦の南にある中島村を砦にしたのが
「中島ノ取手」
ここに配備されたのは梶川高秀

そして鳴海城と大高城を分断するように
築かれた2つの砦が
「丸根ノ取手」「鷲津ノ取手」
「丸根ノ取手」には佐久間盛重
「鷲津の取手」に配備された者としては
以下の三名の名が挙がっています。

  • 織田秀敏
  • 飯尾定宗
  • 飯尾尚清(定宗の子)

ちなみに織田秀敏は
信長の祖父・織田信定の末弟
飯尾定宗は
信長の父・織田信秀の従兄弟(叔父とも)。
いずれも織田氏一門です。

それから佐久間盛重は
元々は信長さまの弟・信勝付の家老
ですが信勝謀叛の際には信長さまの味方に。

いずれにしても要の砦に配備されたのは
信長さまからの信任の厚さを伺わせます。

それと今回松平元康絡みで
水野信元が登場しましたが
桶狭間のあたりは水野信元の家臣が治める地
「中島ノ取手」に配備された梶川高秀や
「丹下ノ取手」に配備された水野帯刀など
水野氏に属する武将たちも活躍したのが
桶狭間の戦いだったりします。

来週の桶狭間の戦い本番で最も活躍するのは
今井翼さんが演じる
毛利新介(良勝)なんでしょうけどね!

信長の野望・創造における毛利新介

1.2.尾張侵攻中の今川家からの学び

今川新キャラ・朝比奈親徳と鵜殿長照

今回今川氏で重要そうな人物として
初登場したのが朝比奈親徳鵜殿長照
朝比奈親徳は信長の野望シリーズには
おそらく一度も登場してなさそうですが
鵜殿長照は常連武将です。
朝比奈親徳の一族と思われる
朝比奈泰能・泰朝・信置は登場してますが。

信長の野望・創造 戦国立志伝における朝比奈泰能

信長の野望・創造 戦国立志伝における朝比奈泰朝

信長の野望・創造 戦国立志伝における朝比奈信置

ちなみに朝比奈信置が
親徳の子と言われています。

朝比奈親徳は太原雪斎と並ぶほどの重臣
私も詳しく知ってるわけではありませんが
朝比奈親徳の論文を見ると
今川氏当主の発給文書に副状を添えていたり
印判状*3の奏者を務めていたりします。

また西三河の侵攻や統治に関しては
太原雪斎と共に公事に携わっていたようですし
松平元康の後見役でもあったようです。
基本的に三河衆の指南役だったようなので
三河衆に対する影響力も強かったのでしょう。
麒麟がくる」では今川義元の右腕である
太原雪斎が亡くなった後の重臣として
朝比奈親徳が表舞台にでてきた感じですね。

麒麟がくる」で朝比奈親徳を演じるのは
山口馬木也さん。
過去の大河ドラマだと2013年の「八重の桜」
榎本武揚を演じてたそうです。
「八重の桜」は見たことないので
今度時間ある時に見てみようかな。

そして鵜殿長照。

信長の野望・創造 戦国立志伝における鵜殿長照

松平元康とちょっと談笑してた感じが
とってもシュールでした!!!(笑)
この人のことは今ここでいろいろ書くよりも
話を見ながら経過を見守ってあげた方が
いいような気がしてきました。

ちなみに生年不明な人なんですけど
信長の野望シリーズの設定だと
当時30歳いってないぐらい。
麒麟がくる」で鵜殿長照を演じるのは
佐藤誓さん。
どういう方なのかは存じ上げませんが
見た目ちょっと老けすぎじゃない??(笑)

信長の野望の設定が
必ずしも正しいわけじゃないけど
鵜殿長照の父・鵜殿長持の生年とか踏まえても
もうちょっと若いんじゃないかって・・・
まぁ演者と武将の実年齢のギャップは
今に始まったことではないんですが(笑)

源応尼について少し

松平元康、望月東庵先生、そして元康の祖母・源応尼

松平元康の祖母の源応尼。
その生涯は明応元年(1492年)から
永禄3年5月6日(1560年5月30日)
桶狭間の戦いは、
永禄3年5月19日の出来事なので
多くは語りませんがそういうことです。

源応尼は「麒麟がくる」でもお馴染みの
水野氏と、とても縁があります。

夫が水野忠政、すなわち水野信元の父です。
ただし源応尼は水野信元の母ではありません。
源応尼は継室であって
水野信元はその前の正室の子なんです。

源応尼の子は水野信元の弟である
水野忠守水野忠分水野忠重
そして松平元康の母・於大の方など。

その後元康の祖父・松平清康の妻となり
清康没後も三河の豪族の下へ嫁いでは
夫に先立だれるという事が繰り返された
なんていう説もあるんですが・・・。
松平清康が1535年に亡くなっているのに
水野忠分や水野忠重はその後に生まれてるので
矛盾が出てきちゃうんですよね。

どっちにしても松平元康の祖母であることには
変わりないんですけど。

麒麟がくる」だと今川義元に請われて
元康を養育している風なことを言ってましたが
今川氏の人質となった孫の育成を
自らが今川義元に願い出て
8年間養育したとも言われています。

そして「麒麟がくる」で源応尼を演じるのは
真野響子さん。
NHK大河ドラマだと篤姫」で
大久保利通の母・フク役を演じて以来。

フジテレビの「SMAP×SMAP」で人気だった
「BISTRO SMAP」で勝敗を判定しなかったのは
この真野響子さんとタモリさんだけらしい(笑)

先鋒を任された松平元康

織田との戦で先鋒を言い渡され大高城入りする松平元康

尾張進軍の先鋒を務めることになった
松平元康。

桶狭間の戦いでももちろんですが
そのより前の初陣でも比類なき戦いを見せて
今川義元から旧領である岡崎から300貫文の地を
返してもらったそうです。
ちなみに初陣は三河の国人衆の間で起きた
三河忿劇(みかわそうげき)
とも言われる反乱の鎮圧でした。

桶狭間の戦いでは松平元康が先鋒を任されて
今回大高城で仲良く()話していた鵜殿長照が
大高城内の兵糧不足を今川義元に訴えたことから
大高城への兵糧の輸送も元康は任されます。

信長公記」でも松平元康が補給したかは
明言されていませんが
5月18日夜に大高城に兵糧が補給されること
そして19日朝の潮の干満を考慮して
織田方の砦へ攻撃するという情報を
鷲津砦・丸根砦を任されていた
織田秀敏や佐久間盛重から報告があった
と記されています。

麒麟がくる」でも丸根砦の佐久間盛重から
急ぎの報せがあったと言ってましたよね。

麒麟がくる」でも「信長公記」でも
兵糧の補給に関しては
さらっと問題なく行われていますが
大高城は鷲津砦と丸根砦の織田軍によって
包囲されている形にあったため
そこを突破しないと補給することは出来ません。

元康は、両砦の中間を突破することに成功し
なんとか補給を果たした後
鷲津砦を攻め落としたと言われています。
ちなみに丸根砦は朝比奈泰能が落としています。
※「麒麟がくる」だともしかしたら逆になるのかも?

鷲津砦を落とした後、元康は兵を休ませるために
大高城へ入場します。
その折に、後世もっとも有名な合戦となる
桶狭間の戦いが起きるのです。

1.3.窮地に立たされた織田家からの学び

言い争いをしていた中城家忠と毛利長秀

軍議で言い争いをする中条家忠と毛利長秀

織田家の軍議中、一際目立っていたのが
中条家忠毛利長秀

中条家忠は中条将監の名で知られる
織田信長に早くから仕えていた
三河八草城・広見城主
天文21年(1552年)の萱津の戦い*4
永禄12年(1569年)の大河内城の戦い*5で活躍し
元亀元年(1570年)の姉川の戦いに先立つ
「八相山の退き口」では
佐々成政や簗田政綱と共に殿軍を務めています。

殿軍は後退する部隊の最後尾を任されて
敵の追撃を阻止するのが役目であり
場合によっては死ぬことも辞さない
撤退線における最重要な役目でもあります。
そもそも撤退により士気が落ち気味の兵士達を
うまく統率しないといけません。

そして最後尾を任されるということは
裏切られる心配はなく
家中のために
命を投げ出す覚悟を持つ武将である証。

そりゃそうです。
生死がかかっているのに
信用に置けない人物に
背後を任せるわけにはいきません。

なので中条家忠がどれほどの人物だったかは
この殿軍を任されている時点で明らかなのです。

その後も志賀の陣や伊勢長嶋一向一揆の討伐など
主要な戦線に従軍して活躍したのち
天正5年8月30日(1570年10月21日)に没します。

本能寺の変よりも前には亡くなってしまいますが
十兵衛とも今後は絡みがあるかもしれませんね。
麒麟がくる」で中条家忠を演じるのは
野添義弘さん。
大河ドラマだと「いだてん」西郷どん
出演していたらしいです。
西郷どん」見てたけど
松平忠固って誰だっけ・・・。

そしてもう一人、毛利長秀
こちらは覚えていますでしょうか?
以前、尾張の守護・斯波義統が暗殺されて
その子・義銀が織田信長を頼って
那古野城にやってきましたよね。
斯波義統には他に男児が二人いました。
そのうちの一人が
信長さまの子・信雄の家老となる津川義冬
もう一人がこの毛利長秀です。

信長の野望・創造 戦国立志伝における毛利長秀
毛利長秀は、斯波義統が暗殺された折に
毛利十郎によって保護されて育てられた
と言われています。
毛利長秀は天文10年(1541年)生まれなので
桶狭間の戦いの頃は20歳。
桶狭間の戦いでは毛利十郎と共に戦功を挙げて
この頃赤母衣衆*6に抜擢されたそうです。
ちなみに今川義元を討ち取ったことで有名な
毛利新介は毛利長秀と同族と思われますが
毛利新介は黒母衣衆でした。

麒麟がくる」では信長に近い席で
中条家忠と言い争ってましたけど
尾張守護の血筋ってことで
若いけど格上に扱われていたのやら?
若くても能力があれば抜擢する
信長の能力主義的な部分を見せている?
名前だけは出てくる家老の林秀貞
どこにいるのやら?
主に行政メインだから軍議とかには
顔を出さないのかな?
とか毛利長秀とは直接関係ない事に
想像が膨らんでしまいます(笑)

その後も織田信長の家臣として
様々な戦場に赴くなど活躍するんですが
ちょっと注目しておきたいのは
松永久秀関連です。

松永久秀は信長に属してから
2回謀叛を起こしますが
その1度目の謀叛を起こして降伏した際に
松永久秀が差し出した多聞山城の
受け取り役の一人毛利長秀です。*7
そんな頻繁に登場する人物じゃない気がするけど
松永久秀が謀叛を起こした際に
またちゃっかり()登場するのかなって。

ちなみに本能寺の変以後も生きていて
その後は羽柴秀吉に仕えています。

そして豊臣の氏と羽柴の名乗りを下賜されたり
侍従にも叙任されて
信濃の伊奈郡を治める大名にもなってます。

この辺は血筋も関係してるのか
そもそも器量も好かったのか。

亡くなったのは
文禄2年閏9月17日(1593年11月9日)。

10万石の遺領は
息子の秀秋にはなぜか1万石のみ
残りの多くは
娘婿の京極高知が継承したそうです。
なんで息子にちょっとだけなのか不明ですが
もしかしたら庶子だったのかもですね。

麒麟がくる」で毛利長秀を演じるのは
竹井亮介さん。
NHK大河ドラマは初っぽい?

長良川の戦いの二の舞にならぬよう

今回の戦は父・道三が兄・義龍に敗れた長良川の戦いの時と同じ状況だという帰蝶さま

尾張を攻め込む今川軍はなんと2万5千の大軍
一方で尾張の兵は3千余り。
これはそう、今は亡き斎藤道三さまが敗れた
長良川の戦いの時と同じ状況。
道三さまは特に策を弄して挑んだわけでもなく
息子の義龍と一騎打ちを挑みますが
最終的には家臣二人に背後から槍で突き刺される
という、あの二人の武将は絶対ゆるさない(ry

要するに何かしら手を打たない限り勝てない
ということを帰蝶さま自身もよくわかっていて
十兵衛の入れ知恵に乗っかってみた
というわけですね。

十兵衛の入れ知恵というのが
三河を味方にいれる、
つまり松平元康を織田方に引き入れる
という策でした。

この辺の話はそう持ってきたかぁ
というぐらいの感想で
個人的にはわりとどうでもいい()とこ
だったりするんですが
もしかしたら長良川の戦いのフィードバック
あるのかなと思っていたので
その点が嬉しかったなと。

斎藤道三さまは亡くなりましたが
その言動全てが十兵衛や帰蝶さまの
胸の内にしっかりと残っている
そんなことを思わさて
勝手にジーンとしていました(笑)

ちなみになんですけど
信長公記」だと
今川義元はなんと4万5千の兵を率いていた
ということになっています。
そして信長が率いていた兵が2千に満たないとも。
多分この数字は盛ってます(笑)

信長の母に対する想い

松平元康を寝返らせるために密かに会合する織田信長・帰蝶と水野信元・於大の方

松平元康の母・於大の方
自分の声が母の声として元康に届くのかどうか
それを心配していましたが
信長さまの言葉で勇気づけられてましたね。

『わしが元康殿ならば
16年会わずとも20年会わずとも
名を聞けば胸を刺される。
母は母じゃ。』

この言葉、うがった見方をすれば
於大の方を篭絡させるための詭弁
とも取れなくもないけど
前回の話だったり
今までの信長さまが語ってきた
母・土田御前への思いを考えると
本心なんだろうなと思って
泣けてきましたね!!

そうか、あんなに嫌われても
信長さまにとっては母は母であり
誰にも代えがたい存在であり続けるんだな
なんだか信長さま可哀そうだな
と思ったのはきっと私だけじゃないはず・・・。

母に想われる元康のことを
羨ましくも思えたのではないのかなぁ。

むしろ私の胸にグサリと刺さりましたよ、
信長さま。

織田家の諜報担当?簗田政綱

信長さまが松平元康との密議の件や
今川軍の行軍について会話していた人物は
簗田政綱でした。

信長の野望・創造 戦国立志伝における簗田政綱

信長公記」には簗田政綱が
桶狭間の戦いで何か働きをしたか
ということは一切書かれていません、実は。
簗田政綱が「信長公記」で登場するのは
もっと後で、中条家忠のところで話した
「八相山の退口」の際です。
中条家忠と共に殿軍を務めています。*8

しかし徳川氏創業史の一つである
三河風土記」には信長さまの奇襲攻撃に
同意した人物として記されているそうです。
昔の大河ドラマ武田信玄」を
たまたまコロナ禍の籠城生活中に見たんですが
そこでも信長の間者として登場していました。
諜報担当的な役割のイメージですね。

豊臣秀吉の伝記として名高い「太閤記」では
桶狭間の戦いの戦功によって3千貫の知行と
沓掛城を与えられたと書かれています。

生没年も不詳でこの武将も謎が多いですが
信長公記」でも前述の八相山の退口の話以降
たびたび名前が挙がっているので
織田家臣として重要な地位にいたことは
間違いないのかもしれません。

今回の「麒麟がくる」でも
他の家臣たちとは別で
信長さまと謀議を交わしている
みたいなシーンでしたから
秘密裏に進めないといけない
諜報、謀略担当的な役割なのかなと。

麒麟がくる」で簗田政綱を演じるのは
内田健司さん。
NHK大河ドラマは初っぽいですね。
主に舞台を主軸にされてる方なんでしょうか。

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものですが
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

  • 天文16年(1547年)
    織田信康(演:清家利一)享年不明
  • 天文16年11月17日(1547年12月28日)
    土岐頼純(演:矢野聖人)享年24歳
  • 天文18年3月6日(1549年4月3日)
    松平広忠(演:浅利陽介)享年24歳
  • 天文20年3月11日(1551年4月16日)
    小見の方(演:片岡京子)享年39歳
  • 天文21年3月3日(1552年4月8日)
    織田信秀(演:高橋克典)享年42歳
  • 天文22年閏1月13日(1553年2月25日)
    平手政秀(演:上杉祥三)享年62歳
  • 天文23(1554年)
    深芳野(演:南果歩)享年不明
  • 天文23年7月12日(1554年8月10日)
    斯波義統(演:有馬自由)享年42歳
  • 弘治元年閏10月10日(1555年11月23日)
    太原雪斎(演:伊吹吾郎)享年60歳
  • 弘治元年11月12日(1555年12月24日)
    斎藤孫四郎(演:長谷川純)享年不明
  • 弘治元年11月12日(1555年12月24日)
    斎藤喜平次(演:犬飼直紀)享年不明
  • 弘治元年11月26日(1556年1月7日)
    織田信光(演:木下ほうか)享年41歳*9
  • 弘治2年4月20日(1556年5月28日)
    斎藤道三(演:本木雅弘)享年63歳
  • 弘治2年9月26日(1556年11月8日)
    明智光安(演:西村まさ彦)享年57歳*10
  • 永禄元年11月2日(1558年12月11日)
    織田信勝(演:木村了)享年不明*11

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)
 
戦国 戦の作法

戦国 戦の作法

 
ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

  • 発売日: 2014/09/08
  • メディア: 文庫
 
眠れなくなるほど面白い 図解 論語

眠れなくなるほど面白い 図解 論語

  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

荒木村次 - Wikipedia

孔子 - Wikipedia

今川家臣朝比奈親徳の政治的立場

華陽院 - Wikipedia

中条家忠 - Wikipedia

毛利秀頼 - Wikipedia

簗田政綱 - Wikipedia

山口馬木也 - Wikipedia

| 佐藤 誓 〖小田部オフィス〗 | 俳優 | 在籍タレント|有限会社アクトレインクラブ

野添義弘 - Wikipedia

竹井亮介 - Wikipedia

真野響子 - Wikipedia

内田健司 - Wikipedia

2.まとめ

朝倉家臣・宇野市兵に鉄砲の腕前を見せる明智十兵衛光秀

いかがでしたか?
今回は新たに登場したキャラクターが多く
その人物の紹介的なものが多くなりました。
朝倉氏の宇野市兵はよくわかりませんでしたが。
朝倉氏の譜代家臣で宇野氏がいたのは
確かみたいなのでその関係の人か
その宇野氏をベースとした架空の人かも。
誰かご存知の方いたら教えてくださいませ。

そして次回はいよいよ桶狭間の戦い本戦
今川義元が太刀を振るう姿も見れそうです。
信長公記」だと今川義元
毛利新介が討ち取る前に
服部春安が義元に斬りかかって
返り討ちにされてるんですが
そんな場面もあるやもしれません。
麒麟がくる」の世界線では
どのような桶狭間の戦いが繰り広げられるのか
大変興味深くワクワクしっぱなしです。

そういえば藤吉郎何してるんだろう?(笑)

麒麟がくる」は桶狭間の戦い
一端放送休止になりますが
タイミング的にはちょうどいいのかも?
放送再開されるまでは今までの復習をしつつ
信長の野望プレイを記事にしようかと
思っております。

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日
by ヨメレバ
麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

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では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


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嬉しいです。

*1:本能寺の変の起こる1週間ほど前に明智光秀が催した連歌明智光秀が詠んだ発句「ときは今あめが下しる五月かな」が本能寺の変を示唆していたのではという話で有名。

*2:十兵衛の長女の名はわかっていない。

*3:朱印状や黒印状とも呼ばれる武家の公式文書。

*4:当時の尾張下四郡の守護代織田信友(彦五郎)との戦い。勝敗は織田信長に軍配。

*5:伊勢の国司・北畠具教との戦い。決着は織田方有利な和睦による開城。

*6:馬廻から抜擢される信長直属の使番。赤と黒がある。

*7:他の受け取り役が佐久間信盛福富秀勝の二人。

*8:信長公記」では名が「簗田広正」と書かれている。

*9:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。

*10:麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。

*11:信長の野望ベースなら享年23歳。