ツクモガタリ

本サイトはプロモーションをふくみます!

歴史人物語り#23 丹波には鬼がいっぱい!明智光秀を何度も蹴散らした丹波の鬼・荒木氏綱

スポンサーリンク

今回は丹波で鬼と恐れられた人物の一人、
荒木氏綱(あらきうじつな)です。
麒麟がくる」でも明智光秀丹波攻略戦では
赤鬼・赤井直正と並ぶ障壁として登場することでしょう。

www6.nhk.or.jpでは今回のお品書きはこちらです。

ちなみに紹介済みの「麒麟がくる」にちなんだ武将たち
以下の一覧記事にまとめてあります。

tsukumogatari.hatenablog.com

tsukumogatari.hatenablog.com

その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。

tsukumogatari.hatenablog.com

まだ読んでいない武将の記事がありましたら是非チェックしてみてくださいね。

1.荒木氏綱(あらきうじつな)とは

荒木氏綱は、丹波の荒木鬼または丹波の鬼と言われるぐらい
勇猛な武将として名高い人物ですが、その素性は不明なことが多いです。
江戸幕府が寛政年間(1789年~1801年)に編集した大名や旗本の家譜集
寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)」には、
通称兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)で
荒木村重(信長に仕えたが後に裏切った)の叔父

記されているようですが、
他にも出自に関しては諸説あるため
正確なことはわかりません。
少なくとも京街道の要衝の地に築かれた
細工所城(さいくしょじょう)を本拠とし、
波多野秀治「波多野氏旗頭七人衆」の一人として
その豪勇ぶりを恐れられていたことは間違いなさそうです。

1575年から始まる明智光秀による丹波攻略戦においては、
何度も明智勢を追い払っています。
しかし1579年波多野秀治が光秀の偽りの和議によって捕らえられ処刑される
荒木氏綱も抵抗することはやめて光秀に降りました。
光秀は荒木氏綱の戦上手を身に染みてわかっていますから
当然家臣に加えたかったようですが、
荒木氏綱は病身を理由に断って嫡男の氏清を代わりに出仕させています。

本能寺の変の際には、明智方として参戦していたようですが諸説あります。
本能寺の変の際に瀬田で息子・氏清らと共に戦死したとも、
変後に、明智秀満らと共に坂本城で籠城したが
明智秀満の計らいで脱出して生き延びた
とも。

tsukumogatari.hatenablog.com

ちなみに玄孫の荒木高村陸奥国三春藩重臣でしたが、
その嫡男・頼季(よりすえ)
藩主・秋田輝季(あきたてるすえ)の養子となり、
家督を継いで三春藩4代藩主・秋田頼季となりました。
丹波から遠い東北の地で子孫が藩主となり、
その血脈が幕末まで続くなんてことは氏綱も想像していなかったでしょうね。

2.丹波には鬼が3人棲んでいた

戦国時代に鬼と呼ばれる武将は何人もいます。
ずらっと思いつくだけ挙げてみると

  1. 出羽の猛将、短命が惜しまれる鬼九郎・戸沢盛安(とざわもりやす)
  2. 真田幸村と縁もある伊達家の重臣鬼の小十郎片倉重長(かたくらしげなが)
  3. 上杉謙信の剛力無双の側近、鬼小島・小島弥太郎(こじまやたろう)
  4. 武田五名臣の一人、鬼美濃原虎胤(はらとらたね)
  5. 原虎胤鬼美濃を受け継いだ武田四天王の一人、馬場信春
  6. 常陸の坂東太郎、鬼義重の異名で恐れられた佐竹義重(さたけよししげ)
  7. かかれ柴田に瓶割り柴田の鬼柴田柴田勝家(しばたかついえ)
  8. 徳川四天王赤鬼・井伊直正(いいなおまさ)
  9. 三好長慶の信頼厚き弟、鬼十河十河一存(そごうかずなが)
  10. 四国を統一した鬼若子・長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)
  11. 大友家の重臣雷切の所有者、鬼道雪立花道雪(たちばなどうせつ)
  12. 朝鮮出兵で明軍も震え上がらせた鬼島津島津義弘(しまづよしひろ)

まだまだ他にも鬼武蔵とか鬼玄蕃とかいるわけですが、
どの武将もやはり武勇に優れた人物ばかりです。
しかし丹波には鬼が3人も同時にいた、
鬼の棲家として周辺国から恐れられていたんじゃないかと思うぐらい

  1. 丹波の荒木鬼または丹波の鬼・荒木氏綱
  2. 丹波の赤鬼・赤井直正
  3. 丹波の青鬼・籾井教業(もみいのりなり)

籾井教業に関しては、実在を疑われたりもしていますがそれはちょっと置いておきましょう(笑) 

tsukumogatari.hatenablog.com

実際、織田家明智光秀を派遣して丹波に攻め込んでも
簡単に落ちるどころか光秀は散々に負けた上、
一度は命からがら坂本城まで引き返してるほど
ですからね。
丹波の大名・波多野秀治自身が、
丹波の地の利を活かした戦い方が得意だった
そうですし
丹波の3人の鬼も豪勇さだけでなく
地形をうまく利用するような戦略を熟知していたのかもしれません。

3.「麒麟がくる」で鬼たちは??

明智光秀丹波攻めで光秀にとって厄介な敵として氏綱も出てくることでしょう。
赤井直正は1578年に病死してしまいますし、
籾井教業は丹波攻めの際に戦死したことになっていますから
丹波の鬼の中で唯一生き残った荒木氏綱は
本能寺の変まで明智家と共に歩む姿見せてくれるかもしれません。
明智光秀丹波攻めは後半になると思いますが、
光秀を散々に苦しめた荒木氏綱を始めとした鬼3人の戦ぶりに注目です。

4.まとめ

今回は丹波の鬼として恐れられ、
明智光秀も何度も攻めあぐねた荒木氏綱でした。
光秀の丹波攻め以外でなかなか資料が残っていない武将なので
謎めいた人物ではあります。
鬼の異名が残るぐらいですから勇猛果敢な武将として
恐れられていたことは間違いないでしょう。
子孫が藩主になって幕末まで続いているので、姓は違いますが
今でも荒木氏綱の血筋は続いてるのかなと考えると
ちょっと感慨深いです。

そしてゲーム、信長の野望・創造 戦国立志伝での荒木氏綱の評価値はこちらです。

f:id:tsukumoshigemura:20190816064157p:plain
意外と知略もそこそこあるので使っていく過程での成長も見込んで
部隊の大将をよく任せたりします。
ちょっと不満なのが戦法です。
もう1段階強い戦法をつけてくれてもいいんじゃないかなって、
鬼だし(笑)

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!