麒麟で学ぶ#19 「麒麟がくる」第19話は明智十兵衛を大好きな人たち大集合の回

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麒麟で学ぶ#19 「麒麟がくる」第19話は明智十兵衛を大好きな人たち大集合の回

NHK大河ドラマ麒麟がくる」で
学ぶシリーズの
麒麟で学ぶ」第19回目です。

土田御前はズルいと思うんです。
信長を嫌いなのを
信長自身のせいにしてましたけど
それは誤魔化しだと思うんですよね。
なので土田御前が信長を嫌いな理由について
言及してみました。
十兵衛が何故まだ誰にも仕官しないかについても
ついでに考察してみました。
あと、今まで全く触れてこなかったけど
当時の天皇陛下は誰かという話や
信長の暗殺と摂津国替えの逸話についても
紹介しています。

さて本シリーズの前提事項的なものを
毎回0章に記載していますので、
初めて本シリーズの記事を読む方は
さらっと一読していただけると
助かります。
既に読んだことのある方は
読み飛ばして頂いてかまいません。

また前提の一番最初に記載していますが
本シリーズは「麒麟がくる」の
ネタバレを含みます
当日の放送や再放送も見逃して
まだ視聴されていない方は
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオ
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
見逃し分を視聴できます。
こちらで視聴した上で本記事を読まれると
いいかもしれません。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

しかしネタバレ含んでいるけど、
本記事を読んでから視聴すると
少し前提知識が入った上での視聴になるので
それはそれでいいのかもしれませんけどね。

そして「麒麟で学ぶ」の過去分については
こちらからどうぞ。

tsukumogatari.hatenablog.com

では今回のお品書きはこちらになります。

ちなみに2019年12月15日から更新中の
麒麟がくる公式サイト

www.nhk.or.jp

公式Twitter

twitter.com

ブックマーク、フォローしておくと
より一層「麒麟がくる」を楽しめるので
まだの方は是非とも。
Instagramもあります。

0.本記事を読むにあたっての前提など

ネタバレ含みます

本シリーズはNHK大河ドラマ麒麟がくる」の
各話を元ネタ
としているため
ネタバレ情報を存分に含んでいますので
その辺は考慮の上お読みください。

記事と「麒麟がくる」の各話の関係

基本的に「麒麟がくる」の
1話に対応して1記事書く予定です。
複数話をまとめた内容の記事を
書く予定はありません。
つまり「麒麟がくる」第1話に対応するのは
麒麟で学ぶ#1」ですし
第10話であれば「麒麟で学ぶ#10」が
対応した記事になります。
もし何らかの事情で対応記事を書けない場合は
その話数と同一の記事ナンバーは
廃番扱いにします。

名前の表記について

例えば斎藤道三斎藤義龍については
伝わりやすさを重視して
本記事内では「麒麟がくる」での名前に
合わせることにします。

斎藤道三 → 斎藤利政
斎藤義龍 → 斎藤高政

ドラマの中で呼び名が変われば
それに合わせて変更しますが
あくまでも第1話と対になる記事であれば
第1話の中での呼び名で統一します。

この呼び名のルールについては
全話通して同様であり
斎藤道三親子以外の
その他の人物についても適用します。

1.「麒麟がくる」第19話「信長を暗殺せよ」からの学び

ではまず全体の感想的なものから。
ちょっとびっくりしたのは
斎藤義龍まだ2年先の話なのに既にナレ死
没した人物たちの章に入れるタイミングが・・w

まぁ十兵衛と袂を分かつ関係になった時点で
ストーリー的には確かに
登場させにくくなったんですけど
死に際はシーンがあってもよかったのではと。

特に、父・斎藤道三さまに対する想いを
最期に語ってほしかったなぁ
と思ったりするんですよね。

十兵衛との会話を聞いていると
孫四郎たちを殺したことは後悔してそうだし
次会った時は斬ると言ってた十兵衛を
結局許してスカウトしてるし
心の揺れを感じました。

心の底から信頼できるような家臣がいないことも
嘆いていましたけど
なんかそれって結局道三さまと同じじゃん・・・
似たもの親子じゃん、って思ったのは
私だけじゃないはず?

そして十兵衛に対して吐露している様が
ちょっと物悲しくも感じました。
そりゃ十兵衛に『一体どうした?「』
て言われちゃいますよね。

あと、十兵衛から「大きな国」の話を聞いて
『父上が・・・』
と義龍が口にしたのは
ちょっと感慨深いものがありました。
やっぱり道三さまは父上なんだなって。

もしもこのまま斎藤義龍が退場ということなら
スピンオフドラマで斎藤義龍側からの
麒麟がくる」番外編をやってほしいなぁ
と思ったりしています。

義龍視点長良川の戦いや
道三さまを倒してから
どう美濃を統治していったかの話も
面白いと思うんですよね。
是非検討していただきたい!

といったところでそろそろ本題へ。

ちなみに第19話の公式サイトのトリセツ
こちらです。

www.nhk.or.jp

登場人物の年齢のおさらい

三好長慶と松永久秀を守る明智光秀、三淵藤英、細川藤孝

まずは主な登場人物たちの年齢確認を。
今回は明言されてないんですがおそらく
永禄元年11月頃(1558年12月)スタート
織田信勝の亡くなった時期を考えると
多分そうではないかと。
というわけで全員の年齢を2つ繰り上げています。

追加した人物は赤字にしています。
また前回の話の中で亡くなった
と判明した人物に関しては
こちらの一覧からは削除して
後述の亡くなった人を弔う章に
引き続き掲載する形にしています。

ちなみに生年不明な人とか
年齢設定不明な人以外の生年については
Wikipediaをベースにしています。
あと基本的に全員数え年の年齢です。

■1558年でのみんなの年齢

  • 明智十兵衛光秀 31歳(1528年生)
  • 妻木煕子  不明だけど1530年生まれの説なら29歳。
  • 明智左馬助 23歳(1536年生)
  •      不明。明智光安より下か同じぐらいか?
  • 足利義輝  23歳(1536年生)
  • 三淵藤英  不明。弟・藤孝よりは多分年上
  • 細川藤孝  25歳(1534年生)
  • 貞永久四郎 三淵藤英の家臣。さっぱりわかりませんw
  • 細川晴元  45歳(1514年生)
  • 三好長慶  36歳(1523年生)
  • 松永久秀  51歳(1508年生)
  • 土岐頼芸  57歳(1502年生)
  • 斎藤義龍  32歳(1527年生)
  • 帰蝶    24歳(1535年生)
  • 稲葉良通  44歳(1515年生)
  • 長井秀元  不明。稲葉良通ぐらい?
  • 日根野備中守 41歳(1518年生)
  • 藤田伝吾  不明。光秀と年齢近そう
  • 与八    不明。光秀より下?
  • 佐助    不明。光秀より下?
  • 斯波義銀  19歳(1540年生)
  • 織田信広  不明。信長の野望だと1527年生まれの設定なので32歳
  • 織田信長  25歳(1534年生)
  • 佐久間盛重 不明。信長の野望だと1519年生まれの設定なので40歳
  • 柴田勝家  37歳(1522年生)
  • 土田御前  不明。信長の野望だと寿命設定の無い特典武将だったりするのでこちらも不明
  • 佐々成政  23歳(1536年生)
  • 前田利家  20歳(1539年生)
  • 藤吉郎   22歳(1537年生)
  • 今川義元  40歳(1519年生)
  • 松平竹千代 16歳(1543年生)
  • 水野信元  不明。於大の方よりは上。信長の野望だと1508年生まれの設定なので51歳
  • 於大の方  31歳(1528年生)
  • 朝倉義景  26歳(1533年生)
  • 望月東庵  不明。斎藤利政や平手政秀ぐらい?
  •      26歳(確か初登場時で15歳の設定)
  • 菊丸    不明。光秀と同じぐらい?
  • 伊平次   不明。光秀よりは年下か?
  • 伊呂波大夫 不明。光秀と年齢は近いか?

1.1.信長の弟殺害からの学び

信長の母・土田御前

弟・信勝を殺した織田信長と対面する母・土田御前

織田信長よりも弟の信勝を溺愛した母・土田御前。
自分の大切なものをいつも壊す信長に傷つけられ
心穏やかではなかったという。
それを癒してくれたのが
お行儀のいい信勝だったと言ってましたけど・・・
本当にそうなんでしょうか?

大切にしていた鳥を死なせても
大事にしていた茶器を壊しても
信長のことを愛おしく思っていたら
傷つけられた
なんて感情は沸かない気がします。

もちろん死なせた理由や壊した理由にによっては
信長を叱ってやる必要はあるけど
それは信長の成長のためを思ってのこと。

でもそうならずに
信長に対する嫌悪感が
先に生まれたってことは
そもそも信長のことが
嫌いだったんだろうなって。
そして多分嫌いな理由は
自分の思う通りに動いてくれないから。

周りからうつけと揶揄される信長は
何をしでかすか予想がつかない。
他人に縛られず自由に行動するタイプ。
それが、土田御前にとっては怖いことであり
気に入らなかったことなんじゃないかなって。

一方で信勝は、自分の理想通りの息子。
自分が思い描くように行動してくれるから
ある意味で安心なわけです。

信長だって出来れば信勝を
殺したくなかったはずなんです
母が悲しむことがわかっていたから。
でも土田御前のあの言葉は
やっぱり自分は
信勝よりも大事にされてなかった
という現実を突きつけられて
悲しかったんじゃないのかなぁ・・・。

ここで少し土田御前について復習しておくと
織田信秀の継室、二番目の正室に当たります。

信長の野望・創造 戦国立志伝における土田御前

織田信秀の最初の正室
尾張下四郡の守護代織田達勝の娘でしたが
離縁して、その後土田御前が正室に。

信秀との間にできた子は信長と信勝以外に
秀孝信包お市の方お犬の方がいます。

ちなみに秀孝は信勝よりも先に
弘治元年6月26日(1555年7月24日)に
ある意味事故みたいなもので亡くなっています。
そのことは「信長公記」に書かれていて
叔父で森山城主の織田信次(信秀の弟)
秀孝と気付かず無礼打ちにより殺してしまいます。
しかし秀孝とわかった信次は
信長に報復されることを恐れて
しばらく身を隠してしまったそうです。

ですが実は信長よりも先に報復したのは
織田信勝の方だったりします。

信次は逐電して行方不明でしたが
信次の家臣たちが守る守山城下を
信勝は柴田勝家らに命じて焼き払ったそうです。

逆に信長は守山城下の信行の軍勢を
追い払っています。
信長は殺められた秀孝にも否があったとして
叔父・信次を後に許していることから考えると
実は信長よりも信勝の方が
直情的なタイプだったのかも?
どっちにしても似た者兄弟ってことなのか。

さて、話を母の土田御前に戻すと
生年や出自についてはよくわかっていません。
この頃の女性はなかなか記録に残されませんからね。
いろいろ諸説はありますが。

そして信勝の死後は、信長と共に暮らすようになり
信長やお市の方の子供たちの世話をしていたそうです。
そして本能寺の変が起きた際にもまだ存命でした。
亡くなったのは文禄3年1月7日(1594年2月26日)。
麒麟がくる」だと
もう出てこないぐらいの勢いだったけど
どうなるんですかね。

同じく弟を殺害した斎藤義龍と信長の違い

母・土田御前が来るのを待つ織田信長

信長同様に弟を殺した人といえば斎藤義龍
父・道三が自分よりも可愛がっていた
孫四郎と喜平次を騙し討ちする形で殺めました。

正確には「麒麟がくる」の場合は
義龍の家督相続に不満の持っている正室の子が
不穏な動きを見せる前に先手を打った感じですね。
まぁもっと正確に言えば
稲葉良通に唆されたんだけど(笑)

信長も義龍も自分の弟の命を殺めていますが
二人のとった対応自体に関しては
真逆でしたよね。
信長は弟と向き合い正面きって話した上で
弟が持ってきた見舞品の毒水を飲ませて
自分の目の前で弟の死ぬ様を見届けています。

一方で、義龍は病気のフリをしたまま
対面して弟たちの思いや本心を聞くこともせず
さらに家臣に斬り殺させて
自らの手は汚していません。
さらに、信長の方は信勝を溺愛する母とも
きちんと向き合いましたが
義龍の方は父・道三と対面することもなく
そのまま戦へと。

斎藤道三さま的な評価をするとすれば
弟を殺すにしても信長は正直であり続けたけど
義龍は弟たちを欺き正直であろうとはしなかった
といったところでしょうか。
人を欺く者は人を信用してないからであって
だからこそ真に信用できるような家臣が
義龍にはできなかったのだろうとか考えると
ちょっと皮肉ですよね。

父も弟も母も失ったと悲しむ信長

父も弟も母も失くしたと悲しむ織田信長

自分の手で殺したとはいえ弟を亡くしてしまい
信長一人ぼっち感だして可哀そうな感じでしたど
こちらの記事でも書いたように
信長には兄弟が沢山います。

tsukumogatari.hatenablog.com

父・信秀には信長含めて息子12人、娘も10人以上
と言われていますからね。
信長もその遺伝子を受け継いで子沢山ですが。

信長も含めてその男の兄弟をずらっと上げてみると
こんな感じです。

  1. 織田信広
  2. 織田信時
  3. 織田信長
  4. 織田信勝
  5. 織田信包
  6. 織田信治
  7. 織田信興
  8. 織田秀孝
  9. 織田秀成
  10. 織田信照
  11. 織田長益
  12. 織田長利

年長者から順に書いていますが
織田信時は信長の弟説もあります。
ただ「信長公記」だと兄扱いなので
そちらをベースに。
ほら、こんなにいるから
寂しがる必要はないですよ、信長さま(笑)。

ちなみに、信長の弟として信勝以外で有名なのは
織田長益(有楽)でしょうか。

信長の野望・創造 戦国立志伝における織田長益

茶人としても有名で利休十哲の一人であり
茶道有楽流創始者
信長とは13歳の年齢差。
正室平手政秀の娘です。

そして本能寺の変の不名誉の逃亡劇や
大阪の陣で豊臣方に就いていながら
途中で大阪城を退場してしまったことが
だいぶ印象を悪くしてる感じです。

しかし、関ケ原の戦いでは息子の長孝と共に
西軍の有力武将の首2つを取るなど活躍しているし
様々な交渉役、折衝役もこなしてきた実績があるし
ゲーム信長の野望の能力値は評価低すぎなのでは
と個人的には思っています。

織田信包信長の野望には常連っぽく出てくるけど
一般的にはあまり知られてない気がします。

信長の野望・創造 戦国立志伝における織田信包

浅井氏滅亡後には浅井長政に嫁いでいたお市の方
その三姉妹の茶々、初、江を保護した説もありますが
近年だと保護したのは信包じゃなくて
前述した叔父の織田信次だった説が出てきてるので
余計に存在感が薄れてしまうかもしれません。

1.2.久々に訪れた京からの学び

十兵衛と煕子の子は誰だ?

子ができたことを喜びのあまり煕子に抱き着いてしまう明智十兵衛光秀

十兵衛と煕子の間に待望の赤ちゃんが!?
逸話では煕子は越前逃亡中に既に身籠ってた
ていう話も確かあったような気がするので
個人的にはそんなに驚きませんでしたが(笑)
十兵衛の喜びっぷりが伝わってきてよかったです。
さて、この子は一体誰でしょう。

たぶん、嫡男の明智十五郎(光慶)でなのしょう。

tsukumogatari.hatenablog.com

生年は伝わってないし1569年説もあったりしますが
有名な長女の珠(ガラシャはもう少し後なんですよね。

信長の野望・創造 戦国立志伝におけるガラシャ
というわけで、明智家待望の嫡男が
麒麟がくる」一時休止までには誕生しそうかな?

【2020年6月4日追記】
この適当な内容については
麒麟で学ぶ#20で訂正していますのでお許しくださいませ。

織田信長の上洛と暗殺未遂

上洛途上の織田信長の軍勢

織田信長は永禄2年2月2日(1559年3月10日)に
将軍・足利義輝に謁見するため上洛しています。

麒麟がくる」では言及されていませんが
信長が弟の信勝を謀殺した後
尾張上四郡の守護代である織田信賢
浮野の戦いで破っています。
その翌年には織田信賢の居城・岩倉城を攻略。

信長公記」によると岩倉城攻めは
2、3か月包囲しながら火矢や鉄砲を
撃ち込み続けたのだとか。
岩倉城勢はもはや守り切れないと判断して
城を明け渡し散り散りに逃げたそうです。

というわけで実質的な尾張の支配者が
織田信長になったわけであり
尾張の新たな支配者であることを
将軍に認めてもらうことが
この上洛の目的であったと言われています。
麒麟がくる」では尾張への侵攻を着々と進める
今川氏を止めるために将軍を頼るつもりでしたが
思っていたほど将軍には力がないことに
少し落胆していた様子でした。

さて、この信長の上洛のタイミングに合わせて
斎藤義龍信長暗殺計画を企ている噂を
十兵衛は細川藤孝から耳にしました。
刺客は京で迎え撃つつもりで既に入京しているとも。
麒麟がくる」では十兵衛が松永久秀に頼んで
信長の暗殺計画を阻止しましたが
信長公記」にもこの暗殺未遂事件について
記述があります。

信長公記」では信長の窮地を救ったのは
丹羽兵蔵という清須の那古野弥五郎の家臣です。
清須の那古野弥五郎とは、以前こちらの記事でも
取り上げた人物です。

tsukumogatari.hatenablog.com

第13話で信長が清須周辺を焼き払って
敵対心の強い織田彦五郎(当時の尾張下四郡守護代
しばらくの間おとなしくさせた出来事。
その折、信長に加担したのが
尾張守護の家臣であった簗田弥次右衛門と
その男色関係にあった那古野弥次郎であることが
信長公記」に書かれていますってことで
紹介したんですが、その那古野弥五郎です。

その那古野弥五郎の家臣ってことは
丹羽兵蔵も男色家なのだろうか?
ということは何も言及されてないので不明ですが
この丹羽兵蔵が事前に信長暗殺部隊と出くわして
信長の暗殺計画を知ることになります。

暗殺計画を知った丹羽兵蔵は信長の家臣である
金森長近蜂屋頼隆に伝えたことによって
信長暗殺は未遂に終わるんです。

ただ、ここでは信長が
実際に暗殺部隊の宿舎に足を運んで
刺客たちと対面したというのが
ちょっと面白いんです。
やれるもんならやってみろぐらいの勢いで
6人の刺客たちに信長が迫るもんだから
刺客たちは進退に窮してしまったのだとか。
丹羽兵蔵は十兵衛なのかもしれない?(笑)

ちなみに「信長公記」では信長の上洛に伴い
随行したのは80人とあります。
少なくない?(笑)
でも信長って上洛する時
意外と随行メンバー少ないんですよね。
本能寺の変の時もそうなんですけどね。
身軽な方が好きなのかもしれないけど
リスクめちゃくちゃ高くないですかね(笑)

十兵衛が誰にも仕えない理由

久々に対面する斎藤義龍(高政)と明智十兵衛光秀

織田信長暗殺計画がきっかけで
久々に斎藤義龍と対面した十兵衛ですが
仕官の誘いを断る誰にも仕えず
浪人でいる十兵衛に対して
義龍は
『一体何をしたいのか』
と問います。

そこで十兵衛が答えたのは
道三さまから託された言葉。
『大きな国を作るのじゃ。
誰も手出しのできぬ大きな国を。』

十兵衛が元々目指しているのは
麒麟がくる」世の中だと思います。
最終目的はこれなのでしょう。
ただそれを成すためにどうすべきかは
まだわかっていない。
そこへ道三さまから託された最期の言葉が
この目的を果たすための手段かもしれない、
そう思うからこそ十兵衛の胸の内から
ひと時も離れずにいるのでしょう。

誰にも手出しができぬ大きな国を造れれば
世は平らかになり、争いごとは消えて
誰もが平穏無事に暮らせるのではないか。
ただ、それをできるのは一体誰なのか
道三さまが言った通り織田信長なのか
或いは公方さまなのか。
※現状の公方さまの様子を見て違うと判断したようですがw
そこを見極めようとしている所なのかもしれません。
そして、斎藤義龍朝倉義景では
それを成すことはできないだろうとも。

でも仕官の話なら
松永久秀に頼んだらすぐ受け入れてくれそうだし
別に信長だってやぶさかではないと思います。
将軍家だって余裕ないかもしれないけど
親友の細川藤孝もその兄・三淵藤英も
仕官するために尽力してくれそうです。
それでもそういう伝手を使わずに
浪人に甘んじているのは
自分なりにGOサインを出すまでの
結論を出せてないからなのでしょうが・・・。

でもこれは十兵衛の悪い癖な気もします。
頭の中で考えることも大事なんですけど
実際には動いてみないとわからないことの方が
多かったりします。
ウダウダ考えているよりも
とりあえず行動しちゃう方がすっきりするのに
この辺は十兵衛の頭でっかちなところかも(笑)
自分自身もその辺にいら立ちを覚えているのか
次回予告では少し爆発してましたがw

というわけで今の十兵衛にはこちらの言葉を贈りたい。
『考えるんじゃない、感じるんだ!』
※ちょっと違う気もするww

1.3.衰退していく将軍家からの学び

公方さまと三好長慶の関係

京に戻り三好長慶と面会する足利義輝

十兵衛が久々に対面した公方さまは
ちょっとやつれてる雰囲気でしたよね。
声のトーンも心なしか低い印象を受けました。
三好長慶と和睦して京へ戻れたのはいいけど
今の時の権力者は三好長慶
京に戻ってきたところで将軍には
何の力もない、それがやるせないのかもしれない。

ちなみに、将軍家衰退の逸話として
足利義輝元号改元
知らされなかった事件があります。

基本的に元号を変える時は
将軍家と朝廷の間で調整するのが常だったのが
当時、朽木谷に逃げて京から離れていた公方さまに
了承をとらずに改元してしまったのだそうです。

これが弘治4年2月(1558年2月)のことです。

じゃぁ朝廷が勝手に変えたのかって言うと
もちろんそうじゃなくて
朝廷が相談したのが三好長慶だったのです。

世は三好政権絶頂期
長慶自身は「日本の副王」と称されるほどです。
国の中心を動かしているのが三好長慶なんだから
どこかの谷で隠れ住んでる実権の無い将軍よりも
今実権を掌握しているトップと相談した方が
事は何でもスムーズに進みますよね。
当然といえば当然の話です。
しかし、この将軍軽視に義輝も怒り狂います。

そう、三好長慶打倒のために
足利義輝朽木谷で挙兵するのです。
これが永禄元年3月(1558年3月)のこと。

永禄元年5月には近江の六角義賢の支援もあり
同じく三好長慶と敵対していた細川晴元と共に
近江の坂本へ移って
三好長慶討伐の機会を伺います。

そして翌月の6月に京の北白川
両家の間に戦が起きます。
北白川の戦いというやつです。

戦の序盤は、
六角氏の支援を受けていた義輝軍が
優位に戦況を進めていたようですが
三好長慶の弟・三好実休(義賢)
四国勢を引き連れて反撃に出たことに加えて
六角義賢が将軍家への支援を打ち切ったため
戦況は一転して三好軍が有利に。

そこで11月に六角義賢の仲介によって
足利義輝三好長慶と和睦を結ぶことになります。
麒麟がくる」の中で言ってた和睦とは
こういう経緯があったのです。

無事に京へ戻れたのはいいんだけど
公方さま自分の力で京へ戻れたわけではない。
それに和睦したからといって
三好長慶のことを全てを許せるわけではなく
両者の関係を修復することは
難しい状態だったようです。

とはいえ力のある三好長慶を無視するわけにもいかず
幕府の御相伴衆に加えたり
※同時に松永久秀も御相伴衆に加えられている
三好長慶の嫡男・孫次郎(後の義興)に
義輝の一字を与えて「義長」と名乗らせたりして
一定の距離感を保とうという努力はしていたようです。

官職・左京太夫と将軍家の相伴衆

上洛した織田信長と面会する足利義輝

公方さまが信長に今川義元より上の
左京大夫を与えるといって
ちょっと引かれてました(笑)

官職が上だろうと下だろうと
今川義元尾張への侵攻はやめないだろうし
むしろ逆鱗に触れるかもしれませんよね。
返って逆効果な気がします。

ちなみに織田信長が官職を与えられるのは
だいぶ後の話。
形式上は足利義昭が将軍に就いた際に
従五位下弾正少忠を与えられたことになってますが
実際には、天正3年(1575年)11月まで
無位無官だったと言われています。

官職に関してはらいそくさん(@raisoku_12)が
面白い記事を書いているので
興味ある方は読んでみてください。

raisoku.com

raisoku.com

武士が手に名乗ってた官職名の説明が
メインなんですけど、
官職表も載せられてるので
昔の日本の政治組織がどんな感じだったのか
なんとなくわかります。
日本史やってたりすると
この辺は勉強してたりするんですかね?

さて、公方さまから左京大夫を授けると
言われた織田信長ですが
それで今川が退くとは思えないというと
ならば信長を相伴衆に加えてやろうと
言ってました。

この相伴衆とは幕府の身分です。
説明はWikipediaに任せることにします。

相伴衆(しょうばんしゅう、御相伴衆とも)は、室町幕府における役職的な身分の一つ。将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従・相伴する人々の事。管領家の一族や有力守護大名に限定されていたため、一種の社会的身分としての価値が生じて幕府内の職制にも反映されて管領に次ぐ席次を与えられるようになった(ただし、三管領家も社会的身分としては相伴衆中の上位に位置づけられていたとする見方もある[1])。
引用:Wikipedia

元々は、将軍に随従・相伴する人々に
与えられる身分で
管領家の一族や有力な守護大名のみ
与えられていました。
しかし戦国時代になると、役というよりも
名誉とか格式的な意味合いが強くなって
実際には公方さまに随従することのない
地方の大名たちも任じられるようになりました。
例えば越前の朝倉孝景、相模の北条氏康
それから安芸の毛利元就など。
そして美濃の斎藤義龍も今回上洛をした際に
任じられています。

いずれにしても、相伴衆に任じられても
信長の格式が上がるだけで
今川義元からしたら
それが何か?って感じで
結局尾張は攻められるだけです(笑)

中央で朝廷を動かすような場合には
意味があったかもしれませんけど
下剋上の戦国時代ですし
そういった格式よりも実力の方が
優先されるでしょうね。
信長が官職にも役職にも
興味が沸かなかったのは
納得できるところです。

当時の帝はそういえばどなた?

公方さまが久々に京へ戻ってきたものの
全てがかわってしまい、父もいないし
帝もかわった、と言ってましたね。
そういえば「麒麟がくる」の時代の
天皇陛下はどなたが即位されていたのか。

麒麟がくる」の第1話は1547年スタート。
当時は後奈良天皇が即位していました。

ja.wikipedia.org

後奈良天皇の在位期間は
大永6年4月29日から弘治3年9月5日。
西暦だと1526年6月9日から1557年9月27日。

同じ天皇元号が異なるのは
現在のように一世一元ではなかったためです。
ちなみに織田信長足利義昭を京から追放した際にも
元亀から天正改元してるんですよね。

そして「麒麟がくる」は現時点で弘治2年(1559年)です。
後奈良天皇は2年前に崩御されていて
正親町天皇がその後即位しています。

ja.wikipedia.org

正親町天皇の在位期間は
弘治3年10月27日から天正14年11月7日です。
西暦だと1557年11月17日から1586年12月17日。

戦国時代というと、やはりこの正親町天皇ですね。
織田信長が譲位を要求したとか
あるいは逆に正親町天皇自身が譲位したがってたのを
信長が反対したとかいう話もありますしね。
麒麟がくる」でも正親町天皇は登場するやもです。

信長が国替えを頼んだという逸話

織田信長は摂津と尾張を交換してくれと松永久秀に頼んだという

松永久秀の下に織田信長が顔を出して
尾張を摂津を交換してくれ、と
本気かどうかわからぬ話をされたと
十兵衛に言ってましたよね。
この話、逸話がちゃんとあるのだそうです。
私も知りませんでしたが
Twitterやブログでよく勉強させてもらっている
まとめ管理人さん(@1059kanri) のツイートで
知りました。

この元ネタに関する記事も過去にブログに書かれていて
それがこちらの記事になります。

iiwarui.blog90.fc2.com

『古雄逸談』に書かれている逸話で
同様の話が『武辺咄聞書』にもあるそうです。
国立国会図書館デジタルコレクションを確認したら
『古雄逸談』であったので見てみました。

dl.ndl.go.jp

すると「信長巡礼者に擬す」という項に
該当の内容が書かれていました。
信長の領地替えというよりは
信長が三好長慶の家臣に成り下がろうとしていて
当時の三好長慶の権勢を表していると思うし
ちょっと面白い逸話だと思います。

1.4.没した登場人物たち

斎藤道三の亡骸に膝をついて深く礼をする明智十兵衛光秀

こちらは麒麟がくる」で亡くなった人たちを
弔うための章
です。
亡くなった日については
Wikipediaの情報と「麒麟がくる」での情報を
照らし合わせてのものです。
亡くなった日については
人物によって諸説ありますので
あくまでも参考情報ということでお願いします。

  • 天文16年(1547年)織田信康(演:清家利一)享年不明
  • 天文16年11月17日(1547年12月28日)土岐頼純(演:矢野聖人)享年24歳
  • 天文18年3月6日(1549年4月3日)松平広忠(演:浅利陽介)享年24歳
  • 天文20年3月11日(1551年4月16日)小見の方(演:片岡京子)享年39歳
  • 天文21年3月3日(1552年4月8日)織田信秀(演:高橋克典)享年42歳
  • 天文22年閏1月13日(1553年2月25日)平手政秀(演:上杉祥三)享年62歳
  • 天文23(1554年)深芳野(演:南果歩)享年不明
  • 天文23年7月12日(1554年8月10日)斯波義統(演:有馬自由)享年42歳
  • 弘治元年閏10月10日(1555年11月23日)太原雪斎(演:伊吹吾郎)享年60歳
  • 弘治元年11月12日(1555年12月24日)斎藤孫四郎(演:長谷川純)享年不明
  • 弘治元年11月12日(1555年12月24日)斎藤喜平次(演:犬飼直紀)享年不明
  • 弘治元年11月26日(1556年1月7日)織田信光(演:木下ほうか)享年41歳*1
  • 弘治2年4月20日(1556年5月28日)斎藤道三(演:本木雅弘)享年63歳
  • 弘治2年9月26日(1556年11月8日)明智光安(演:西村まさ彦)享年57歳*2
  • 永禄元年11月2日(1558年12月11日)織田信勝(演:木村了)享年不明*3

1.5.参考資料

今回記事を書くにあたって主に参考とした書籍や
サイトをこちらでまとめて紹介しておきます。
興味持たれた方はご購入または閲覧してみてくださいね。

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)
 
戦国 戦の作法

戦国 戦の作法

 
ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

  • 発売日: 2014/09/08
  • メディア: 文庫
 

土田御前 - Wikipedia

織田信秀 - Wikipedia

織田長益 - Wikipedia

織田信包 - Wikipedia

足利義輝 - Wikipedia

2.まとめ

久々に明智十兵衛光秀と酒を酌み交わす松永久秀
いかがでしたか?
考察についてはあくまでも私の個人的見解なので
別の考えがあったりしたらコメント等で頂けると
嬉しいです。

あと官位(官職と位階)については
詳しくまとめたい気もするので
別の形で記事にしたいなぁとは思っています。
他にも全く別ジャンルとかで書きたい記事が
結構たまってるので
官位の記事が仕上がる時期は未定ですが(笑)

そういえば十兵衛が信長の暗殺計画阻止で
必死になってるのはちょっと滑稽ではあったなぁ。
後に本能寺の変を起こす人が
必死になってるのが、なんだか(笑)

そして次回はいよいよ桶狭間の戦いか!?
藤吉郎は今はどこにるんだ(笑)

あと2回で一端放送休止になってしまいますが
緊急事態宣言も解除されたので
撮影も少し前向きに動きそうな気がしますね。
NHKも最後までやり切る感じっぽいのが
嬉しい限りです。
完全にコロナが終息したわけではないので
あまり楽観視できないのも確かなんですが
演者の方々やスタッフの方々の健康面を最優先に
撮影に臨んでいただければと思います。

さて冒頭でも述べましたが
U-NEXTまたはAmazonプライムビデオであれば
NHKオンデマンドをチャンネル登録すると
当日の放送や再放送も見逃してしまったとしても、いつでも視聴可能です。
※2020年3月からNHKオンデマンドに元々あった最新作の「見逃し放題パック」と過去作の「特選見放題パック」が
統合されて「まるとご見放題パック」となったため最新作から過去作までいつでも見れるようになりました。

そして「麒麟がくる」をもっと楽しむために
こちらの書籍もおススメですので
ご興味のある方は是非とも。

NHK出版 2019年11月30日
by ヨメレバ
麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

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  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 
麒麟がくる 後編 (2)

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  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: 単行本
 
2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」完全読本 (NIKKO MOOK)

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  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


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このINDEXページを基点として頂くと
過去に投稿済みの記事へも
アクセスしやすいです。
こちらから過去記事も読んで頂けると
嬉しいです。

*1:麒麟がくる」では今の所亡くなったことは語られていない。

*2:麒麟がくる」の場合は長良川の戦いから数日後な気がするけどWikipediaベースで載せてます。

*3:信長の野望ベースなら享年23歳